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三章
一、戦争の機運
しおりを挟む顧承が兵を率いて駆け付けた頃には、諸葛恪一人を残し、もうそこはもぬけの殻となっていた。
山越族はとかく逃げ足が速い。そしてどこに消えたかもわからない。だからこそ厄介なのだ。
山間のそれほど大きくはない渓谷。
岩肌には横穴が広がり、渓谷を塞ぐように門や見張り台が並ぶ。まさに天然の要塞。
しかしここには田畑はない。食料を得る手段が狩りや採取しかないとなると、居住区ではなかったことが伺える。
軍事のみを目的に築かれた拠点だ。だからこそ彼らもあっさりと引き上げることが出来たと言える。
「慌てて出て行ったからか、そこそこの武具や工具は残っていた。これが新たな調査書だ」
「危険を冒した甲斐があったな、元遜(諸葛恪のあざな)。まぁ、褒められた行動ではないが」
机の上に積み重なる報告書に一つ一つ目を通しながら、顧譚は諸葛恪を窘める。
これまで山越族の組織や実態などが全く分からなかったことを考えると、僅かばかりの情報でも大きな成果と言えた。
しかしその情報と天秤にかけて良いほど、諸葛恪や顧承の命は安くない。
故に今回ばかりは、諸葛恪も言い返すことは出来なかった。
「しかし元遜、奴らの武具はどれも鉄製で質も良い。やっぱり鉱山を抑えているというのは大きいのだろうな」
「これまで彼らの反乱を抑え込んできたのは、呉将最強とも謳われた"賀斉"将軍だ。賀斉将軍の部隊もとにかく軍備に莫大な金を費やしていた」
「鍛え上げた精兵に、最新の武具を惜しみなく揃える。そうでもしないと抑え込めないわけか」
その賀斉は数年前に没している。つまり彼の後任を誰が務めるのか、誰が山越を抑え込むのか、これはこの国の大きな課題である。
そして諸葛恪は自分がその役目を担いたい、と考えていた。
「そういえば、アレはどうした。変な蛇の怪異がどうこう言ってただろ」
「さぁな、なにも分からなかった。そもそも怪異に関する話なんて何も分からないことがほとんどだ」
どこで目撃されたか、誰が目撃したのか、そういう話も特にないただの噂話のような情報しかなかったのだ。
諸葛恪の知っている限りの知識を引き出してみてもやはりよく分からない、という他ない。
また顧譚も特にそっちの話には興味が無かったらしく、あっさりと話を変えてしまう。
「まぁ、諸々の事後処理は俺と弟でやっておく。元遜、お前は建業に戻れ」
「この宛陵は諸葛家の管轄だ。それはこっちの仕事だろ」
「そうもいかん。ほら、殿下からの命令書だ。戻ってこいだとよ」
手渡される書状。中身は皇太子"孫登"からの、建業への帰還命令であった。
ただいつものような友人に送る感じの内容ではなく、かっちりとした公的な文書である。
こういう時は決まって孫登ではなく、皇帝"孫権"の意が含まれていることが多かった。
「話によれば、既に各地より主だった将軍や大臣達が建業へ招集され始めている。いよいよ始まるんだ、戦が」
「お前は、もう配置は決まってるのか」
「上大将軍(陸遜)の参軍(参謀役)だ。元遜は父君に付き従うのか?それとも殿下の補佐か?」
「そういう話は聞いてない」
「だったらそれを伝えるための帰還命令なんだろう。早くいけ」
相変わらず気に食わない態度だった。諸葛恪は不機嫌そうにフンと鼻を鳴らして執務室を出る。
向かう先は諸葛家の屋敷である。
従者たちに帰還の旨を伝えて、その準備のための指示を出す。だがその場に楊甜の姿が無い。
「何をしてる」
「あ、ご主人様!帰ってらしたんですか!!」
中庭で木刀を振るう楊甜の姿がそこにあった。よく見れば杜宇もそこにいる。
あの日以来、楊甜は武術の会得に熱を入れていた。しかしそれは諸葛恪からすればあまり好ましいことでは無かった。
「武を磨く前にお前はやることが山のようにあるだろう。無駄なことをするな」
「む、無駄って…」
「何を言うか諸葛恪よ、この国は文より武が重んじられておる。むしろ学問より武を磨くべきだ」
「古蜀(杜宇が昔治めていた国)陛下、こいつは俺の従者です」
「僕はあの日、子直(顧承のあざな)さんに助けられるばかりで、ご主人様の役に立てませんでした。だからっ」
「黙れ。あとまたすぐ建業に帰るから荷物をまとめろ」
「え、荷解き終わったばっかりなのに…?」
しょぼしょぼの顔で中庭を後にする楊甜。
相変わらず杜宇は定位置の松の枝に留まり、諸葛恪を見下ろしていた。
「酷い言い草だな。あの馬鹿首も健気にお前の役に立とうとしてるってのに。そんなヤツ他に居ねぇぞ?」
「アイツは人の世で成り上がりたいと言ったんです。ですが古蜀陛下は、どうも楊甜にそうなってほしくない様で」
「そらそうさ、いくら誤魔化しても怪異は怪異だ。人知の及ばぬ異能を持って生まれたならば、それを上手く使ってこそだろう。お前だってそうだ」
「どういう意味で?」
「人並外れた天性の才知を有し、それを武器にしているだろ。そして不出来な者を努力不足の怠け者と断じ、突き放す。お前もある種の怪異さ」
「私のこれは才ではなく、努力です」
「それも才だ。普通の人間に"白沢図"は覚えられん」
杜宇はそう言って笑いながら飛び立ち、次は諸葛恪の頭の上に座る。
元は皇帝だった存在、機嫌を損ねてはいけない。諸葛恪はグッとそれを我慢した。
「そういえばお前に頼まれた通り、山中の物見をしてきた」
「どうでしたか」
「山越はお前の考えている以上に大きく、そして強いぞ。決まった拠点もなく、立場も生まれも思想すら異なる者達が、呉国憎しの感情だけで固く結束している」
「分かっています。一筋縄ではいかないことくらい」
「そして恐れや怨恨は瘴気を生み、やがて怪異を生む。まぁ、お前の言ってた変な蛇こそ見てはいないが、何かが裏で動いていることは確かだ」
「どのような怪異が」
「それは知らん。だが瘴気が強すぎる。先の洪水のせいだな、人が多く死んだ。そりゃあ怨恨も募る」
そこに戦が起きようものなら、国を呑む怪異すら生まれかねない。杜宇の言葉にはそんな忠告の意も込められていた。
だが、だからと言って既に時代は動き始めているのだ。それを止めることは出来ない。
戦は起きる。山越も蜂起する。
ここから逃げてはならない、この国の未来のために。それが才知を有する者の責務だと諸葛恪は自分に言い聞かせた。
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