無口なきみの声を聞かせて ~地味で冴えない転校生の正体が大人気メンズアイドルであることを俺だけが知っている~

槿 資紀

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第二十九話

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「妹さんのグッズのこと、やけに気にしてたよね」

 そう言って、久瀬は廊下まで引き返し、バタリと扉を閉めた。そして、床にへたり込む俺の傍らにしゃがみ、首を傾げた。俺はそんな久瀬を正面から見ることができなかった。

「今まで、カイリくんちに呼んでもらえなかったのって、アレのせいか……そうだよね、カイリくん、ラヴィのことは良く知らないって言ってたから、おかしいもんね」

 困ったなぁ、と、久瀬は震える声でそうひとりごちた。

「初めから、気付いてたんだ。カイリくんは、僕のことを知ってた。そうじゃないと、このことを隠そうなんて思わないでしょ、違う?」

 俺の肩に手を置き、ゆらゆらと揺らす久瀬。俺は、されるがままに、頭を縦に揺らした。ツン、と鼻の奥がきつく痛み、ジワジワと染み入るように頭が重くなった。

「何も聞いてこないなって思ってたよ。分かってたから、聞く必要がなかったんだ。そう、そうなんだ……あははッ……」

 久瀬は、俺の肩に置いた手の甲に額をぐりぐりと押し付ける。しゃくりあげるみたいに笑って、ひっ、ヒッ、と、つたなく息を吸った。

「カイリくんが僕に気付いてくれたのは、僕がラヴィのミズキだったから。カイリくんが僕に興味を持ってくれたのは、アイドルの僕を知っていたから……そう、だよね」

「それ、は……っ」

 ああ、どうしても、違うとは言えない。久瀬の言う通り、きっと、俺がどうしても久瀬のことが気になって仕方なかったのは、ラヴィのミズキを知っていたから。

「ずっと前から、気になってたことがあるんだ。カイリくんはさ、僕のこと……付き合ってからも、名前では呼んでくれなかったね。ミズキって……僕の名前」

 ドクン、と心臓が跳ねた。同時、俺の肩から、久瀬の手が、滑り落ちるようにして、離れていった。自分の首を目掛けて振り落とされる寸前の、刀の鋒が遠ざかっていくさまを見ているようだった。

「ねえ、呼んでみてよ。カイリくん……ミズキって、呼んでみて」

 俺はやおら顔を上げ、生唾を飲んだ。そして、カク、と口を開き……何も言えないまま、また俯いた。

 沈黙が続けば続くほど、俺と久瀬の間に、みるみる、深い溝が生まれていくようだった。

 やがて、久瀬は、何もかもを諦めたように息をつき、立ち上がった。俺は反射的に手を伸ばしそうになって、拳をきつく握りしめた。

「カイリくんは、ラヴィのミズキだから、僕のこと好きなのかな。やっぱり、ハヤトの言う通りだったのかも。アイドルの僕にしか、価値なんてないんだよ、結局」

「まっ、待って……お願い、違う……ごめん、噓つきでごめん、でも」

「ごめん……ちょっと、ひとりで考えたい、から……今日は、帰るね。ありがとう」

 今まで……そんな、声にならない言葉が聞こえた気がして、俺はもつれるように立ち上がり、久瀬の後を追った。こんな寒い夜に、ひとり。きっと、今家に帰ったら、マネージャーの車が待ち構えているだろう。

 引き留める権利は、今の俺には無い。罪悪感にがんじがらめになっていく。どんどん、足取りが重くなって、久瀬の背中が遠くなっていく。

 バタン、と、玄関のドアが閉まる音がした。裸足で土間に立ち尽くす。凍り付くように冷たくて、足がすくんで……どうしても、玄関のドアノブに手をかけられなかった。

「カイリ? カイリ、どうしたの……⁉ 久瀬くんは……?」

「ごめん……母さん……俺、最低だ……久瀬、帰るって……全部、俺が悪くて、それで……」

「帰った……⁉ こんな時間に? 出て行っちゃったの、今⁉」

 俺は喉奥を震えさせながら、ようやく頷いた。母は悲痛な面持ちをして、しかしすぐさま切り替え、靴を履いて靴棚の上に置いてある車のキーを手に取った。

「せめて、家まで車で送るから。あなたも来なさい」

 そう言って、母は玄関の扉を開け放った。俺は母の後を追ってようやく外に出ることができた。家の門から左右を見渡し、とぼとぼ、フラフラと歩く久瀬の背中を視界に認める。

 すぐさま、俺は駆けだして、追いつくや否や、久瀬の腕を掴んだ。久瀬は振り返らなかったが、振り払いもしなかった。

「ごめん……せめて、家まで送らせて……母さんが、車出してくれる、から」

 間もなく、エンジン音とともに、母の軽自動車が追いついてくる。俺は久瀬を後部座席に乗せ、自分は助手席に乗り込み、久瀬の家まで案内した。

 ナビ以外で、俺も、母も口を開かなかった。久瀬は言わずもがな。

 二十分ほどの静かなドライブで、久瀬のマンションに到着。エントランスで深く頭を下げる久瀬にすら、ろくに声を掛けられず、そのまま車は出発した。

「ねえ、カイリ……お母さんね、久瀬くんの声、すごく聞いたことがある気がしたの。リビングに、いろはちゃんのグッズがひとつもなかったのと、何か関係があるのかな」

「……うん」

「久瀬くんのこと匿わなきゃいけなかったのも、その関係?」

「……東京から、久瀬を連れ戻しに来たんだよ。でも、久瀬は納得してなかった。戻りたくないって……」

「それなのに、ひとりにしてよかったの……?」

「駄目、だ……駄目なんだよ……でも、俺が、今の久瀬に寄り添っていいとも思えない……」

 名前も呼べないような、情けない俺が、どうして久瀬を呼び止めることなど出来ようか。

 自分の何もかもが許せない。誤解を恐れて、いつまでも、自分の間違いを打ち明けて謝ることができなかった意気地なし。

 ひとりが怖い久瀬を、ひとりにするような、不甲斐なさが。

「ひとりで考えさせてって言われた……今は、それが、全てだと思う」

「ちゃんと、向き合いなさい。このままだと、後々、もっと大きな後悔になる」

 いつも柔和な母に珍しく、キッパリと言い切るような語調だった。俺が返事できなかったことを責めはしなかったが、それ以来、母は何も言わなかった。

 それからは眠れない夜を過ごした。恐れていたことが現実になり、久瀬の位置情報は夜をかけて、東京へと向かった。心の半分が引き裂かれたような思いで、ベッドに入っても、ふとした瞬間にアプリを開いて、肺が数年老けるくらい溜め息をついた。

 結局眠れないまま夜が明けて、俺は部屋に一人でいることも耐えられず、リビングのソファで寝転びながら、目を閉じて寝たふりをした。そうでないと、朝日で目が痛くて、今にも涙が出そうだったのだ。

 しばらくすれば、母が起きてきて、キッチンで朝食の支度を始めた。ベーコンエッグの焼ける大好きな匂いさえ、重く胃にのしかかった。

 食べられそうならこっち来て食べなさいね、と声を掛けられる。せっかく俺の分も作ってくれたのに、無下にするのも申し訳なくて、いつもの数倍は時間をかけて、ちまちま口に運んだ。

 すると、階段をドタバタと駆け降りる音が聞こえてきて、俺は母と顔を見合わせた。バタン、と乱暴にリビングの扉が開け放たれ、息を荒げた妹が、目をランランと輝かせた。

「ねえ……‼ ラヴィ、復活するかも……! 見て!」

 そう言って、俺と母の間に、スマホを投げ出す。その画面には、ラヴィのハヤトが昨晩インスタで投稿したらしい、ストーリーが表示されていた。

「アラタくんとハヤトくんとヒナタくんしか顔は映ってないけど、ちゃんと五人いるの……‼ どうしよう、嬉しいよぉ……」

 耳を塞ぎそうになるのを、必死でこらえた。さっきまでに飲み込んでいたものが、胃からこみ上げてきて、俺は椅子を蹴るように立ち上がった。

「お兄ちゃん?」

「ごめん、ちょっと……」

 俺はそのままトイレに駆け込み、しゃがんで頭を抱えた。吐き戻しこそしなかったが、自分でも意味が分からない涙が溢れて止まらず、今すぐ消えてなくなりたい、とすら思った。
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