相性最高な最悪の男 ~ラブホで会った大嫌いな同僚に執着されて逃げられない~

柊 千鶴

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08 熱帯夜の跡

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 悪夢のような一夜が明け、嫌というほど眩しい朝日に叩き起こされる。
 渋々瞼を開いた俺は、しばらく呆然と宙を見つめていた。

 少し顔を傾ければ、隣で眠りこけている憎々しい男の面が目に入る。
 朝からこの面を拝むことになるとは不本意極まりなかったが、黙っていればそれなり以上に整った容姿をしているのだ。側にあって悪い気はしなかった。

 思えば、いつも会社で顔を突き合わせているとはいえ、こんな至近距離で顔を眺めるのは初めてだ。
 改めて観察してみれば、長い睫毛に薄い唇、ほっそりした面立ちと、綺麗な顔をしているのが分かる。加えて長身な上、細身だがよく鍛えられた身体。
 女も男も選り取り見取りだろうに、何を血迷って俺なんか抱いているのだろうか。いくら身体の相性が良いとはいえ、わざわざ嫌いな男を抱かなくてもいいのに。

 いや、流されてとはいえ嫌いな男に抱かれてる俺が言えたことではないか。深く考えるのはよしておこう。

「……ん?」

 寝ぼけた頭で益体の無いことを考えていたが、意識が覚醒してくるにつれ、謎の焦燥感が湧いてくる。何故だろうと思ったのも束の間、すぐに原因に思い当たった。

 ——今日、まだ仕事じゃないか。

 飛び起きて時計を見ると、時刻は八時をとっくに過ぎていた。いつもなら身支度を終え、食事も済ませ、そろそろ出ようかと考えているような時間だ。

「月島! 起きろ、遅刻するぞ!」
「しの、ざき? ここは……」
「俺んちだよ。お前、なに散々好き勝手した挙句眠りこけてるんだよ」

 月島は状況が呑み込めていないようで、しぱしぱと目を瞬かせていた。
 脱ぎ散らかされた衣服と乱れたシーツを目にしたところで、ようやく昨晩のことを思い出したのか、納得の色を浮かべて身体を起こした。

「ああ、そうか。今何時だ?」
「八時過ぎだ、もうすぐ出ないと間に合わないぞ」
「な、何?」

 俺の言葉に月島も慌てて布団をかなぐり捨てる。昨晩、勝手にシャワーも浴びていたらしく、下着一枚の姿だ。そういえば俺の身体も知らないうちに清められていた。こういうところは律義なヤツである。

「あ」

 月島は床に放ってあった自分のシャツを手に取ると、小さく声を上げた。
「篠崎君。悪いが君のシャツを貸して欲しいのだが」

「あ? 俺のシャツだと小さいだろ、腹立つけど。昨日着たヤツだから嫌だとか言ってる場合か」
「いや、そうではなくて……昨晩君がだな……」

 月島は歯切れ悪く言い淀むと、手に持ったシャツをこちらへと掲げた。
 そこには見たことのある、かぴかぴとした白い汚れがこびりついていて——、

「勝手にしろ!」
「ぐっ……それはあんまりじゃないか?」

 昨夜の恨みも込めて全力でシャツを投げつけると、それを顔で受け止めた月島が恨めしげに呻いた。
 月島はじっとりとした目をこちらに向けていたが、時間が無いことを思い出したのか、黙ってシャツを身に着けた。
 やはりサイズが合っていないようで、肩や袖口が大変なことになっている。体格差を見せつけられた気分で腹立たしい。

「結構苦しいな……」
「破くなよ、頼むから」
「善処する……」

 月島は、おっかなびっくりという表現が似合う動きで身支度を進めていく。
 そんな姿を視界の端に捉えながら、脱ぎ捨てられた衣服を洗濯機に放り込み、俺も自分の身支度を再開した。

 ◆

 会社に到着したのは、始業の鐘が鳴る直前であった。
 珍しくぎりぎりに、しかも連れ立って現れた『天敵』二人組に、探るような視線が集まる。特に神原の顔は壮絶だ。
 出来れば間を空けて到着したかったところだが、時間がそれを許さなかった。加えて言うなら、俺も月島も相手のために自分が遅刻してやるような玉ではない。

「お、おはようございます……篠崎先輩、遅かったですね」
「ああ」
「何かあったんですか?」

 神原のその問いに、オフィス中が耳をそばだてている気配を感じた。
 いや、ただの好奇心から興味を示しているのならいいのだ。その辺の野次馬のように。
 しかし、神原には何かこう、確信を持って疑われているような気がした。

 ……やばい。
 どうにも上手い返しを考えあぐねていると、月島が俺の背後から顔を出した。

「君の先輩を引き留めてしまってすまなかった。昨日のプレゼンについて少し話があったものでね、残念ながら建設的な話し合いにはならなかったのだけれども」
「……なんだ、まだやるのか? 俺も今後の準備で暇じゃないんだがな、お前と違って」

 月島の助け舟に乗り、先ほどまで言い争っていたかのような体を装う。
 そのまま嫌味の応酬を続ければ、集中していた視線の多くが興味を失い離れていった。月島に助けられる形になったのは癪だが、贅沢は言っていられないので良しとする。

「そ、そうでしたか、びっくりしましたよ。お二人とも遅かったので……」

 全く納得のいってなさそうな顔で神原が笑う。とりあえず、この場は話を合わせてくれるらしい。
 しかし、このまま有耶無耶にしてはくれないようだ。
 月島も離れ、周囲の関心も他に逸れたところで神原が囁きかけてくる。

「篠崎先輩。今日のお昼、外で食べませんか……」
「あ、ああ……そうだな」

 人を外食に誘うには些か暗すぎる神原の声に、これまた暗すぎる声で頷き、差し当たっては仕事に集中することで憂鬱な気分を紛らわせることにした。


「それで、実際のところはどうなんですか」
「何を疑っているか知らんが結論から言おう。何も無かった、以上だ」


 いつもの食堂で個室に入り、料理が運ばれるや否や神原が問い詰めてきた。
 もはや疑いの目というか、早く本当のことを言ってくれと言わんばかりの目で見てくるが、俺は屈しない。

「朝、一緒に来ましたよね」
「会社の入り口で会って口論になったからな」
「今日は二人とも、いつもより髪のセットが甘いですよね」
「ワックスが切れ気味でな。アイツのことは知らないが」

 しらを切り続けていると、次第に神原は言いにくそうに確信へと迫ってくる。

「篠崎先輩、今日は喉の調子が悪そうですよね」
「昨日、酒をしこたま飲んだせいだろ」
「月島さんから、篠崎先輩と同じシャンプーの匂いがするんですが」
「シャンプー変えたんじゃないのか。嫌な偶然だな」
「月島さんのワイシャツ、サイズ合ってないですよね。まるで人の物を借りたような……」
「洗濯忘れて着るものが無くなりでもしたんだろ」
「……」
「……」

 神原には悪いが、ここは絶対に譲れない。
 いくら状況証拠があろうとも、苦しい言い逃れしかできなくても、俺が口を閉ざしている限り真実は闇の中なのだ。
 痛いくらい刺さる神原の視線を、何食わぬ顔で受け流す。

「人の目を見ながらすらすらと嘘を吐けるのも才能ですよね……」
「人聞きが悪いな、俺は本当のことしか言ってないぞ」

 神原の目を見て笑みすら浮かべてやれば、呆れたように溜息を吐かれた。
 このままでは埒があかない。そう思ったのか、神原は意を決した顔をしてトドメの一言を放った。

「篠崎先輩……ッその、首の跡」
「——!」

 思わず、昨晩噛みつかれた覚えのある個所を押さえる。鏡では見えなかったが、角度によっては襟から覗いてしまう位置だったのだろうか。
 確定的とも言える俺の反応に、神原はこの世の終わりのような顔をして机に突っ伏した。そして、何故か謝罪を口にする。

「すみません先輩……! 僕が、僕が酔い潰れてさえいなければ……」
「何でお前が謝るんだよ。何も無かったし、万が一間違いがあったとしてもお前には関係ないだろ?」

 この反応は予想外だった。自分が送って行かなかったから、可哀想な先輩が悪魔に食われたとでも思っているのだろうか。意外と義理堅い男である。

「いや、僕には止める義務がありました!」
「月島に何を吹き込まれたか知らないが、とにかくお前には何の責任もないよ。……何も無かったけどな?」

 くどいくらいに念押しをしたが、嘆き悲しむ神原の耳に何処まで入ったかは疑問だ。
 ひとしきり神原の懺悔を聞き終える頃には、すっかりコーヒーも冷めきっていた。

「まったく、お前がそこまで気に病む理由は分からないが気にするな。俺もアイツもいい大人だし、何があっても自己責任だよ」
「でも……」
「いい、いい。そもそもお前を酔い潰したのは俺なんだから。加えて言うなら、酔い潰れるまで飲んだのも俺。それで俺に何かあっても自業自得だろ」

 人を慰めるのは得意ではないので、上手い言葉が見つからない。それでも、何とか神原に気を取り直させようと腐心する。
 月島に襲われたことについては、、まあ気持ち良かったからいいかと気楽に捉えているのに、いたいけな後輩を深刻に悩ませてしまうのは申し訳なかった。

「その、なんだ。俺が月島に痛めつけられたり、弱みを掴まれたりはしていないから、安心しろ」

 強いて言うならプライドがやや傷付けられただけだ、とは胸の内だけで呟いておく。

「そう、ですか。……それなら良かった」

 そこまで言えば、神原も自分の罪悪感と一応の折り合いを付けられたらしい。ようやく笑顔を見せてくれた。
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