14 / 20
~ウィーンの古書⑤~
しおりを挟む
《1848年4月15日、ウィーン》
メッテルニヒ閣下が罷免され、国外へ亡命されたと聞きつけた高官のほとんどが、亡命、退職、屋敷を閉鎖、地方への避難者が相次いでいるらしく、現在宮廷は指揮系統を失い機能不全に陥った。
下級官僚の私、ルーカス・フォーゲルはいわゆる残留組だ。業務の流れは停滞しているが、建物と資料は残っている。私達のような国家の歯車にできるのは、命令が下れば直ちに動けるよう、時を待ち整えること。
結局、私のやることは変わらない。地下書庫に籠るだけだ。
「続きがどうなっているかと思えば、君も同じ立場にいたのか」
ひとつの巨大派閥が失脚するということが、どれだけ国家機能に打撃を与えることか。フレート氏の手記は、混乱ぶりがよく伝わっている。私達が事態を知る時には、もう全てが決まっているような状態だ。
「アロイス氏の行動……確かに理に適っている。私がもしルディカ王女の身近にいて、危機を伝えるならば同じような手段を取るしかなかっただろう」
何気なく呟いてみて、はっと口を押さえ、文章を見返す。ルディカ王女が政治的沈黙を貫いているとしたら、それはあまりにハプスブルク的ではないか?これがプロイセンならとっくに声を挙げ、速やかな対応がなされる。
思考を広げ、回し、ふーっと息を吐く。
時代の判定はまだできない。
それより、一心に羽根ペンを走らせ、穂先を削る音が自分から発せられるように感じ、胸が苦しくなる。
「……君の友人はまともだったのかもしれない。だけど、ルディカ王女を盲目的に神格化していたね」
信仰とは違う、国家の長への忠誠と言う形で。
《1848年4月18日》
──コロヴラート政権発足
皇帝陛下は民衆に譲歩する形で、リベラル思想を持つ財務官僚、コロヴラート伯爵が宰相に任命した。彼は非常に優秀な官僚であり、これで我々の職務も正常に戻る、と息を吹き返す思いでコロヴラート閣下に大きな期待を寄せた。
しかし、奇妙なことが起こった。
「上官、こちらの件でお二方から指令書が届いたのですが…」
ひとつはコロヴラート閣下の名の青指令書で"書物の焚書を禁ずる″と。もう一方はフェルディナント一世陛下の弟君の奥方、ゾフィー大公妃による白指令書で"危険思想は従来通りの扱いにせよ″と。
上官はウンザリしたような様子で「先に届いた方に従え」とだけ言った。
こんなことが何度も続けば宮廷は大きく混乱する。
二重に行き交う白と青。
選択を誤れば不敬にも背信にもなる。私達はただ印を押すしかなかった。
やがて宮廷はゾフィー大公妃の命を優先する方向へ傾いて行った。
***
ホーフブルクの回廊を歩く私は、気疲れから長椅子に腰掛けた。外からは再びデモ隊の声が聞こえてくる。
「やあ、フォーゲルくん。そっちも大変そうだね」
私を見かけた同僚のリントナーが声を掛けてきた。大仰に肩をすくめて見せると彼は苦笑する。元来明るい彼だが、笑うしかない、と言ったところだ。
「外が落ち着いたのはほんのいっときだったね」
「広い下宿先が恋しくなるよ」
「全くだ。ところで例の古書はどうだった?」
古書になど少しも興味のなさそうな彼がそんな話題を振ってくるのが意外だったが、軍が発砲したあの日、図書館から出られなくなった私を気遣ったのだろう。
「相変わらずだね。暗号文の解読に近い」
「実際、暗号だったら面白いね。宝の在り処なんてのはどうだい?」
「ははっ、ロマンチストだな。期待して励んでみるよ」
「それをネタに今夜は酒でも飲もう。君の部屋でね」
シュプレヒコールの響く中、そんな約束をすると、乾いた笑いで互いの持ち場へ戻って行った。
久しぶりに早めに書庫から出た私は、リントナーを部屋で迎え、チーズとナッツを摘みながら少し良いワインを楽しんでいる。
「へぇ、スリね。その手記?物語?どちらでもいいか…王都とやらが物騒過ぎないか?王女なんてこっちで言う1番街で殺しをしているし。ボクにはとても思想本とは思えないな」
解読した分の話をリントナーにすると、軽く笑いとばされた。確かに100年前のウィーンだとしても、そんな大事件があれば教科書にすら載る。
「そうなんだが、省庁の名称が近いように見えるんだ。手記を書いている彼がやっている業務なんて、ここに普通に存在するし。ただ、少し古めかしいけど」
「古い手記って話だけど、それは意図的に古く見えるように作られていて、実際はボク達が知っている人物が書いていたりしてね。まあ、でも?ボクは宝の在り処の暗号に賭ける!早く解読してくれたまえよ」
宝だったらホーフブルクに埋まっている、あの銅像の下が怪しい、などとひとしきり盛り上がると、リントナーは急に真顔になる。
「物騒だが、情のある世界だよな。もしさ、今みたいな民衆蜂起がその世界で起きたらどうするんだろうな」
「どうだろう。目を通した限りでは火薬はあるのに銃火器が一度も出てこない。近衛兵が持っているのは槍だ」
「槍?!ははっ、それなら時代は100年前とは言えないね。フス戦争…うーん、もういっそのことカール大帝の頃にしてしまおう」
そんなことを語り合いながらワインを煽る彼は、少し変わったように思えた。私はそこにフレート氏の友人アロイスを重ね、無性に不安に駆られた。
この翌日の朝、リントナーは消えていた。
彼の部屋に残されていた1枚の紙には、こう記されていたと風の便りに聞く。
『秩序を失うは国家の責任なり。私は正しき道を歩む』
それ以来、彼がどこへ行ったのか、何をしているのか、生きているのかさえ、分からなかった。
メッテルニヒ閣下が罷免され、国外へ亡命されたと聞きつけた高官のほとんどが、亡命、退職、屋敷を閉鎖、地方への避難者が相次いでいるらしく、現在宮廷は指揮系統を失い機能不全に陥った。
下級官僚の私、ルーカス・フォーゲルはいわゆる残留組だ。業務の流れは停滞しているが、建物と資料は残っている。私達のような国家の歯車にできるのは、命令が下れば直ちに動けるよう、時を待ち整えること。
結局、私のやることは変わらない。地下書庫に籠るだけだ。
「続きがどうなっているかと思えば、君も同じ立場にいたのか」
ひとつの巨大派閥が失脚するということが、どれだけ国家機能に打撃を与えることか。フレート氏の手記は、混乱ぶりがよく伝わっている。私達が事態を知る時には、もう全てが決まっているような状態だ。
「アロイス氏の行動……確かに理に適っている。私がもしルディカ王女の身近にいて、危機を伝えるならば同じような手段を取るしかなかっただろう」
何気なく呟いてみて、はっと口を押さえ、文章を見返す。ルディカ王女が政治的沈黙を貫いているとしたら、それはあまりにハプスブルク的ではないか?これがプロイセンならとっくに声を挙げ、速やかな対応がなされる。
思考を広げ、回し、ふーっと息を吐く。
時代の判定はまだできない。
それより、一心に羽根ペンを走らせ、穂先を削る音が自分から発せられるように感じ、胸が苦しくなる。
「……君の友人はまともだったのかもしれない。だけど、ルディカ王女を盲目的に神格化していたね」
信仰とは違う、国家の長への忠誠と言う形で。
《1848年4月18日》
──コロヴラート政権発足
皇帝陛下は民衆に譲歩する形で、リベラル思想を持つ財務官僚、コロヴラート伯爵が宰相に任命した。彼は非常に優秀な官僚であり、これで我々の職務も正常に戻る、と息を吹き返す思いでコロヴラート閣下に大きな期待を寄せた。
しかし、奇妙なことが起こった。
「上官、こちらの件でお二方から指令書が届いたのですが…」
ひとつはコロヴラート閣下の名の青指令書で"書物の焚書を禁ずる″と。もう一方はフェルディナント一世陛下の弟君の奥方、ゾフィー大公妃による白指令書で"危険思想は従来通りの扱いにせよ″と。
上官はウンザリしたような様子で「先に届いた方に従え」とだけ言った。
こんなことが何度も続けば宮廷は大きく混乱する。
二重に行き交う白と青。
選択を誤れば不敬にも背信にもなる。私達はただ印を押すしかなかった。
やがて宮廷はゾフィー大公妃の命を優先する方向へ傾いて行った。
***
ホーフブルクの回廊を歩く私は、気疲れから長椅子に腰掛けた。外からは再びデモ隊の声が聞こえてくる。
「やあ、フォーゲルくん。そっちも大変そうだね」
私を見かけた同僚のリントナーが声を掛けてきた。大仰に肩をすくめて見せると彼は苦笑する。元来明るい彼だが、笑うしかない、と言ったところだ。
「外が落ち着いたのはほんのいっときだったね」
「広い下宿先が恋しくなるよ」
「全くだ。ところで例の古書はどうだった?」
古書になど少しも興味のなさそうな彼がそんな話題を振ってくるのが意外だったが、軍が発砲したあの日、図書館から出られなくなった私を気遣ったのだろう。
「相変わらずだね。暗号文の解読に近い」
「実際、暗号だったら面白いね。宝の在り処なんてのはどうだい?」
「ははっ、ロマンチストだな。期待して励んでみるよ」
「それをネタに今夜は酒でも飲もう。君の部屋でね」
シュプレヒコールの響く中、そんな約束をすると、乾いた笑いで互いの持ち場へ戻って行った。
久しぶりに早めに書庫から出た私は、リントナーを部屋で迎え、チーズとナッツを摘みながら少し良いワインを楽しんでいる。
「へぇ、スリね。その手記?物語?どちらでもいいか…王都とやらが物騒過ぎないか?王女なんてこっちで言う1番街で殺しをしているし。ボクにはとても思想本とは思えないな」
解読した分の話をリントナーにすると、軽く笑いとばされた。確かに100年前のウィーンだとしても、そんな大事件があれば教科書にすら載る。
「そうなんだが、省庁の名称が近いように見えるんだ。手記を書いている彼がやっている業務なんて、ここに普通に存在するし。ただ、少し古めかしいけど」
「古い手記って話だけど、それは意図的に古く見えるように作られていて、実際はボク達が知っている人物が書いていたりしてね。まあ、でも?ボクは宝の在り処の暗号に賭ける!早く解読してくれたまえよ」
宝だったらホーフブルクに埋まっている、あの銅像の下が怪しい、などとひとしきり盛り上がると、リントナーは急に真顔になる。
「物騒だが、情のある世界だよな。もしさ、今みたいな民衆蜂起がその世界で起きたらどうするんだろうな」
「どうだろう。目を通した限りでは火薬はあるのに銃火器が一度も出てこない。近衛兵が持っているのは槍だ」
「槍?!ははっ、それなら時代は100年前とは言えないね。フス戦争…うーん、もういっそのことカール大帝の頃にしてしまおう」
そんなことを語り合いながらワインを煽る彼は、少し変わったように思えた。私はそこにフレート氏の友人アロイスを重ね、無性に不安に駆られた。
この翌日の朝、リントナーは消えていた。
彼の部屋に残されていた1枚の紙には、こう記されていたと風の便りに聞く。
『秩序を失うは国家の責任なり。私は正しき道を歩む』
それ以来、彼がどこへ行ったのか、何をしているのか、生きているのかさえ、分からなかった。
40
あなたにおすすめの小説
処刑された王女、時間を巻き戻して復讐を誓う
yukataka
ファンタジー
断頭台で首を刎ねられた王女セリーヌは、女神の加護により処刑の一年前へと時間を巻き戻された。信じていた者たちに裏切られ、民衆に石を投げられた記憶を胸に、彼女は証拠を集め、法を武器に、陰謀の網を逆手に取る。復讐か、赦しか——その選択が、リオネール王国の未来を決める。
これは、王弟の陰謀で処刑された王女が、一年前へと時間を巻き戻され、証拠と同盟と知略で玉座と尊厳を奪還する復讐と再生の物語です。彼女は二度と誰も失わないために、正義を手続きとして示し、赦すか裁くかの決断を自らの手で下します。舞台は剣と魔法の王国リオネール。法と証拠、裁判と契約が逆転の核となり、感情と理性の葛藤を経て、王女は新たな国の夜明けへと歩を進めます。
ネグレクトされていた四歳の末娘は、前世の経理知識で実家の横領を見抜き追放されました。これからはもふもふ聖獣と美食巡りの旅に出ます。
旅する書斎(☆ほしい)
ファンタジー
アークライト子爵家の四歳の末娘リリアは、家族から存在しないものとして扱われていた。食事は厨房の残飯、衣服は兄姉のお下がりを更に継ぎ接ぎしたもの。冷たい床で眠る日々の中、彼女は高熱を出したことをきっかけに前世の記憶を取り戻す。
前世の彼女は、ブラック企業で過労死した経理担当のOLだった。
ある日、父の書斎に忍び込んだリリアは、ずさんな管理の家計簿を発見する。前世の知識でそれを読み解くと、父による悪質な横領と、家の財産がすでに破綻寸前であることが判明した。
「この家は、もうすぐ潰れます」
家族会議の場で、リリアはたった四歳とは思えぬ明瞭な口調で破産の事実を突きつける。激昂した父に「疫病神め!」と罵られ家を追い出されたリリアだったが、それは彼女の望むところだった。
手切れ金代わりの銅貨数枚を握りしめ、自由を手に入れたリリア。これからは誰にも縛られず、前世で夢見た美味しいものをたくさん食べる生活を目指す。
二本のヤツデの求める物
あんど もあ
ファンタジー
夫の父の病が重篤と聞き、領地から王都の伯爵邸にやって来たナタリーと夫と娘のクリスティナ。クリスティナは屋敷の玄関の両脇に植えられた二本の大きなヤツデが気に入ったようだ。
新たな生活を始めようとするナタリーたちだが、次々と不幸が襲いかかり……。
泣いて、笑って、恋した手のひら小話
猫戸針子
恋愛
甘酸っぱい初恋、泣きたくなる別れ、笑える勘違い、ちょっと不気味な執着まで。
泣けて笑えて胸がきゅんとする、手のひらサイズの恋の物語集です。
全話一話完結
※表紙、着せ替えアプリのピュアニスタより
どうやらお前、死んだらしいぞ? ~変わり者令嬢は父親に報復する~
野菜ばたけ@既刊5冊📚好評発売中!
ファンタジー
「ビクティー・シークランドは、どうやら死んでしまったらしいぞ?」
「はぁ? 殿下、アンタついに頭沸いた?」
私は思わずそう言った。
だって仕方がないじゃない、普通にビックリしたんだから。
***
私、ビクティー・シークランドは少し変わった令嬢だ。
お世辞にも淑女然としているとは言えず、男が好む政治事に興味を持ってる。
だから父からも煙たがられているのは自覚があった。
しかしある日、殺されそうになった事で彼女は決める。
「必ず仕返ししてやろう」って。
そんな令嬢の人望と理性に支えられた大勝負をご覧あれ。
それは思い出せない思い出
あんど もあ
ファンタジー
俺には、食べた事の無いケーキの記憶がある。
丸くて白くて赤いのが載ってて、切ると三角になる、甘いケーキ。自分であのケーキを作れるようになろうとケーキ屋で働くことにした俺は、無意識に周りの人を幸せにしていく。
冷たい舌
菱沼あゆ
キャラ文芸
青龍神社の娘、透子は、生まれ落ちたその瞬間から、『龍神の巫女』と定められた娘。
だが、龍神など信じない母、潤子の陰謀で見合いをする羽目になる。
潤子が、働きもせず、愛車のランボルギーニ カウンタックを乗り回す娘に不安を覚えていたからだ。
その見合いを、透子の幼なじみの龍造寺の双子、和尚と忠尚が妨害しようとするが。
透子には見合いよりも気にかかっていることがあった。
それは、何処までも自分を追いかけてくる、あの紅い月――。
学園では婚約者に冷遇されていますが、有能なので全く気になりません。〜学園でお山の大将されてても、王宮では私の方が有能ですから〜
織り子
恋愛
王都カラディナにある国立魔術学園では、満十六歳の生徒たちの社交界デビューを兼ねた盛大なパーティーが開かれていた。
侯爵令嬢タレイア・オルトランは、婚約者である第二王子アスラン・オグセリアの迎えを待つも、結局ひとりで会場へ向かうことになる。
学園では身分の差がないとはいえ、アスランが公然とタレイアを侮辱し続けてきたことで、彼女は生徒たちから冷笑と蔑視の的となっていた。しかしタレイアは、王城で政務を担ってきた聡明さと矜持を失わず、毅然と振る舞う。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる