古書館に眠る手記

猫戸針子

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第8話 王女、机に向かう

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現れた王女は軽装というより男装に近かった。私は1週間前に下宿先に来た時も動きやすそうな衣装だったが、これはまさに「女性官僚服」だ。
なんと言うか…ドレスよりも似合っている。
そして、お付の女官は喪のしきたり通りの慎ましいドレスなのだが…。

(い、色気が………)

ティルさんをチラと見ると、どう見ても女官を気に掛けている。視線に気付いた女官が柔らかく微笑むと、ティルさんはいつになく気取った会釈を返した。
殺伐とした執務室に鈴蘭と薔薇が咲いたようになり、むさ苦しい空気は一気に華やいだ。

しかし、扉が閉まった途端、楚々とした様子だった王女は、からりと気さくな喋り方に変わった。

「執務室をちゃんと見るのは初めてです。アンマント、私はどこに座れば?」

王女は興味津々な様子で辺りを見渡し、閣下に尋ねる。

「むさ苦しいところでしょう。いつもは応接室ですからな。姫様を鍛えられると思うと腕が鳴ります。グラーツ、姫様を机へ」
「かしこまりました。姫、そんな出で立ちも大変お似合いですね。それではどうぞこちらへ」
「まあ、いつもながらお上手でいらっしゃいますね。それにしても、なんて心遣いを感じる机でしょう。これはあなたが?」
「皆ですが、主にあちらに控えているヴィーザーが中心となりご用意致しました。もしご不便がございましたならお申し付け下さい。ヴィーザー秘書官、姫に業務内容のご説明を」

ティルさんから指示を受け、いくつか清書した嘆願書と処理手順の覚書おぼえがきを持ち、初対面を装って王女に挨拶をした。

「そう、フレートさんとおっしゃるのね。王座の間での速記、鮮やかで素晴らしいと思い拝見しておりました。私もできますでしょうか?」
「記憶に留めて頂き光栄です。閣下の許可が下りましたら可能ですよ……私のこともどうぞ呼び捨てに」
「ただの愛称だと思ってください。呼びやすいので」
「はあ…姫様がそれでよろしければ。で、では、まずは嘆願書という物からご説明します」

好奇で目を輝かせながら嘆願書を受け取った王女は、しかし顔を曇らせた。

「これはもう処理済みですか?どのような経過でどうなるのでしょう」

最初に渡したのは庶民の嘆願書。代表者はパンのギルド長だ。不作続きで小麦が高騰こうとう。仕入れ値が高く、売値も上げざるを得ない。このままではパンを食べることができない層が増えてしまうため、減税して欲しい、という内容だ。
王女の反応にティルさんがチラリと目を向ける。

「いいえ、これからです。この時期、この手の嘆願は非常に多いのです。姫様、私がお教えするのは嘆願を解決することではございません。目を通し、いつ、どこから、何度目に来たかを帳簿に付け、それを閣下に報告。そして、この嘆願書も元々ここに届いたわけではございません。地方官から王都文書局、そして、私を経て閣下の手に渡ります。今姫様がご覧になっているこれは、私が閣下にお見せするために清書した物。国が判断を下す時、そこには必ず経過がございます。時計が時を告げるための歯車や秒針が我ら官僚だと考えて下さい」

説明を真剣に聞きながらメモを取る王女は、机に座る前とだいぶ違っていた。教えるこちらもつい熱がこもる。

「ですが、今のは庶民の嘆願書。先ほど、いくつかの手を経て私に届く、と申し上げましたが、貴族の嘆願書は違う場合があります。こちらのN男爵の嘆願書には推薦状がございます。どうぞ目をお通し下さい」

N男爵はT伯爵という宮廷人からの推薦状を添書てんしょしている。
読んでいる王女は口角が少し上がった気がした。

「そうですか。これは面白いですね。推薦者自身が嘆願している形なんて」

一瞬執務室に沈黙が訪れる。まさか、密書だということに気付いたのか?
ふふっと王女は笑う。

「暗号を解くのは趣味なんです。でも、それは全然ダメ。随分と安っぽい暗号ですね」

ティルさんは肩をすくめる。

「姫に教えることが減りました」 
「あら?私はほとんど知らない事ばかりですよ。それにこれは、普段の講義で習う程度の技術で十分解読できます。T伯爵は不得意なことを一か八かやってみたのでしょうね。困ってらっしゃるのが伝わる切実な推薦状です」

満足そうに頷いた閣下は、王女に解読を促す。実務は実務でも、一気に高度になってしまった。

「"水を愛す国に大地の姫の恵みを″です」
「やはりまたですか。T伯爵はメロヴィア国と繋がりが深いですからなぁ」
「私は、応じるつもりはございません」

キッパリと言い切る王女に私は戸惑いを覚えたが、閣下は気にしていないらしく、ホッと胸を撫で下ろした。

メロヴィア関連の嘆願はマリエル妃の国葬を機に増えた。理由は彼の国に王位継承者がおらず、メロヴィア王室出のマリエル妃の娘であるルディカ王女が、唯一の継承者となっているからである。
しかしメロヴィアは母子の危機に手を差し伸べなかったと聞く。陛下は全く取り合わず、使節しせつが来れば閣下が応対し、やんわりと追い払う状態だ。それで我が国の有力者を使い、手を替え品を替え訴えている。

「姫様が応じる必要は全くございません。それでは、メロヴィア国は我が国にとってどのような存在ですか?」

実務から閣下の講義に移った。メロヴィアと聞いただけで顔をしかめる王女が、エルミアの立場で物事を考え行動できるのかを見極めているのだろう。
王女は居住まいを正す。

「はい。メロヴィアは敵国ヘルダルと間接貿易をするための中継地点です。ヘルダルは多数の活火山の影響により硫黄の産出率が高いため、火薬の価格が比較的安価です。対してエルミアは火薬をあまり作れません。メロヴィアの関税が上乗せされても、ヘルダルからの火薬の輸入は不可欠。大掛かりな採掘作業ではほとんどヘルダルの火薬に依存しております。ですので、メロヴィアは窓口として大変重要な国です」

利発さを感じる歯切れの良い口調。快活さえ感じる。それなのに…どうしてだろうか。私には王女の中に不安定さを感じた。
そんなことを考えていると、ティルさんが補足するように説明を始めた。

「鉄鉱石の輸入依存についてお話されると思っておりましたが、本当によくお勉強なさっていますね。メロヴィアが倒れれば、均衡が大きく崩れ、戦は激化します。あの国が持ち堪えていることは、単なる国境の壁役ではなく、経済面でも軍事面でも、安全面でも大変重要な国なのですよ」

神妙な顔付きになる王女に、ティルさんの声音が柔らかくなる。王女はなんと言うか…小動物を感じさせる。不敬だが。

「こういった経緯はあっても、メロヴィア国内のことはあちらの問題。私は姫がエルミアの王女としてご活躍なさる日を楽しみにしています」
「ティル…たまには良いことを言ってくれますね」
「私はいつも誠実に対応しておりますが?それに今は姫の研修監督役です。しっかり学んで下さいね」

わざと少し偉そうな物言いをするティルさんに王女はクスクスと笑った。こういうさり気ないフォローが上手いな、と私は勉強する思いだった。

その後は王女と嘆願書の仕分けを分担。一度教えるとすぐに覚え要領よく作業をする王女のお陰で、普段より仕事がはかどった。
正直、教える分時間を取られると考えていた私は、大きく驚いている。この人はできないことがないのでは?とすら思ってしまう。

と、昼休憩を告げる鐘が鳴った。
王女と女官の食事は配膳されることになっている。私は慣れぬ環境から少し息抜きをしたい気持ちもあり、カフェへ向かおうとした。

「フレートさん、外へ行かれるのですか?」
「ええ、近くによく行くカフェがあるんです」
「場所はどこですか?」
「宮殿を出て北に少し歩いた商業街ですが…」

王女の表情がパァァッと明るくなる。可愛い、ではなく、絶対に何かやらせられる。

案の定、金を持たせられ、よりにもよって貴族御用達の店への遣いを命ぜられた。あれは頼みとは呼ばない。やれ、と目が言っていた。
とは言っても私は貴族ではないので、普通は入れない。

「これをお持ちになればきっと大丈夫!」

その後に小声で「持つべきものは友達だね」とも言っていた。これは友人と言うより…。まあ、喜んでくれるならいいか。私は場違いな店に激しく気後れしながら入った。

「王宮勤めの方ですか?どちら様でしょう」 
「ルディカ王女殿下の遣いです。こちらの書状をご確認下さい」

一気に店内の注目が集まる。激しく居心地が悪い。店の奥から店長らしき人物が品良く現れ、私は併設されたカフェの席に案内されると、コーヒーとケーキを出された。王女の遣いとはこんなにすごいことなのか。

「代金などとんでもございません。王女殿下の哀しみが少しでも癒えますように、とお伝えくださいませ」

王女が注文した以上の菓子を持って帰ることになった。が、何やら誇らしい気分になった。不敬なこと甚だしいが、仲の良いあの方がこういった扱いを受けているのを身をもって感じれらることは嬉しい。
足取り軽く大量の菓子を持ち、宮殿へと戻った。

「ヴィーザーくん、王女殿下のご様子はどうかね」

S妃派で左遷同様の部署に回された先輩官僚が声を掛けてきた。かつては金糸に輝いていた袖章は、今は沈んだ色に変わり、左遷の烙印見えた。私は彼の袖口からそっと目を逸らした。

「大変優秀なお方ですよ」
「優秀ねぇ。将来やる訳でもない政務を学びに来られるとはご立派なことだ」

私の持っている菓子を見て鼻で笑う。S妃派が失脚しっきゃくした原因を王女としている者も少なくない。勝手に自滅しておいて何を言うのか、と腹立たしさを覚える。
お陰でしわ寄せ食った他派閥のことは考えないのだろう。

「この度の研修は陛下が許可されたことですから。それでは先を急ぎますので、失礼します」
「どうぞ。宰相執務室はかぐわしいネロリの香りだと評判だぞ」
「そうですか。大変繊細な香りですので、あなたのお付けになっているオーデコロンでかき消えるでしょうね」

相手は何か言おうとしていたが、こんなやつに付き合っていてはキリがない。ただでさえ女が政務をするなんて、と非難されているのだから。

嫌な気分を払拭するように宰相府に戻り、執務室に入る。温かく甘いコーヒーの香りが漂ってきた。

「そんなに買ってきてくれたのですか?」
「すごい量だなぁ」

女官がれたカプツィナーを静かに飲みながら、閣下とティルさん、王女がしっとりと寛いでいた。出る時は居心地悪く感じていたこの空気が不思議と安らぐ。

「フレートさんにもコーヒーを」
「かしこまりました」
「さあ、お菓子を頂きましょう!」

目当てのクッキー缶に目を輝かせながら、店主が過剰に渡してきた菓子を嬉しそうに食べる姿。
これから私の仕事に付きそうなら、王女は女人禁制という慣習と戦うことになる。心ない言葉を聞かせたくないが……この方は私の杞憂など晴らし、さらに新たな風を入れる。

そんな気がした。
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