古書館に眠る手記

猫戸針子

文字の大きさ
12 / 20

第7話 宰相執務室に咲く花

しおりを挟む
街の街路樹もすっかり色付いた10月末。
王宮から私の足で1時間ほどの郊外、寒々しい粗末な共同墓地にも秋は訪れていた。

「アロイス。君が守った人は、穏やかな祈りの時を過ごしているよ」

岩を乗せただけの盛土。名すら刻まれることはない。
アロイスは処刑を免れたが、国家反逆罪という重罪人に変わりはなく、正式な葬儀は許されなかった。死亡報告が上がり、役人がここに埋めただけだ。
家族は、既に王都から消えており、どこへ行ったのか誰も知らない。……知らないのではなく、いないものとして扱われたのだ。
物言わぬアロイスの冷たい墓石に手を置き、私は祈りを捧げた。

私は彼のようにはなれないし、不敬にも王女を同じ人間として見ている。

「そんな話をしてみたかったよ。君は怒るかもしれないけれど」

怒る顔すら見たことがない、気弱だと思っていた友は、最期に力強い光を放った。それが正しいのか間違っていたのか私には判断がつかなくとも。

「また来るね」

顔を上げ緩やかな丘の向こうに目をやる。森が陽射しを受け鮮やかに輝いていた。王女が幼少期を過ごしたという離宮跡地がある辺りだ。差し込む日差しに目を細め、背を向けると、乾いた土の音を鳴らしアロイスの墓地から離れた。

墓地の出口に差し掛かると、帽子を目深に被った男にぶつかった。

「失礼」
「……。」

相手は何も言わず急ぎ足で墓地へ入って行く。やや気分が悪かったが、こういった場所だ。顔を見られたくなかったのだろう。
その時、私はさして気にも留めずに墓地から離れ、辻馬車つじばしゃを拾った。

「え?あれ?」
「なんだい、にいちゃん。文無しかい?そんな風にゃ見えないが」
「やられた…」

腰に下げているはず小銭袋がない。どう考えても不自然にぶつかってきたあの男の仕業だ。
情けない顔をしている私を見かねた御者が、王宮勤めなら後で返してくれればいい、と所属の馬車ギルドと名前を紙に書いて渡してきた。

「申し訳ありません」
「災難だったな。あの辺に行く時は、皮袋は懐に仕舞うといい」
「そうします…」

人の良い御者は軽く手を上げて去って行った。普段は気付かないが、王宮勤めと言うだけでこんなに優遇されるものなのか。
塔の鐘が時を告げる。昼休憩の時間はまだ残っていたが、金がないので食事も取れない。行きつけのカフェを侘しい気持ちで眺めながら、行きとは若干異なった哀愁を抱え宮殿へと戻った。
今日こそは早く帰宅し外食にしよう、と心に決めて。

「今日も遅くまでご苦労さん」
「いつもすみません…」

そんな決意も虚しく、帰る頃には王宮門が閉まっていた。いつになったら早く帰れるくらい偉くなるのか、と門番にからかわれながら開門してもらう。
気の良い門番が、トンと槍の柄を石畳に打ち付ける。するとその上にいる門番もトンと鳴らし大きな音を立てるという手間を掛け、私が通れる隙間を作ってくれるのだから、頭が下がる。

「気を付けて帰んなよ」
「はい!」

整えた髭を誇らしげに蓄えた門番に見送られ、くたくたな体を引きずるように、今日も地味にいつもの道へと歩みを進めた。

「はぁ、やっと着いた…腹減った……」

金を借りれば良いのに、意地を張って盗まれたことを黙っていた私は、空腹をコーヒーで誤魔化していた。が、所詮はコーヒーだ。腹の虫には敵わない。
硬いパンすら恋しくなっていた私はイソイソとアパルトマンの扉を開く。
甘く温かい香りが鼻孔を……まさか…。急いで部屋に入ると、暖炉の火が灯った明るさに迎えられた。

「おかえり!」
「な……………っ」

内装が変わっていた。黒い厚布を掛けられた胡桃材らしきテーブルが置かれ、元のテーブルは隅に追いやられている。椅子は慎ましやかな品のある物で、元の椅子はテーブル同様隅に。

「たまたま用事があったからついでに寛ぎやすくしておいたの」
「は、はぁ…」

どうやって運んだのだろう…。
喪服とはやや違う黒装束は以前来た時と変わらないが、テーブルには刺繍道具が広げられている。縫い物をしている姿が様になっていて、ぼんやりと見惚れた。

「あ!出来上がった。座って!」

まるで私が客のような感覚になる。甘いミルクの香りで腹が大きく鳴った。鍋を運ぶ王女はクスクスと笑い、私の前にミルヒブライを置いてくれた。

「今日はチーズも入れたよ」
「ありがとうございます!あつ!」
「あはは!お腹空いてたんだね」

あの日のミルヒブライがまた食べられるとは。涙がにじむほど美味い。

「君は泣き虫だなぁ」
「朝食べたきりだったんです。そうじゃなくても美味しいけど」
「そんなに忙しかったの?」

以前と同じように手際よくコーヒーを用意してくれる王女に、私はスリに遭った話をした。笑われるかと思ったが、深刻そうな表情になる。

「共同墓地なんて君が行く場所じゃないでしょ。何かあったの?」

ミルクをすくう手が止まる。そうだ。知っているはずがないんだ。アロイスに声を掛けたことだってきっと覚えていない。彼が何を守りたかったのかも。

「以前お世話になった方が眠ってるんです」

王女はしばし私を見つめた。濃紺の優しい瞳にテーブルの蝋燭の光が映り、夜空のようだった。なんて美しい人なのだろう。

「そっか。でも気を付けてね。お金は大丈夫?」

王女は詮索しなかった。この人も共同墓地に行ったことがあるのかもしれない。

「大丈夫ですよ。それより、用事とはなんでしょう?……物騒なことならお断りします」
「何も言ってないのに!そんなこと、君みたいなひょろひょろに頼まないし」
「ひょろひょろ…」
「用事はね、頼み事!」

王女は私の前にスっと手を差し出す。

「友達になろ!」
「……………は?」

あまりにも唐突であまりにも無邪気な笑顔。
何が起きている?

「聞いてるー?」

顔の前で手を振られて我に返った。

「あー、えっと……私はただの下級官僚でして…」
「うん、殺しかけて生かしたよね」
「その節は…ではなく、身分とか!あ、でも食事作ってもらってるし、ここに来てるし…」
「そうそう、細かいことは気にしないのが友達だよ」

もう振り回されっぱなしだ。この友情が何を意味するのか。それを考えるには、目の前の人はあまりに真っ直ぐ過ぎた。

「私などでよければ…」
「末長くよろしくね!じゃ!」

嬉しそうに手を振ると、王女は窓からひらりと飛び降りた。急ぎ窓の下を見ると、いつかのあの日のように身軽に夜を駆け闇に消えた。
私はしばらくぼんやりと立ち尽くし、静かに窓を閉め、頭を抱えた。

王女が友人……どうすればいいのだろう。
テーブルにはいつの間にか片付けられた手芸箱が可愛らしく置かれていた。



翌朝、悩み過ぎて一睡もできなかった私は、昨日入れなかったいつものカフェで、朝の優雅なひとときを楽しむ。

「S妃殿下が病でお倒れになったらしい」
「正妃になられるかもしれないお方が、なんと」
「Z妃殿下が正妃だろう」
「そのお二方で間違いはなさそうだな」

S妃の幽閉は公には「静養」となり、花の宮殿庭園内の王家離宮にて優雅な暮らしをしているらしい。
事件当時、故マリエル妃のように王宮から遠ざけられ、世捨て人とされるのでは、と噂になっていただけに、S妃派としては復権の期待が大きい。
王女本人からマリエル妃母子の悲惨な暮らしぶりを聞いてしまった私は、なぜこんなにも待遇が違うのか、と思うところがあったが、上が何を考えているかなど気にしていてはやっていけない。マリエル妃暗殺事件の箝口令かんこうれいは未だ生きていて、周囲に聞ける状態でもないのだから。
王女になら…いや、友人だからと言ってそんな話を聞くのは酷だろう。

友人……互いに公に話しかける訳にもいかない。下宿先に忍んでくる回数が増えるのだろうか?喪に服している王女がそれはないだろう。私の後ろ盾に?いや、それは友人とは呼べないのでは…。
モヤモヤと考えている内に、時計台から鐘が鳴り響き、急ぎカフェテーブルにコインを置くと、職場へと急いだ。

眠気を堪えながら、宰相府に回すべき嘆願の清書を閣下にお渡ししたところ、

「来週よりルディカ王女殿下の政務実務研修が始まる。ヴィーザー、そなたは実務をお教えすることになるゆえ、他省庁の業務を調整しておくように」
「お、王女殿下ですか?王子ではなく?」

飛び上がらんばかりに驚く私に、第1秘書官のティルさんが解説してくれた。ちなみに私は第2秘書官も兼任している何でも屋のような立ち位置だ。

「ルディカ王女殿下は女性ながら王位継承権をお持ちになられた歴代に類を見ないお方だろ?だから、あのお方のご教育は通常の王女とは異なり、王子が学ぶべき剣術や軍学等も学んでおられるんだよ」
「それって、相当な学習量ですよね」

そうそうと頷いたティルさんは、王女の学習の進み具合をまとめた帳簿を見せてくれた。

「こんなに!」
「全てにおいて優秀だそうだ。と、これは本題じゃないな。王女殿下は深い祈りの時期で、今は華やいだ科目を休学中。学ぶことが減っている今しかできないことをと兄上のR殿下が閣下に推薦し、今回の研修に至った、というわけだよ。これまでも時折ここを訪ねていらっしゃることはあったけれどね。と、言うわけだから、実務は頼むね」

女性が官僚と仕事を…。あの方と机を並べることが想像できない。

「大変な騒ぎになりそうですね」
「まあ…今さらだろう。軍部でも似たようなことがあったらしいし。あちらではすっかり溶け込んでいらっしゃるそうだよ」
「剣の達人ですしね。でも、どんなに聡くていらしても、実力だけではこちらはなかなか…」

どんどん深刻な会話になっていると、閣下に咳払いをされ2人で背筋を伸ばす。

「職務として励むように」
『承知致しました』

ティルさんと私は揃って慌てた返事をした。

そして、その日から怒涛の準備が始まった。まずは、この執務室。
押し寄せる書簡や帳簿の束はさておき、喪中の姫が過ごすための配慮が必要だ。かと言って私達のように毎日いるわけでもなく、来客のことも考えねばならない。

「儀礼局に相談して用意してもらって……と」

早速儀礼局へ行くと、王女の居室のような黒厚布を掛ける必要はないので、花瓶と花を用意すると言われほっとした。私の部屋のテーブルには黒厚布を掛けられていたけれど…。

「あ!机も整えないと!お体の寸法は…」

王宮健康監察局で、最新の記録を確認する。「大変美しい芸術的なプロポーションをお持ちで」という長話により、知らなくて良い情報まで知ってしまった。王女と顔を合わせづらくなる…いやいや、そんなことを考えている場合ではない。

「王女殿下の座高と腕脚の長さの報告書を受け取りました」
「よし、設備局へ回せ。儀礼局にも知らせろ」

私は宮廷財務局への出費願に印を押した。机一式で国の重要機関が一斉に動いた。

「ええっと、この嘆願書を資料にして…種類別だとこの辺かな」
「フレートくん、帰らないの?」
「まだ仕事が終わらないので」

そして翌日。

「ヴィーザー、帰っていなかったのか?」
「おはようございます、閣下。……ええっと、この場合の訂正の段取りは……」
「あれ?フレートくん、早いね」
「ティルさん、おはようございます。……はっ、今一瞬夢を見ていた気がする」
「少し休んでおいでよ…」

ティルさんが王女が学ぶべき業務を決め、各官僚に通達という名の根回しをし、私は自分が日常的に行っている他省庁の業務調整をしながら王女の実務録を作成。閣下は王女の成績に見合った講義の内容を練っている。

「机一式届きました!」

そんな中で運ばれてきた机は、喪中の王女に相応しい柔らかな慎ましさと品を兼ね備えたものだった。

「…………。」
「机は麗しいが…」
「景色に完全に浮いてる…」

日々忙殺される執務室は、少し片付けた程度ではどうにもならなかった。儀礼局から花が飾られた女性的な花瓶が届くとさらに浮いた。

「何とかせねば!」

もはや身分が云々と言ってもいられず、3人で連携し合い何とか片付け、王女を迎える頃には幾分男臭さの取れた小綺麗な執務室に仕上がった。

あくる朝、ソワソワとしながら何度も机の位置を確認していると、王女の来訪が告げられる。

「これより政務実務研修としてお世話になります。ノイヴァールト卿、そして秘書のお二方、精一杯励みますので、ご指導ご鞭撻べんたつよろしくお願い致します」

愛らしい微笑みを口元に称えた王女は、静かに咲く鈴蘭のように優雅に会釈した。

しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

思いを込めてあなたに贈る

あんど もあ
ファンタジー
ファナの母が亡くなった二ヶ月後に、父は新しい妻とその妻との間に生まれた赤ん坊を家に連れて来た。義母は、お前はもうこの家の後継者では無いと母から受け継いだ家宝のネックレスを奪うが、そのネックレスは……。

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

あなたが決めたことよ

アーエル
恋愛
その日は私の誕生日パーティーの三日前のことでした。 前触れもなく「婚約の話は無かったことにしよう」と言われたのです。 ‪✰他社でも公開

さようならの定型文~身勝手なあなたへ

宵森みなと
恋愛
「好きな女がいる。君とは“白い結婚”を——」 ――それは、夢にまで見た結婚式の初夜。 額に誓いのキスを受けた“その夜”、彼はそう言った。 涙すら出なかった。 なぜなら私は、その直前に“前世の記憶”を思い出したから。 ……よりによって、元・男の人生を。 夫には白い結婚宣言、恋も砕け、初夜で絶望と救済で、目覚めたのは皮肉にも、“現実”と“前世”の自分だった。 「さようなら」 だって、もう誰かに振り回されるなんて嫌。 慰謝料もらって悠々自適なシングルライフ。 別居、自立して、左団扇の人生送ってみせますわ。 だけど元・夫も、従兄も、世間も――私を放ってはくれないみたい? 「……何それ、私の人生、まだ波乱あるの?」 はい、あります。盛りだくさんで。 元・男、今・女。 “白い結婚からの離縁”から始まる、人生劇場ここに開幕。 -----『白い結婚の行方』シリーズ ----- 『白い結婚の行方』の物語が始まる、前のお話です。

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

処理中です...