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第7話 宰相執務室に咲く花
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街の街路樹もすっかり色付いた10月末。
王宮から私の足で1時間ほどの郊外、寒々しい粗末な共同墓地にも秋は訪れていた。
「アロイス。君が守った人は、穏やかな祈りの時を過ごしているよ」
岩を乗せただけの盛土。名すら刻まれることはない。
アロイスは処刑を免れたが、国家反逆罪という重罪人に変わりはなく、正式な葬儀は許されなかった。死亡報告が上がり、役人がここに埋めただけだ。
家族は、既に王都から消えており、どこへ行ったのか誰も知らない。……知らないのではなく、いないものとして扱われたのだ。
物言わぬアロイスの冷たい墓石に手を置き、私は祈りを捧げた。
私は彼のようにはなれないし、不敬にも王女を同じ人間として見ている。
「そんな話をしてみたかったよ。君は怒るかもしれないけれど」
怒る顔すら見たことがない、気弱だと思っていた友は、最期に力強い光を放った。それが正しいのか間違っていたのか私には判断がつかなくとも。
「また来るね」
顔を上げ緩やかな丘の向こうに目をやる。森が陽射しを受け鮮やかに輝いていた。王女が幼少期を過ごしたという離宮跡地がある辺りだ。差し込む日差しに目を細め、背を向けると、乾いた土の音を鳴らしアロイスの墓地から離れた。
墓地の出口に差し掛かると、帽子を目深に被った男にぶつかった。
「失礼」
「……。」
相手は何も言わず急ぎ足で墓地へ入って行く。やや気分が悪かったが、こういった場所だ。顔を見られたくなかったのだろう。
その時、私はさして気にも留めずに墓地から離れ、辻馬車を拾った。
「え?あれ?」
「なんだい、にいちゃん。文無しかい?そんな風にゃ見えないが」
「やられた…」
腰に下げているはず小銭袋がない。どう考えても不自然にぶつかってきたあの男の仕業だ。
情けない顔をしている私を見かねた御者が、王宮勤めなら後で返してくれればいい、と所属の馬車ギルドと名前を紙に書いて渡してきた。
「申し訳ありません」
「災難だったな。あの辺に行く時は、皮袋は懐に仕舞うといい」
「そうします…」
人の良い御者は軽く手を上げて去って行った。普段は気付かないが、王宮勤めと言うだけでこんなに優遇されるものなのか。
塔の鐘が時を告げる。昼休憩の時間はまだ残っていたが、金がないので食事も取れない。行きつけのカフェを侘しい気持ちで眺めながら、行きとは若干異なった哀愁を抱え宮殿へと戻った。
今日こそは早く帰宅し外食にしよう、と心に決めて。
「今日も遅くまでご苦労さん」
「いつもすみません…」
そんな決意も虚しく、帰る頃には王宮門が閉まっていた。いつになったら早く帰れるくらい偉くなるのか、と門番にからかわれながら開門してもらう。
気の良い門番が、トンと槍の柄を石畳に打ち付ける。するとその上にいる門番もトンと鳴らし大きな音を立てるという手間を掛け、私が通れる隙間を作ってくれるのだから、頭が下がる。
「気を付けて帰んなよ」
「はい!」
整えた髭を誇らしげに蓄えた門番に見送られ、くたくたな体を引きずるように、今日も地味にいつもの道へと歩みを進めた。
「はぁ、やっと着いた…腹減った……」
金を借りれば良いのに、意地を張って盗まれたことを黙っていた私は、空腹をコーヒーで誤魔化していた。が、所詮はコーヒーだ。腹の虫には敵わない。
硬いパンすら恋しくなっていた私はイソイソとアパルトマンの扉を開く。
甘く温かい香りが鼻孔を……まさか…。急いで部屋に入ると、暖炉の火が灯った明るさに迎えられた。
「おかえり!」
「な……………っ」
内装が変わっていた。黒い厚布を掛けられた胡桃材らしきテーブルが置かれ、元のテーブルは隅に追いやられている。椅子は慎ましやかな品のある物で、元の椅子はテーブル同様隅に。
「たまたま用事があったからついでに寛ぎやすくしておいたの」
「は、はぁ…」
どうやって運んだのだろう…。
喪服とはやや違う黒装束は以前来た時と変わらないが、テーブルには刺繍道具が広げられている。縫い物をしている姿が様になっていて、ぼんやりと見惚れた。
「あ!出来上がった。座って!」
まるで私が客のような感覚になる。甘いミルクの香りで腹が大きく鳴った。鍋を運ぶ王女はクスクスと笑い、私の前にミルヒブライを置いてくれた。
「今日はチーズも入れたよ」
「ありがとうございます!あつ!」
「あはは!お腹空いてたんだね」
あの日のミルヒブライがまた食べられるとは。涙が滲むほど美味い。
「君は泣き虫だなぁ」
「朝食べたきりだったんです。そうじゃなくても美味しいけど」
「そんなに忙しかったの?」
以前と同じように手際よくコーヒーを用意してくれる王女に、私はスリに遭った話をした。笑われるかと思ったが、深刻そうな表情になる。
「共同墓地なんて君が行く場所じゃないでしょ。何かあったの?」
ミルクを掬う手が止まる。そうだ。知っているはずがないんだ。アロイスに声を掛けたことだってきっと覚えていない。彼が何を守りたかったのかも。
「以前お世話になった方が眠ってるんです」
王女はしばし私を見つめた。濃紺の優しい瞳にテーブルの蝋燭の光が映り、夜空のようだった。なんて美しい人なのだろう。
「そっか。でも気を付けてね。お金は大丈夫?」
王女は詮索しなかった。この人も共同墓地に行ったことがあるのかもしれない。
「大丈夫ですよ。それより、用事とはなんでしょう?……物騒なことならお断りします」
「何も言ってないのに!そんなこと、君みたいなひょろひょろに頼まないし」
「ひょろひょろ…」
「用事はね、頼み事!」
王女は私の前にスっと手を差し出す。
「友達になろ!」
「……………は?」
あまりにも唐突であまりにも無邪気な笑顔。
何が起きている?
「聞いてるー?」
顔の前で手を振られて我に返った。
「あー、えっと……私はただの下級官僚でして…」
「うん、殺しかけて生かしたよね」
「その節は…ではなく、身分とか!あ、でも食事作ってもらってるし、ここに来てるし…」
「そうそう、細かいことは気にしないのが友達だよ」
もう振り回されっぱなしだ。この友情が何を意味するのか。それを考えるには、目の前の人はあまりに真っ直ぐ過ぎた。
「私などでよければ…」
「末長くよろしくね!じゃ!」
嬉しそうに手を振ると、王女は窓からひらりと飛び降りた。急ぎ窓の下を見ると、いつかのあの日のように身軽に夜を駆け闇に消えた。
私はしばらくぼんやりと立ち尽くし、静かに窓を閉め、頭を抱えた。
王女が友人……どうすればいいのだろう。
テーブルにはいつの間にか片付けられた手芸箱が可愛らしく置かれていた。
翌朝、悩み過ぎて一睡もできなかった私は、昨日入れなかったいつものカフェで、朝の優雅なひとときを楽しむ。
「S妃殿下が病でお倒れになったらしい」
「正妃になられるかもしれないお方が、なんと」
「Z妃殿下が正妃だろう」
「そのお二方で間違いはなさそうだな」
S妃の幽閉は公には「静養」となり、花の宮殿庭園内の王家離宮にて優雅な暮らしをしているらしい。
事件当時、故マリエル妃のように王宮から遠ざけられ、世捨て人とされるのでは、と噂になっていただけに、S妃派としては復権の期待が大きい。
王女本人からマリエル妃母子の悲惨な暮らしぶりを聞いてしまった私は、なぜこんなにも待遇が違うのか、と思うところがあったが、上が何を考えているかなど気にしていてはやっていけない。マリエル妃暗殺事件の箝口令は未だ生きていて、周囲に聞ける状態でもないのだから。
王女になら…いや、友人だからと言ってそんな話を聞くのは酷だろう。
友人……互いに公に話しかける訳にもいかない。下宿先に忍んでくる回数が増えるのだろうか?喪に服している王女がそれはないだろう。私の後ろ盾に?いや、それは友人とは呼べないのでは…。
モヤモヤと考えている内に、時計台から鐘が鳴り響き、急ぎカフェテーブルにコインを置くと、職場へと急いだ。
眠気を堪えながら、宰相府に回すべき嘆願の清書を閣下にお渡ししたところ、
「来週よりルディカ王女殿下の政務実務研修が始まる。ヴィーザー、そなたは実務をお教えすることになるゆえ、他省庁の業務を調整しておくように」
「お、王女殿下ですか?王子ではなく?」
飛び上がらんばかりに驚く私に、第1秘書官のティルさんが解説してくれた。ちなみに私は第2秘書官も兼任している何でも屋のような立ち位置だ。
「ルディカ王女殿下は女性ながら王位継承権をお持ちになられた歴代に類を見ないお方だろ?だから、あのお方のご教育は通常の王女とは異なり、王子が学ぶべき剣術や軍学等も学んでおられるんだよ」
「それって、相当な学習量ですよね」
そうそうと頷いたティルさんは、王女の学習の進み具合をまとめた帳簿を見せてくれた。
「こんなに!」
「全てにおいて優秀だそうだ。と、これは本題じゃないな。王女殿下は深い祈りの時期で、今は華やいだ科目を休学中。学ぶことが減っている今しかできないことをと兄上のR殿下が閣下に推薦し、今回の研修に至った、というわけだよ。これまでも時折ここを訪ねていらっしゃることはあったけれどね。と、言うわけだから、実務は頼むね」
女性が官僚と仕事を…。あの方と机を並べることが想像できない。
「大変な騒ぎになりそうですね」
「まあ…今さらだろう。軍部でも似たようなことがあったらしいし。あちらではすっかり溶け込んでいらっしゃるそうだよ」
「剣の達人ですしね。でも、どんなに聡くていらしても、実力だけではこちらはなかなか…」
どんどん深刻な会話になっていると、閣下に咳払いをされ2人で背筋を伸ばす。
「職務として励むように」
『承知致しました』
ティルさんと私は揃って慌てた返事をした。
そして、その日から怒涛の準備が始まった。まずは、この執務室。
押し寄せる書簡や帳簿の束はさておき、喪中の姫が過ごすための配慮が必要だ。かと言って私達のように毎日いるわけでもなく、来客のことも考えねばならない。
「儀礼局に相談して用意してもらって……と」
早速儀礼局へ行くと、王女の居室のような黒厚布を掛ける必要はないので、花瓶と花を用意すると言われほっとした。私の部屋のテーブルには黒厚布を掛けられていたけれど…。
「あ!机も整えないと!お体の寸法は…」
王宮健康監察局で、最新の記録を確認する。「大変美しい芸術的なプロポーションをお持ちで」という長話により、知らなくて良い情報まで知ってしまった。王女と顔を合わせづらくなる…いやいや、そんなことを考えている場合ではない。
「王女殿下の座高と腕脚の長さの報告書を受け取りました」
「よし、設備局へ回せ。儀礼局にも知らせろ」
私は宮廷財務局への出費願に印を押した。机一式で国の重要機関が一斉に動いた。
「ええっと、この嘆願書を資料にして…種類別だとこの辺かな」
「フレートくん、帰らないの?」
「まだ仕事が終わらないので」
そして翌日。
「ヴィーザー、帰っていなかったのか?」
「おはようございます、閣下。……ええっと、この場合の訂正の段取りは……」
「あれ?フレートくん、早いね」
「ティルさん、おはようございます。……はっ、今一瞬夢を見ていた気がする」
「少し休んでおいでよ…」
ティルさんが王女が学ぶべき業務を決め、各官僚に通達という名の根回しをし、私は自分が日常的に行っている他省庁の業務調整をしながら王女の実務録を作成。閣下は王女の成績に見合った講義の内容を練っている。
「机一式届きました!」
そんな中で運ばれてきた机は、喪中の王女に相応しい柔らかな慎ましさと品を兼ね備えたものだった。
「…………。」
「机は麗しいが…」
「景色に完全に浮いてる…」
日々忙殺される執務室は、少し片付けた程度ではどうにもならなかった。儀礼局から花が飾られた女性的な花瓶が届くとさらに浮いた。
「何とかせねば!」
もはや身分が云々と言ってもいられず、3人で連携し合い何とか片付け、王女を迎える頃には幾分男臭さの取れた小綺麗な執務室に仕上がった。
あくる朝、ソワソワとしながら何度も机の位置を確認していると、王女の来訪が告げられる。
「これより政務実務研修としてお世話になります。ノイヴァールト卿、そして秘書のお二方、精一杯励みますので、ご指導ご鞭撻よろしくお願い致します」
愛らしい微笑みを口元に称えた王女は、静かに咲く鈴蘭のように優雅に会釈した。
王宮から私の足で1時間ほどの郊外、寒々しい粗末な共同墓地にも秋は訪れていた。
「アロイス。君が守った人は、穏やかな祈りの時を過ごしているよ」
岩を乗せただけの盛土。名すら刻まれることはない。
アロイスは処刑を免れたが、国家反逆罪という重罪人に変わりはなく、正式な葬儀は許されなかった。死亡報告が上がり、役人がここに埋めただけだ。
家族は、既に王都から消えており、どこへ行ったのか誰も知らない。……知らないのではなく、いないものとして扱われたのだ。
物言わぬアロイスの冷たい墓石に手を置き、私は祈りを捧げた。
私は彼のようにはなれないし、不敬にも王女を同じ人間として見ている。
「そんな話をしてみたかったよ。君は怒るかもしれないけれど」
怒る顔すら見たことがない、気弱だと思っていた友は、最期に力強い光を放った。それが正しいのか間違っていたのか私には判断がつかなくとも。
「また来るね」
顔を上げ緩やかな丘の向こうに目をやる。森が陽射しを受け鮮やかに輝いていた。王女が幼少期を過ごしたという離宮跡地がある辺りだ。差し込む日差しに目を細め、背を向けると、乾いた土の音を鳴らしアロイスの墓地から離れた。
墓地の出口に差し掛かると、帽子を目深に被った男にぶつかった。
「失礼」
「……。」
相手は何も言わず急ぎ足で墓地へ入って行く。やや気分が悪かったが、こういった場所だ。顔を見られたくなかったのだろう。
その時、私はさして気にも留めずに墓地から離れ、辻馬車を拾った。
「え?あれ?」
「なんだい、にいちゃん。文無しかい?そんな風にゃ見えないが」
「やられた…」
腰に下げているはず小銭袋がない。どう考えても不自然にぶつかってきたあの男の仕業だ。
情けない顔をしている私を見かねた御者が、王宮勤めなら後で返してくれればいい、と所属の馬車ギルドと名前を紙に書いて渡してきた。
「申し訳ありません」
「災難だったな。あの辺に行く時は、皮袋は懐に仕舞うといい」
「そうします…」
人の良い御者は軽く手を上げて去って行った。普段は気付かないが、王宮勤めと言うだけでこんなに優遇されるものなのか。
塔の鐘が時を告げる。昼休憩の時間はまだ残っていたが、金がないので食事も取れない。行きつけのカフェを侘しい気持ちで眺めながら、行きとは若干異なった哀愁を抱え宮殿へと戻った。
今日こそは早く帰宅し外食にしよう、と心に決めて。
「今日も遅くまでご苦労さん」
「いつもすみません…」
そんな決意も虚しく、帰る頃には王宮門が閉まっていた。いつになったら早く帰れるくらい偉くなるのか、と門番にからかわれながら開門してもらう。
気の良い門番が、トンと槍の柄を石畳に打ち付ける。するとその上にいる門番もトンと鳴らし大きな音を立てるという手間を掛け、私が通れる隙間を作ってくれるのだから、頭が下がる。
「気を付けて帰んなよ」
「はい!」
整えた髭を誇らしげに蓄えた門番に見送られ、くたくたな体を引きずるように、今日も地味にいつもの道へと歩みを進めた。
「はぁ、やっと着いた…腹減った……」
金を借りれば良いのに、意地を張って盗まれたことを黙っていた私は、空腹をコーヒーで誤魔化していた。が、所詮はコーヒーだ。腹の虫には敵わない。
硬いパンすら恋しくなっていた私はイソイソとアパルトマンの扉を開く。
甘く温かい香りが鼻孔を……まさか…。急いで部屋に入ると、暖炉の火が灯った明るさに迎えられた。
「おかえり!」
「な……………っ」
内装が変わっていた。黒い厚布を掛けられた胡桃材らしきテーブルが置かれ、元のテーブルは隅に追いやられている。椅子は慎ましやかな品のある物で、元の椅子はテーブル同様隅に。
「たまたま用事があったからついでに寛ぎやすくしておいたの」
「は、はぁ…」
どうやって運んだのだろう…。
喪服とはやや違う黒装束は以前来た時と変わらないが、テーブルには刺繍道具が広げられている。縫い物をしている姿が様になっていて、ぼんやりと見惚れた。
「あ!出来上がった。座って!」
まるで私が客のような感覚になる。甘いミルクの香りで腹が大きく鳴った。鍋を運ぶ王女はクスクスと笑い、私の前にミルヒブライを置いてくれた。
「今日はチーズも入れたよ」
「ありがとうございます!あつ!」
「あはは!お腹空いてたんだね」
あの日のミルヒブライがまた食べられるとは。涙が滲むほど美味い。
「君は泣き虫だなぁ」
「朝食べたきりだったんです。そうじゃなくても美味しいけど」
「そんなに忙しかったの?」
以前と同じように手際よくコーヒーを用意してくれる王女に、私はスリに遭った話をした。笑われるかと思ったが、深刻そうな表情になる。
「共同墓地なんて君が行く場所じゃないでしょ。何かあったの?」
ミルクを掬う手が止まる。そうだ。知っているはずがないんだ。アロイスに声を掛けたことだってきっと覚えていない。彼が何を守りたかったのかも。
「以前お世話になった方が眠ってるんです」
王女はしばし私を見つめた。濃紺の優しい瞳にテーブルの蝋燭の光が映り、夜空のようだった。なんて美しい人なのだろう。
「そっか。でも気を付けてね。お金は大丈夫?」
王女は詮索しなかった。この人も共同墓地に行ったことがあるのかもしれない。
「大丈夫ですよ。それより、用事とはなんでしょう?……物騒なことならお断りします」
「何も言ってないのに!そんなこと、君みたいなひょろひょろに頼まないし」
「ひょろひょろ…」
「用事はね、頼み事!」
王女は私の前にスっと手を差し出す。
「友達になろ!」
「……………は?」
あまりにも唐突であまりにも無邪気な笑顔。
何が起きている?
「聞いてるー?」
顔の前で手を振られて我に返った。
「あー、えっと……私はただの下級官僚でして…」
「うん、殺しかけて生かしたよね」
「その節は…ではなく、身分とか!あ、でも食事作ってもらってるし、ここに来てるし…」
「そうそう、細かいことは気にしないのが友達だよ」
もう振り回されっぱなしだ。この友情が何を意味するのか。それを考えるには、目の前の人はあまりに真っ直ぐ過ぎた。
「私などでよければ…」
「末長くよろしくね!じゃ!」
嬉しそうに手を振ると、王女は窓からひらりと飛び降りた。急ぎ窓の下を見ると、いつかのあの日のように身軽に夜を駆け闇に消えた。
私はしばらくぼんやりと立ち尽くし、静かに窓を閉め、頭を抱えた。
王女が友人……どうすればいいのだろう。
テーブルにはいつの間にか片付けられた手芸箱が可愛らしく置かれていた。
翌朝、悩み過ぎて一睡もできなかった私は、昨日入れなかったいつものカフェで、朝の優雅なひとときを楽しむ。
「S妃殿下が病でお倒れになったらしい」
「正妃になられるかもしれないお方が、なんと」
「Z妃殿下が正妃だろう」
「そのお二方で間違いはなさそうだな」
S妃の幽閉は公には「静養」となり、花の宮殿庭園内の王家離宮にて優雅な暮らしをしているらしい。
事件当時、故マリエル妃のように王宮から遠ざけられ、世捨て人とされるのでは、と噂になっていただけに、S妃派としては復権の期待が大きい。
王女本人からマリエル妃母子の悲惨な暮らしぶりを聞いてしまった私は、なぜこんなにも待遇が違うのか、と思うところがあったが、上が何を考えているかなど気にしていてはやっていけない。マリエル妃暗殺事件の箝口令は未だ生きていて、周囲に聞ける状態でもないのだから。
王女になら…いや、友人だからと言ってそんな話を聞くのは酷だろう。
友人……互いに公に話しかける訳にもいかない。下宿先に忍んでくる回数が増えるのだろうか?喪に服している王女がそれはないだろう。私の後ろ盾に?いや、それは友人とは呼べないのでは…。
モヤモヤと考えている内に、時計台から鐘が鳴り響き、急ぎカフェテーブルにコインを置くと、職場へと急いだ。
眠気を堪えながら、宰相府に回すべき嘆願の清書を閣下にお渡ししたところ、
「来週よりルディカ王女殿下の政務実務研修が始まる。ヴィーザー、そなたは実務をお教えすることになるゆえ、他省庁の業務を調整しておくように」
「お、王女殿下ですか?王子ではなく?」
飛び上がらんばかりに驚く私に、第1秘書官のティルさんが解説してくれた。ちなみに私は第2秘書官も兼任している何でも屋のような立ち位置だ。
「ルディカ王女殿下は女性ながら王位継承権をお持ちになられた歴代に類を見ないお方だろ?だから、あのお方のご教育は通常の王女とは異なり、王子が学ぶべき剣術や軍学等も学んでおられるんだよ」
「それって、相当な学習量ですよね」
そうそうと頷いたティルさんは、王女の学習の進み具合をまとめた帳簿を見せてくれた。
「こんなに!」
「全てにおいて優秀だそうだ。と、これは本題じゃないな。王女殿下は深い祈りの時期で、今は華やいだ科目を休学中。学ぶことが減っている今しかできないことをと兄上のR殿下が閣下に推薦し、今回の研修に至った、というわけだよ。これまでも時折ここを訪ねていらっしゃることはあったけれどね。と、言うわけだから、実務は頼むね」
女性が官僚と仕事を…。あの方と机を並べることが想像できない。
「大変な騒ぎになりそうですね」
「まあ…今さらだろう。軍部でも似たようなことがあったらしいし。あちらではすっかり溶け込んでいらっしゃるそうだよ」
「剣の達人ですしね。でも、どんなに聡くていらしても、実力だけではこちらはなかなか…」
どんどん深刻な会話になっていると、閣下に咳払いをされ2人で背筋を伸ばす。
「職務として励むように」
『承知致しました』
ティルさんと私は揃って慌てた返事をした。
そして、その日から怒涛の準備が始まった。まずは、この執務室。
押し寄せる書簡や帳簿の束はさておき、喪中の姫が過ごすための配慮が必要だ。かと言って私達のように毎日いるわけでもなく、来客のことも考えねばならない。
「儀礼局に相談して用意してもらって……と」
早速儀礼局へ行くと、王女の居室のような黒厚布を掛ける必要はないので、花瓶と花を用意すると言われほっとした。私の部屋のテーブルには黒厚布を掛けられていたけれど…。
「あ!机も整えないと!お体の寸法は…」
王宮健康監察局で、最新の記録を確認する。「大変美しい芸術的なプロポーションをお持ちで」という長話により、知らなくて良い情報まで知ってしまった。王女と顔を合わせづらくなる…いやいや、そんなことを考えている場合ではない。
「王女殿下の座高と腕脚の長さの報告書を受け取りました」
「よし、設備局へ回せ。儀礼局にも知らせろ」
私は宮廷財務局への出費願に印を押した。机一式で国の重要機関が一斉に動いた。
「ええっと、この嘆願書を資料にして…種類別だとこの辺かな」
「フレートくん、帰らないの?」
「まだ仕事が終わらないので」
そして翌日。
「ヴィーザー、帰っていなかったのか?」
「おはようございます、閣下。……ええっと、この場合の訂正の段取りは……」
「あれ?フレートくん、早いね」
「ティルさん、おはようございます。……はっ、今一瞬夢を見ていた気がする」
「少し休んでおいでよ…」
ティルさんが王女が学ぶべき業務を決め、各官僚に通達という名の根回しをし、私は自分が日常的に行っている他省庁の業務調整をしながら王女の実務録を作成。閣下は王女の成績に見合った講義の内容を練っている。
「机一式届きました!」
そんな中で運ばれてきた机は、喪中の王女に相応しい柔らかな慎ましさと品を兼ね備えたものだった。
「…………。」
「机は麗しいが…」
「景色に完全に浮いてる…」
日々忙殺される執務室は、少し片付けた程度ではどうにもならなかった。儀礼局から花が飾られた女性的な花瓶が届くとさらに浮いた。
「何とかせねば!」
もはや身分が云々と言ってもいられず、3人で連携し合い何とか片付け、王女を迎える頃には幾分男臭さの取れた小綺麗な執務室に仕上がった。
あくる朝、ソワソワとしながら何度も机の位置を確認していると、王女の来訪が告げられる。
「これより政務実務研修としてお世話になります。ノイヴァールト卿、そして秘書のお二方、精一杯励みますので、ご指導ご鞭撻よろしくお願い致します」
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