古書館に眠る手記

猫戸針子

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第6話 官僚の母失脚

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《エルミア王国》


ヴァルン国使節の歓待が無事終わり、ホッと一息ついた頃に宮廷儀礼局から王女の居住区域変更申請が上がってきた。

「ルディカ王女の部屋移動。南棟から東棟。申請者、東棟管理責任者Z・フォン・エルミア。王宮文書局所属、フレート・ヴィーザー確認」

文書に不備はなく、確認を済ませた私は閣下に渡す。少し前にルディカ様関連のことはなるべく回すようにと命ぜられていた。

「部屋移動の申請確認完了しました」
「うむ、これから忙しくなるな」

閣下の言葉に私は目を伏せる。
今年も不作だった。2年続くとなると租税軽減の嘆願も増える。各地から上がる収穫高の確認から適切な減税計算、最終的にどこを優先させるかを割り出している最中であり、机の上は収穫祭のようだ。

「ほんの少しの事件が民の不信感と不満に繋がる。国の政を預かる我らは王家の信頼も守らねばならない」

そう言うと閣下は封をされたひとつの書簡を差し出した。

「これを花の宮、儀礼局に。王命により速やかなる措置を要求する、と伝えよ」

王命…。陛下の紋章で封蝋された書簡をその重々しい言葉と共に両手で受け取る。

「拝命致します」

何が書かれているのかも知らぬまま。

この書簡が切っ掛けで、私は初めて王宮内で何が起きているのか知った。
王女の居室がひと月もの間、何者かの手によって意図的に劣悪な環境に置かれ、その上、巧妙に隠蔽されていたらしい。
王族を守るはずの儀礼や法が、皮肉なことに王女自身の声を封じていたという。
だが、故マリエル妃の遺品が損壊され始めたことで事態は公となり、もはや看過できぬと陛下が判断し、「王族の身の安全が侵害される大事」として王女は保護措置を受けるに至った。
宮廷内では、王女は命を狙われていたのでは、と囁かれ始めた。

その後、「王女ルディカ殿下私邸内における設備および遺愛品損壊並びに管理不備の件」の監督不行届の責を負ったS妃は、南の棟管理権を剥奪され、その罪の審議が開始され、部屋から出ることを禁じられた。

この報せは私達官僚にとって大騒動だった。S妃派が誰かなど分からないほど、多かれ少なかれ誰もが関わっている。
考えられるとすれば文書の改ざんくらいなものだが、常にない厳しい取り調べを受ける人数多数。国家機能が停止するのでは、と愚痴が飛び交うほど急激に人手不足に陥った。
それは政務だけでなく、当然花の宮殿南の棟でもだった。閣下は暫定的に南の棟管理人となり、私は儀礼局へ出向した。

「はぁ、帰れないかもしれない。絶対に帰れない…」

何人の仕事を兼任しているのかも分からないほど、私の机は書状やら何やらで溢れかえり、床にまで広がった。宰相執務室へ行くと閣下もティルさんも同じような状態で、目の下にうっすら隈が浮き出ているのを互いに笑い飛ばし、溜息を吐くような日々が続いた。

そして、王都警邏局おうとけいらきょくから上がる大量の審問進行状況に目を通す作業が始まった。初めは見るのも嫌なものだったが、あまりの多さに次第に慣れ、印とサインをする事務作業と化していた。
そんな中、私は彼を見つけてしまった。ようやく一段落ついた、と思ったその矢先だった。

「なんで……」

『王女殿下居室清掃に関する報告書に虚偽の記載を認めたり。担当記録係アロイス・シェンクを拘留の上、職務上の文書不実記載の嫌疑にて取り調べを行うものとす』

私は目を疑った。何かの間違いじゃないのか。
アロイスは同期の中でも控え目で心優しい友人だ。気弱なところのある彼が、そんな大それた事をするとはとても思えない。

「認めたって…拷問でもされたとか。いや、そんな記録はない。審問で脅された?」

そうだ。認めたと言っても改ざんしていたとは知らなかったからかもしれない。私達は流れ作業で指示通りに動くことがほとんど。いつ誰が何に加担してるかなんて分からない。私だって例外ではない。
だから、たまたまこのサインをしたのがアロイスだった。
そうに、違いない。

「どうした。顔色が悪いぞ」
「閣下、実は…」

清書した審問報告書から1枚取り出し、アロイスは仲の良い友人だと閣下に伝えた。閣下は特に顔色を変えずに報告書の束にあっさりと戻す。

「自白の者が多過ぎる。半数以上は確実に無罪だ」
「そう、だといいのですが」
「今の段階ならば聞き取りが主なはずだ。此度の件、国際問題にもなっていることで、審問官達も焦りがあるのだろう」

その後、警邏局の審問は進み、嫌疑が晴れて釈放された人々を名簿に抹線を引く。閣下の言う通り、どんどん人数は減って行った。
しかし、アロイスの名は残り続けた。

法廷書記が交代となり、任ぜられた私は前任者から引き継いだ帳簿を確認した。

『大した家柄も能力もない私を王宮文書局に推薦して下さったS妃様に、忠誠を誓うのは当然』

私が知っているアロイスはこんなことを言うような男ではない。確かに彼はS妃派だったし、家柄は私とあまり変わらないが、決して能力不足でもない。留置所に向かいながら、審問自体に不備があるかしっかり見定めよう、と私は意気込んだ。
証拠が揃っていて、もう言い逃れができない状態であることを理解していても。

「王宮文書局所属、フレート・ヴィーザー。法廷書記の任で参りました」

審問室に入室すると、重苦しい空気を感じた。アロイスは、衛生のための身繕いのみ施されており身綺麗だが、髪も髭も伸び切っていた。
項垂れた状態から私の声に反応し、のっそりと顔を上げる。私は息を飲んだ。彼の眼窩は激しい疲労のせいか落窪み、目だけがギラついている。
どんな質問をされても彼が言うことは変わらず、その姿は毅然としていた。

……私は、何も出来なかった。

最終の審理は公判廷にて行われた。
罪状と証拠を上げられる間、彼は夜の湖面のように静かで、命乞いも身動ぎも、しなかった。

「被告人、アロイス・シェンク。これら全ては真実か」
「はい、全て真実です」

ここで、今までの審問になかった質問が法廷長の口から出た。

「君が文書偽造に加担したのはこれが初めてだ。しかし、ルディカ王女殿下の居室担当になったのは殿下が王宮にお入りになった時点から。これまでの記録で君が誠実に職務に励んでいた、との嘆願があった。そこで問いたい。なぜ此度に限ってこのような暴挙に出たのか」

私は羽根ペンを走らせながらアロイスを見る。彼は一度宙に目を向け、僅かに微笑むと、法廷長に毅然と顔を向けた。

「私は私の信念において罪に手を染めました。ただひとつ言えることは、どうしても王女殿下のお命を奪うことはできなかったと言うことです」

私は立ち上がりかけ、椅子から腰を浮かす。
代言人を見たが、全く知らなかったような青ざめた顔をしている。それは審問官達もだ。

傍聴席から悲鳴が上がり、紳士達が「なんと不敬な!」「極刑を求む!」とこぞって罵声を浴びせる。
廷吏が静粛を宣し、廷槌が3回鳴り響いた。
辺りが鎮まると、法廷長は淡々と喋り出す。

「代言人、所見を」

「そのような話を私は被告人から一切聞いておりません。重度心神耗弱しんしんこうじゃくの疑いが濃厚でございます。よってこの審理は成立せず、治療の後に再度行うことを提案します」

代言人は動揺を隠すように掌をハンカチで拭いている。だが、私もこれには納得する。審問記録にも…暗殺の企図など一言も出てこなかった。

「異議あり!被告人の状態は健全であり、言葉にゆらぎはありません。これは明確な国家反逆の意志の現れとして直ちに極刑を求めます」

糾問官長が声高に刑を求めると、そうだそうだと傍聴席が湧いた。私はひたすら羽根ペンを走らせる。

「被告人に確認する。恐れ多くも王女殿下の"お命を奪う″という言葉が出たが、それは真実か」

羽根ペンの穂先を小刀で急ぎ整える。法廷長の問いにアロイスは、姿勢を正す。心身耗弱には、見えなかった。

「王族の責務を捨て庶民に下った者が王族と再び名乗ること自体、王家侮辱罪に当たることと考えます。王族とは守護大精霊の元に穢れなく人々の上に立つ者であり、その身は我らと違う。王女殿下は6年前、母マリエル妃と共に死を選ぶべきでした」

箝口令に触れることまで喋り出したことで、凄まじい糾弾の嵐が巻き起こった。廷吏の廷槌が鳴り響く。アロイスは構わず語り続けた。声が聞こえない私は口の動きで彼の言葉を一句一言漏らさず記録する。

「しかし、私はあのお方に救われました。王女殿下の居室を訪れることが多かった私は、間近でお姿をお見かけする機会が多かったのです。取り柄もなく二心ある私のことなどあのお方は見抜いていたでしょう。ある時、お声を掛けられました。『あなたはあなたの正義を』と。唐突でした。何を言われているのかすぐに意味は分かりませんでしたが、その時の殿下のご尊顔は今でもハッキリと脳裏に浮かびます。包み込むように優しく、慈愛に満ちた女神のような美しさ。私は悟りました。庶民に下ろうと、この方の神聖さは損なわれることはない。これが王族なのだ、と。私の浅はかな思想など吹き飛んでしまうほど。そして、賜った言葉は私を救ってくださいました。私は信念を貫いても良いのだ、と」

帳簿を支えている人差し指が忙しなく角をめくろうと動く。鼻がツンと痛んだ。

「お命を奪おうとしていたのは事実です。機会を伺っておりました。ですが、殿下が紛れもなく神聖な王族だと確信した時、それは出来なくなりました。国葬は母君をとっくの昔に失った哀しみをやっと公にできることだった。そんなお姿を見続けてきた私に、G伯爵夫人より文書改ざんの協力を求められたのです。その時の気持ちは誰にも分からないでしょう。私は、あのお方が静かに祈り過ごせる場所へと移って頂きたかった。気の置けぬ場所ではなく、真に味方となってもらえる場所へ。この件に加担すればいつか公になるのは分かっておりました。G伯爵夫人の浅はかな考えよりも、殿下の助けになる方々の忠誠心の方が遥かに勝りますから」

やっと静まったところでアロイスの声が響いた。

「私は悔いておりません。我が信念を貫き通しました。罪を認めます」

気弱で人の良いアロイス。自分と並んで過ごしてきた日々の中で、彼の中にあった強い想い。何も知らずに目の前の仕事に忙殺されていた私。
毅然と立つ彼の目論見は成功した。王女はS妃管轄下から、後ろ盾とも言えるZ妃管轄の棟へ引っ越したのだから。
アロイスはそれきり口を閉ざした。


この後の審理に続いた主犯のG伯爵夫人は、アロイスの姿と比べあまりに無様だった。

『平民だったくせに王族になりきっている姿が気に入らない。S妃より目立つな。平民ならゴミの中で暮らせ』

こんな証言は審問記録で目を通している。

公判廷の場に現れたG伯爵夫人は、審問内容に加えアロイスと共謀し王女の殺害を企てていたか問われると、大きく取り乱した。

「あ、あたくしは全て申し上げました通り、ほんの少し戯れをしただけでございます!殺害など…王族に対しそのような大それたことは一度たりとも考えたことはございません!」

戯れ…。羽根ペンを動かす手が止まり、紙にインクが僅かに滲んだ。そんな事のためにアロイスを使ったのか。バカげた嫉妬のせいで我が国は窮地に立ち、多くの人が罪に問われていると言うのに。ペンを折ってしまいそうに込み上げる怒りを何とか飲み下し、淡々と記録を付けた。

そして判決が読み上げられた。

「被告人 G伯爵夫人を王家侮辱の罪により有罪と認む。
よって本裁判所は、右被告人を斬首に処することを宣告する。
執行日を三日後とし、場所は市民広場とする」

「被告人アロイス・シェンク。
王族侮辱および国家秩序撹乱の罪により、有罪とす。
心身衰弱の兆候を認むも、理性は明瞭にして責任能力あり。
よって刑を減じず、終身禁固ならびに療養所送致を命ず」


G伯爵夫人は泣き叫び、アロイスは…黙って目を閉じた。


一連の出来事はS妃の嫌疑を晴らすものであったが、犯行動機が妃の為にという事であり、それほど心酔しているなら真の黒幕はS妃だろうと囁かれた。

国内外に広く感心を集めたこの事件は、烈火のごとく怒りを顕にした陛下により、S妃が宮殿庭園の離宮に幽閉されたことで幕を閉じた。
ここでS妃派は失脚した。



アロイスの訃報が私の元に届いたのはその数日後だった。遺書も残さず自死した、と。

いずれ、記録のように忘却されてしまうとしても、私は……君の言葉を忘れない。
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