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第9話 王女の書記官
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《エルミア》
ケヤキがすっかり葉を落とし、灰色がかった空に向かって箒を逆さにしたように立ち並んでいる。12月の風が頬をかすると、私はたまらずコートの襟を立てた。
この季節になると宮殿の至る所にある様々な意匠を凝らしたタイルストーブに火が入れられ、近くを通るとじんわり暖かい。
北部出身の私にとって南部に位置する王都の冬はそれほど厳しくはないが、不思議なことに慣れるほどに寒さに弱くなる。
そして、就業時間前の王女は今、宰相執務室のストーブに張り付いている。
「他局の者には見せない方が良いお姿ですね」
「私は耳が良いので、部外者なら入ってくる前に気付きます。ご安心なさい」
「コートを羽織ってはどうですか?」
「そんな無作法な真似は致しません」
控えている王女の側仕え2人がくすくすと笑い、王女の細い肩に上品な毛皮のショールを掛けた。
書類を準備しているティルさんも、王女の様子に苦笑する。
「王都から毛皮を消した張本人には見えませんね」
「ティル?私が買い占めたように言わないでくださいな」
そう、毛皮は今、王都では大変なことになっている。「王女が身に付ける物は市場から消える」と言われるほど、宮廷貴婦人の間でルディカ王女ファッションが流行っており、毛皮の売れ行きはかつてない状態らしい。
商務院の統計は跳ね、北のヴァルン国商人が、営業許可を求めて列を成している、とか。
「姫様、母から例の物が届きました」
懐から封筒を取り出すと、興味が寒さに勝った様子で、ストーブからサッと離れてこちらへ来た。もしや寒さは気持ちの問題なのでは、と言う言葉は胸の内にしまっておいた。
「ありがとうございます!あの地域の加護札、なかなか手に入らなくて。侍女頭、手帳をちょうだい」
「ほう、姫様も集めていらっしゃるので?」
「アンマント、あなたもでしたの?」
「私は寄進証でございますよ」
私が渡した加護札を丁寧に糊付けしている王女の元に、閣下は引き出しから革手帳を取り出し、得意げに見せている。
「これは!ヘルダルに占領される前のリュッセン王国の物ではありませんか!」
「あの頃は良い時代でしたなぁ」
「意匠がエルミアと似ていて洗練されていますね。惜しい国をなくしました」
惜しがる所が違う…。
様子を眺めていたティルさんが書状を私に渡してきた。
「姫はまだ宗務局へ行かれたことがないから、現在発行されている聖札を向こうで見学させてもらうといいんじゃないかな」
「あそこですか…。一部の神殿の経費で不明瞭な点があるので確認に行く予定でしたが、姫様への当たりは強いですよ」
「それを込みでの研修。王族の聖札見学申請書を渡せば拒みはしないだろうし」
聖札の保管状態を確認しつつ、王女の見学を願い出る任務、ということか。ティルさんからの書状があれば、あの頭の堅い宗務局も少しはマシだろう。
「失礼致します。宰相府よりの確認事項と研修生の見学の件で参りました」
宗務局に入ると、ただでさえ冷えている空気がさらに冷えた。そして、対応してきたのがよりにもよって…。
「なんと、ヴィーザーくんは王女殿下のお付にでもなったのですか。いえいえ、冗談ですよ。ようこそ我が宗務局へ、麗しい王女殿下。しかしながら、ここは男子の場でしてね。研修と言えども王子でないあなた様を受け入れることは残念ながら…」
王族でも政務中はある程度の儀礼が簡略化される。こうした業務にかこつけたやり方で、各省庁は女が関わることへの不快感を王女にぶつけている。だが、そんな姑息なやり方はやんわりと遮られる。
「残念ながら、なんでしょう?」
春の陽射しを彷彿とさせる微笑みで、王女は左遷された下っ端官僚にティルさんの書状を手渡す。一挙一動の所作に美を感じた。宰相執務室の伸び伸びとした様子とは全く違う。
二の句を繋げなくなった下っ端官僚の後ろから慌てて上官が駆け寄った。
「書状改めさせて頂きます。なるほど、神殿の発布物の保管状態のご見学でしたか。それではご案内致します」
「お受け頂き感謝致します。お手間を取らせてしまいますが、神殿と国を繋ぐ重要なお役目をされているこの宗務局は、大変尊い場であると認識しております。皆様が日頃切磋琢磨してくださることで我が国の国教は成り立ち、それはすなわち国家と民の安寧と繋がっております。私のような女子が立ち入るなど無礼とは存じますが、どうかご指導頂けますか」
王女の物腰柔らかで真摯な様子に、慇懃な態度を取っていた上官も嫌味な下っ端も陥落した。
どこの局へ連れて行っても、王女の口の上手さ…ではなく、心からの労いの言葉により、地味な仕事ばかりで賛辞を受けることの少ない官僚達は感激する。そして、研修からひと月経った今、ほとんどの省庁は王女を受け入れている。「王女とそのお付は女人にあらず。共に働く同志である」と。
そういえば少し前、また下宿先に来た王女に「周囲に溶け込むのが上手いですね」と言ったことがある。
「敵を作らない方が目立たないし、いざって時に殺しやすい」
と、あっさり返され、震撼した覚えがあることは忘れることにしよう。
ともあれ、宰相府に足を運ぶ官僚の数は増え、わざと仕事を作ってくるので、必然的に私の仕事は増えている。
エルミア全土の神殿最新の聖札を見て王女が目を輝かせていた頃には、難攻不落と身構えていた宗務局はすっかり軟化していた。
この方、本当にできないことがないのでは…。面倒なやり取りがある時には、付き合ってもらうことにしよう。
物騒なことが起こることもなく、慌ただしくも平穏に迎えた翌年1月。
王族が一度は体験するという「学びの儀」が執り行われることもなった。仰々しい言葉だが、これは大精霊宗総括の王都大神殿にて、若い王族が3ヶ月間研修を受け、その対価として莫大な寄付を行う行事である。
今回、年齢的に該当するのがルディカ王女とU王子の二人となったことで、寄付も大掛かりなものとなった。雨風を凌げ食事が与えられる大きな施設「冬の避難所」を大神殿に併設する一大企画だ。
これは、貧困対策であると同時に、大神殿に貧民が集うことへの上流階級からの苦情を抑え、宗教と国家が共に民を救うという姿勢を見せる政治的な意味合いが強い。
「貧民は困窮していると考えず、今日死ぬと考えて下さい」
王族の寄付を協議していた陛下と閣下に進言した王女の言葉である。
その場にいたのはティルさんのみ。王女が6年もの間、庶民に下っていた事実が宮廷内でやっと鎮静化している今、蒸し返すようなことがあってはならないからだ。
この言葉は陛下も閣下も重く受け止められ、「冬の避難所」設置に至った。
私はこの話を聞きながら、かつて王女が「君みたいな人が共同墓地なんて行かないでしょ?」と尋ねたことを思い出した。
あの時は確信が持てなかったけれど……王女は貧民の現状を知っている。
そんな折、私に新たな任が与えられた。
「王宮文書局所属第2秘書官フレート・ヴィーザーをルディカ王女、"学びの儀″記録書記官の任に叙する。なお、これまでの業務は兼任とする」
ありがたく拝命した瞬間、私は自分の未来をこう予見した。
過労で倒れる、と。
***
学びの儀初前日まで、今年の加護札を貰える、と湧き立ちながら私の雑務を分担してくれた王女は、当日、気品高く喪の慎みのあるドレスに身を包み、U王子と共に大神殿前で集まった民衆の歓迎を受けていた。
「両殿下がきっと今年は豊作にしてくださる」
そんな世迷い言を吐き王族に向かい祈りを捧げるほど、2年続いた飢餓は社会に混迷をもたらしている。私は机上でしか見ていない現実を目の当たりにし、大きく戸惑いつつもその様子をつぶさに記録する。
大神殿の扉が開かれた途端に漂うすえた臭い。拝廊の壁に力なく座り込む酷く汚れた人々。それ自体はこんな時勢なら普通の光景だった。近衛兵と聖職者達が王族二人を庇いながら道を開ける。
王女が立ち止まりかけたU王子に何か語り掛け促し、祭壇へと進む。私も列の後尾から進んだ。
そして、私は見てしまった。
拝廊の隅で身を寄せ合う母子。ともすれば見失っていたかもしれない奥まった所にいたのは…王女に害をなした罪を負い、自死した友人アロイスの母と小さな弟だった。彼は王都に住んでいたから、私は何度か家に招かれたことがあった。気の良い穏やかな家族で、家庭でのアロイスは仕事中より饒舌だった。
「………。」
私は目を逸らし王家の列に従う。
彼らはてっきり王都から出たのだとばかり思っていた。あの様子では、施しは貰えず、寒さのみを凌いでいるのだろう。
貧民でも罪人の家族には救済の手が届かない。追い出されないのが珍しいほどだ。そして、私が手を差し伸べようものなら……今の職と引き換えになる。私が従っている王女の威信までをも下げる。
見ないふりを…するしかできなかった。
「どうしたの?顔色悪いよ?」
マリエル妃の墓参りをすると言った王女が、女官と私を伴った。祈り終わってから静かに私に尋ねる。
妃の優美な墓標と、アロイスの名もない岩が重なる。
「寝不足なだけです。ご心配お掛けしました」
「入口の人達は知り合いなの?」
問われ目を見開く私に王女は手に持っていた花をひとつ手渡した。妃に捧げる物だ。
「そんな!恐れ多いです!」
「こうでもしないと喋る時間が稼げない。僕はあの時、貧民の中に間者がいないか確認しながら歩いていたから、全員の顔と配置は覚えてる。君が見ていたのはあの親子の位置だった。それから様子がおかしい。倒れてしまいそうに見えるよ」
王女は女官にもさりげなく花を分ける。3人で花を手向ける間に会話を続ける。
「……言えません。でも、大丈夫ではありません」
理由を話してこの人がどう思うのか分からなかった。でも、私の部屋を訪ねて来ては温かな料理を作ってくれる人が、事実を知って何とも思わないとは、私には思えなかった。
知らなくていい。アロイスだってそう望んでいるから遺書を残さなかったんだ。
「そっか。任務は続けられそう?」
「問題ありません」
「分かった。じゃあ、僕は総主教に挨拶をしてくるから、君は少し休んでて。元々人払いする予定だったし」
戻った王女は総主教の部屋に入ると、側近を残し本当に人払いをした。私は回廊に置かれた机に座り、記録の整理をする。
アロイスの父は…他の兄妹はどうしたのだろう。なぜ二人だけあそこに…。知れるわけもない。貧民登録さえできない彼らは私の管轄外だ。暮らしぶりを知ることすら出来ない。
王家の随行書記官という華々しい任務中に私は一体何に気を取られているのか。職務に徹しなければ。私は気を引き締めた。
それでも姿を追ってしまう私だった。
だが、帰り際にはアロイスの家族の姿はなく、初日以降見掛けることはなかった。
次の日から王女は、大聖堂に集う貧民達にいつ用意をしたのかパンを配り始めた。頭がついてこないが、記録は付けねばならない。
それは本来、あってはならない事だった。王族はその神聖さを損ねるようなことはしてはならない。そんなお方が不浄と位置付けられる貧民に、声を掛け寄り添う行為をするのは考えられないことだ。
ただ、どういうわけか、お付の者たちは王女を止めるどころか手伝い、その日の内に一気に寄せられた苦情に対し閣下は応じなかった。糾弾しているのはS妃派だった。
しかし、この事態は大神殿側からもたらされた報告により、一変した。
「ルディカ王女は王家の一員として、2年に渡る不作による民の困窮を憂いており、自ら行動することにより王族の責務を果たした。これは人を自然の一部とする大精霊宗の教えを体現する行為。大神殿は王女の行為を大きく評価する」
と言った書状が陛下に届く。すぐさま会議を開いた陛下と閣下は、「ルディカ王女の行為は王家の者が直接手を差し伸べなければならないほど民の困窮を現した行為」として、救済対策を立て始める。
こうして、王家らしからぬ王女の行為は、国家の危機を知らせた功績を讃えられるに至った。
そうなると、「ルディカ王女殿下がされているなら」と宮廷人はこぞって慈善活動に参加し始めた。
それはまるで、王女ファッションが流行るような流れに私には映った。
私はと言うと、王女の記録といきなり現れたパンの経路辿り、宮廷人達が爆発的に始めた慈善活動の報告処理で疲労困憊し、机に突っ伏したまま意識を失った。
ケヤキがすっかり葉を落とし、灰色がかった空に向かって箒を逆さにしたように立ち並んでいる。12月の風が頬をかすると、私はたまらずコートの襟を立てた。
この季節になると宮殿の至る所にある様々な意匠を凝らしたタイルストーブに火が入れられ、近くを通るとじんわり暖かい。
北部出身の私にとって南部に位置する王都の冬はそれほど厳しくはないが、不思議なことに慣れるほどに寒さに弱くなる。
そして、就業時間前の王女は今、宰相執務室のストーブに張り付いている。
「他局の者には見せない方が良いお姿ですね」
「私は耳が良いので、部外者なら入ってくる前に気付きます。ご安心なさい」
「コートを羽織ってはどうですか?」
「そんな無作法な真似は致しません」
控えている王女の側仕え2人がくすくすと笑い、王女の細い肩に上品な毛皮のショールを掛けた。
書類を準備しているティルさんも、王女の様子に苦笑する。
「王都から毛皮を消した張本人には見えませんね」
「ティル?私が買い占めたように言わないでくださいな」
そう、毛皮は今、王都では大変なことになっている。「王女が身に付ける物は市場から消える」と言われるほど、宮廷貴婦人の間でルディカ王女ファッションが流行っており、毛皮の売れ行きはかつてない状態らしい。
商務院の統計は跳ね、北のヴァルン国商人が、営業許可を求めて列を成している、とか。
「姫様、母から例の物が届きました」
懐から封筒を取り出すと、興味が寒さに勝った様子で、ストーブからサッと離れてこちらへ来た。もしや寒さは気持ちの問題なのでは、と言う言葉は胸の内にしまっておいた。
「ありがとうございます!あの地域の加護札、なかなか手に入らなくて。侍女頭、手帳をちょうだい」
「ほう、姫様も集めていらっしゃるので?」
「アンマント、あなたもでしたの?」
「私は寄進証でございますよ」
私が渡した加護札を丁寧に糊付けしている王女の元に、閣下は引き出しから革手帳を取り出し、得意げに見せている。
「これは!ヘルダルに占領される前のリュッセン王国の物ではありませんか!」
「あの頃は良い時代でしたなぁ」
「意匠がエルミアと似ていて洗練されていますね。惜しい国をなくしました」
惜しがる所が違う…。
様子を眺めていたティルさんが書状を私に渡してきた。
「姫はまだ宗務局へ行かれたことがないから、現在発行されている聖札を向こうで見学させてもらうといいんじゃないかな」
「あそこですか…。一部の神殿の経費で不明瞭な点があるので確認に行く予定でしたが、姫様への当たりは強いですよ」
「それを込みでの研修。王族の聖札見学申請書を渡せば拒みはしないだろうし」
聖札の保管状態を確認しつつ、王女の見学を願い出る任務、ということか。ティルさんからの書状があれば、あの頭の堅い宗務局も少しはマシだろう。
「失礼致します。宰相府よりの確認事項と研修生の見学の件で参りました」
宗務局に入ると、ただでさえ冷えている空気がさらに冷えた。そして、対応してきたのがよりにもよって…。
「なんと、ヴィーザーくんは王女殿下のお付にでもなったのですか。いえいえ、冗談ですよ。ようこそ我が宗務局へ、麗しい王女殿下。しかしながら、ここは男子の場でしてね。研修と言えども王子でないあなた様を受け入れることは残念ながら…」
王族でも政務中はある程度の儀礼が簡略化される。こうした業務にかこつけたやり方で、各省庁は女が関わることへの不快感を王女にぶつけている。だが、そんな姑息なやり方はやんわりと遮られる。
「残念ながら、なんでしょう?」
春の陽射しを彷彿とさせる微笑みで、王女は左遷された下っ端官僚にティルさんの書状を手渡す。一挙一動の所作に美を感じた。宰相執務室の伸び伸びとした様子とは全く違う。
二の句を繋げなくなった下っ端官僚の後ろから慌てて上官が駆け寄った。
「書状改めさせて頂きます。なるほど、神殿の発布物の保管状態のご見学でしたか。それではご案内致します」
「お受け頂き感謝致します。お手間を取らせてしまいますが、神殿と国を繋ぐ重要なお役目をされているこの宗務局は、大変尊い場であると認識しております。皆様が日頃切磋琢磨してくださることで我が国の国教は成り立ち、それはすなわち国家と民の安寧と繋がっております。私のような女子が立ち入るなど無礼とは存じますが、どうかご指導頂けますか」
王女の物腰柔らかで真摯な様子に、慇懃な態度を取っていた上官も嫌味な下っ端も陥落した。
どこの局へ連れて行っても、王女の口の上手さ…ではなく、心からの労いの言葉により、地味な仕事ばかりで賛辞を受けることの少ない官僚達は感激する。そして、研修からひと月経った今、ほとんどの省庁は王女を受け入れている。「王女とそのお付は女人にあらず。共に働く同志である」と。
そういえば少し前、また下宿先に来た王女に「周囲に溶け込むのが上手いですね」と言ったことがある。
「敵を作らない方が目立たないし、いざって時に殺しやすい」
と、あっさり返され、震撼した覚えがあることは忘れることにしよう。
ともあれ、宰相府に足を運ぶ官僚の数は増え、わざと仕事を作ってくるので、必然的に私の仕事は増えている。
エルミア全土の神殿最新の聖札を見て王女が目を輝かせていた頃には、難攻不落と身構えていた宗務局はすっかり軟化していた。
この方、本当にできないことがないのでは…。面倒なやり取りがある時には、付き合ってもらうことにしよう。
物騒なことが起こることもなく、慌ただしくも平穏に迎えた翌年1月。
王族が一度は体験するという「学びの儀」が執り行われることもなった。仰々しい言葉だが、これは大精霊宗総括の王都大神殿にて、若い王族が3ヶ月間研修を受け、その対価として莫大な寄付を行う行事である。
今回、年齢的に該当するのがルディカ王女とU王子の二人となったことで、寄付も大掛かりなものとなった。雨風を凌げ食事が与えられる大きな施設「冬の避難所」を大神殿に併設する一大企画だ。
これは、貧困対策であると同時に、大神殿に貧民が集うことへの上流階級からの苦情を抑え、宗教と国家が共に民を救うという姿勢を見せる政治的な意味合いが強い。
「貧民は困窮していると考えず、今日死ぬと考えて下さい」
王族の寄付を協議していた陛下と閣下に進言した王女の言葉である。
その場にいたのはティルさんのみ。王女が6年もの間、庶民に下っていた事実が宮廷内でやっと鎮静化している今、蒸し返すようなことがあってはならないからだ。
この言葉は陛下も閣下も重く受け止められ、「冬の避難所」設置に至った。
私はこの話を聞きながら、かつて王女が「君みたいな人が共同墓地なんて行かないでしょ?」と尋ねたことを思い出した。
あの時は確信が持てなかったけれど……王女は貧民の現状を知っている。
そんな折、私に新たな任が与えられた。
「王宮文書局所属第2秘書官フレート・ヴィーザーをルディカ王女、"学びの儀″記録書記官の任に叙する。なお、これまでの業務は兼任とする」
ありがたく拝命した瞬間、私は自分の未来をこう予見した。
過労で倒れる、と。
***
学びの儀初前日まで、今年の加護札を貰える、と湧き立ちながら私の雑務を分担してくれた王女は、当日、気品高く喪の慎みのあるドレスに身を包み、U王子と共に大神殿前で集まった民衆の歓迎を受けていた。
「両殿下がきっと今年は豊作にしてくださる」
そんな世迷い言を吐き王族に向かい祈りを捧げるほど、2年続いた飢餓は社会に混迷をもたらしている。私は机上でしか見ていない現実を目の当たりにし、大きく戸惑いつつもその様子をつぶさに記録する。
大神殿の扉が開かれた途端に漂うすえた臭い。拝廊の壁に力なく座り込む酷く汚れた人々。それ自体はこんな時勢なら普通の光景だった。近衛兵と聖職者達が王族二人を庇いながら道を開ける。
王女が立ち止まりかけたU王子に何か語り掛け促し、祭壇へと進む。私も列の後尾から進んだ。
そして、私は見てしまった。
拝廊の隅で身を寄せ合う母子。ともすれば見失っていたかもしれない奥まった所にいたのは…王女に害をなした罪を負い、自死した友人アロイスの母と小さな弟だった。彼は王都に住んでいたから、私は何度か家に招かれたことがあった。気の良い穏やかな家族で、家庭でのアロイスは仕事中より饒舌だった。
「………。」
私は目を逸らし王家の列に従う。
彼らはてっきり王都から出たのだとばかり思っていた。あの様子では、施しは貰えず、寒さのみを凌いでいるのだろう。
貧民でも罪人の家族には救済の手が届かない。追い出されないのが珍しいほどだ。そして、私が手を差し伸べようものなら……今の職と引き換えになる。私が従っている王女の威信までをも下げる。
見ないふりを…するしかできなかった。
「どうしたの?顔色悪いよ?」
マリエル妃の墓参りをすると言った王女が、女官と私を伴った。祈り終わってから静かに私に尋ねる。
妃の優美な墓標と、アロイスの名もない岩が重なる。
「寝不足なだけです。ご心配お掛けしました」
「入口の人達は知り合いなの?」
問われ目を見開く私に王女は手に持っていた花をひとつ手渡した。妃に捧げる物だ。
「そんな!恐れ多いです!」
「こうでもしないと喋る時間が稼げない。僕はあの時、貧民の中に間者がいないか確認しながら歩いていたから、全員の顔と配置は覚えてる。君が見ていたのはあの親子の位置だった。それから様子がおかしい。倒れてしまいそうに見えるよ」
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「……言えません。でも、大丈夫ではありません」
理由を話してこの人がどう思うのか分からなかった。でも、私の部屋を訪ねて来ては温かな料理を作ってくれる人が、事実を知って何とも思わないとは、私には思えなかった。
知らなくていい。アロイスだってそう望んでいるから遺書を残さなかったんだ。
「そっか。任務は続けられそう?」
「問題ありません」
「分かった。じゃあ、僕は総主教に挨拶をしてくるから、君は少し休んでて。元々人払いする予定だったし」
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アロイスの父は…他の兄妹はどうしたのだろう。なぜ二人だけあそこに…。知れるわけもない。貧民登録さえできない彼らは私の管轄外だ。暮らしぶりを知ることすら出来ない。
王家の随行書記官という華々しい任務中に私は一体何に気を取られているのか。職務に徹しなければ。私は気を引き締めた。
それでも姿を追ってしまう私だった。
だが、帰り際にはアロイスの家族の姿はなく、初日以降見掛けることはなかった。
次の日から王女は、大聖堂に集う貧民達にいつ用意をしたのかパンを配り始めた。頭がついてこないが、記録は付けねばならない。
それは本来、あってはならない事だった。王族はその神聖さを損ねるようなことはしてはならない。そんなお方が不浄と位置付けられる貧民に、声を掛け寄り添う行為をするのは考えられないことだ。
ただ、どういうわけか、お付の者たちは王女を止めるどころか手伝い、その日の内に一気に寄せられた苦情に対し閣下は応じなかった。糾弾しているのはS妃派だった。
しかし、この事態は大神殿側からもたらされた報告により、一変した。
「ルディカ王女は王家の一員として、2年に渡る不作による民の困窮を憂いており、自ら行動することにより王族の責務を果たした。これは人を自然の一部とする大精霊宗の教えを体現する行為。大神殿は王女の行為を大きく評価する」
と言った書状が陛下に届く。すぐさま会議を開いた陛下と閣下は、「ルディカ王女の行為は王家の者が直接手を差し伸べなければならないほど民の困窮を現した行為」として、救済対策を立て始める。
こうして、王家らしからぬ王女の行為は、国家の危機を知らせた功績を讃えられるに至った。
そうなると、「ルディカ王女殿下がされているなら」と宮廷人はこぞって慈善活動に参加し始めた。
それはまるで、王女ファッションが流行るような流れに私には映った。
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