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~ウィーンの古書⑥~
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《Kaiserliche Verfassung – 25. April 1848》
「フレート氏の仕事量、多すぎやしないか?」
地下書庫で黙々と解読を続ける私は、ルディカ王女に振り回されてばかりの人間くさい官僚の彼の文字に囁きかける。
読めば読むほど事実に思えて来るのはこの際置いておき、彼の生きている世界では仕事があまり細分化されていないのだろうか。
それとも溜め込みすぎるタイプなのか。
「それにしても君は信じられないやつだよ。王族と友人で、気まで遣われて。従者でもないのにそんな話は聞いたこともないぞ」
もっとも、こんなに物騒で自由な王族は少なくとも私の知識にはいない。彼女がいるのはシェーンブルン宮殿のようだが、少し違う。位置関係は史書のウィーンと似ているが重なりきらない。
ルディカ王女が夜更けにフレート氏の下宿先へ行けるとすると、両宮殿の距離は思いのほか近いことになる。
「ホーフブルクとシェーンブルンが近かったら両宮殿の役割の意味をなさなくなりそうだが…まあ、伝達に関してなら楽ではあるな。さて、この大神殿とやらはシュテファン大聖堂か……と思いたいところだが、やや違うかな」
亡くなった友人の存在を王女にひた隠しにする彼の気持ちは、いかばかりであろう。私は去って行った友に思いを馳せ、一度目を閉じた。
「君と机を並べてみたいものだよ」
言ってみて苦笑する。現実逃避にもほどがある、と。
彼の手記は生々しい人間臭さを感じる。自らの職務を無機質呼ばわりしている彼より、私の方がずっと人間的ではないのかもしれない。
私は、リントナーが消えて以来、この宮廷が本当に秩序ある正しい場所なのか分からなくなっていた。
と、誰かが忙しなく降りてくる足音が聞こえた。階段に目を向けると、ランタンの灯りが壁を照らし、足音の主の影を大きく揺らし映し出している。
「フォーゲル、すぐに局へ戻れ!」
先輩官僚に急き立てられ、私はフレート氏の手記をそのままに自分の職場である第2課文書記録局へ向かった。
そしてひとつの封筒を渡される。
封蝋を開けたそこに赤で書かれている文字。
──1848年4月25日の皇帝憲法
リントナー、ああそうか。だから君は…。
明日の朝にはこれが世に出る。出してすぐに何が起こるか、日の目を見るより明らかな物を…。
第1課政治局のリントナーが、ピレルスドルフ内務大臣の憲法草案に関わっていてもおかしくなかった。
彼は、皇帝陛下を敬い、帝国の秩序の元、気楽に生きるような性格だった。少なくとも私はそう思っていた。
私が書物の編纂に思うところがあっても、「長い物に巻かれるのことも大事だ」などと言っていたほどだ。
いつ、どこの時点でリントナーは変わったのだろう。今となっては分からないまま、彼は重大な情報漏洩の嫌疑で追われる身となった。
あの彼が?消えたと聞いた時も信じられなかった。
翌朝、4月25日11時。欽定憲法は正式に公布された。
宮廷内が緊張に包まれる中、「Es lebe die Konstitution!(憲法万歳)」と叫ぶ歓喜の声が聞こえる。これは憲法の内容を知ることができない街の群衆の声だろう。
なぜなら、蜂起に関わった学生や切っ掛けを作った知識層、上級市民は直ぐに理解しただろうから。
この憲法は言葉として“自由”を掲げているが、フランスやイングランドのように国家権力抑止も、公正な選挙権もなかったのだから。
秩序は皇帝陛下の元にあり、宮廷がこれを動かし民を健やかにする。私はそう信じそれで良いと考えていた。
だが、そう考えない者たちにとって、死者を出してまで成したことの結果この一方的な憲法なら、全て無駄っただと必ず思うはずだ。
暗い思いを抱え、私はゆっくりと編纂に向かう。
歓喜の声が罵声に変わることを予感しながら。
《1848年5月15日》
──ウィーン再蜂起
多数の死傷者を出した翌々日、皇帝一家はインスブルックへ退避。
「フレート氏の仕事量、多すぎやしないか?」
地下書庫で黙々と解読を続ける私は、ルディカ王女に振り回されてばかりの人間くさい官僚の彼の文字に囁きかける。
読めば読むほど事実に思えて来るのはこの際置いておき、彼の生きている世界では仕事があまり細分化されていないのだろうか。
それとも溜め込みすぎるタイプなのか。
「それにしても君は信じられないやつだよ。王族と友人で、気まで遣われて。従者でもないのにそんな話は聞いたこともないぞ」
もっとも、こんなに物騒で自由な王族は少なくとも私の知識にはいない。彼女がいるのはシェーンブルン宮殿のようだが、少し違う。位置関係は史書のウィーンと似ているが重なりきらない。
ルディカ王女が夜更けにフレート氏の下宿先へ行けるとすると、両宮殿の距離は思いのほか近いことになる。
「ホーフブルクとシェーンブルンが近かったら両宮殿の役割の意味をなさなくなりそうだが…まあ、伝達に関してなら楽ではあるな。さて、この大神殿とやらはシュテファン大聖堂か……と思いたいところだが、やや違うかな」
亡くなった友人の存在を王女にひた隠しにする彼の気持ちは、いかばかりであろう。私は去って行った友に思いを馳せ、一度目を閉じた。
「君と机を並べてみたいものだよ」
言ってみて苦笑する。現実逃避にもほどがある、と。
彼の手記は生々しい人間臭さを感じる。自らの職務を無機質呼ばわりしている彼より、私の方がずっと人間的ではないのかもしれない。
私は、リントナーが消えて以来、この宮廷が本当に秩序ある正しい場所なのか分からなくなっていた。
と、誰かが忙しなく降りてくる足音が聞こえた。階段に目を向けると、ランタンの灯りが壁を照らし、足音の主の影を大きく揺らし映し出している。
「フォーゲル、すぐに局へ戻れ!」
先輩官僚に急き立てられ、私はフレート氏の手記をそのままに自分の職場である第2課文書記録局へ向かった。
そしてひとつの封筒を渡される。
封蝋を開けたそこに赤で書かれている文字。
──1848年4月25日の皇帝憲法
リントナー、ああそうか。だから君は…。
明日の朝にはこれが世に出る。出してすぐに何が起こるか、日の目を見るより明らかな物を…。
第1課政治局のリントナーが、ピレルスドルフ内務大臣の憲法草案に関わっていてもおかしくなかった。
彼は、皇帝陛下を敬い、帝国の秩序の元、気楽に生きるような性格だった。少なくとも私はそう思っていた。
私が書物の編纂に思うところがあっても、「長い物に巻かれるのことも大事だ」などと言っていたほどだ。
いつ、どこの時点でリントナーは変わったのだろう。今となっては分からないまま、彼は重大な情報漏洩の嫌疑で追われる身となった。
あの彼が?消えたと聞いた時も信じられなかった。
翌朝、4月25日11時。欽定憲法は正式に公布された。
宮廷内が緊張に包まれる中、「Es lebe die Konstitution!(憲法万歳)」と叫ぶ歓喜の声が聞こえる。これは憲法の内容を知ることができない街の群衆の声だろう。
なぜなら、蜂起に関わった学生や切っ掛けを作った知識層、上級市民は直ぐに理解しただろうから。
この憲法は言葉として“自由”を掲げているが、フランスやイングランドのように国家権力抑止も、公正な選挙権もなかったのだから。
秩序は皇帝陛下の元にあり、宮廷がこれを動かし民を健やかにする。私はそう信じそれで良いと考えていた。
だが、そう考えない者たちにとって、死者を出してまで成したことの結果この一方的な憲法なら、全て無駄っただと必ず思うはずだ。
暗い思いを抱え、私はゆっくりと編纂に向かう。
歓喜の声が罵声に変わることを予感しながら。
《1848年5月15日》
──ウィーン再蜂起
多数の死傷者を出した翌々日、皇帝一家はインスブルックへ退避。
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