古書館に眠る手記

猫戸針子

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第10話 栄光の先 -前-

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《エルミア》


書き綴ってきた、あの輝かしい日々を私は頁の向こうに見る。
目を閉じれば、あどけなくも美しい少女、ルディカ王女の笑顔が浮かぶ。

「フレートさん、目を閉じてどうしたの?」
「昔のことを思い出していました」
「年だね」
「……。」

いくつになっても、どんな場所にいても、このお方は変わらずにいてくれるものだ。

さて、話を戻そう。どこまでだったかな。ああ、そうだ。あの時は…。


***

私が机に突っ伏したまま気絶したあの日から約20日後の今日、王女は17歳の誕生日を迎えた。

「毎日のように顔を出してくださっていただけに、お見えにならないと寂しいものですね」
「マリエル様に祈り、慎ましくお過ごしなのだろう。まだそういう時期だ」
「フレートくんはお会いしていますけどね」

閣下とティルさんが目に見えて寂しがっている様子を横目で見ながら、私は王女への贈呈品目録にひたすらペンを入れていた。

「今日の記録は後ほど提出します」
「どんなご様子だった?」
「パンをお配りでしたよ」
「ヴィーザー、報告が雑だぞ」

気になって仕方がない様子の閣下に、清書前の走り書きを仮提出すると、私はすぐに机で作業を再開した。閣下も恩赦の手続きで忙しいはずなのだが…。

「市民にこんな動きが!」
「困窮対策は効いたな」
「生誕の日を機に、食料庫の開放も決めましたしね」

その案による激務のお陰で再び倒れかけた私だが、今は無事現場からの報告待ちだ。

「口と鼻が甘くなってきた…」

贈呈品の大半は菓子だ。喪中に祝いはできないが、お慰めとしてなら贈り物ができる。エルミア各地から一斉に届いたのが菓子だったのは、「ルディカ王女殿下が好まれるのは菓子らしい」と噂が立っていることでだ。事実ではある。
焼き菓子、砂糖菓子、乾燥フルーツ等、世の中にはこんなに菓子があり、菓子職人もこれほどいたのか、と驚く。そして、私は我が国の菓子に詳しくなってしまった。

「姫様は菓子が本当にお好きだからなぁ」
「業務中にこっそりつまみ食いしていらっしゃる様子も愛らしいですよねぇ」

当の王女は生誕日前から続々と届く菓子の山で、さすがに困った様子だった。「お菓子屋さん開けちゃいそう」と言っていたあたりがあの方らしい。目録に、以前私が王女の遣いとして訪れた店の品を見つけ、笑みがこぼれた。



寒い季節が過ぎ、下宿先の庭のマグノーリエの固く閉ざされていた蕾が花開き始めた4月。
朝、寝返りを打ち目を覚ますと、カーテンの隙間から明るい陽射しが目を刺した。もう少し寝たい。うつらうつらとしながら陽射しに目が慣れると、真っ黒だったカーテンは、淡いグレーへと変わっている。

「黒いままでも良かったんですよ」

ここにはいないあの方に、そっと囁き掛けた。部屋を見渡すと、あちらこちらに掛けられていた黒布が取り払われ、家具が姿を現していた。いつの間にか訪れた王女の仕業でしかない。

「半喪に移る決心をされたんですね」

それでもここに来た時には闇に紛れるあの黒装束だったのだろう。昨日は早々と寝てしまったのを惜しく思いながら、優しい色合いのカーテンを開けた。

いつものカフェから宮殿に向かう。肌寒いが春を告げる鳥の声と麗らかな陽射しは心を陽気にする。部屋の内装が変わっていたのも大きいだろう。
足取りも軽く向かっていると、隣に並んで歩き始めた人物に声を掛けられた。

「王女殿下の慰問公務に同行するそうじゃないか」

王女に嫌味を言って逆に骨抜きにされた左遷官僚は、さも気掛かりだと言わんばかりだ。

「ええ、雪解けになりましたので山道にも問題がないと」
「あの辺は物騒だと聞く。王女殿下の警護は大丈夫かね」

彼の気掛かりは私ではなく王女である。だが、S妃派の彼が宰相派の私に王女について尋ねる行為は、詮索と疑われ兼ねない。実際のところは半々だろう。

「陛下が良きようにされるでしょう」

こちらも答えにも気を付けなければならない。互いの為にも。

「そうか。それならきっと問題はないだろう」

彼は静かに答え、さりげなく距離を置いた。袖口は色が変わっていた。
S妃が王女生誕日の恩赦により、名目上短期間で幽閉が解かれたことで、多少はS妃派の勢いが回復してきた。
ただし、不穏な噂が尽きない。

爽やかな朝に胡散臭い官僚に話し掛けられ、面倒な気分で宰相執務室に入ると、王女は私の部屋のカーテンのような優しい風合いの装いに変わっていた。グレーなのに春を感じる。
儀礼局に花瓶と花を一新するように申請しておこう。

「慰問に行く前の下準備はこんなにも工程があるのですね」
「そうですね。姫様が新たにコレクションされているカードゲームの目録はこちらです」
「そんなものは向こうの宮殿だけでいいのに!」
「そうしてもらいたいものですが、宰相府が総括なので」

非効率だ、と閣下に詰め寄りやんわりと話を逸らされる姿も面白い。研修期間は未定とされていたが、このままいてもらえたら、とつい考えてしまう。
王女が来てから張りが出て楽しいのは、私だけではない。閣下やティルさんもだ。
王女の兄君達は実際近くで政務をしているので、もしかしたらこのままも有り得るかもしれない。

「閣下、T商会の方がお見えになりました」

閣下の侍従じじゅう長が直接告げに来た。私も良く知る宮廷御用達の大商人だ。

「応接室へお通ししろ。姫様参りましょう」
「先に行ってください。私はこちらを片付けてから参ります」

閣下が懇意にしているT商会が、実は王女の後ろ盾というのを知った時には驚いた。
そして、元々閣下はT商会が来ると人払いをしていたが、そこに王女も加わるようになった。密談には私もティルさんすらも入り込めない。いつも一体なんの話をしているのだろう。

「私達が関与することではない、ということさ。今はね」

二人が応接室へ移ると、察したティルさんが声を掛けてくれた。

「ティルさんならいつかは関与しそうですよ。私は交渉ごとなどはとても」
「まあ、そうだろうけど。交渉ごとと言ったら君が各省庁を説得して回ることもそうじゃないかい?」

なるほど…。ほぼ苦情対応でしかないものの、交渉と言われると格が上がる気がする。物は考えようだ。

そんな私はと言うと、初めての遠方随行任務が始まろうとしていた。私にとっては準備期間の方が長かったが、実質往復10日ほど。行先は政情不安定なメロヴィアと、数月前に国交全面開設したばかりのルシタールとの国境砦街ファーベル。
ハッキリ言って危険でしかない。
王女は半年後にルシタールへ赴くことになっている。この慰問で王女に与えられた真の任務はルシタールへの道の安全確保だ。

私は今朝、あの官僚に警備を尋ねられても答えなかった。それは、情報が漏れた場合の王女の命が危険に晒されかねない地だからだ。そんなことは向こうも承知だ。

……だったらなぜ聞いてきた?

彼は王女への態度は大きく軟化した。それはどこの省庁もだ。
王女本人は特別な派閥はないが、関わっている派閥は多い。しかしS妃派の主要な人物とは距離を置いている。事件があったのだから周囲が慎重になっていることも大きいだろう。
そんな経緯から王女にはあまり目立った敵はいない。
少なくとも私はそう考えていた。
だがもし、幽閉解除を機にS妃派が動くとしたら、国境慰問など事故に見せかければいくらでもなんとでもなる。

考え過ぎか?

護衛総指揮官にはR王子。付き従う護衛はD家騎士団。R王子とD家はS妃派の政敵だ。
胸騒ぎがしてきた私は、R王子旗下に入る近衛騎士の名簿も確認する。どの名を見ても私の知る限り問題はないし、これは閣下にも既に報告してある。

「フレートくん、顔色悪いよ」
「気掛かりがありまして…」

ティルさんに相談すると、思い当たる節があったらしい。S妃自体は幽閉が解かれても慎ましく暮らしているが、周辺の動きはやや活発になっている、とか。ティルさんは声を低くする

「音楽サロン、慈善活動会なんかで集まってはいるかな。話しの内容は…まあ、今のところ大したことはできない。だけど、この地図のここ」

使節団経路図の1箇所にトンと指を当てる。ファーベル街の手前だ。

「馬車道の横に裏道がある。さらには地形的に潜める場所も多い」
「そ、それは…姫様のお命を?」
「いや、王族は殺さないだろう。これが国内の派閥だったら、の前提の話だけど。自国の王族を殺して得する者などエルミアには普通いないからね。ただし、他の使節団員は別」

慰問中に使節団が命を落とせば不吉と捉えられ、王女の評判は大きく下がり、慰問の意味すらもなくなる可能性がある。と、言うのがティルさんの意見だ。

「君は馬車に乗っているし、窓からずっと顔でも出していない限り安全だろうけど、問題は警備兵達だろうね」
「いずれの方々も野盗や山賊程度に遅れを取るとは思えませんが」
「うん、そこら辺の賊ならまず王家の馬車は狙わない。国から討伐命令が出ては彼らは生きていけないから。ただ、この地点はメロヴィアから入りやすいんだよ。メロヴィア、ヘルダル、ルシタール、もしかしたらエルミア。何があるか分からない。閣下も陛下もご存知の上で王女を送り出すんだろう」
「そんな…」

ぽんと私の肩に手を置くティルさんの表情はいつになく真剣だった。

「王位継承権を持った女子は男子よりも成果を上げねば認められない。あの方は今後命懸けの任務が多くなるだろう。これはその始まりに過ぎない。フレートくん、君は……ここで無事帰還したとしたら、道を選ぶことになる。姫専属の随行者に任ぜられる栄誉か、辞して下級官僚のままか」

つまり、私も命懸けの出世試験ということか。……正直複雑だが、選ぶも何も随行書記官は既に私に決まっていた。

「加護札買おうかな…」
「それはいい。馬車内に張り巡らせれば不気味だろうし」
「同乗者が嫌がりそうですよ、それ」

厄除けやら魔除けやらの話で盛り上がり、互いに深く溜息を吐いてティルさんが席に戻る。
通常業務に追われる内、慰問のことは頭の片隅へ押しやられていた。


慰問公務出発前日、部屋で明日の準備をしていると、夜半に王女が現れた。どこから忍んでくるでもなく、正面から堂々と。

「もう窓から入ってないよ?ここ、ザルだし」
「言われてみれば。どうぞお掛け…もう座ってますね」
「気を遣わなくていいよ。砂糖多めにね」

いつの間にか上等になったカップにコーヒーを注ぎ、いつの間にか置かれた洒落た砂糖入れからスプーンですくう。
何が楽しくて来てくれているのかは未だ謎だが、居心地の良い場所にしているらしい。

「明日出立なのに、お休みにならなくてよろしいんですか」
「うん、色々忙しくて」

美味しそうに砂糖たっぷりのコーヒーを飲んでいる王女から、やや不穏な話が出てきそうな気がした私は、すぐに話題を変えた。

「前から気になっていたのですが、ここの家具は一応家主の所有物なんです。あれはどうなっていますか」

何となく抜かりないような気がしていたので、特に尋ねたことはなかった。くたびれていた絨毯も新品になっている。
案の定、売り払って得た収益を家主にしっかりと支払っていた。

「姫様はたくましいですね」
「それって女の子に言う言葉じゃないと思う。綺麗、とか素敵とかじゃない?」
「私のような朴念仁ぼくねんじんがそんな歯の浮くようなことを言えるはずがないでしょう。宮廷人にも色々いるんです」
「ふーん。思ってもいないことをダラダラ長く言うよりは全然いいと思うよ」

エルミア宮廷は相手を褒める言葉に装飾が多い。「美しい」と言うだけで装飾が五つは付くだろう。私は未だに慣れない。
ふと午前中に交わしたティルさんとの会話が思い出された。

「慰問公務が危険だということは…」
「知ってるに決まってるよー。人間より僕は野生動物の方が怖いけど。狼とか熊の大群怖い!」

熊の大群…本当に怖がっている様子に思わず吹き出す。

「人間はなぜ恐ろしくないんですか?」

私の問いに少し考え、自分を指さす。

「僕だったらどうするか。人間ならそう予測する余地がある。目的がわかったなら打開策がある。だから……皆を守る確率が上がる」
「皆を?」
「うん、使節団の誰も失う気はない。当然君も」

強い目だった。気高いくらいに。

「では私も守りましょう。姫様の軌跡を。ペンと紙で」
「うん!よろしくね!」

手を差し出された。いつかのように。
今度はしっかりと、握った。
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