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第二十九話 消えない影
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第二十九話 消えない影
王都では、新王太子の初の公式外交が成功裏に終わったという報告が届いていた。
隣国との通商条約は円滑に更新され、商会連盟は王家への支援を再確認。貴族全会でも、異論はほとんど出なかったらしい。
――安定。
その言葉が、まるで刻印のように繰り返される。
アルベルトは書状を机に置いた。
「……何も起きていない」
辺境伯が静かに頷く。
「公式には」
その一言が、やけに重い。
何も起きていない。
だが、何も語られていないだけかもしれない。
噂はある。
だが噂は形を持たない。
急な病。
突然の辞任。
遠方への転任。
記録は整っている。
不正も違法もない。
だが、アルベルトの胸の奥では、消えない違和感が燻り続けていた。
夜。
彼は再び、あの夢を見る。
王宮の長い回廊。
誰もいない。
足音だけが響く。
奥に、白い衣の影。
振り向く。
顔は見えない。
だが笑っている。
足元に赤い染み。
それがゆっくりと広がる。
「殿下」
声は甘い。
「どこまでも私がお供します」
振り向く。
その手は、血に濡れている。
目が覚める。
汗が冷たい。
だが現実には、何もない。
誰も死んでいない。
何も証明されていない。
ただ夢。
「……私は何を恐れている」
呟く声はかすれる。
リュシエラが静かに灯りを整える。
「恐れる必要はございません」
「本当に、偶然か」
「偶然は、時に重なります」
穏やかな声。
否定も肯定もしない。
それが、逆に重い。
隣国。
エリシアは港湾都市の拡張計画を視察していた。
「王都との基金は順調です」
「安定が続くなら、追加投資も検討できます」
彼女の世界は、前に進んでいる。
婚約破棄のその後を振り返ることはない。
王太子も、偽聖女も、もはや政治の外側。
構造に組み込まれていない。
辺境の朝。
アルベルトは雪の積もった庭を歩く。
足跡はすぐに消える。
自分の痕跡も、同じように消えていく。
彼は気づき始めていた。
自分が恐れているのは、彼女ではない。
“証明できないこと”だ。
もし本当に何かが起きているのなら。
もしすべてが偶然でないのなら。
だが証拠はない。
証拠がない以上、何も語れない。
語れない以上、誰も動かない。
それが最も恐ろしい。
断罪はなかった。
処刑もなかった。
だが満場一致で廃嫡された。
誰も声を上げなかった。
誰も庇わなかった。
その沈黙が、いまも彼を締め付ける。
王都は安定している。
隣国は発展している。
辺境は静かだ。
そして彼の中でだけ、赤い影が消えない。
それが夢である限り、彼は誰にも訴えられない。
だが夢は、確実に彼を蝕んでいた。
王都では、新王太子の初の公式外交が成功裏に終わったという報告が届いていた。
隣国との通商条約は円滑に更新され、商会連盟は王家への支援を再確認。貴族全会でも、異論はほとんど出なかったらしい。
――安定。
その言葉が、まるで刻印のように繰り返される。
アルベルトは書状を机に置いた。
「……何も起きていない」
辺境伯が静かに頷く。
「公式には」
その一言が、やけに重い。
何も起きていない。
だが、何も語られていないだけかもしれない。
噂はある。
だが噂は形を持たない。
急な病。
突然の辞任。
遠方への転任。
記録は整っている。
不正も違法もない。
だが、アルベルトの胸の奥では、消えない違和感が燻り続けていた。
夜。
彼は再び、あの夢を見る。
王宮の長い回廊。
誰もいない。
足音だけが響く。
奥に、白い衣の影。
振り向く。
顔は見えない。
だが笑っている。
足元に赤い染み。
それがゆっくりと広がる。
「殿下」
声は甘い。
「どこまでも私がお供します」
振り向く。
その手は、血に濡れている。
目が覚める。
汗が冷たい。
だが現実には、何もない。
誰も死んでいない。
何も証明されていない。
ただ夢。
「……私は何を恐れている」
呟く声はかすれる。
リュシエラが静かに灯りを整える。
「恐れる必要はございません」
「本当に、偶然か」
「偶然は、時に重なります」
穏やかな声。
否定も肯定もしない。
それが、逆に重い。
隣国。
エリシアは港湾都市の拡張計画を視察していた。
「王都との基金は順調です」
「安定が続くなら、追加投資も検討できます」
彼女の世界は、前に進んでいる。
婚約破棄のその後を振り返ることはない。
王太子も、偽聖女も、もはや政治の外側。
構造に組み込まれていない。
辺境の朝。
アルベルトは雪の積もった庭を歩く。
足跡はすぐに消える。
自分の痕跡も、同じように消えていく。
彼は気づき始めていた。
自分が恐れているのは、彼女ではない。
“証明できないこと”だ。
もし本当に何かが起きているのなら。
もしすべてが偶然でないのなら。
だが証拠はない。
証拠がない以上、何も語れない。
語れない以上、誰も動かない。
それが最も恐ろしい。
断罪はなかった。
処刑もなかった。
だが満場一致で廃嫡された。
誰も声を上げなかった。
誰も庇わなかった。
その沈黙が、いまも彼を締め付ける。
王都は安定している。
隣国は発展している。
辺境は静かだ。
そして彼の中でだけ、赤い影が消えない。
それが夢である限り、彼は誰にも訴えられない。
だが夢は、確実に彼を蝕んでいた。
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