30 / 40
第三十話 届かぬ場所
しおりを挟む
第三十話 届かぬ場所
春の気配が、ようやく辺境にも差し込み始めた。
雪解け水が細い流れとなり、凍っていた大地に柔らかな色が戻る。遠くの森には薄い緑がにじみ、冬の間に閉ざされていた空気がゆっくりと動き出す。
王都からの報告は、変わらず整然としていた。
――新王太子、初の予算案を無修正で可決。
――貴族全会、王家への信任再確認。
――商会連盟、追加融資承認。
異論はほとんど出なかったらしい。
満場一致。
その言葉が、再び彼の胸を刺す。
アルベルトは書状を閉じた。
「……完璧だな」
辺境伯は淡々と答える。
「構造は安定しております」
構造。
その言葉に、彼はわずかに目を伏せる。
かつて、自分は構造を飛び越えた。
合意を待たず、順序を省き、正しさを盾に押し通した。
合法ではあった。
だが規範ではなかった。
その差が、いまの結果だ。
昼。
辺境の市が開かれる。
子どもが笑い、商人が値を交わし、兵が静かに見守る。
誰も彼を特別視しない。
元王太子としてではなく、一領主として扱う。
その距離感が、妙に心地よい。
だが同時に、決定的でもある。
彼はもう、中心にはいない。
夜。
暖炉の火が揺れる。
目を閉じる。
回廊。
足音。
誰もいないはずの広間。
白い衣。
振り向く笑顔。
手に赤い染み。
「殿下」
甘い声。
「どこまでも私がお供します」
目が覚める。
炎の音。
血はない。
だが夢は消えない。
最近、夢の中で彼は逃げない。
立ち尽くす。
声を出そうとしても、出ない。
それが一番の恐怖だ。
リュシエラが静かに灯りを落とす。
「まだ王都をご覧になっておりますの?」
「……忘れられないだけだ」
「忘れる必要はございませんわ」
穏やかな声。
「ただ、届かぬ場所にあるだけです」
届かぬ場所。
その表現に、彼は静かに息を吐く。
王都は回っている。
新王太子は支持を集めている。
貴族全会も商会も、もはや彼を前提にしない。
彼が恐れているのは、彼女ではない。
自分が“必要とされなかった”という事実だ。
隣国。
エリシアは新港湾都市の完成式典に立っていた。
歓声は控えめだが確かだ。
「王都との協定は安定しております」
「長期計画に移行可能です」
彼女は頷く。
「安定は最大の価値です」
その言葉は、感情ではない。
合理。
婚約破棄も、廃嫡も、すでに構造の外。
彼女の人生は前に進み続ける。
辺境の深夜。
アルベルトは窓を開ける。
春の夜気は冷たい。
遠くで川の音がする。
王都は遠い。
隣国はさらに遠い。
自分はここにいる。
断罪はなかった。
処刑もなかった。
だが中心から切り離された。
満場一致で。
誰も声を上げなかった。
それが彼の“ざまあ”だった。
リュシエラが背後に立つ。
「寒うございます」
「……ああ」
「わたくしは、どこまでもお供いたします」
その声は優しい。
だが夢の言葉と重なる。
彼は振り向かない。
王都は届かぬ場所になった。
彼はもう、そこへ戻らない。
戻れない。
それでも悪夢だけが、距離を越えて追いかけてくる。
春の風が、静かに窓を揺らした。
春の気配が、ようやく辺境にも差し込み始めた。
雪解け水が細い流れとなり、凍っていた大地に柔らかな色が戻る。遠くの森には薄い緑がにじみ、冬の間に閉ざされていた空気がゆっくりと動き出す。
王都からの報告は、変わらず整然としていた。
――新王太子、初の予算案を無修正で可決。
――貴族全会、王家への信任再確認。
――商会連盟、追加融資承認。
異論はほとんど出なかったらしい。
満場一致。
その言葉が、再び彼の胸を刺す。
アルベルトは書状を閉じた。
「……完璧だな」
辺境伯は淡々と答える。
「構造は安定しております」
構造。
その言葉に、彼はわずかに目を伏せる。
かつて、自分は構造を飛び越えた。
合意を待たず、順序を省き、正しさを盾に押し通した。
合法ではあった。
だが規範ではなかった。
その差が、いまの結果だ。
昼。
辺境の市が開かれる。
子どもが笑い、商人が値を交わし、兵が静かに見守る。
誰も彼を特別視しない。
元王太子としてではなく、一領主として扱う。
その距離感が、妙に心地よい。
だが同時に、決定的でもある。
彼はもう、中心にはいない。
夜。
暖炉の火が揺れる。
目を閉じる。
回廊。
足音。
誰もいないはずの広間。
白い衣。
振り向く笑顔。
手に赤い染み。
「殿下」
甘い声。
「どこまでも私がお供します」
目が覚める。
炎の音。
血はない。
だが夢は消えない。
最近、夢の中で彼は逃げない。
立ち尽くす。
声を出そうとしても、出ない。
それが一番の恐怖だ。
リュシエラが静かに灯りを落とす。
「まだ王都をご覧になっておりますの?」
「……忘れられないだけだ」
「忘れる必要はございませんわ」
穏やかな声。
「ただ、届かぬ場所にあるだけです」
届かぬ場所。
その表現に、彼は静かに息を吐く。
王都は回っている。
新王太子は支持を集めている。
貴族全会も商会も、もはや彼を前提にしない。
彼が恐れているのは、彼女ではない。
自分が“必要とされなかった”という事実だ。
隣国。
エリシアは新港湾都市の完成式典に立っていた。
歓声は控えめだが確かだ。
「王都との協定は安定しております」
「長期計画に移行可能です」
彼女は頷く。
「安定は最大の価値です」
その言葉は、感情ではない。
合理。
婚約破棄も、廃嫡も、すでに構造の外。
彼女の人生は前に進み続ける。
辺境の深夜。
アルベルトは窓を開ける。
春の夜気は冷たい。
遠くで川の音がする。
王都は遠い。
隣国はさらに遠い。
自分はここにいる。
断罪はなかった。
処刑もなかった。
だが中心から切り離された。
満場一致で。
誰も声を上げなかった。
それが彼の“ざまあ”だった。
リュシエラが背後に立つ。
「寒うございます」
「……ああ」
「わたくしは、どこまでもお供いたします」
その声は優しい。
だが夢の言葉と重なる。
彼は振り向かない。
王都は届かぬ場所になった。
彼はもう、そこへ戻らない。
戻れない。
それでも悪夢だけが、距離を越えて追いかけてくる。
春の風が、静かに窓を揺らした。
10
あなたにおすすめの小説
今さら救いの手とかいらないのですが……
カレイ
恋愛
侯爵令嬢オデットは学園の嫌われ者である。
それもこれも、子爵令嬢シェリーシアに罪をなすりつけられ、公衆の面前で婚約破棄を突きつけられたせい。
オデットは信じてくれる友人のお陰で、揶揄されながらもそれなりに楽しい生活を送っていたが……
「そろそろ許してあげても良いですっ」
「あ、結構です」
伸ばされた手をオデットは払い除ける。
許さなくて良いので金輪際関わってこないで下さいと付け加えて。
※全19話の短編です。
【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?
アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。
泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。
16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。
マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。
あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に…
もう…我慢しなくても良いですよね?
この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。
前作の登場人物達も多数登場する予定です。
マーテルリアのイラストを変更致しました。
どうも、死んだはずの悪役令嬢です。
西藤島 みや
ファンタジー
ある夏の夜。公爵令嬢のアシュレイは王宮殿の舞踏会で、婚約者のルディ皇子にいつも通り罵声を浴びせられていた。
皇子の罵声のせいで、男にだらしなく浪費家と思われて王宮殿の使用人どころか通っている学園でも遠巻きにされているアシュレイ。
アシュレイの誕生日だというのに、エスコートすら放棄して、皇子づきのメイドのミュシャに気を遣うよう求めてくる皇子と取り巻き達に、呆れるばかり。
「幼馴染みだかなんだかしらないけれど、もう限界だわ。あの人達に罰があたればいいのに」
こっそり呟いた瞬間、
《願いを聞き届けてあげるよ!》
何故か全くの別人になってしまっていたアシュレイ。目の前で、アシュレイが倒れて意識不明になるのを見ることになる。
「よくも、義妹にこんなことを!皇子、婚約はなかったことにしてもらいます!」
義父と義兄はアシュレイが状況を理解する前に、アシュレイの体を持ち去ってしまう。
今までミュシャを崇めてアシュレイを冷遇してきた取り巻き達は、次々と不幸に巻き込まれてゆき…ついには、ミュシャや皇子まで…
ひたすら一人づつざまあされていくのを、呆然と見守ることになってしまった公爵令嬢と、怒り心頭の義父と義兄の物語。
はたしてアシュレイは元に戻れるのか?
剣と魔法と妖精の住む世界の、まあまあよくあるざまあメインの物語です。
ざまあが書きたかった。それだけです。
心の傷は癒えるもの?ええ。簡単に。
しゃーりん
恋愛
侯爵令嬢セラヴィは婚約者のトレッドから婚約を解消してほしいと言われた。
理由は他の女性を好きになってしまったから。
10年も婚約してきたのに、セラヴィよりもその女性を選ぶという。
意志の固いトレッドを見て、婚約解消を認めた。
ちょうど長期休暇に入ったことで学園でトレッドと顔を合わせずに済み、休暇明けまでに失恋の傷を癒しておくべきだと考えた友人ミンディーナが領地に誘ってくれた。
セラヴィと同じく婚約を解消した経験があるミンディーナの兄ライガーに話を聞いてもらっているうちに段々と心の傷は癒えていったというお話です。
覚悟はありますか?
翔王(とわ)
恋愛
私は王太子の婚約者として10年以上すぎ、王太子妃教育も終わり、学園卒業後に結婚し王妃教育が始まる間近に1人の令嬢が発した言葉で王族貴族社会が荒れた……。
「あたし、王太子妃になりたいんですぅ。」
ご都合主義な創作作品です。
異世界版ギャル風な感じの話し方も混じりますのでご了承ください。
恋愛カテゴリーにしてますが、恋愛要素は薄めです。
【完結】え?今になって婚約破棄ですか?私は構いませんが大丈夫ですか?
ゆうぎり
恋愛
カリンは幼少期からの婚約者オリバーに学園で婚約破棄されました。
卒業3か月前の事です。
卒業後すぐの結婚予定で、既に招待状も出し終わり済みです。
もちろんその場で受け入れましたよ。一向に構いません。
カリンはずっと婚約解消を願っていましたから。
でも大丈夫ですか?
婚約破棄したのなら既に他人。迷惑だけはかけないで下さいね。
※ゆるゆる設定です
※軽い感じで読み流して下さい
婚約者が妹と結婚したいと言ってきたので、私は身を引こうと決めました
日下奈緒
恋愛
アーリンは皇太子・クリフと婚約をし幸せな生活をしていた。
だがある日、クリフが妹のセシリーと結婚したいと言ってきた。
もしかして、婚約破棄⁉
『外見しか見なかったあなたへ。私はもう、選ぶ側です』
鷹 綾
恋愛
「お前のようなガキは嫌いだ」
幼く見える容姿を理由に、婚約者ライオネルから一方的に婚約を破棄された
公爵令嬢シルフィーネ・エルフィンベルク。
その夜、嫉妬に狂った伯爵令嬢に突き落とされ、
彼女は一年もの間、意識不明の重体に陥る――。
目を覚ました彼女は、大人びた美貌を手に入れていた。
だが、中身は何ひとつ変わっていない。
にもかかわらず、
かつて彼女を「幼すぎる」と切り捨てた元婚約者は態度を一変させ、
「やり直したい」とすり寄ってくる。
「見かけが変わっても、中身は同じです。
それでもあなたは、私の外見しか見ていなかったのですね?」
静かにそう告げ、シルフィーネは過去を見限る。
やがて彼女に興味を示したのは、
隣国ノルディアの王太子エドワルド。
彼が見ていたのは、美貌ではなく――
対話し、考え、異論を述べる彼女の“在り方”だった。
これは、
外見で価値を決められた令嬢が、
「選ばれる人生」をやめ、
自分の意思で未来を選び直す物語。
静かなざまぁと、
対等な関係から始まる大人の恋。
そして――
自分の人生を、自分の言葉で生きるための物語。
---
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる