『婚約破棄?結構ですわ。わたくしは何もしないで生きていきます』

鷹 綾

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第八話 社交界から距離を置くという選択

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第八話 社交界から距離を置くという選択

 昼まで眠る生活が、三日ほど続いた頃だった。

 リュシエンヌ・フォン・ヴァイセルは、ようやく自分の周囲に、微妙な変化が起きていることに気づいた。
 それは王宮の混乱ではない。
 もっと身近で、静かな――社交界の反応だった。

 最初に届いたのは、丁寧に飾られた封筒だった。

「……お茶会の招待状、ですわね」

 差出人は、王都でも指折りの名門伯爵家。
 文面はあくまで柔らかく、あくまで“気遣い”の体裁を取っている。

――突然の出来事で、お心を痛めておられることでしょう。
――よろしければ、気晴らしに。

 読み終えたリュシエンヌは、静かに封筒を閉じた。

「……お気遣い、ありがとうございます」

 だが、返事は書かない。

 ほどなくして、二通目、三通目と招待状が続く。
 舞踏会。
 晩餐会。
 小規模な集まり。

 どれも、表向きは“心配”を装いながら、その実――

(様子見、ですわね)

 泣いているのか。
 怒っているのか。
 それとも、まだ利用価値があるのか。

 社交界とは、そういう場所だ。
 善意と好奇心と打算が、綺麗に混ざり合っている。

 侍女が、遠慮がちに尋ねてくる。

「……いかがなさいますか?」

 その問いに、リュシエンヌは少し考えた。

 行こうと思えば、行ける。
 微笑みを浮かべ、無難な会話を交わし、同情を受け、噂を制御することも可能だ。

 それを、これまで何百回とやってきた。

 だが――

「すべて、お断りしてください」

 きっぱりと告げる。

「理由は……」

「『気分が乗りませんの』で、結構ですわ」

 侍女は一瞬、目を見開いた。
 あまりにも、簡素な理由。

「それで……よろしいのですか?」

「ええ。十分です」

 リュシエンヌは、紅茶を一口飲みながら続ける。

「社交界は、義務ではありませんもの。
 参加しない自由も、ございますわ」

 それは、彼女が王宮にいた頃には、決して口にしなかった言葉だった。

 結果は、すぐに現れた。

「……最近、ヴァイセル公爵令嬢、まったく姿を見せませんわね」

「やはり、相当堪えているのでは?」

「それとも……怒っている?」

 憶測が、噂を呼ぶ。
 だが、どれも的外れだった。

 本人はというと、庭で日向ぼっこをしていた。

(……静かですわ)

 社交界から距離を置くと、世界は驚くほど静かになる。
 誰も、自分の感情を測ろうとしない。
 誰も、立場を確認しようとしない。

 午後、父であるヴァイセル公爵が声をかけてきた。

「……招待状が、相当数届いているそうだな」

「ええ」

「すべて断ったとか」

「はい」

 公爵は、少しだけ考えるような間を置いたあと、言った。

「それで、不利になることもある」

 忠告だ。
 だが、脅しではない。

 リュシエンヌは頷く。

「承知していますわ」

「それでも、断るのか」

「ええ」

 迷いはなかった。

「今のわたくしにとって、社交は“必要な仕事”ではありませんもの」

 その言葉に、公爵はふっと口元を緩めた。

「……そうだな」

 それ以上、何も言わない。
 止めない。
 指示しない。

 それが、最大の信頼だった。

 夕方。
 屋敷に、噂話が届く。

「……王宮では、
 『ヴァイセル公爵令嬢が完全に引きこもった』
 と話題になっているそうです」

 侍女の報告に、リュシエンヌは少しだけ笑った。

「引きこもり、ですか」

 否定もしない。
 訂正もしない。

「好きに言わせておきましょう」

 説明する義務も、誤解を解く責任もない。

 社交界は、情報がなければ勝手に想像する。
 そして、想像が膨らめば膨らむほど、
 現実との乖離は大きくなる。

 ――それでいい。

(距離を置く、というのは……)

 リュシエンヌは、窓の外を眺めながら思う。

(関係を断つことではなく、
 相手の期待を引き受けない、ということなのですね)

 夜、再び招待状が届いたが、開封もせずに返した。

 その封筒の山を見て、リュシエンヌは確信する。

 自分が社交界から姿を消したことで、
 人々は“安心”ではなく、“不安”を覚えている。

 それは、彼女が
 ただの飾りではなかった証拠でもあった。

 だが――

「わたくしは、もう戻りませんわ」

 静かに呟き、明かりを落とす。

 社交界から距離を置くという選択は、
 彼女を孤立させるどころか、
 かえって存在を際立たせ始めていた。

 そしてその事実に、
 彼女自身だけが、まだ気づいていなかった。
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