婚約破棄されるはずでしたが、王太子の目の前で皇帝に攫われました』

鷹 綾

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第16話 過去は、謝罪の形でやって来る

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第16話 過去は、謝罪の形でやって来る

 その知らせは、朝の執務が始まる前に届いた。

 皇城の回廊を歩いていると、女官長が足早に近づいてきた。
 いつもなら乱れない呼吸が、わずかに早い。

「ビアンキーナ様」

「何かありましたか」

「……王国より、正式な使節が到着しております」

 足が、ほんの一瞬だけ止まりかけた。

(……来た)

 思っていたより、早い。

「目的は?」

 自分でも驚くほど、声は平静だった。

「帝国との関係改善――と、
 あなたに関する件でございます」

 胸の奥が、静かに鳴った。

 戻ってこい、と言われるのだろうか。
 それとも、形だけの謝罪か。

(……どちらでも、同じね)

 女官長は、私の反応を窺うように続けた。

「陛下は、謁見の場に
 あなたも同席するよう仰せです」

 それは、命令ではない。
 だが、意味は明白だった。

(……もう、“当事者”なのね)

 私は、小さく頷いた。

「分かりました」

 謁見の間は、いつもよりも静かだった。

 帝国側は、皇帝と数名の重臣のみ。
 対する王国側は、使節団長、外交官、そして――
 見覚えのある顔。

(……大臣)

 かつて、王太子の側近として動いていた男だ。

 視線が、こちらに向けられる。
 一瞬、動揺が走ったのが、はっきりと分かった。

(……予想してなかった、わね)

 皇帝が、低く告げる。

「始めよ」

 使節団長が、一歩前に出た。

「このたびは、
 我が国の不手際により、
 多大なご迷惑をおかけしました」

 形式的な謝罪。
 だが、声は固い。

「特に――」

 言葉が、一瞬だけ詰まる。

「アヴェンタドール公爵令嬢、
 ビアンキーナ様に対する扱いについて」

 場の空気が、張り詰める。

(……名指し、ね)

 皇帝は、黙って聞いている。
 視線は、使節団長から外さない。

「王太子の軽率な言動、
 そして、その後の不十分な対応」

 “軽率”。
 ずいぶん、柔らかい言葉を選んだものだ。

「王国として、
 深く反省しております」

 沈黙。

 誰も、すぐには口を開かなかった。

 やがて、皇帝が私の方を見た。

「……どう思う」

 短い問い。

 だが、その一言で、立場がはっきりする。

(……私が、答える)

 私は、一歩前に出た。

 使節団長と、正面から視線がぶつかる。

「反省している、とのことですが」

 声は、落ち着いていた。

「具体的に、
 何を反省しているのでしょうか」

 ざわり、と空気が揺れる。

 使節団長は、一瞬言葉に詰まった。

「……それは」

 助け舟を出すように、
 例の大臣が口を挟む。

「殿下の未熟さ――」

「いいえ」

 私は、静かに遮った。

 自分でも、驚くほどはっきりとした声だった。

「未熟さではありません」

 場が、完全に静まり返る。

「選択です」

 一語、一語、確かめるように言う。

「守るか、守らないか」
「言葉を選ぶか、侮辱するか」

「それらは、
 その場で選ばれた結果です」

 大臣の顔色が、変わる。

「……結果を、
 未熟という言葉で曖昧にしないでください」

 使節団長が、深く頭を下げた。

「……ごもっともです」

 皇帝が、低く言う。

「王国は、何を求めて来た」

 核心。

 使節団長は、息を整え、答えた。

「帝国との関係改善」
「そして……」

 一瞬、躊躇う。

「ビアンキーナ様の、
 ご意思の確認です」

 つまり――
 戻る気があるのか、という確認。

(……やっぱり)

 私は、皇帝を一度だけ見た。

 視線が合い、
 何も言われなくても、理解する。

(答えるのは、私)

 私は、ゆっくりと口を開いた。

「王国には、
 もう戻る理由がありません」

 はっきりとした拒絶。

「私は、
 帝国で新しい立場を得ています」

 使節団長が、思わず顔を上げる。

「それは……
 あくまで一時的な保護では?」

「いいえ」

 即答だった。

「私は、
 自分の意思で、ここに立っています」

 それは、宣言だった。

「王国で失ったのは、
 居場所ではありません」

 少しだけ、間を置く。

「信頼です」

 その言葉が、重く落ちる。

「信頼のない場所に、
 戻ることはできません」

 皇帝が、静かに言った。

「聞いたな」

 使節団長に向けて。

「これが、当事者の答えだ」

 使節団長は、深く、深く頭を下げた。

「……承知しました」

 謁見が終わり、
 王国側が退室していく。

 最後に、例の大臣が振り返った。

 一瞬、私と目が合う。

 だが、すぐに視線を逸らした。

(……もう、終わりね)

 廊下に出ると、
 張り詰めていた空気が、ようやく緩む。

 私は、静かに息を吐いた。

「……大丈夫か」

 皇帝の声。

「はい」

 正直だった。

「もう、揺れません」

 皇帝は、短く頷いた。

「なら、十分だ」

 その言葉に、胸の奥が温かくなる。

(……過去は、来た)

 だが、
 私を引き戻す力は、もうない。

 過去は、
 外交文書の一項目として処理された。

 それが、
 私が前に進んだ証だった。


---

これで第16話は、

王国側の正式接触

ヒロインが“当事者として答える”構図

過去との決別の明文化


をしっかり描いています。
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