働かない令嬢は、すでに幸せです  ――婚約破棄? それより紅茶の時間をください

鷹 綾

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第2話 その後悔、私には関係ありません

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第2話 その後悔、私には関係ありません

 翌朝。
 柔らかな陽射しがカーテン越しに差し込み、私――レイラ・フォン・アーデルハイドは、久しぶりに「よく眠れた」と思えた。

 前世では考えられないことだ。
 目覚ましに叩き起こされることもなく、出勤時間を逆算して焦る必要もない。
 ここは公爵家の自室。
 そして私は――もう王太子の婚約者ではない。

「……最高では?」

 思わず小さく呟いたところで、ノックの音がした。

「お嬢様、失礼いたします」

 入ってきたのは、侍女のマーガレットだ。
 いつもより、どこか様子がおかしい。落ち着かないというか、妙に慎重というか。

「体調はいかがでしょうか? お加減が悪ければ、朝食は後ほどでも……」

「大丈夫よ。むしろ、ここ数年で一番すっきりしてるわ」

 そう答えると、マーガレットは一瞬、言葉を失った。

「……あの、お嬢様」

「なに?」

「本日、王宮より……使いの者が参っております」

 その言葉に、私の中で警戒心が一ミリも湧かなかったことに、自分で驚いた。

「ふぅん。で?」

「で……と申しますと……」

 困惑するマーガレットを見て、私は察する。

「ああ、王太子殿下?」

「……はい」

 やっぱり。
 まあ、そうだろう。昨日あれだけ堂々と婚約破棄しておいて、何もなしというほうが不自然だ。

 でも。

「追い返していいわよ」

「……え?」

 マーガレットが固まる。

「体調不良って言って。あと、“当面は静養するので面会は控える”って」

「よ、よろしいのですか……? 相手は王太子殿下ですが……」

「だから何?」

 つい素で返してしまった。

 マーガレットは目を丸くし、慌てて口を閉じる。

「失礼いたしました……!」

 私はため息をひとつ。

「いい? マーガレット。婚約は破棄されたの。
 もう私は“気を遣う立場”じゃないのよ」

 王太子の機嫌を取る必要も、立場を守るために微笑む必要もない。

 それに何より。

「私、もう働きたくないの」

 前世の記憶がはっきりと残っている今、それは冗談でも逃げでもなかった。

 会議、調整、責任、謝罪、尻拭い。
 やってもやっても終わらない仕事。

 それを“王太子妃”という名の檻で、もう一度やれと言われたら――たぶん、今度こそ壊れる。

「……承知いたしました」

 マーガレットは深く一礼し、部屋を出ていった。

 私はベッドに腰かけたまま、ぼんやりと窓の外を見る。
 庭では、使用人たちがいつも通り動いている。
 何も変わらない朝だ。

 ――変わったのは、私の立場だけ。

 しばらくして、今度は執事のロバートがやってきた。

「お嬢様、少々よろしいでしょうか」

「ええ、どうぞ」

 彼は白い手袋を外し、少し言いにくそうに口を開く。

「王太子殿下より……直接のお手紙が届いております」

 差し出された封筒には、見慣れた王家の紋章。

 開ける気は、まったく起きなかった。

「要点だけ教えて」

「……“昨日の件について、誤解があった。
 改めて話す機会が欲しい”とのことです」

「誤解、ね」

 思わず乾いた笑いが漏れる。

 誤解で婚約破棄?
 便利な言葉だ。

「あと……“感情的な判断だった”とも」

「ふぅん」

 つまり、後悔しているのだろう。
 周囲の反応を見て、立場が危うくなったことに気づいたか。

 でも。

「ロバート。返事はいらないわ」

「……よろしいのですか?」

「ええ。沈黙が一番分かりやすいでしょう」

 私は静かに立ち上がり、窓辺へ向かう。

「私の人生から、王太子殿下はもう退場したの。
 わざわざ引き戻す必要なんて、ないわ」

 ロバートは一瞬、何か言いたそうにしたが、やがて深く頭を下げた。

「……承知いたしました。
 では、王宮にはその旨を――」

「体調不良で」

 即答する。

「“お嬢様は静養中”で統一して」

 ロバートの口元が、わずかに緩んだ。

「かしこまりました」

 彼が去ったあと、私はソファに身を沈める。

 婚約破棄。
 王太子の後悔。
 社交界の噂。

 普通なら、ここで感情が荒れるのだろう。
 悲しみ、怒り、復讐心。

 でも、私の中にあったのは――ただ一つ。

「……静かで、いいわね」

 心が、驚くほど穏やかだった。

 誰かを見返すために生きる必要もない。
 誰かの期待に応えるために無理をする必要もない。

 私は、私のために生きる。

「とりあえず……今日は紅茶と読書ね」

 そう呟き、私はベルを鳴らした。

 この選択が、
 王太子にとってどれほど残酷な“無関心”になるのか――

 そのことを、彼が思い知るのは、もう少し先の話である。
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