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第12話 平穏は、油断した頃に壊れる
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第12話 平穏は、油断した頃に壊れる
――視察が終わって三日。
私は久しぶりに、何の予定もない朝を迎えていた。
「今日は何もありません」
マーガレットが、はっきりと言う。
「会議も?」 「ありません」 「報告も?」 「ありません」 「急ぎの判断案件は?」 「奇跡的に、ありません」
私は深く息を吸った。
「……勝ったわね」
この世界に転生して以来、最も尊い瞬間かもしれない。
庭のテラスで紅茶を飲み、焼き菓子をつまみ、何も考えない。
領地は回っている。
王宮は帰った。
王太子は寄ってこない。
完璧だ。
――そう思った、まさにその時。
「お嬢様!」
マーガレットが、珍しく駆け込んできた。
「……来たわね」
「はい。来ました」
何が、とは聞かなかった。
こういうときは、大体ひとつしかない。
「どこから?」
「王宮です」
やっぱり。
「今回は、どんな名目?」
「……“確認”です」
嫌な単語だった。
応接室に通されたのは、見覚えのない男だった。
三十代半ば。整った身なり。笑顔が、少し硬い。
「はじめまして、レイラ・フォン・アーデルハイド殿」
丁寧な礼。
「私は王宮行政院所属、アレク・ヴァレンティと申します」
名前を聞いた瞬間、父の眉がわずかに動いた。
(あ、面倒な人だ)
直感がそう告げている。
「先日の視察、大変興味深く拝見しました」
「それはどうも」
「ですが……一点だけ、どうしても確認したく」
来た。
「“もしも”の話です」
彼は穏やかな声で続ける。
「もし、現場の判断が致命的な失敗を招いた場合――
その最終責任は、どなたが負うのでしょう?」
空気が、わずかに張り詰めた。
私は、紅茶を一口飲む。
「判断した本人です」
「なるほど」
アレクは頷く。
「では、その判断を許可したのは?」
「許可していません」
即答。
「各自が判断しています」
彼は、少しだけ目を細めた。
「つまり――責任の所在が分散している」
「いいえ」
私は首を振る。
「集約されています」
「どこに?」
私は、テーブルに指先を置いた。
「結果に対して、説明できる人間にです」
一瞬、沈黙。
アレクはゆっくりと息を吐いた。
「……非常に危うい考え方ですね」
「そうかしら」
私は微笑む。
「“上が全部決めて、下が従う”ほうが、よほど危ういと思うけれど」
父が、静かに口を挟んだ。
「それに、最終的な政治責任は私が取る」
アレクは一礼した。
「公爵閣下のお考え、承知しました」
だが、その視線は、私から離れない。
「ですが――」
彼は、最後にこう言った。
「レイラ嬢。あなたのやり方は、“善意で成り立つ世界”でしか機能しません」
……ああ。
やっぱり、この人は。
「善意がなくなった瞬間、崩れます」
私は、少しだけ真剣になった。
「だから?」
「だから、王宮としては――」
彼は言葉を選ぶ。
「あなたが“何もしない”ことを、これ以上“前例”にされたくない」
つまり。
――釘を刺しに来た。
私は、ゆっくりと椅子にもたれた。
「安心してください」
静かに、しかしはっきりと言う。
「私は、他人に真似させる気なんてありません」
アレクは驚いた顔をした。
「これは、私が楽をするための方法ですもの」
その言葉に、父が小さく笑った。
アレクは数秒沈黙し、やがて苦笑した。
「……理解しました」
立ち上がり、丁寧に頭を下げる。
「本日は、確認だけです。これ以上、介入はしません」
彼が去ったあと、私は大きく息を吐いた。
「……平穏って、長く続かないわね」
マーガレットが、そっと紅茶を差し出す。
「ですが、お嬢様」
「なに?」
「“何もしない”を守るために、“守らなければならない一線”も、見えてきました」
私は、カップを受け取り、頷いた。
「ええ。どうやら――」
一口、飲む。
「完全放置は、そろそろ卒業かもしれないわね」
それは、敗北ではない。
ただの調整だ。
働かないために、守るべき最低限が増えただけ。
私はまだ、働くつもりはない。
――ただし。
本当に厄介なものから、
この平穏を守るためなら、話は別だ。
――視察が終わって三日。
私は久しぶりに、何の予定もない朝を迎えていた。
「今日は何もありません」
マーガレットが、はっきりと言う。
「会議も?」 「ありません」 「報告も?」 「ありません」 「急ぎの判断案件は?」 「奇跡的に、ありません」
私は深く息を吸った。
「……勝ったわね」
この世界に転生して以来、最も尊い瞬間かもしれない。
庭のテラスで紅茶を飲み、焼き菓子をつまみ、何も考えない。
領地は回っている。
王宮は帰った。
王太子は寄ってこない。
完璧だ。
――そう思った、まさにその時。
「お嬢様!」
マーガレットが、珍しく駆け込んできた。
「……来たわね」
「はい。来ました」
何が、とは聞かなかった。
こういうときは、大体ひとつしかない。
「どこから?」
「王宮です」
やっぱり。
「今回は、どんな名目?」
「……“確認”です」
嫌な単語だった。
応接室に通されたのは、見覚えのない男だった。
三十代半ば。整った身なり。笑顔が、少し硬い。
「はじめまして、レイラ・フォン・アーデルハイド殿」
丁寧な礼。
「私は王宮行政院所属、アレク・ヴァレンティと申します」
名前を聞いた瞬間、父の眉がわずかに動いた。
(あ、面倒な人だ)
直感がそう告げている。
「先日の視察、大変興味深く拝見しました」
「それはどうも」
「ですが……一点だけ、どうしても確認したく」
来た。
「“もしも”の話です」
彼は穏やかな声で続ける。
「もし、現場の判断が致命的な失敗を招いた場合――
その最終責任は、どなたが負うのでしょう?」
空気が、わずかに張り詰めた。
私は、紅茶を一口飲む。
「判断した本人です」
「なるほど」
アレクは頷く。
「では、その判断を許可したのは?」
「許可していません」
即答。
「各自が判断しています」
彼は、少しだけ目を細めた。
「つまり――責任の所在が分散している」
「いいえ」
私は首を振る。
「集約されています」
「どこに?」
私は、テーブルに指先を置いた。
「結果に対して、説明できる人間にです」
一瞬、沈黙。
アレクはゆっくりと息を吐いた。
「……非常に危うい考え方ですね」
「そうかしら」
私は微笑む。
「“上が全部決めて、下が従う”ほうが、よほど危ういと思うけれど」
父が、静かに口を挟んだ。
「それに、最終的な政治責任は私が取る」
アレクは一礼した。
「公爵閣下のお考え、承知しました」
だが、その視線は、私から離れない。
「ですが――」
彼は、最後にこう言った。
「レイラ嬢。あなたのやり方は、“善意で成り立つ世界”でしか機能しません」
……ああ。
やっぱり、この人は。
「善意がなくなった瞬間、崩れます」
私は、少しだけ真剣になった。
「だから?」
「だから、王宮としては――」
彼は言葉を選ぶ。
「あなたが“何もしない”ことを、これ以上“前例”にされたくない」
つまり。
――釘を刺しに来た。
私は、ゆっくりと椅子にもたれた。
「安心してください」
静かに、しかしはっきりと言う。
「私は、他人に真似させる気なんてありません」
アレクは驚いた顔をした。
「これは、私が楽をするための方法ですもの」
その言葉に、父が小さく笑った。
アレクは数秒沈黙し、やがて苦笑した。
「……理解しました」
立ち上がり、丁寧に頭を下げる。
「本日は、確認だけです。これ以上、介入はしません」
彼が去ったあと、私は大きく息を吐いた。
「……平穏って、長く続かないわね」
マーガレットが、そっと紅茶を差し出す。
「ですが、お嬢様」
「なに?」
「“何もしない”を守るために、“守らなければならない一線”も、見えてきました」
私は、カップを受け取り、頷いた。
「ええ。どうやら――」
一口、飲む。
「完全放置は、そろそろ卒業かもしれないわね」
それは、敗北ではない。
ただの調整だ。
働かないために、守るべき最低限が増えただけ。
私はまだ、働くつもりはない。
――ただし。
本当に厄介なものから、
この平穏を守るためなら、話は別だ。
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