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第13話 最低限の仕事は、最も面倒である
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第13話 最低限の仕事は、最も面倒である
王宮の使者――アレク・ヴァレンティが帰ってから、屋敷は再び静けさを取り戻した。
……表向きは。
「お嬢様、こちらが“最低限リスト”です」
マーガレットが差し出した書類の束は、最低限という言葉に反して、分厚かった。
「……これ、最低限?」
「王宮側が“これだけは明文化してほしい”と指定してきた範囲です」
私は、机に突っ伏した。
「もうちょっとこう……最低限って、三行くらいじゃない?」
「三行だと、“不誠実”だそうです」
面倒くさい。
だが、アレクの言葉は的外れではなかった。
善意だけで回っている組織は、外から見れば「危うい」。
だからこそ、彼らは“形”を欲しがる。
「つまり――」
私は顔を上げる。
「実態は変えず、書類だけ整えろって話ね」
「はい」
マーガレットは頷いた。
「お嬢様が直接指示しないこと、現場判断を尊重すること、それ自体は問題にされていません。ただ……」
「“責任の所在”ね」
「はい」
私は椅子に深く腰掛け、天井を仰いだ。
働かないために、働かなければならない。
人生って、理不尽だ。
「……わかったわ」
私は書類を引き寄せる。
「“私が判断した場合のみ、私が責任を取る”。それ以外は、判断者が説明責任を負う」
「それだと、皆さん萎縮しませんか?」
「しないわ」
私は即答した。
「説明できない判断をする人は、最初から判断しないもの」
マーガレットは、少し安心したように微笑んだ。
「では、その方針で文書を整えます」
「お願い」
その日の午後、私は久しぶりに“仕事らしい仕事”をした。
――と言っても、内容はほとんど確認と署名だけ。
現場から上がってくる報告書を読み、
「これは良い」「これは一度止めよう」と線を引き、
理由を書き添える。
不思議なことに、これまで私が“何もしなかった”ことで育った人材は、説明がとても上手だった。
「理由が明確だわ……」
前世の会議を思い出す。
意味のない資料。
責任の押し付け合い。
誰も決めない空気。
それに比べれば、今はずっと健全だ。
「お嬢様」
夕方、執事ロバートがやってきた。
「先ほどの文書、王宮側に送付しました」
「反応は?」
「……早いです」
嫌な予感。
「どうぞ」
差し出された追加書簡。
要約すると、こうだ。
――“明文化された以上、視察を行う”。
「……は?」
思わず声が出た。
「視察?」
「はい。“制度確認のための定期視察”だそうで」
私は額を押さえた。
「定期?」
「初回は、一か月後」
……やってくれる。
アレク・ヴァレンティ。
あなた、仕事熱心すぎるのよ。
「つまり――」
私は考える。
「視察が来るということは、“形”を見せなきゃいけない」
「はい」
「でも、現場を縛るのは嫌」
「はい」
「そして、私は働きたくない」
「……はい」
マーガレットが、慎重に頷いた。
私は、ゆっくりと笑った。
「じゃあ、逆ね」
「逆?」
「視察用の“形”を、先に作る」
机に指を叩く。
「現場とは切り離した、“見せるためだけの制度”」
ロバートが目を見開いた。
「それは……」
「現場には影響ゼロ。王宮は安心。私は静か」
完璧だ。
「……それ、怒られませんか?」
「怒られる理由がないように作るの」
私は立ち上がる。
「名付けましょう。“暫定運用確認枠”」
マーガレットが、吹き出しそうになるのを必死でこらえた。
「お嬢様……その名前」
「文句ある?」
「いえ、とてもそれっぽいです」
その日の夜。
私は久しぶりに、満足して眠りについた。
最低限の仕事は終わった。
面倒は増えたが、制御できる。
何より――
(私は、まだ働いていない)
これは防御だ。
平穏を守るための、最小限の動き。
復讐でも、野心でもない。
ただ、静かに生きるための知恵。
だが――
この“形だけの制度”が、
思わぬ場所で注目されることを、
この時の私は、まだ知らなかった。
平穏は守った。
だが同時に、
新たな波の種も、蒔いてしまったのだから。
王宮の使者――アレク・ヴァレンティが帰ってから、屋敷は再び静けさを取り戻した。
……表向きは。
「お嬢様、こちらが“最低限リスト”です」
マーガレットが差し出した書類の束は、最低限という言葉に反して、分厚かった。
「……これ、最低限?」
「王宮側が“これだけは明文化してほしい”と指定してきた範囲です」
私は、机に突っ伏した。
「もうちょっとこう……最低限って、三行くらいじゃない?」
「三行だと、“不誠実”だそうです」
面倒くさい。
だが、アレクの言葉は的外れではなかった。
善意だけで回っている組織は、外から見れば「危うい」。
だからこそ、彼らは“形”を欲しがる。
「つまり――」
私は顔を上げる。
「実態は変えず、書類だけ整えろって話ね」
「はい」
マーガレットは頷いた。
「お嬢様が直接指示しないこと、現場判断を尊重すること、それ自体は問題にされていません。ただ……」
「“責任の所在”ね」
「はい」
私は椅子に深く腰掛け、天井を仰いだ。
働かないために、働かなければならない。
人生って、理不尽だ。
「……わかったわ」
私は書類を引き寄せる。
「“私が判断した場合のみ、私が責任を取る”。それ以外は、判断者が説明責任を負う」
「それだと、皆さん萎縮しませんか?」
「しないわ」
私は即答した。
「説明できない判断をする人は、最初から判断しないもの」
マーガレットは、少し安心したように微笑んだ。
「では、その方針で文書を整えます」
「お願い」
その日の午後、私は久しぶりに“仕事らしい仕事”をした。
――と言っても、内容はほとんど確認と署名だけ。
現場から上がってくる報告書を読み、
「これは良い」「これは一度止めよう」と線を引き、
理由を書き添える。
不思議なことに、これまで私が“何もしなかった”ことで育った人材は、説明がとても上手だった。
「理由が明確だわ……」
前世の会議を思い出す。
意味のない資料。
責任の押し付け合い。
誰も決めない空気。
それに比べれば、今はずっと健全だ。
「お嬢様」
夕方、執事ロバートがやってきた。
「先ほどの文書、王宮側に送付しました」
「反応は?」
「……早いです」
嫌な予感。
「どうぞ」
差し出された追加書簡。
要約すると、こうだ。
――“明文化された以上、視察を行う”。
「……は?」
思わず声が出た。
「視察?」
「はい。“制度確認のための定期視察”だそうで」
私は額を押さえた。
「定期?」
「初回は、一か月後」
……やってくれる。
アレク・ヴァレンティ。
あなた、仕事熱心すぎるのよ。
「つまり――」
私は考える。
「視察が来るということは、“形”を見せなきゃいけない」
「はい」
「でも、現場を縛るのは嫌」
「はい」
「そして、私は働きたくない」
「……はい」
マーガレットが、慎重に頷いた。
私は、ゆっくりと笑った。
「じゃあ、逆ね」
「逆?」
「視察用の“形”を、先に作る」
机に指を叩く。
「現場とは切り離した、“見せるためだけの制度”」
ロバートが目を見開いた。
「それは……」
「現場には影響ゼロ。王宮は安心。私は静か」
完璧だ。
「……それ、怒られませんか?」
「怒られる理由がないように作るの」
私は立ち上がる。
「名付けましょう。“暫定運用確認枠”」
マーガレットが、吹き出しそうになるのを必死でこらえた。
「お嬢様……その名前」
「文句ある?」
「いえ、とてもそれっぽいです」
その日の夜。
私は久しぶりに、満足して眠りについた。
最低限の仕事は終わった。
面倒は増えたが、制御できる。
何より――
(私は、まだ働いていない)
これは防御だ。
平穏を守るための、最小限の動き。
復讐でも、野心でもない。
ただ、静かに生きるための知恵。
だが――
この“形だけの制度”が、
思わぬ場所で注目されることを、
この時の私は、まだ知らなかった。
平穏は守った。
だが同時に、
新たな波の種も、蒔いてしまったのだから。
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2024年12月追記
お読みいただき、ありがとうございます。
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