12 / 40
第12話 平穏は、油断した頃に壊れる
しおりを挟む
第12話 平穏は、油断した頃に壊れる
――視察が終わって三日。
私は久しぶりに、何の予定もない朝を迎えていた。
「今日は何もありません」
マーガレットが、はっきりと言う。
「会議も?」 「ありません」 「報告も?」 「ありません」 「急ぎの判断案件は?」 「奇跡的に、ありません」
私は深く息を吸った。
「……勝ったわね」
この世界に転生して以来、最も尊い瞬間かもしれない。
庭のテラスで紅茶を飲み、焼き菓子をつまみ、何も考えない。
領地は回っている。
王宮は帰った。
王太子は寄ってこない。
完璧だ。
――そう思った、まさにその時。
「お嬢様!」
マーガレットが、珍しく駆け込んできた。
「……来たわね」
「はい。来ました」
何が、とは聞かなかった。
こういうときは、大体ひとつしかない。
「どこから?」
「王宮です」
やっぱり。
「今回は、どんな名目?」
「……“確認”です」
嫌な単語だった。
応接室に通されたのは、見覚えのない男だった。
三十代半ば。整った身なり。笑顔が、少し硬い。
「はじめまして、レイラ・フォン・アーデルハイド殿」
丁寧な礼。
「私は王宮行政院所属、アレク・ヴァレンティと申します」
名前を聞いた瞬間、父の眉がわずかに動いた。
(あ、面倒な人だ)
直感がそう告げている。
「先日の視察、大変興味深く拝見しました」
「それはどうも」
「ですが……一点だけ、どうしても確認したく」
来た。
「“もしも”の話です」
彼は穏やかな声で続ける。
「もし、現場の判断が致命的な失敗を招いた場合――
その最終責任は、どなたが負うのでしょう?」
空気が、わずかに張り詰めた。
私は、紅茶を一口飲む。
「判断した本人です」
「なるほど」
アレクは頷く。
「では、その判断を許可したのは?」
「許可していません」
即答。
「各自が判断しています」
彼は、少しだけ目を細めた。
「つまり――責任の所在が分散している」
「いいえ」
私は首を振る。
「集約されています」
「どこに?」
私は、テーブルに指先を置いた。
「結果に対して、説明できる人間にです」
一瞬、沈黙。
アレクはゆっくりと息を吐いた。
「……非常に危うい考え方ですね」
「そうかしら」
私は微笑む。
「“上が全部決めて、下が従う”ほうが、よほど危ういと思うけれど」
父が、静かに口を挟んだ。
「それに、最終的な政治責任は私が取る」
アレクは一礼した。
「公爵閣下のお考え、承知しました」
だが、その視線は、私から離れない。
「ですが――」
彼は、最後にこう言った。
「レイラ嬢。あなたのやり方は、“善意で成り立つ世界”でしか機能しません」
……ああ。
やっぱり、この人は。
「善意がなくなった瞬間、崩れます」
私は、少しだけ真剣になった。
「だから?」
「だから、王宮としては――」
彼は言葉を選ぶ。
「あなたが“何もしない”ことを、これ以上“前例”にされたくない」
つまり。
――釘を刺しに来た。
私は、ゆっくりと椅子にもたれた。
「安心してください」
静かに、しかしはっきりと言う。
「私は、他人に真似させる気なんてありません」
アレクは驚いた顔をした。
「これは、私が楽をするための方法ですもの」
その言葉に、父が小さく笑った。
アレクは数秒沈黙し、やがて苦笑した。
「……理解しました」
立ち上がり、丁寧に頭を下げる。
「本日は、確認だけです。これ以上、介入はしません」
彼が去ったあと、私は大きく息を吐いた。
「……平穏って、長く続かないわね」
マーガレットが、そっと紅茶を差し出す。
「ですが、お嬢様」
「なに?」
「“何もしない”を守るために、“守らなければならない一線”も、見えてきました」
私は、カップを受け取り、頷いた。
「ええ。どうやら――」
一口、飲む。
「完全放置は、そろそろ卒業かもしれないわね」
それは、敗北ではない。
ただの調整だ。
働かないために、守るべき最低限が増えただけ。
私はまだ、働くつもりはない。
――ただし。
本当に厄介なものから、
この平穏を守るためなら、話は別だ。
――視察が終わって三日。
私は久しぶりに、何の予定もない朝を迎えていた。
「今日は何もありません」
マーガレットが、はっきりと言う。
「会議も?」 「ありません」 「報告も?」 「ありません」 「急ぎの判断案件は?」 「奇跡的に、ありません」
私は深く息を吸った。
「……勝ったわね」
この世界に転生して以来、最も尊い瞬間かもしれない。
庭のテラスで紅茶を飲み、焼き菓子をつまみ、何も考えない。
領地は回っている。
王宮は帰った。
王太子は寄ってこない。
完璧だ。
――そう思った、まさにその時。
「お嬢様!」
マーガレットが、珍しく駆け込んできた。
「……来たわね」
「はい。来ました」
何が、とは聞かなかった。
こういうときは、大体ひとつしかない。
「どこから?」
「王宮です」
やっぱり。
「今回は、どんな名目?」
「……“確認”です」
嫌な単語だった。
応接室に通されたのは、見覚えのない男だった。
三十代半ば。整った身なり。笑顔が、少し硬い。
「はじめまして、レイラ・フォン・アーデルハイド殿」
丁寧な礼。
「私は王宮行政院所属、アレク・ヴァレンティと申します」
名前を聞いた瞬間、父の眉がわずかに動いた。
(あ、面倒な人だ)
直感がそう告げている。
「先日の視察、大変興味深く拝見しました」
「それはどうも」
「ですが……一点だけ、どうしても確認したく」
来た。
「“もしも”の話です」
彼は穏やかな声で続ける。
「もし、現場の判断が致命的な失敗を招いた場合――
その最終責任は、どなたが負うのでしょう?」
空気が、わずかに張り詰めた。
私は、紅茶を一口飲む。
「判断した本人です」
「なるほど」
アレクは頷く。
「では、その判断を許可したのは?」
「許可していません」
即答。
「各自が判断しています」
彼は、少しだけ目を細めた。
「つまり――責任の所在が分散している」
「いいえ」
私は首を振る。
「集約されています」
「どこに?」
私は、テーブルに指先を置いた。
「結果に対して、説明できる人間にです」
一瞬、沈黙。
アレクはゆっくりと息を吐いた。
「……非常に危うい考え方ですね」
「そうかしら」
私は微笑む。
「“上が全部決めて、下が従う”ほうが、よほど危ういと思うけれど」
父が、静かに口を挟んだ。
「それに、最終的な政治責任は私が取る」
アレクは一礼した。
「公爵閣下のお考え、承知しました」
だが、その視線は、私から離れない。
「ですが――」
彼は、最後にこう言った。
「レイラ嬢。あなたのやり方は、“善意で成り立つ世界”でしか機能しません」
……ああ。
やっぱり、この人は。
「善意がなくなった瞬間、崩れます」
私は、少しだけ真剣になった。
「だから?」
「だから、王宮としては――」
彼は言葉を選ぶ。
「あなたが“何もしない”ことを、これ以上“前例”にされたくない」
つまり。
――釘を刺しに来た。
私は、ゆっくりと椅子にもたれた。
「安心してください」
静かに、しかしはっきりと言う。
「私は、他人に真似させる気なんてありません」
アレクは驚いた顔をした。
「これは、私が楽をするための方法ですもの」
その言葉に、父が小さく笑った。
アレクは数秒沈黙し、やがて苦笑した。
「……理解しました」
立ち上がり、丁寧に頭を下げる。
「本日は、確認だけです。これ以上、介入はしません」
彼が去ったあと、私は大きく息を吐いた。
「……平穏って、長く続かないわね」
マーガレットが、そっと紅茶を差し出す。
「ですが、お嬢様」
「なに?」
「“何もしない”を守るために、“守らなければならない一線”も、見えてきました」
私は、カップを受け取り、頷いた。
「ええ。どうやら――」
一口、飲む。
「完全放置は、そろそろ卒業かもしれないわね」
それは、敗北ではない。
ただの調整だ。
働かないために、守るべき最低限が増えただけ。
私はまだ、働くつもりはない。
――ただし。
本当に厄介なものから、
この平穏を守るためなら、話は別だ。
0
あなたにおすすめの小説
王妃様は死にました~今さら後悔しても遅いです~
由良
恋愛
クリスティーナは四歳の頃、王子だったラファエルと婚約を結んだ。
両親が事故に遭い亡くなったあとも、国王が大病を患い隠居したときも、ラファエルはクリスティーナだけが自分の妻になるのだと言って、彼女を守ってきた。
そんなラファエルをクリスティーナは愛し、生涯を共にすると誓った。
王妃となったあとも、ただラファエルのためだけに生きていた。
――彼が愛する女性を連れてくるまでは。
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。
すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。
だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。
イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。
変わり果てた現実を前に、
夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。
深い後悔と悲しみに苛まれながら、
失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。
しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。
贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。
そして、母の心を知っていく子供たち。
イネスが求める愛とは、
そして、幸せとは――。
あの日々に戻りたくない!自称聖女の義妹に夫と娘を奪われた妃は、死に戻り聖女の力で復讐を果たす
青の雀
恋愛
公爵令嬢スカーレット・ロッテンマイヤーには、前世の記憶がある。
幼いときに政略で結ばれたジェミニ王国の第1王子ロベルトと20歳の時に結婚した。
スカーレットには、7歳年下の義妹リリアーヌがいるが、なぜかリリアーヌは、ロッテンマイヤー家に来た時から聖女様を名乗っている。
ロッテンマイヤーは、代々異能を輩出している家柄で、元は王族
物語は、前世、夫に殺されたところから始まる。
幼馴染以上、婚約者未満の王子と侯爵令嬢の関係
紫月 由良
恋愛
第二王子エインの婚約者は、貴族には珍しい赤茶色の髪を持つ侯爵令嬢のディアドラ。だが彼女の冷たい瞳と無口な性格が気に入らず、エインは婚約者の義兄フィオンとともに彼女を疎んじていた。そんな中、ディアドラが学院内で留学してきた男子学生たちと親しくしているという噂が広まる。注意しに行ったエインは彼女の見知らぬ一面に心を乱された。しかし婚約者の異母兄妹たちの思惑が問題を引き起こして……。
顔と頭が良く性格が悪い男の失恋ストーリー。
※流血シーンがあります。(各話の前書きに注意書き+次話前書きにあらすじがあるので、飛ばし読み可能です)
婚約破棄を申し入れたのは、父です ― 王子様、あなたの企みはお見通しです!
みかぼう。
恋愛
公爵令嬢クラリッサ・エインズワースは、王太子ルーファスの婚約者。
幼い日に「共に国を守ろう」と誓い合ったはずの彼は、
いま、別の令嬢マリアンヌに微笑んでいた。
そして――年末の舞踏会の夜。
「――この婚約、我らエインズワース家の名において、破棄させていただきます!」
エインズワース公爵が力強く宣言した瞬間、
王国の均衡は揺らぎ始める。
誇りを捨てず、誠実を貫く娘。
政の闇に挑む父。
陰謀を暴かんと手を伸ばす宰相の子。
そして――再び立ち上がる若き王女。
――沈黙は逃げではなく、力の証。
公爵令嬢の誇りが、王国の未来を変える。
――荘厳で静謐な政略ロマンス。
(本作品は小説家になろうにも掲載中です)
妻よりも幼馴染が大事? なら、家と慰謝料はいただきます
佐藤 美奈
恋愛
公爵令嬢セリーヌは、隣国の王子ブラッドと政略結婚を果たし、幼い娘クロエを授かる。結婚後は夫の王領の離宮で暮らし、義王家とも程よい関係を保ち、領民に親しまれながら穏やかな日々を送っていた。
しかし数ヶ月前、ブラッドの幼馴染である伯爵令嬢エミリーが離縁され、娘アリスを連れて実家に戻ってきた。元は豊かな家柄だが、母子は生活に困っていた。
ブラッドは「昔から家族同然だ」として、エミリー母子を城に招き、衣装や馬車を手配し、催しにも同席させ、クロエとアリスを遊ばせるように勧めた。
セリーヌは王太子妃として堪えようとしたが、だんだんと不満が高まる。
【完結】恋は、終わったのです
楽歩
恋愛
幼い頃に決められた婚約者、セオドアと共に歩む未来。それは決定事項だった。しかし、いつしか冷たい現実が訪れ、彼の隣には別の令嬢の笑顔が輝くようになる。
今のような関係になったのは、いつからだったのだろう。
『分からないだろうな、お前のようなでかくて、エマのように可愛げのない女には』
身長を追い越してしまった時からだろうか。
それとも、特進クラスに私だけが入った時だろうか。
あるいは――あの子に出会った時からだろうか。
――それでも、リディアは平然を装い続ける。胸に秘めた思いを隠しながら。
勝手にしろと言われたので、勝手にさせていただきます
結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
子爵家の私は自分よりも身分の高い婚約者に、いつもいいように顎でこき使われていた。ある日、突然婚約者に呼び出されて一方的に婚約破棄を告げられてしまう。二人の婚約は家同士が決めたこと。当然受け入れられるはずもないので拒絶すると「婚約破棄は絶対する。後のことなどしるものか。お前の方で勝手にしろ」と言い切られてしまう。
いいでしょう……そこまで言うのなら、勝手にさせていただきます。
ただし、後のことはどうなっても知りませんよ?
* 他サイトでも投稿
* ショートショートです。あっさり終わります
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる