35 / 40
第35話 動かない令嬢、勝手に安全装置にされる
しおりを挟む
第35話 動かない令嬢、勝手に安全装置にされる
静かな日常というものは、放っておくと勝手に壊されに来る。
それが、権力や利害が絡む世界では特に顕著だ――と、私はこの世界に来てから嫌というほど学んだ。
アーデルハイド公爵家の朝は、相変わらず穏やかだった。
私はテラスで紅茶を飲み、マーガレットが用意してくれた焼き菓子をつまみながら、のんびりと一日の予定――というほどのものでもない予定――を確認している。
今日の予定。
・ぶどう園からの定期報告を読む
・新しいジュース試作の味見(任意)
・昼寝
完璧だ。
「お嬢様」
その完璧な予定を壊す声がした。
「……何かしら」
「王都から、緊急連絡です」
マーガレットの声が、ほんの少し硬い。
「“緊急”って言葉、
だいたい碌なことを連れてこないのよね」
書状を受け取り、目を通す。
差出人は――王宮内務局。
内容は、こうだ。
『現在、王都において複数の派閥間で意見の対立が激化しており、
調整役として“中立的立場の象徴”が必要とされています。
つきましては、アーデルハイド公爵令嬢レイラ・フォン・アーデルハイド殿に、
象徴的存在として名をお借りしたく――』
私は、そこで読むのをやめた。
「……つまり?」
マーガレットが恐る恐る尋ねる。
「“何もしない存在”を、
安全装置として置きたい
ってことね」
紅茶を一口飲む。
「迷惑極まりないわ」
しばらくして、父が執務室から出てきた。
書状の内容はすでに把握しているらしい。
「王都は、
お前を“均衡点”にしたいようだ」
「勝手にね」
「拒否もできる」
「……でも?」
父は腕を組み、少し考えてから言った。
「拒否すれば、
“何か企んでいる”と
勘繰られる」
「でしょうね」
やれやれ、だ。
動かない。
何もしない。
ただそれだけなのに、
勝手に意味を盛られていく。
「お父様」
「なんだ」
「名前だけなら、
貸してもいいわ」
父が目を見開く。
「いいのか?」
「条件付き」
私は淡々と言った。
「一切の実務なし。
一切の発言義務なし。
一切の責任なし」
「……それで、
相手が納得するとは思えんが」
「納得しなくていいの」
私は、少しだけ笑った。
「“そこにいるだけ”
って条件なら、
彼らは勝手に納得する」
午後。
王都からの使者が来た。
若いが、目の奥がやけに疲れている男だ。
「レイラ様……
その、条件の件ですが……」
「聞いてるわ」
私は椅子に深く腰掛け、
動じない声で告げる。
「私は、
何も決めない。
何も承認しない。
何も否定しない」
「…………」
「ただ、
名前がそこにあるだけ」
使者は沈黙し、
やがて、力なく頷いた。
「……それで、
よろしいとのことです」
「でしょうね」
彼は苦笑する。
「正直に申し上げますと……
それだけで、
派閥同士が
勝手にブレーキをかけ始めました」
「便利ね、私」
「……はい」
帰ったあと、
マーガレットがぽつりと言った。
「お嬢様は……
国を守る盾のようです」
「違うわ」
私は即座に否定する。
「私は、
面倒ごとの緩衝材」
夜。
日記に書く。
『今日は、
何もしていないのに、
安全装置にされた』
少し考えて、
続きを書く。
『でも、
動かなくていいなら、
悪くない』
争いの中心に立つ気はない。
導く気も、裁く気もない。
ただ、
“ここにいる”だけ。
それで誰かが暴走しないなら、
それはそれで、
私の平穏が守られる。
窓の外を見る。
夜空は静かで、
星が瞬いている。
(……本当に、
勝手な世界)
でも、
その勝手さに
巻き込まれずに済む位置を、
私はもう掴んでいる。
動かない。
関わらない。
責任を持たない。
それでも、
勝手に世界が
私を使うなら――
せめて、
私は私の
楽な姿勢を崩さない。
そう決めて、
灯りを消した。
――働かない令嬢は、
今日もまた、
何もせずに
王都の暴走を
止めていたらしい。
静かな日常というものは、放っておくと勝手に壊されに来る。
それが、権力や利害が絡む世界では特に顕著だ――と、私はこの世界に来てから嫌というほど学んだ。
アーデルハイド公爵家の朝は、相変わらず穏やかだった。
私はテラスで紅茶を飲み、マーガレットが用意してくれた焼き菓子をつまみながら、のんびりと一日の予定――というほどのものでもない予定――を確認している。
今日の予定。
・ぶどう園からの定期報告を読む
・新しいジュース試作の味見(任意)
・昼寝
完璧だ。
「お嬢様」
その完璧な予定を壊す声がした。
「……何かしら」
「王都から、緊急連絡です」
マーガレットの声が、ほんの少し硬い。
「“緊急”って言葉、
だいたい碌なことを連れてこないのよね」
書状を受け取り、目を通す。
差出人は――王宮内務局。
内容は、こうだ。
『現在、王都において複数の派閥間で意見の対立が激化しており、
調整役として“中立的立場の象徴”が必要とされています。
つきましては、アーデルハイド公爵令嬢レイラ・フォン・アーデルハイド殿に、
象徴的存在として名をお借りしたく――』
私は、そこで読むのをやめた。
「……つまり?」
マーガレットが恐る恐る尋ねる。
「“何もしない存在”を、
安全装置として置きたい
ってことね」
紅茶を一口飲む。
「迷惑極まりないわ」
しばらくして、父が執務室から出てきた。
書状の内容はすでに把握しているらしい。
「王都は、
お前を“均衡点”にしたいようだ」
「勝手にね」
「拒否もできる」
「……でも?」
父は腕を組み、少し考えてから言った。
「拒否すれば、
“何か企んでいる”と
勘繰られる」
「でしょうね」
やれやれ、だ。
動かない。
何もしない。
ただそれだけなのに、
勝手に意味を盛られていく。
「お父様」
「なんだ」
「名前だけなら、
貸してもいいわ」
父が目を見開く。
「いいのか?」
「条件付き」
私は淡々と言った。
「一切の実務なし。
一切の発言義務なし。
一切の責任なし」
「……それで、
相手が納得するとは思えんが」
「納得しなくていいの」
私は、少しだけ笑った。
「“そこにいるだけ”
って条件なら、
彼らは勝手に納得する」
午後。
王都からの使者が来た。
若いが、目の奥がやけに疲れている男だ。
「レイラ様……
その、条件の件ですが……」
「聞いてるわ」
私は椅子に深く腰掛け、
動じない声で告げる。
「私は、
何も決めない。
何も承認しない。
何も否定しない」
「…………」
「ただ、
名前がそこにあるだけ」
使者は沈黙し、
やがて、力なく頷いた。
「……それで、
よろしいとのことです」
「でしょうね」
彼は苦笑する。
「正直に申し上げますと……
それだけで、
派閥同士が
勝手にブレーキをかけ始めました」
「便利ね、私」
「……はい」
帰ったあと、
マーガレットがぽつりと言った。
「お嬢様は……
国を守る盾のようです」
「違うわ」
私は即座に否定する。
「私は、
面倒ごとの緩衝材」
夜。
日記に書く。
『今日は、
何もしていないのに、
安全装置にされた』
少し考えて、
続きを書く。
『でも、
動かなくていいなら、
悪くない』
争いの中心に立つ気はない。
導く気も、裁く気もない。
ただ、
“ここにいる”だけ。
それで誰かが暴走しないなら、
それはそれで、
私の平穏が守られる。
窓の外を見る。
夜空は静かで、
星が瞬いている。
(……本当に、
勝手な世界)
でも、
その勝手さに
巻き込まれずに済む位置を、
私はもう掴んでいる。
動かない。
関わらない。
責任を持たない。
それでも、
勝手に世界が
私を使うなら――
せめて、
私は私の
楽な姿勢を崩さない。
そう決めて、
灯りを消した。
――働かない令嬢は、
今日もまた、
何もせずに
王都の暴走を
止めていたらしい。
11
あなたにおすすめの小説
お飾り王妃の死後~王の後悔~
ましゅぺちーの
恋愛
ウィルベルト王国の王レオンと王妃フランチェスカは白い結婚である。
王が愛するのは愛妾であるフレイアただ一人。
ウィルベルト王国では周知の事実だった。
しかしある日王妃フランチェスカが自ら命を絶ってしまう。
最後に王宛てに残された手紙を読み王は後悔に苛まれる。
小説家になろう様にも投稿しています。
今さら救いの手とかいらないのですが……
カレイ
恋愛
侯爵令嬢オデットは学園の嫌われ者である。
それもこれも、子爵令嬢シェリーシアに罪をなすりつけられ、公衆の面前で婚約破棄を突きつけられたせい。
オデットは信じてくれる友人のお陰で、揶揄されながらもそれなりに楽しい生活を送っていたが……
「そろそろ許してあげても良いですっ」
「あ、結構です」
伸ばされた手をオデットは払い除ける。
許さなくて良いので金輪際関わってこないで下さいと付け加えて。
※全19話の短編です。
【完結】元婚約者であって家族ではありません。もう赤の他人なんですよ?
つくも茄子
ファンタジー
私、ヘスティア・スタンリー公爵令嬢は今日長年の婚約者であったヴィラン・ヤルコポル伯爵子息と婚約解消をいたしました。理由?相手の不貞行為です。婿入りの分際で愛人を連れ込もうとしたのですから当然です。幼馴染で家族同然だった相手に裏切られてショックだというのに相手は斜め上の思考回路。は!?自分が次期公爵?何の冗談です?家から出て行かない?ここは私の家です!貴男はもう赤の他人なんです!
文句があるなら法廷で決着をつけようではありませんか!
結果は当然、公爵家の圧勝。ヤルコポル伯爵家は御家断絶で一家離散。主犯のヴィランは怪しい研究施設でモルモットとしいて短い生涯を終える……はずでした。なのに何故か薬の副作用で強靭化してしまった。化け物のような『力』を手にしたヴィランは王都を襲い私達一家もそのまま儚く……にはならなかった。
目を覚ましたら幼い自分の姿が……。
何故か十二歳に巻き戻っていたのです。
最悪な未来を回避するためにヴィランとの婚約解消を!と拳を握りしめるものの婚約は継続。仕方なくヴィランの再教育を伯爵家に依頼する事に。
そこから新たな事実が出てくるのですが……本当に婚約は解消できるのでしょうか?
他サイトにも公開中。
お飾りの婚約者で結構です! 殿下のことは興味ありませんので、お構いなく!
にのまえ
恋愛
すでに寵愛する人がいる、殿下の婚約候補決めの舞踏会を開くと、王家の勅命がドーリング公爵家に届くも、姉のミミリアは嫌がった。
公爵家から一人娘という言葉に、舞踏会に参加することになった、ドーリング公爵家の次女・ミーシャ。
家族の中で“役立たず”と蔑まれ、姉の身代わりとして差し出された彼女の唯一の望みは――「舞踏会で、美味しい料理を食べること」。
だが、そんな慎ましい願いとは裏腹に、
舞踏会の夜、思いもよらぬ出来事が起こりミーシャは前世、読んでいた小説の世界だと気付く。
婚約破棄を伝えられて居るのは帝国の皇女様ですが…国は大丈夫でしょうか【完結】
繭
恋愛
卒業式の最中、王子が隣国皇帝陛下の娘で有る皇女に婚約破棄を突き付けると言う、前代未聞の所業が行われ阿鼻叫喚の事態に陥り、卒業式どころでは無くなる事から物語は始まる。
果たして王子の国は無事に国を維持できるのか?
完結 冗談で済ますつもりでしょうが、そうはいきません。
音爽(ネソウ)
恋愛
王子の幼馴染はいつもわがまま放題。それを放置する。
結婚式でもやらかして私の挙式はメチャクチャに
「ほんの冗談さ」と王子は軽くあしらうが、そこに一人の男性が現れて……
【完結】この運命を受け入れましょうか
なか
恋愛
「君のようは妃は必要ない。ここで廃妃を宣言する」
自らの夫であるルーク陛下の言葉。
それに対して、ヴィオラ・カトレアは余裕に満ちた微笑みで答える。
「承知しました。受け入れましょう」
ヴィオラにはもう、ルークへの愛など残ってすらいない。
彼女が王妃として支えてきた献身の中で、平民生まれのリアという女性に入れ込んだルーク。
みっともなく、情けない彼に対して恋情など抱く事すら不快だ。
だが聖女の素養を持つリアを、ルークは寵愛する。
そして貴族達も、莫大な益を生み出す聖女を妃に仕立てるため……ヴィオラへと無実の罪を被せた。
あっけなく信じるルークに呆れつつも、ヴィオラに不安はなかった。
これからの顛末も、打開策も全て知っているからだ。
前世の記憶を持ち、ここが物語の世界だと知るヴィオラは……悲運な運命を受け入れて彼らに意趣返す。
ふりかかる不幸を全て覆して、幸せな人生を歩むため。
◇◇◇◇◇
設定は甘め。
不安のない、さっくり読める物語を目指してます。
良ければ読んでくだされば、嬉しいです。
【完結】大好きな貴方、婚約を解消しましょう
凛蓮月
恋愛
大好きな貴方、婚約を解消しましょう。
私は、恋に夢中で何も見えていなかった。
だから、貴方に手を振り払われるまで、嫌われていることさえ気付か
なかったの。
※この作品は「小説家になろう」内の「名も無き恋の物語【短編集】」「君と甘い一日を」より抜粋したものです。
2022/9/5
隣国の王太子の話【王太子は、婚約者の愛を得られるか】完結しました。
お見かけの際はよろしくお願いしますm(_ _ )m
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる