働かない令嬢は、すでに幸せです  ――婚約破棄? それより紅茶の時間をください

鷹 綾

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第36話 責任を負わない令嬢、責任の押し付け合いを眺める

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第36話 責任を負わない令嬢、責任の押し付け合いを眺める

 人は責任を欲しがる。
 ――正確に言えば、「他人に押し付けられる責任」を、だ。

 アーデルハイド公爵家の朝は、今日も静かだった。
 鳥の声、庭師の足音、紅茶の香り。
 この平穏を壊さないために、私は何もする気がない。

「お嬢様……」

 マーガレットが、いつになく慎重な声で切り出した。

「王都のほうが、少々……混乱しております」

「でしょうね」

 私はクッキーを一枚つまみ、紅茶に浸す。

「“象徴として名前を置くだけ”って話、
 都合のいい解釈が増えるのは目に見えてたもの」

 安全装置。
 緩衝材。
 中立の象徴。

 ――どれも、便利な言葉だ。

「ですが……今度は、
 “最終的な判断はレイラ様の意向を仰ぐべきだ”
 という声が出始めているそうで……」

「それは、
 完全に話を聞いてない人の発言ね」

 私は即座に言い切った。

「私は何も決めないって、
 最初に言ったでしょう?」

「はい……ただ……」

 マーガレットは言葉を濁す。

「“決めないという判断も、判断だ”
 と主張する方が……」

「ああ」

 私は納得した。

「責任を負いたくない人が、
 責任を負わない私を
 引きずり出そうとしてるのね」

 昼前。

 父が王都から届いた書類束を持って現れた。

「……これは、
 なかなか芸術的だな」

「芸術?」

「責任回避の芸術」

 父は一枚一枚、書類を机に並べる。

「改革派は、“象徴であるお前の沈黙が原因で決断できない”
 保守派は、“象徴が動かない以上、現状維持が妥当”
 中立派は、“象徴が判断するまで待つべき”」

 私は目を細めた。

「全員、
 “自分が決めたくない”
 って言ってるだけね」

「その通りだ」

 父は苦笑した。

「だが、その中心にいるのが……」

「私」

「……お前だ」

 私は背もたれに体を預ける。

「安心して。
 私は絶対に決めない」

「本当に?」

「ええ」

 私ははっきり言った。

「決めた瞬間、
 “責任者”になるもの」

 父は一瞬、黙り――
 やがて、深く頷いた。

「……正しい」

 午後。

 王都から、また使者。

 今度は三人。
 それぞれ立場の違う派閥の代表らしい。

 応接室に通すなり、
 三人は互いに牽制するような視線を交わした。

「レイラ様……」

 改革派の男が口を開く。

「現状が膠着しているのは、
 貴女が“最終判断を避けている”ためです」

「違います」

 私は即答する。

「私は、
 最初から判断しないと
 宣言しています」

「ですが……!」

 保守派の男が続ける。

「貴女が象徴である以上、
 その意思表示は――」

「ありません」

 三人同時に、言葉を失った。

 私は淡々と続ける。

「私は、
 賛成もしない。
 反対もしない。
 承認もしない。
 否定もしない」

「…………」

「つまり」

 私は微笑む。

「あなたたちが
 何を決めようと、
 それはあなたたちの責任」

 沈黙。

 重い、重い沈黙。

 やがて、
 中立派の男が、ぽつりと呟いた。

「……それでは、
 我々が決めねばならない」

「そうよ」

 私は頷いた。

「大人でしょう?」

 三人は顔を見合わせ、
 明らかに疲れた表情で立ち上がった。

「……失礼いたしました」

 彼らが去ったあと、
 応接室には静寂が戻る。

「……お嬢様」

 マーガレットが感心したように言う。

「見事なまでに、
 何も背負っていませんね」

「それが目的だもの」

 夜。

 日記を開く。

『今日は、
 責任を押し付け合う大人たちを見た』

 少し考え、
 続きを書く。

『誰も悪くない。
 ただ、
 誰も責任を取りたくないだけ』

 私はペンを置く。

 前世で、
 責任という名の仕事を
 山ほど背負わされた。

 その結果、
 心も体も壊した。

 だから今世では、
 最初から拒否する。

 責任を持たない。
 判断しない。
 期待に応えない。

 それは逃げではない。
 ――生き方だ。

 窓の外を見る。

 夜は静かで、
 何も私に要求しない。

(……いい夜)

 明日もきっと、
 誰かが責任を探しに来る。

 でも私は、
 それを拾わない。

 拾わなければ、
 私のものにはならない。

 ――働かない令嬢は、
 今日もまた、
 何も決めずに
 世界を前に進ませていたらしい。
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