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第35話 動かない令嬢、勝手に安全装置にされる
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第35話 動かない令嬢、勝手に安全装置にされる
静かな日常というものは、放っておくと勝手に壊されに来る。
それが、権力や利害が絡む世界では特に顕著だ――と、私はこの世界に来てから嫌というほど学んだ。
アーデルハイド公爵家の朝は、相変わらず穏やかだった。
私はテラスで紅茶を飲み、マーガレットが用意してくれた焼き菓子をつまみながら、のんびりと一日の予定――というほどのものでもない予定――を確認している。
今日の予定。
・ぶどう園からの定期報告を読む
・新しいジュース試作の味見(任意)
・昼寝
完璧だ。
「お嬢様」
その完璧な予定を壊す声がした。
「……何かしら」
「王都から、緊急連絡です」
マーガレットの声が、ほんの少し硬い。
「“緊急”って言葉、
だいたい碌なことを連れてこないのよね」
書状を受け取り、目を通す。
差出人は――王宮内務局。
内容は、こうだ。
『現在、王都において複数の派閥間で意見の対立が激化しており、
調整役として“中立的立場の象徴”が必要とされています。
つきましては、アーデルハイド公爵令嬢レイラ・フォン・アーデルハイド殿に、
象徴的存在として名をお借りしたく――』
私は、そこで読むのをやめた。
「……つまり?」
マーガレットが恐る恐る尋ねる。
「“何もしない存在”を、
安全装置として置きたい
ってことね」
紅茶を一口飲む。
「迷惑極まりないわ」
しばらくして、父が執務室から出てきた。
書状の内容はすでに把握しているらしい。
「王都は、
お前を“均衡点”にしたいようだ」
「勝手にね」
「拒否もできる」
「……でも?」
父は腕を組み、少し考えてから言った。
「拒否すれば、
“何か企んでいる”と
勘繰られる」
「でしょうね」
やれやれ、だ。
動かない。
何もしない。
ただそれだけなのに、
勝手に意味を盛られていく。
「お父様」
「なんだ」
「名前だけなら、
貸してもいいわ」
父が目を見開く。
「いいのか?」
「条件付き」
私は淡々と言った。
「一切の実務なし。
一切の発言義務なし。
一切の責任なし」
「……それで、
相手が納得するとは思えんが」
「納得しなくていいの」
私は、少しだけ笑った。
「“そこにいるだけ”
って条件なら、
彼らは勝手に納得する」
午後。
王都からの使者が来た。
若いが、目の奥がやけに疲れている男だ。
「レイラ様……
その、条件の件ですが……」
「聞いてるわ」
私は椅子に深く腰掛け、
動じない声で告げる。
「私は、
何も決めない。
何も承認しない。
何も否定しない」
「…………」
「ただ、
名前がそこにあるだけ」
使者は沈黙し、
やがて、力なく頷いた。
「……それで、
よろしいとのことです」
「でしょうね」
彼は苦笑する。
「正直に申し上げますと……
それだけで、
派閥同士が
勝手にブレーキをかけ始めました」
「便利ね、私」
「……はい」
帰ったあと、
マーガレットがぽつりと言った。
「お嬢様は……
国を守る盾のようです」
「違うわ」
私は即座に否定する。
「私は、
面倒ごとの緩衝材」
夜。
日記に書く。
『今日は、
何もしていないのに、
安全装置にされた』
少し考えて、
続きを書く。
『でも、
動かなくていいなら、
悪くない』
争いの中心に立つ気はない。
導く気も、裁く気もない。
ただ、
“ここにいる”だけ。
それで誰かが暴走しないなら、
それはそれで、
私の平穏が守られる。
窓の外を見る。
夜空は静かで、
星が瞬いている。
(……本当に、
勝手な世界)
でも、
その勝手さに
巻き込まれずに済む位置を、
私はもう掴んでいる。
動かない。
関わらない。
責任を持たない。
それでも、
勝手に世界が
私を使うなら――
せめて、
私は私の
楽な姿勢を崩さない。
そう決めて、
灯りを消した。
――働かない令嬢は、
今日もまた、
何もせずに
王都の暴走を
止めていたらしい。
静かな日常というものは、放っておくと勝手に壊されに来る。
それが、権力や利害が絡む世界では特に顕著だ――と、私はこの世界に来てから嫌というほど学んだ。
アーデルハイド公爵家の朝は、相変わらず穏やかだった。
私はテラスで紅茶を飲み、マーガレットが用意してくれた焼き菓子をつまみながら、のんびりと一日の予定――というほどのものでもない予定――を確認している。
今日の予定。
・ぶどう園からの定期報告を読む
・新しいジュース試作の味見(任意)
・昼寝
完璧だ。
「お嬢様」
その完璧な予定を壊す声がした。
「……何かしら」
「王都から、緊急連絡です」
マーガレットの声が、ほんの少し硬い。
「“緊急”って言葉、
だいたい碌なことを連れてこないのよね」
書状を受け取り、目を通す。
差出人は――王宮内務局。
内容は、こうだ。
『現在、王都において複数の派閥間で意見の対立が激化しており、
調整役として“中立的立場の象徴”が必要とされています。
つきましては、アーデルハイド公爵令嬢レイラ・フォン・アーデルハイド殿に、
象徴的存在として名をお借りしたく――』
私は、そこで読むのをやめた。
「……つまり?」
マーガレットが恐る恐る尋ねる。
「“何もしない存在”を、
安全装置として置きたい
ってことね」
紅茶を一口飲む。
「迷惑極まりないわ」
しばらくして、父が執務室から出てきた。
書状の内容はすでに把握しているらしい。
「王都は、
お前を“均衡点”にしたいようだ」
「勝手にね」
「拒否もできる」
「……でも?」
父は腕を組み、少し考えてから言った。
「拒否すれば、
“何か企んでいる”と
勘繰られる」
「でしょうね」
やれやれ、だ。
動かない。
何もしない。
ただそれだけなのに、
勝手に意味を盛られていく。
「お父様」
「なんだ」
「名前だけなら、
貸してもいいわ」
父が目を見開く。
「いいのか?」
「条件付き」
私は淡々と言った。
「一切の実務なし。
一切の発言義務なし。
一切の責任なし」
「……それで、
相手が納得するとは思えんが」
「納得しなくていいの」
私は、少しだけ笑った。
「“そこにいるだけ”
って条件なら、
彼らは勝手に納得する」
午後。
王都からの使者が来た。
若いが、目の奥がやけに疲れている男だ。
「レイラ様……
その、条件の件ですが……」
「聞いてるわ」
私は椅子に深く腰掛け、
動じない声で告げる。
「私は、
何も決めない。
何も承認しない。
何も否定しない」
「…………」
「ただ、
名前がそこにあるだけ」
使者は沈黙し、
やがて、力なく頷いた。
「……それで、
よろしいとのことです」
「でしょうね」
彼は苦笑する。
「正直に申し上げますと……
それだけで、
派閥同士が
勝手にブレーキをかけ始めました」
「便利ね、私」
「……はい」
帰ったあと、
マーガレットがぽつりと言った。
「お嬢様は……
国を守る盾のようです」
「違うわ」
私は即座に否定する。
「私は、
面倒ごとの緩衝材」
夜。
日記に書く。
『今日は、
何もしていないのに、
安全装置にされた』
少し考えて、
続きを書く。
『でも、
動かなくていいなら、
悪くない』
争いの中心に立つ気はない。
導く気も、裁く気もない。
ただ、
“ここにいる”だけ。
それで誰かが暴走しないなら、
それはそれで、
私の平穏が守られる。
窓の外を見る。
夜空は静かで、
星が瞬いている。
(……本当に、
勝手な世界)
でも、
その勝手さに
巻き込まれずに済む位置を、
私はもう掴んでいる。
動かない。
関わらない。
責任を持たない。
それでも、
勝手に世界が
私を使うなら――
せめて、
私は私の
楽な姿勢を崩さない。
そう決めて、
灯りを消した。
――働かない令嬢は、
今日もまた、
何もせずに
王都の暴走を
止めていたらしい。
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2024年12月追記
お読みいただき、ありがとうございます。
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※番外編投稿後は完結表記に致します。再び、番外編等を投稿する際には連載表記となりますこと、ご容赦いただけますと幸いです。
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