34 / 40
第34話 働かない令嬢、評価だけが先に独り歩きする
しおりを挟む
第34話 働かない令嬢、評価だけが先に独り歩きする
静かな朝だった。
アーデルハイド公爵家の庭園には、いつも通り穏やかな風が吹き、ぶどう棚の葉がさらさらと音を立てている。私はテラスで紅茶を飲みながら、その様子をぼんやり眺めていた。
――何も起きていない。
それが、今の私にとっては何よりも理想的な状態だ。
「お嬢様」
マーガレットが控えめに声をかけてくる。
「王都から、また使者が参りました」
「また?」
私は眉をわずかに上げる。
「はい。今度は……財務院から、だそうです」
「……はぁ」
ため息が自然と漏れた。
セルジオ伯爵、改革派の動き、意味深な噂。
それらをすべて“何もしない”ことでやり過ごしてきた結果――なぜか、話はさらに大きくなっている。
「断れる?」
「形式上は難しいかと……。ただ、面会を求めているのは“状況確認”だそうで」
「状況確認って、便利な言葉よね」
結局、応接室に通すことになった。
現れたのは、四十代半ばほどの男性。服装は地味だが、仕立ては良く、無駄のない動きをしている。いかにも“官僚”という印象だ。
「アーデルハイド公爵令嬢、レイラ様。
本日はお時間をいただき、感謝いたします」
「どうぞ、座って」
私はにこりと微笑み、紅茶を勧める。
男は一口飲み、軽く喉を潤してから切り出した。
「率直に申し上げます。
現在、王都では――
アーデルハイド公爵家の経済活動が、国家財政に与える影響について、議論が起きております」
「……ずいぶん大げさね」
「いえ、決して誇張ではありません」
彼は淡々と資料を広げる。
「ワイン事業、ジュース事業、加工品、染色布。
それらはまだ小規模ながら、
“分散型で安定している”
という評価を受けております」
私は黙って聞いていた。
評価?
誰が?
「さらに、どの派閥にも属さず、
国家補助金にも依存していない。
にもかかわらず、利益を出している――」
男は、そこで言葉を切った。
「……正直に申し上げますと、
財務院としては
極めて扱いづらい存在です」
思わず、笑ってしまった。
「それは光栄ね」
「褒め言葉ではありませんが……
同時に、非常に興味深い」
男は私を真っ直ぐ見た。
「レイラ様。
貴女は、
“国家の仕組みを変えよう”と
考えておられますか?」
――来た。
でも、答えは決まっている。
「いいえ」
即答。
「私は、
自分の領地を
自分が楽に暮らせるように
整えているだけです」
男は一瞬、言葉を失った。
「……それだけ、ですか?」
「それだけよ」
私はカップを置き、穏やかに続ける。
「国家を変えるとか、
制度を改革するとか、
面倒でしょう?」
「…………」
「私は働きたくないの。
だから、
無理なく回る仕組みを
作ってるだけ」
沈黙が落ちる。
やがて男は、
深く息を吐いた。
「……分かりました」
「理解、早いわね」
「いえ。
理解できたとは言えません」
彼は苦笑する。
「ですが、
“敵ではない”ことは
はっきりしました」
「それで十分よ」
男は立ち上がり、
深く一礼した。
「本日の面会内容は、
“特に問題なし”として
報告いたします」
「助かるわ」
彼が去ったあと、
マーガレットが小さく息を吸った。
「……お嬢様。
今の方、
かなり重要な立場の方かと」
「でしょうね」
「それでも……
何も要求なさらず……」
「要求すると、
責任が発生するもの」
私は肩をすくめた。
「責任が増えると、
働く羽目になるでしょう?」
マーガレットは、
一瞬ぽかんとし――
それから、
小さく笑った。
「……確かに」
午後。
父が執務室で書類を見ながら、
ぽつりと言った。
「財務院の動き、
聞いたぞ」
「どうだった?」
「“静観”だそうだ」
「成功ね」
父は苦笑する。
「普通なら、
警戒されるところだ」
「普通じゃないから」
私は言った。
「私は何もしていないもの」
夕方。
庭を歩きながら、
ふと思う。
私は、
何かを変えようとしているのだろうか。
――違う。
変えたいわけじゃない。
ただ、
無理をしたくない。
無駄に戦いたくない。
その結果、
周囲が勝手に
“評価”を積み上げているだけ。
(本当に、
厄介ね……)
でも。
評価は、
働かなくても付いてくる。
なら、
それを拒む必要もない。
私は空を見上げる。
今日も、
雲はゆっくり流れていた。
急ぐ理由は、
どこにもない。
――こうして、
働かない令嬢の評価は、
本人の知らぬところで
またひとつ、
勝手に固まっていくのだった。
静かな朝だった。
アーデルハイド公爵家の庭園には、いつも通り穏やかな風が吹き、ぶどう棚の葉がさらさらと音を立てている。私はテラスで紅茶を飲みながら、その様子をぼんやり眺めていた。
――何も起きていない。
それが、今の私にとっては何よりも理想的な状態だ。
「お嬢様」
マーガレットが控えめに声をかけてくる。
「王都から、また使者が参りました」
「また?」
私は眉をわずかに上げる。
「はい。今度は……財務院から、だそうです」
「……はぁ」
ため息が自然と漏れた。
セルジオ伯爵、改革派の動き、意味深な噂。
それらをすべて“何もしない”ことでやり過ごしてきた結果――なぜか、話はさらに大きくなっている。
「断れる?」
「形式上は難しいかと……。ただ、面会を求めているのは“状況確認”だそうで」
「状況確認って、便利な言葉よね」
結局、応接室に通すことになった。
現れたのは、四十代半ばほどの男性。服装は地味だが、仕立ては良く、無駄のない動きをしている。いかにも“官僚”という印象だ。
「アーデルハイド公爵令嬢、レイラ様。
本日はお時間をいただき、感謝いたします」
「どうぞ、座って」
私はにこりと微笑み、紅茶を勧める。
男は一口飲み、軽く喉を潤してから切り出した。
「率直に申し上げます。
現在、王都では――
アーデルハイド公爵家の経済活動が、国家財政に与える影響について、議論が起きております」
「……ずいぶん大げさね」
「いえ、決して誇張ではありません」
彼は淡々と資料を広げる。
「ワイン事業、ジュース事業、加工品、染色布。
それらはまだ小規模ながら、
“分散型で安定している”
という評価を受けております」
私は黙って聞いていた。
評価?
誰が?
「さらに、どの派閥にも属さず、
国家補助金にも依存していない。
にもかかわらず、利益を出している――」
男は、そこで言葉を切った。
「……正直に申し上げますと、
財務院としては
極めて扱いづらい存在です」
思わず、笑ってしまった。
「それは光栄ね」
「褒め言葉ではありませんが……
同時に、非常に興味深い」
男は私を真っ直ぐ見た。
「レイラ様。
貴女は、
“国家の仕組みを変えよう”と
考えておられますか?」
――来た。
でも、答えは決まっている。
「いいえ」
即答。
「私は、
自分の領地を
自分が楽に暮らせるように
整えているだけです」
男は一瞬、言葉を失った。
「……それだけ、ですか?」
「それだけよ」
私はカップを置き、穏やかに続ける。
「国家を変えるとか、
制度を改革するとか、
面倒でしょう?」
「…………」
「私は働きたくないの。
だから、
無理なく回る仕組みを
作ってるだけ」
沈黙が落ちる。
やがて男は、
深く息を吐いた。
「……分かりました」
「理解、早いわね」
「いえ。
理解できたとは言えません」
彼は苦笑する。
「ですが、
“敵ではない”ことは
はっきりしました」
「それで十分よ」
男は立ち上がり、
深く一礼した。
「本日の面会内容は、
“特に問題なし”として
報告いたします」
「助かるわ」
彼が去ったあと、
マーガレットが小さく息を吸った。
「……お嬢様。
今の方、
かなり重要な立場の方かと」
「でしょうね」
「それでも……
何も要求なさらず……」
「要求すると、
責任が発生するもの」
私は肩をすくめた。
「責任が増えると、
働く羽目になるでしょう?」
マーガレットは、
一瞬ぽかんとし――
それから、
小さく笑った。
「……確かに」
午後。
父が執務室で書類を見ながら、
ぽつりと言った。
「財務院の動き、
聞いたぞ」
「どうだった?」
「“静観”だそうだ」
「成功ね」
父は苦笑する。
「普通なら、
警戒されるところだ」
「普通じゃないから」
私は言った。
「私は何もしていないもの」
夕方。
庭を歩きながら、
ふと思う。
私は、
何かを変えようとしているのだろうか。
――違う。
変えたいわけじゃない。
ただ、
無理をしたくない。
無駄に戦いたくない。
その結果、
周囲が勝手に
“評価”を積み上げているだけ。
(本当に、
厄介ね……)
でも。
評価は、
働かなくても付いてくる。
なら、
それを拒む必要もない。
私は空を見上げる。
今日も、
雲はゆっくり流れていた。
急ぐ理由は、
どこにもない。
――こうして、
働かない令嬢の評価は、
本人の知らぬところで
またひとつ、
勝手に固まっていくのだった。
12
あなたにおすすめの小説
【完結】悪役令嬢ですが、元官僚スキルで断罪も陰謀も処理します。
かおり
ファンタジー
異世界で悪役令嬢に転生した元官僚。婚約破棄? 断罪? 全部ルールと書類で処理します。
謝罪してないのに謝ったことになる“限定謝罪”で、婚約者も貴族も黙らせる――バリキャリ令嬢の逆転劇!
※読んでいただき、ありがとうございます。ささやかな物語ですが、どこか少しでも楽しんでいただけたら幸いです。
『「君は飾りだ」と言われた公爵令嬢、契約通りに王太子を廃嫡へ導きました』
ふわふわ
恋愛
「君は優秀だが、王妃としては冷たい。正直に言えば――飾りとしては十分だった」
そう言って婚約者である王太子に公然と切り捨てられた、公爵令嬢アデルフィーナ。
さらに王太子は宣言する。
「王家は外部信用に頼らない」「王家が条文だ」と。
履行履歴も整えず、契約も軽視し、
新たな婚約者と共に“強い王家”を演出する王太子。
――ですが。
契約は宣言では動きません。
信用は履歴の上にしか立ちません。
王命が止まり、出荷が止まり、資材が止まり、
やがて止まったのは王太子の未来でした。
自ら押した承認印が、
自らの継承権を奪うことになるとも知らずに。
公然侮辱から始まる、徹底的な強ザマァ。
救済なし。
やり直しなし。
契約通りに処理しただけですのに――
なぜか王太子が廃嫡されました。
捨てられた令嬢と、選ばれなかった未来
鍛高譚
恋愛
「君とは釣り合わない。だから、僕は王女殿下を選ぶ」
婚約者アルバート・ロンズデールに冷たく告げられた瞬間、エミリア・ウィンスレットの人生は暗転した。
王都一の名門公爵令嬢として慎ましくも誠実に彼を支えてきたというのに、待っていたのは無慈悲な婚約破棄――しかも相手は王女クラリッサ。
アルバートと王女の華やかな婚約発表の裏で、エミリアは社交界から冷遇され、"捨てられた哀れな令嬢"と嘲笑される日々が始まる。
だが、彼女は決して屈しない。
「ならば、貴方たちが後悔するような未来を作るわ」
そう決意したエミリアは、ある人物から手を差し伸べられる。
――それは、冷静沈着にして王国の正統な後継者、皇太子アレクシス・フォルベルト。
彼は告げる。「私と共に来い。……君の聡明さと誇りが、この国には必要だ」
処刑台の皇妃、回帰して復讐を誓う ~冷酷公爵と偽りの婚約者~ おまえたちは許さない!
秦江湖
ファンタジー
皇妃エリアーナは、夫である皇帝アランと、たった一人の親友イザベラの策略により、無実の罪で処刑される。
民衆に罵られ、アランの冷酷な目とイザベラの嘲笑を「始まりの景色」として目に焼き付けながら絶命した彼女は、しかし、処刑の記憶を持ったまま三年前の過去に回帰する。
「おまえたちは許さない」
二度目の人生。
エリアーナの目的はただ一つ、自分を陥れた二人への完璧な復讐。
彼女はまず、アラン(皇太子)からの婚約内示を拒絶。そして、アラン最大の政敵である「北の冷血公爵」ルシアン・ヴァレリウスに接触する。
1周目で得た「未来の知識」を対価に、エリアーナはルシアンに持ちかける。
「貴方様には帝国の覇権を。わたくしには復讐の舞台を。そのための『契約婚約』を――」
憎悪を糧に生きる皇妃と、氷の瞳を持つ公爵。
二人の偽りの婚約の行く末は……
勝手にしろと言われたので、勝手にさせていただきます
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
子爵家の私は自分よりも身分の高い婚約者に、いつもいいように顎でこき使われていた。ある日、突然婚約者に呼び出されて一方的に婚約破棄を告げられてしまう。二人の婚約は家同士が決めたこと。当然受け入れられるはずもないので拒絶すると「婚約破棄は絶対する。後のことなどしるものか。お前の方で勝手にしろ」と言い切られてしまう。
いいでしょう……そこまで言うのなら、勝手にさせていただきます。
ただし、後のことはどうなっても知りませんよ?
* 他サイトでも投稿
* ショートショートです。あっさり終わります
白い結婚のはずでしたが、冷血辺境伯の溺愛は想定外です
鍛高譚
恋愛
――私の結婚は、愛も干渉もない『白い結婚』のはずでした。
侯爵令嬢クレスタは王太子アレクシオンから一方的に婚約破棄を告げられ、冷徹と名高い辺境伯ジークフリートと政略結婚をすることに。 しかしその結婚には、『互いに干渉しない』『身体の関係を持たない』という特別な契約があった。
形だけの夫婦を続けながらも、ジークフリートの優しさや温もりに触れるうち、クレスタの傷ついた心は少しずつ癒されていく。 一方で、クレスタを捨てた王太子と平民の少女ミーナは『真実の愛』を声高に叫ぶが、次第にその実態が暴かれ、彼らの運命は思わぬ方向へと転落していく。
やがて訪れるざまぁな展開の先にあるのは、真実の愛によって結ばれる二人の未来――。
私に価値がないと言ったこと、後悔しませんね?
みこと。
恋愛
鉛色の髪と目を持つクローディアは"鉱石姫"と呼ばれ、婚約者ランバートからおざなりに扱われていた。
「俺には"宝石姫"であるタバサのほうが相応しい」そう言ってランバートは、新年祭のパートナーに、クローディアではなくタバサを伴う。
(あんなヤツ、こっちから婚約破棄してやりたいのに!)
現代日本にはなかった身分差のせいで、伯爵令嬢クローディアは、侯爵家のランバートに逆らえない。
そう、クローディアは転生者だった。現代知識で鉱石を扱い、カイロはじめ防寒具をドレス下に仕込む彼女は、冷えに苦しむ他国の王女リアナを助けるが──。
なんとリアナ王女の正体は、王子リアンで?
この出会いが、クローディアに新しい道を拓く!
※小説家になろう様でも「私に価値がないと言ったこと、後悔しませんね? 〜不実な婚約者を見限って。冷え性令嬢は、熱愛を希望します」というタイトルで掲載しています。
婚約破棄すると言われたので、これ幸いとダッシュで逃げました。殿下、すみませんが追いかけてこないでください。
桜乃
恋愛
ハイネシック王国王太子、セルビオ・エドイン・ハイネシックが舞踏会で高らかに言い放つ。
「ミュリア・メリッジ、お前とは婚約を破棄する!」
「はい、喜んで!」
……えっ? 喜んじゃうの?
※約8000文字程度の短編です。6/17に完結いたします。
※1ページの文字数は少な目です。
☆番外編「出会って10秒でひっぱたかれた王太子のお話」
セルビオとミュリアの出会いの物語。
※10/1から連載し、10/7に完結します。
※1日おきの更新です。
※1ページの文字数は少な目です。
❇❇❇❇❇❇❇❇❇
2024年12月追記
お読みいただき、ありがとうございます。
こちらの作品は完結しておりますが、番外編を追加投稿する際に、一旦、表記が連載中になります。ご了承ください。
※番外編投稿後は完結表記に致します。再び、番外編等を投稿する際には連載表記となりますこと、ご容赦いただけますと幸いです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる