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第2話 「理想の条件は、空っぽだった」
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第2話 「理想の条件は、空っぽだった」
婚約破棄が宣言されたその日、王城は妙に静かだった。
怒号も、抗議も、泣き声もない。
ただ、空気だけが重く沈んでいる。
オスカー・フォン・ルーヴェンは、それを「嵐の前の静けさ」だとは思わなかった。
むしろ――自分が正しい判断を下した証拠だと信じていた。
「やれやれ」
執務室に戻るなり、彼は大きく椅子に腰掛けた。
「ようやく、肩の荷が下りた気分だ」
机の上には、未処理の書類が山積みになっている。
それらは、かつてマルティナが整理し、要点をまとめ、判断の材料として差し出していたものだった。
だが、今日は違う。
書類は、そのまま放置されている。
「……女が賢すぎるのも考えものだな」
オスカーは、独り言のように呟いた。
「王の隣に立つのは、助言者じゃない。
俺を立ててくれる存在でいい」
その言葉に、同席していた側近たちは反応しなかった。
否――正確には、反応できなかった。
先ほどの謁見の間で何が起きたか、全員が知っている。
婚約者を、公の場で、あの理由で切り捨てた王太子。
今、ここで逆らえば、自分たちも同じ末路を辿る。
それは、理屈ではなく空気で理解できた。
「さて」
オスカーは、楽しげに手を叩いた。
「次だ」
その言葉に、側近の一人が恐る恐る口を開く。
「……次、とは?」
「決まっているだろう」
オスカーは当然のように言った。
「次の婚約者だ」
誰も、即座に反論しなかった。
それが、すでに異常だった。
「俺は王太子だぞ」
「空席のままというわけにはいかない」
理屈としては、正しい。
だが、その“正しさ”の裏にあるものが、致命的に欠けている。
「今度は、失敗しない」
オスカーは、そう言って紙を引き寄せた。
白紙。
「条件を整理しよう」
彼は、ペンを取り、迷いなく書き始める。
「第一に、胸が大きいこと」
ペン先が、止まらない。
「清楚であること」
「余計な意見を言わないこと」
「俺の判断を否定しないこと」
それは、まるで物品の仕様書だった。
人間ではなく、装飾品の選定基準。
側近の一人が、喉を鳴らす。
「殿下……それでは、政治的な――」
「不要だ」
即答。
「政治は、俺がやる」
「女が口出しする必要はない」
その言葉に、誰も「前は誰がやっていたのか」を口にしなかった。
それを言えば、確実に逆鱗に触れる。
「前の婚約者はな」
オスカーは、ふっと鼻で笑った。
「賢すぎた」
「正論ばかりで、息が詰まった」
――違う。
だが、その“違う”を、誰も口にできない。
「俺は、もっと分かりやすい女性がいい」
その言葉と同時に、オスカーの脳裏に浮かんだのは、
謁見の間で見た、マルティナの無表情だった。
怒りも、悲しみも、縋りもない。
ただ、静かに引いた女。
(……ああいうのが、気に入らなかったんだ)
オスカーは、無意識のうちにそう結論づけた。
(俺を見ていなかった)
それが、彼のプライドを最も傷つけていた。
「国内を見てもな」
ペンを置き、オスカーは言った。
「俺の理想に合う女はいない」
誰も異を唱えない。
沈黙が、彼の背中を押す。
「なら、外だ」
その結論に至ったのは、オスカー自身だった。
「他国から募ればいい」
「選択肢は、いくらでもある」
それは、思いつきだった。
だが、彼はそれを“英断”だと信じた。
「よし、各国に通達を出せ」
その瞬間、王太子の婚約は、
完全に“個人の嗜好”を満たすための外交案件へと変質した。
その一方で。
王城の奥、静かな回廊を、マルティナ・ヴァインベルクは歩いていた。
すでに彼女の荷物はまとめられている。
引き留める声はなかった。
(……当然ね)
彼女は、立ち止まらずに思う。
(あの人は、私がいなくても困らないと思っている)
それでいい。
いや、それがいい。
振り返らない。
後悔もしない。
彼女が担ってきた役割は、もう終わった。
そして、彼女がいなくなったことで、
この国は初めて――
オスカー・フォン・ルーヴェンの素の判断力だけで進み始める。
それが、どこへ辿り着くのかを、
知っている者は、もう誰もいなかった。
---
婚約破棄が宣言されたその日、王城は妙に静かだった。
怒号も、抗議も、泣き声もない。
ただ、空気だけが重く沈んでいる。
オスカー・フォン・ルーヴェンは、それを「嵐の前の静けさ」だとは思わなかった。
むしろ――自分が正しい判断を下した証拠だと信じていた。
「やれやれ」
執務室に戻るなり、彼は大きく椅子に腰掛けた。
「ようやく、肩の荷が下りた気分だ」
机の上には、未処理の書類が山積みになっている。
それらは、かつてマルティナが整理し、要点をまとめ、判断の材料として差し出していたものだった。
だが、今日は違う。
書類は、そのまま放置されている。
「……女が賢すぎるのも考えものだな」
オスカーは、独り言のように呟いた。
「王の隣に立つのは、助言者じゃない。
俺を立ててくれる存在でいい」
その言葉に、同席していた側近たちは反応しなかった。
否――正確には、反応できなかった。
先ほどの謁見の間で何が起きたか、全員が知っている。
婚約者を、公の場で、あの理由で切り捨てた王太子。
今、ここで逆らえば、自分たちも同じ末路を辿る。
それは、理屈ではなく空気で理解できた。
「さて」
オスカーは、楽しげに手を叩いた。
「次だ」
その言葉に、側近の一人が恐る恐る口を開く。
「……次、とは?」
「決まっているだろう」
オスカーは当然のように言った。
「次の婚約者だ」
誰も、即座に反論しなかった。
それが、すでに異常だった。
「俺は王太子だぞ」
「空席のままというわけにはいかない」
理屈としては、正しい。
だが、その“正しさ”の裏にあるものが、致命的に欠けている。
「今度は、失敗しない」
オスカーは、そう言って紙を引き寄せた。
白紙。
「条件を整理しよう」
彼は、ペンを取り、迷いなく書き始める。
「第一に、胸が大きいこと」
ペン先が、止まらない。
「清楚であること」
「余計な意見を言わないこと」
「俺の判断を否定しないこと」
それは、まるで物品の仕様書だった。
人間ではなく、装飾品の選定基準。
側近の一人が、喉を鳴らす。
「殿下……それでは、政治的な――」
「不要だ」
即答。
「政治は、俺がやる」
「女が口出しする必要はない」
その言葉に、誰も「前は誰がやっていたのか」を口にしなかった。
それを言えば、確実に逆鱗に触れる。
「前の婚約者はな」
オスカーは、ふっと鼻で笑った。
「賢すぎた」
「正論ばかりで、息が詰まった」
――違う。
だが、その“違う”を、誰も口にできない。
「俺は、もっと分かりやすい女性がいい」
その言葉と同時に、オスカーの脳裏に浮かんだのは、
謁見の間で見た、マルティナの無表情だった。
怒りも、悲しみも、縋りもない。
ただ、静かに引いた女。
(……ああいうのが、気に入らなかったんだ)
オスカーは、無意識のうちにそう結論づけた。
(俺を見ていなかった)
それが、彼のプライドを最も傷つけていた。
「国内を見てもな」
ペンを置き、オスカーは言った。
「俺の理想に合う女はいない」
誰も異を唱えない。
沈黙が、彼の背中を押す。
「なら、外だ」
その結論に至ったのは、オスカー自身だった。
「他国から募ればいい」
「選択肢は、いくらでもある」
それは、思いつきだった。
だが、彼はそれを“英断”だと信じた。
「よし、各国に通達を出せ」
その瞬間、王太子の婚約は、
完全に“個人の嗜好”を満たすための外交案件へと変質した。
その一方で。
王城の奥、静かな回廊を、マルティナ・ヴァインベルクは歩いていた。
すでに彼女の荷物はまとめられている。
引き留める声はなかった。
(……当然ね)
彼女は、立ち止まらずに思う。
(あの人は、私がいなくても困らないと思っている)
それでいい。
いや、それがいい。
振り返らない。
後悔もしない。
彼女が担ってきた役割は、もう終わった。
そして、彼女がいなくなったことで、
この国は初めて――
オスカー・フォン・ルーヴェンの素の判断力だけで進み始める。
それが、どこへ辿り着くのかを、
知っている者は、もう誰もいなかった。
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