4 / 40
第4話「理想は、作れる」
しおりを挟む
第4話「理想は、作れる」
フローラ・エヴァンスは、鏡の前でゆっくりと息を整えた。
王城に与えられた客間。
柔らかな光が差し込み、上質なカーテンが揺れている。
(……うまくいった)
内心でそう結論づけながら、彼は――彼女の姿をした人物は、鏡の中の自分を確認した。
豊かな胸元を強調する衣装。
清楚さを損なわない程度に計算された襟元。
視線を伏せたときに最も「従順」に見える角度。
すべて、計算通りだ。
(条件は、実に分かりやすかった)
王太子オスカー・フォン・ルーヴェンが示した条件は、
人を選ぶためのものではない。
(――操るための入口)
彼は、そう理解していた。
賢い女はいらない。
口出しする女はいらない。
否定する女はいらない。
(つまり、“思考しない女”が欲しい)
ならば――
そういう女を演じればいい。
それだけの話だった。
ノックの音がする。
「フローラ様、殿下がお呼びです」
フローラは、ほんの一瞬だけ口角を上げ、すぐに表情を整えた。
「はい。すぐに参ります」
声は柔らかく、感情を含ませない。
それが、“理想”だ。
執務室に入ると、オスカーは書類の山に囲まれていた。
だが、その大半は未開封のままだ。
(……やっぱり)
フローラは、内心で確信する。
(この人は、読まない)
だからこそ、扱いやすい。
「来てくれたか、フローラ」
オスカーは、彼女を見るなり顔を明るくした。
「どうだ? 城の生活には慣れたか?」
「はい」
即答。
「殿下のお心遣いのおかげで、不自由はございません」
それ以上は言わない。
不満も、要望も、質問も。
何も言わないことが、最適解。
オスカーは満足そうに頷いた。
「そうか。ならいい」
彼は、机の端に置かれた書類を指さした。
「これが、最近の外交関係の概要だ」
「一応、目を通しておいた方がいい」
――一応。
その言葉だけで、彼が本気で読ませる気がないことが分かる。
フローラは、ちらりと書類を見る。
文字量は多い。
内容も、決して軽くはない。
だが、彼女はそれを手に取らなかった。
「いいえ」
穏やかに、首を振る。
「殿下のお考えがあれば、十分でございます」
その瞬間。
オスカーの目が、わずかに輝いた。
「……そうか?」
「はい」
フローラは、少しだけ微笑む。
「私は、殿下を信じております」
それは、事実ではない。
だが、彼が最も欲している言葉だった。
オスカーは、明らかに機嫌を良くした。
「君は、本当に前の婚約者とは違うな」
その言葉に、フローラは内心で冷笑する。
(でしょうね)
前の婚約者――マルティナ・ヴァインベルク。
彼女の名は、すでに情報として頭に入っている。
(有能で、理性的で、止める女)
だから、排除された。
(……愚かだ)
フローラは、心の中で断じる。
(止める存在を切り捨てて、
褒める存在を選ぶ)
それが、どんな結果を招くかも分からずに。
「殿下」
フローラは、あえて一歩近づいた。
「何だ?」
「お疲れではございませんか?」
それだけ。
体調を気遣う言葉。
だが、そこに“判断への口出し”は一切含まれていない。
オスカーは、照れたように笑った。
「はは、少しな」
「だが、俺がやらねばならん」
フローラは、ただ頷く。
(そう、全部あなたがやる)
(責任も、署名も、判断も)
(私は、横で肯定するだけ)
それが、この関係の本質だ。
夜。
フローラは、再び鏡の前に立っていた。
衣装を脱ぎ、胸元の装具を外す。
鏡に映る身体は、昼間の「理想の女性」とは異なる。
(……本当に、簡単)
彼は、淡々と考える。
(人は、
見たいものしか見ない)
オスカーが見ているのは、
「従順な女」
「否定しない女」
「自分を肯定する存在」。
中身など、最初から見ていない。
(選んだのは、向こうだ)
だから、責任も向こうにある。
フローラは、鏡に向かって静かに言った。
「――理想は、作れる」
その言葉は、
誰に聞かせるでもなく、
ただ事実として、部屋に落ちた。
そして同時に。
オスカー・フォン・ルーヴェンは、
自分が最も危険な選択をしたことに、
まだ気づいていなかった。
---
フローラ・エヴァンスは、鏡の前でゆっくりと息を整えた。
王城に与えられた客間。
柔らかな光が差し込み、上質なカーテンが揺れている。
(……うまくいった)
内心でそう結論づけながら、彼は――彼女の姿をした人物は、鏡の中の自分を確認した。
豊かな胸元を強調する衣装。
清楚さを損なわない程度に計算された襟元。
視線を伏せたときに最も「従順」に見える角度。
すべて、計算通りだ。
(条件は、実に分かりやすかった)
王太子オスカー・フォン・ルーヴェンが示した条件は、
人を選ぶためのものではない。
(――操るための入口)
彼は、そう理解していた。
賢い女はいらない。
口出しする女はいらない。
否定する女はいらない。
(つまり、“思考しない女”が欲しい)
ならば――
そういう女を演じればいい。
それだけの話だった。
ノックの音がする。
「フローラ様、殿下がお呼びです」
フローラは、ほんの一瞬だけ口角を上げ、すぐに表情を整えた。
「はい。すぐに参ります」
声は柔らかく、感情を含ませない。
それが、“理想”だ。
執務室に入ると、オスカーは書類の山に囲まれていた。
だが、その大半は未開封のままだ。
(……やっぱり)
フローラは、内心で確信する。
(この人は、読まない)
だからこそ、扱いやすい。
「来てくれたか、フローラ」
オスカーは、彼女を見るなり顔を明るくした。
「どうだ? 城の生活には慣れたか?」
「はい」
即答。
「殿下のお心遣いのおかげで、不自由はございません」
それ以上は言わない。
不満も、要望も、質問も。
何も言わないことが、最適解。
オスカーは満足そうに頷いた。
「そうか。ならいい」
彼は、机の端に置かれた書類を指さした。
「これが、最近の外交関係の概要だ」
「一応、目を通しておいた方がいい」
――一応。
その言葉だけで、彼が本気で読ませる気がないことが分かる。
フローラは、ちらりと書類を見る。
文字量は多い。
内容も、決して軽くはない。
だが、彼女はそれを手に取らなかった。
「いいえ」
穏やかに、首を振る。
「殿下のお考えがあれば、十分でございます」
その瞬間。
オスカーの目が、わずかに輝いた。
「……そうか?」
「はい」
フローラは、少しだけ微笑む。
「私は、殿下を信じております」
それは、事実ではない。
だが、彼が最も欲している言葉だった。
オスカーは、明らかに機嫌を良くした。
「君は、本当に前の婚約者とは違うな」
その言葉に、フローラは内心で冷笑する。
(でしょうね)
前の婚約者――マルティナ・ヴァインベルク。
彼女の名は、すでに情報として頭に入っている。
(有能で、理性的で、止める女)
だから、排除された。
(……愚かだ)
フローラは、心の中で断じる。
(止める存在を切り捨てて、
褒める存在を選ぶ)
それが、どんな結果を招くかも分からずに。
「殿下」
フローラは、あえて一歩近づいた。
「何だ?」
「お疲れではございませんか?」
それだけ。
体調を気遣う言葉。
だが、そこに“判断への口出し”は一切含まれていない。
オスカーは、照れたように笑った。
「はは、少しな」
「だが、俺がやらねばならん」
フローラは、ただ頷く。
(そう、全部あなたがやる)
(責任も、署名も、判断も)
(私は、横で肯定するだけ)
それが、この関係の本質だ。
夜。
フローラは、再び鏡の前に立っていた。
衣装を脱ぎ、胸元の装具を外す。
鏡に映る身体は、昼間の「理想の女性」とは異なる。
(……本当に、簡単)
彼は、淡々と考える。
(人は、
見たいものしか見ない)
オスカーが見ているのは、
「従順な女」
「否定しない女」
「自分を肯定する存在」。
中身など、最初から見ていない。
(選んだのは、向こうだ)
だから、責任も向こうにある。
フローラは、鏡に向かって静かに言った。
「――理想は、作れる」
その言葉は、
誰に聞かせるでもなく、
ただ事実として、部屋に落ちた。
そして同時に。
オスカー・フォン・ルーヴェンは、
自分が最も危険な選択をしたことに、
まだ気づいていなかった。
---
0
あなたにおすすめの小説
恋人に夢中な婚約者に一泡吹かせてやりたかっただけ
棗
恋愛
伯爵令嬢ラフレーズ=ベリーシュは、王国の王太子ヒンメルの婚約者。
王家の忠臣と名高い父を持ち、更に隣国の姫を母に持つが故に結ばれた完全なる政略結婚。
長年の片思い相手であり、婚約者であるヒンメルの隣には常に恋人の公爵令嬢がいる。
婚約者には愛を示さず、恋人に夢中な彼にいつか捨てられるくらいなら、こちらも恋人を作って一泡吹かせてやろうと友達の羊の精霊メリー君の妙案を受けて実行することに。
ラフレーズが恋人役を頼んだのは、人外の魔術師・魔王公爵と名高い王国最強の男――クイーン=ホーエンハイム。
濡れた色香を放つクイーンからの、本気か嘘かも分からない行動に涙目になっていると恋人に夢中だった王太子が……。
※小説家になろう・カクヨム様にも公開しています
【完結】英雄様、婚約破棄なさるなら我々もこれにて失礼いたします。
紺
ファンタジー
「婚約者であるニーナと誓いの破棄を望みます。あの女は何もせずのうのうと暮らしていた役立たずだ」
実力主義者のホリックは魔王討伐戦を終結させた褒美として国王に直談判する。どうやら戦争中も優雅に暮らしていたニーナを嫌っており、しかも戦地で出会った聖女との結婚を望んでいた。英雄となった自分に酔いしれる彼の元に、それまで苦楽を共にした仲間たちが寄ってきて……
「「「ならば我々も失礼させてもらいましょう」」」
信頼していた部下たちは唐突にホリックの元を去っていった。
微ざまぁあり。
婚約破棄されたので、前世の知識で無双しますね?
ほーみ
恋愛
「……よって、君との婚約は破棄させてもらう!」
華やかな舞踏会の最中、婚約者である王太子アルベルト様が高らかに宣言した。
目の前には、涙ぐみながら私を見つめる金髪碧眼の美しい令嬢。確か侯爵家の三女、リリア・フォン・クラウゼルだったかしら。
──あら、デジャヴ?
「……なるほど」
旦那様は離縁をお望みでしょうか
村上かおり
恋愛
ルーベンス子爵家の三女、バーバラはアルトワイス伯爵家の次男であるリカルドと22歳の時に結婚した。
けれど最初の顔合わせの時から、リカルドは不機嫌丸出しで、王都に来てもバーバラを家に一人残して帰ってくる事もなかった。
バーバラは行き遅れと言われていた自分との政略結婚が気に入らないだろうと思いつつも、いずれはリカルドともいい関係を築けるのではないかと待ち続けていたが。
【完結】え?今になって婚約破棄ですか?私は構いませんが大丈夫ですか?
ゆうぎり
恋愛
カリンは幼少期からの婚約者オリバーに学園で婚約破棄されました。
卒業3か月前の事です。
卒業後すぐの結婚予定で、既に招待状も出し終わり済みです。
もちろんその場で受け入れましたよ。一向に構いません。
カリンはずっと婚約解消を願っていましたから。
でも大丈夫ですか?
婚約破棄したのなら既に他人。迷惑だけはかけないで下さいね。
※ゆるゆる設定です
※軽い感じで読み流して下さい
勝手にしろと言われたので、勝手にさせていただきます
結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
子爵家の私は自分よりも身分の高い婚約者に、いつもいいように顎でこき使われていた。ある日、突然婚約者に呼び出されて一方的に婚約破棄を告げられてしまう。二人の婚約は家同士が決めたこと。当然受け入れられるはずもないので拒絶すると「婚約破棄は絶対する。後のことなどしるものか。お前の方で勝手にしろ」と言い切られてしまう。
いいでしょう……そこまで言うのなら、勝手にさせていただきます。
ただし、後のことはどうなっても知りませんよ?
* 他サイトでも投稿
* ショートショートです。あっさり終わります
「では、ごきげんよう」と去った悪役令嬢は破滅すら置き去りにして
東雲れいな
恋愛
「悪役令嬢」と噂される伯爵令嬢・ローズ。王太子殿下の婚約者候補だというのに、ヒロインから王子を奪おうなんて野心はまるでありません。むしろ彼女は、“わたくしはわたくしらしく”と胸を張り、周囲の冷たい視線にも毅然と立ち向かいます。
破滅を甘受する覚悟すらあった彼女が、誇り高く戦い抜くとき、運命は大きく動きだす。
始まりはよくある婚約破棄のように
喜楽直人
恋愛
「ミリア・ファネス公爵令嬢! 婚約者として10年も長きに渡り傍にいたが、もう我慢ならない! 父上に何度も相談した。母上からも考え直せと言われた。しかし、僕はもう決めたんだ。ミリア、キミとの婚約は今日で終わりだ!」
学園の卒業パーティで、第二王子がその婚約者の名前を呼んで叫び、周囲は固唾を呑んでその成り行きを見守った。
ポンコツ王子から一方的な溺愛を受ける真面目令嬢が涙目になりながらも立ち向い、けれども少しずつ絆されていくお話。
第一章「婚約者編」
第二章「お見合い編(過去)」
第三章「結婚編」
第四章「出産・育児編」
第五章「ミリアの知らないオレファンの過去編」連載開始
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる