『胸の大きさで婚約破棄する王太子を捨てたら、国の方が先に詰みました』

鷹 綾

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第7話「忠告は、裏切りに変わる」

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第7話「忠告は、裏切りに変わる」

 違和感は、最初は小さな棘のようなものだった。

 だが一度刺さると、抜けない。

「殿下、商会連合から正式な抗議文が届いております」

 朝の執務室。
 側近が差し出した封書を、オスカー・フォン・ルーヴェンはちらりと見ただけで受け取らなかった。

「またか」

 吐き捨てるように言う。

「最近は、不満ばかりだな」

 抗議文。
 陳情書。
 再検討要請。

 以前は、当たり前のように目を通していたものだ。
 だが今は違う。

「殿下」

 側近が、慎重に続ける。

「内容は、先日の関税調整に関する――」

「分かっている!」

 声が、必要以上に強くなる。

 オスカー自身、その苛立ちの理由を正確には理解していなかった。

 ただ、
 それらの文書が来るたびに、
 胸の奥がざわつく。

(……俺が、間違ったとでも言いたいのか?)

 その考えが、頭から離れない。

「全部、後回しだ」

 オスカーは、椅子にもたれかかり、腕を組んだ。

「今は、そんな細かいことに構っている暇はない」

 その言葉に、誰も反論しない。

 反論すれば、
 “否定する側”に回ることになる。

 そして今のオスカーは、
 否定されることを、何よりも嫌っていた。

「殿下は、お忙しいのです」

 フローラ・エヴァンスが、穏やかに言った。

「責任あるお立場ですから」

 その言葉は、
 擁護のようでいて、
 同時に逃げ道でもあった。

「……そうだ」

 オスカーは、頷く。

「俺は、全体を見ている」

 だから、
 一つ一つの不満に付き合う必要はない。

 そう、自分に言い聞かせる。

 だが、数日後。

 問題は、無視できない形で表に出た。

「殿下、こちらを……」

 別の側近が、顔色を変えて書類を差し出す。

「国内の織物業者が、操業停止を――」

「またか」

 オスカーは、書類を見る前に言った。

「最近、騒ぎすぎだ」

「ですが、これは――」

「大げさだ」

 その一言で、会話は終わる。

 室内に、重たい沈黙が落ちた。

 フローラは、黙ってその様子を見ている。

(いい)

 内心で、静かに評価する。

(“聞かない”段階に入った)

 これは、次の段階だ。

 判断を誤るよりも前に、
 判断に至る情報を遮断する。

 それができるようになった時、
 人は本当に孤立する。

「殿下」

 意を決したように、年配の側近が一歩前に出た。

「失礼を承知で申し上げます」

 その声音に、オスカーは眉をひそめる。

「何だ」

「現在の政策は、確かに殿下のお考えに基づくものですが――」

 そこまで言った瞬間。

「……だから何だ?」

 オスカーの声が、低くなる。

「それが、間違っていると?」

 室内の空気が、一気に張り詰めた。

「いえ、そうでは……」

「なら、言う必要はない」

 オスカーは、はっきりと言い切った。

「俺の判断に疑問を挟むな」

 その言葉は、命令だった。

 側近は、言葉を失う。

 フローラは、そのやり取りを、ただ静かに見つめている。

(切った)

 内心で、そう判断する。

(もう、この人は“止める役”ではない)

 オスカーは、深く息を吐いた。

「最近、思うんだ」

 ふと、独り言のように言う。

「皆、俺を試しているんじゃないかと」

 その言葉に、誰も即答できない。

 フローラが、ゆっくりと口を開く。

「殿下は、試される立場ではありません」

 静かな断言。

「殿下は、信じられるべきお方です」

 その言葉は、
 オスカーの中で、何かを決定づけた。

「……そうだな」

 彼は、強く頷く。

「俺は、王太子だ」

 批判する者は、
 王太子に逆らう者。

 忠告する者は、
 王太子を疑う者。

 その単純な図式が、
 頭の中で完成する。

 その日以降。

 執務室に届く報告は、
 明らかに“選別”されるようになった。

 悪い知らせは、遅れる。
 軽い表現に変えられる。
 あるいは、届かない。

 オスカーは、それに気づかない。

 気づく必要が、なくなったからだ。

「殿下」

 夜、フローラが静かに言う。

「今日も、お疲れでしょう」

「……ああ」

 オスカーは、椅子に深く座り直す。

「正直、皆がうるさくてな」

「殿下を理解できないのです」

 フローラは、そう言った。

 それ以上でも、それ以下でもない。

「……そうか」

 オスカーは、目を閉じる。

「分かってくれるのは、君だけだな」

 その言葉を聞いた瞬間、
 フローラの中で、ひとつの線が引かれた。

(これでいい)

(もう、戻れない)

 肯定だけが残った部屋。
 忠告は、すべて敵に変わった。

 こうして、
 王太子オスカー・フォン・ルーヴェンは、
 自らの手で――
 耳を塞いだ。

 破滅の音が、
 すぐそこまで来ていることに、
 気づくこともなく。


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