『胸の大きさで婚約破棄する王太子を捨てたら、国の方が先に詰みました』

鷹 綾

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第8話「間違いは、外から来る」

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第8話「間違いは、外から来る」

 報告は、慎重すぎるほど慎重に選ばれて、王太子の執務室へ運び込まれていた。

 ――否定されないように。
 ――怒りを買わないように。

 それでも、隠しきれない現実がある。

「殿下……」

 側近の声は、乾いていた。

「国内の数都市で、失業者が急増しております」

 オスカー・フォン・ルーヴェンは、机に肘をついたまま、視線だけを向ける。

「……それで?」

 その一言に、側近は一瞬、言葉を失った。

「それは……先日の関税調整の影響と考えられ――」

「違う」

 即答だった。

「俺の判断が原因なはずがない」

 それは、もはや“主張”ではない。
 前提だった。

「殿下のお考えは、間違っていません」

 フローラ・エヴァンスが、静かに言う。

「問題が起きているとすれば……」

 そこで、わずかに言葉を切る。

 オスカーが、続きを待っているのを、彼女は理解していた。

「外部要因、ではないでしょうか」

 その瞬間。

 オスカーの中で、霧が晴れるような感覚があった。

「……そうか」

 彼は、ゆっくりと頷く。

「そうだ。外だ」

 自分ではない。
 判断でもない。
 署名でもない。

 原因は、外から来たもの。

「隣国の動きが、怪しいな」

 誰も、すぐには否定できなかった。

 否定すれば、
 また“敵”になる。

「最近、妙に交易量が増えていると言っていたな?」

 オスカーは、側近を見る。

「それは……事実ですが」

「なら、向こうが何か仕掛けている」

 その論理は、飛躍している。
 だが、今の彼には十分だった。

 フローラは、目を伏せたまま、静かに続ける。

「殿下は、善意で国を導いておられます」
「それを妨げる者がいるとすれば……」

 言葉は、最後まで言わない。

 言わせないことが、重要だった。

「……いるな」

 オスカーは、低く呟く。

「俺の足を引っ張る連中が」

 その瞬間から、
 状況は“失策”ではなく、
 “妨害”へと書き換えられた。

 数日後。

 王城内で、不穏な空気が広がる。

「調査を始める」

 オスカーの命令は、突然だった。

「誰が、この混乱を招いているのかを」

 対象は、明確にされなかった。
 だが、それが逆に恐怖を生む。

「忠誠心を示せ」

 その言葉が、合言葉になる。

 意見を言う者は減り、
 無難な賛同だけが増える。

 オスカーは、それを“秩序が戻った”と勘違いした。

「やっと、静かになったな」

 彼は、満足そうに言う。

「皆、理解したんだ」

 理解したのは、
 逆らってはいけないということだけだった。

 フローラは、その様子を横で見ている。

(次の段階)

 内心で、淡々と判断する。

(自分の判断を、
 “国を守る正義”に置き換えた)

 こうなれば、
 どんな批判も、
 どんな被害も、
 すべて“敵の仕業”になる。

 夜。

 執務室に二人きりになる。

「君は、怖くないのか?」

 オスカーが、唐突に尋ねた。

「俺が、こんなことをしていて」

 それは、ほんの一瞬だけ覗いた不安だった。

 フローラは、間を置かずに答える。

「殿下が、正しいからです」

 即答。

「正しいお方がなさることに、恐れる必要はありません」

 その言葉で、
 オスカーの迷いは、完全に消えた。

「……そうだな」

 彼は、椅子に深く座り直す。

「俺は、間違っていない」

 その確信は、
 もはや揺らがない。

 一方。

 遠く離れた国で、
 マルティナ・ヴァインベルクは、最新の報告書を読んでいた。

 交易の停滞。
 失業者の増加。
 王城内の緊張。

(……陰謀論に入った)

 彼女は、静かに結論づける。

(これは、もう戻らない)

 止める言葉は、存在しない。
 聞く耳も、存在しない。

(私が離れたのは、正解だった)

 冷静な判断。
 感情は、そこにない。

 マルティナは、書類を閉じた。

 王太子オスカー・フォン・ルーヴェンは、
 今や、失策を認めることすらできない。

 間違いは、常に外から来る。
 敵がいるから、問題が起きる。

 そう信じた瞬間、
 彼は――
 自分自身を、最も危険な存在に変えた。


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