『胸の大きさで婚約破棄する王太子を捨てたら、国の方が先に詰みました』

鷹 綾

文字の大きさ
37 / 40

第37話「成功の影にあるもの」

しおりを挟む
第37話「成功の影にあるもの」

 ミュールの朝は、王都よりも早い。

 日の出と同時に市場が動き、
 荷が積まれ、
 声が交わされる。

 マルティナ・ヴァインベルクは、
 宿の窓からその光景を眺めていた。

(……活気は、確かに増している)

 通りを行き交う人の数。
 荷車の回転率。
 商人たちの足取り。

 数字を見なくても、
 “うまく回り始めている”ことは、
 誰の目にも明らかだった。

 だが――
 彼女の胸は、
 不思議と落ち着かなかった。

(早すぎる)

 それが、
 率直な感想だった。

「おはようございます」

 レオンハルトが、
 軽くノックして入ってくる。

「市場の数字が出ました。
 想定より一割、上です」

「……そう」

 マルティナは、
 椅子に腰かけたまま答える。

「問題は?」

「今のところは、ありません」

 “今のところは”。

 その言葉に、
 彼女は視線を上げた。

「現場の声は?」

「前向きです」

 レオンハルトは、
 少し言葉を選びながら続ける。

「ですが……
 一部の商会が、
 やや強気に出始めています」

 やはり、
 という感覚。

「具体的には?」

「王都との取引を
 一方的に切り替えたことを
 “成功例”として喧伝している」

 マルティナは、
 静かに息を吐いた。

(出てきたわね)

 成功は、
 必ず“利用される”。

「彼らは、
 都市全体の判断を
 自分の手柄にしたがる」

「ええ」

 レオンハルトも、
 同意する。

「現場に判断を任せた結果、
 “声の大きい者”が
 目立ち始めました」

 それは、
 失敗ではない。

 だが――
 放置すれば歪む兆候だ。

「……これが、
 あなたの言っていた
 “最初の歪み”ですね」

 レオンハルトの言葉に、
 マルティナは
 小さく頷いた。

「成功は、
 誰かの功績として
 固定された瞬間から、
 危うくなる」

「だから、
 “誰の手柄でもない”状態を
 維持しなければならない」

 レオンハルトは、
 しばし沈黙した後、
 率直に言った。

「……それは、
 かなり難しい」

「ええ」

 マルティナは、
 否定しない。

「だからこそ、
 “ルール”が必要なの」

 その日の午後。

 二人は、
 商会代表を集めた
 非公式の場を設けた。

 公文書も、
 命令もない。

 ただ、
 説明の場。

「今回の成果は、
 特定の商会の功績ではありません」

 マルティナは、
 前に出ることなく、
 静かに語る。

「現場判断を
 信じた結果です」

 商人たちの間に、
 小さなざわめきが走る。

「つまり、
 今後も“独走”は
 評価されません」

「共有されない成功は、
 次の混乱を生むだけです」

 強い言葉ではない。
 だが、
 明確だった。

「もし、
 自分の利益だけを
 優先するなら」

「この仕組みから、
 外れていただきます」

 その瞬間。

 空気が変わった。

 誰も、
 反論しない。

 なぜなら――
 これは脅しではない。

 ただの、
 条件提示だからだ。

 会合が終わり、
 人が引いた後。

 レオンハルトは、
 深く息を吐いた。

「……思ったより、
 抵抗がありませんでした」

「当然です」

 マルティナは、
 淡々と言う。

「彼らは、
 “仕組み”が
 壊れる方が怖い」

「一度、
 恩恵を知ったから」

 それは、
 経験から来る確信だった。

 夕刻。

 マルティナは、
 一人で川沿いを歩いていた。

(……私は、
 関与しないつもりだった)

 助言だけ。
 名義なし。
 責任なし。

 それが、
 最初の約束。

 だが――

(放っておけば、
 同じ過ちを
 繰り返す)

 王都で見た光景。
 声の大きな者が、
 判断を歪める様。

(……嫌ね)

 彼女は、
 歩みを止めた。

(これは、
 “王家の尻拭い”じゃない)

(“自分が始めた流れ”の
 責任だ)

 それが、
 決定的な違いだった。

 その夜。

 マルティナは、
 レオンハルトに
 静かに告げた。

「……条件があります」

「何でしょう」

「私の関与は、
 限定的に」

「ですが」

 一拍置く。

「仕組みが歪む兆しがあれば、
 私は、
 はっきり口を出します」

 レオンハルトは、
 迷わず頷いた。

「それを、
 望んでいました」

 その言葉に、
 計算はない。

 だからこそ、
 彼女は決めた。

 マルティナ・ヴァインベルクは、
 初めて、
 “これは自分の仕事だ”
 と認めた。

 選ばれたからではない。
 必要とされたからでもない。

 自分で、選んだ。

 成功の影にあるものを、
 見過ごさないために。

 物語は、
 次の段階へ進む。

 次は――
 この仕組みが
 王都にどう映るのか。

 そして、
 彼女の関与が
 どこまで許されるのか。


--
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

恋人に夢中な婚約者に一泡吹かせてやりたかっただけ

恋愛
伯爵令嬢ラフレーズ=ベリーシュは、王国の王太子ヒンメルの婚約者。 王家の忠臣と名高い父を持ち、更に隣国の姫を母に持つが故に結ばれた完全なる政略結婚。 長年の片思い相手であり、婚約者であるヒンメルの隣には常に恋人の公爵令嬢がいる。 婚約者には愛を示さず、恋人に夢中な彼にいつか捨てられるくらいなら、こちらも恋人を作って一泡吹かせてやろうと友達の羊の精霊メリー君の妙案を受けて実行することに。 ラフレーズが恋人役を頼んだのは、人外の魔術師・魔王公爵と名高い王国最強の男――クイーン=ホーエンハイム。 濡れた色香を放つクイーンからの、本気か嘘かも分からない行動に涙目になっていると恋人に夢中だった王太子が……。 ※小説家になろう・カクヨム様にも公開しています

【完結】英雄様、婚約破棄なさるなら我々もこれにて失礼いたします。

ファンタジー
「婚約者であるニーナと誓いの破棄を望みます。あの女は何もせずのうのうと暮らしていた役立たずだ」 実力主義者のホリックは魔王討伐戦を終結させた褒美として国王に直談判する。どうやら戦争中も優雅に暮らしていたニーナを嫌っており、しかも戦地で出会った聖女との結婚を望んでいた。英雄となった自分に酔いしれる彼の元に、それまで苦楽を共にした仲間たちが寄ってきて…… 「「「ならば我々も失礼させてもらいましょう」」」 信頼していた部下たちは唐突にホリックの元を去っていった。 微ざまぁあり。

婚約破棄されたので、前世の知識で無双しますね?

ほーみ
恋愛
「……よって、君との婚約は破棄させてもらう!」  華やかな舞踏会の最中、婚約者である王太子アルベルト様が高らかに宣言した。  目の前には、涙ぐみながら私を見つめる金髪碧眼の美しい令嬢。確か侯爵家の三女、リリア・フォン・クラウゼルだったかしら。  ──あら、デジャヴ? 「……なるほど」

旦那様は離縁をお望みでしょうか

村上かおり
恋愛
 ルーベンス子爵家の三女、バーバラはアルトワイス伯爵家の次男であるリカルドと22歳の時に結婚した。  けれど最初の顔合わせの時から、リカルドは不機嫌丸出しで、王都に来てもバーバラを家に一人残して帰ってくる事もなかった。  バーバラは行き遅れと言われていた自分との政略結婚が気に入らないだろうと思いつつも、いずれはリカルドともいい関係を築けるのではないかと待ち続けていたが。

【完結】え?今になって婚約破棄ですか?私は構いませんが大丈夫ですか?

ゆうぎり
恋愛
カリンは幼少期からの婚約者オリバーに学園で婚約破棄されました。 卒業3か月前の事です。 卒業後すぐの結婚予定で、既に招待状も出し終わり済みです。 もちろんその場で受け入れましたよ。一向に構いません。 カリンはずっと婚約解消を願っていましたから。 でも大丈夫ですか? 婚約破棄したのなら既に他人。迷惑だけはかけないで下さいね。 ※ゆるゆる設定です ※軽い感じで読み流して下さい

勝手にしろと言われたので、勝手にさせていただきます

結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
子爵家の私は自分よりも身分の高い婚約者に、いつもいいように顎でこき使われていた。ある日、突然婚約者に呼び出されて一方的に婚約破棄を告げられてしまう。二人の婚約は家同士が決めたこと。当然受け入れられるはずもないので拒絶すると「婚約破棄は絶対する。後のことなどしるものか。お前の方で勝手にしろ」と言い切られてしまう。 いいでしょう……そこまで言うのなら、勝手にさせていただきます。 ただし、後のことはどうなっても知りませんよ? * 他サイトでも投稿 * ショートショートです。あっさり終わります

「では、ごきげんよう」と去った悪役令嬢は破滅すら置き去りにして

東雲れいな
恋愛
「悪役令嬢」と噂される伯爵令嬢・ローズ。王太子殿下の婚約者候補だというのに、ヒロインから王子を奪おうなんて野心はまるでありません。むしろ彼女は、“わたくしはわたくしらしく”と胸を張り、周囲の冷たい視線にも毅然と立ち向かいます。 破滅を甘受する覚悟すらあった彼女が、誇り高く戦い抜くとき、運命は大きく動きだす。

始まりはよくある婚約破棄のように

喜楽直人
恋愛
「ミリア・ファネス公爵令嬢! 婚約者として10年も長きに渡り傍にいたが、もう我慢ならない! 父上に何度も相談した。母上からも考え直せと言われた。しかし、僕はもう決めたんだ。ミリア、キミとの婚約は今日で終わりだ!」 学園の卒業パーティで、第二王子がその婚約者の名前を呼んで叫び、周囲は固唾を呑んでその成り行きを見守った。 ポンコツ王子から一方的な溺愛を受ける真面目令嬢が涙目になりながらも立ち向い、けれども少しずつ絆されていくお話。 第一章「婚約者編」 第二章「お見合い編(過去)」 第三章「結婚編」 第四章「出産・育児編」 第五章「ミリアの知らないオレファンの過去編」連載開始

処理中です...