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第10話 “仮の妻”という提案──白い結婚の始まり
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◆第10話 “仮の妻”という提案──白い結婚の始まり
エヴァントラが宰相補佐官邸に滞在して三日。
彼女の生活は静かで穏やかだった。
読書、軽い手伝い、紅茶、そして──
不器用な同居人との不思議な会話。
アイオンはいつも冷静で理性的。
だが、時折彼の瞳から“明らかな動揺”が漏れる。
(……まだ慣れておりませんのね)
そんな日、アイオンが執務室にエヴァントラを呼んだ。
机の上には整然と書類が並び、
採光の良い窓から差す光が、彼の横顔を柔らかく照らしていた。
「少し……相談があります」
「相談?」
アイオンは深呼吸し、きっちり背筋を伸ばした。
(また難しい政治の話かしら。
それなら手伝えますけれど──)
そう思って椅子に座ったエヴァントラは、
次の言葉で目を瞬かせることになる。
「あなたに──
“わたしの仮の妻”になってほしいのです」
エヴァントラ「…………はい?」
静寂。
一瞬、時計が止まったような空気。
アイオンは真面目すぎる顔で続けた。
「誤解のないよう最初に言っておきます。
恋愛感情を前提としたものではありません」
(……余計に混乱しますわね、それ)
しかし彼は真剣だった。
「現在、あなたを“追放した国”は不安定です。
必ず“責任者探し”を始め、
やがてはあなたを利用しようとするでしょう」
「でしょうね」
エヴァントラは淡々とうなずいた。
アイオンは眉を寄せながら続ける。
「彼らが公式にあなたを扱おうとした場合、
“独身で、国境を越えて滞在中の貴族令嬢”は──
非常に危険です」
「……たしかに、身柄保護を理由に接触できますわね」
「ええ。だからこそ──」
アイオンは、まっすぐに彼女を見る。
「あなたが“既婚者である”という状態を作る必要があります」
エヴァントラ「……」
その意図を理解するのに時間はかからなかった。
婚約破棄された令嬢が単独で隣国に滞在している状況は、
政治的に──弱い。
だが「既に結婚している」身分なら、
他国は迂闊に触れられない。
(……よく考えたものですわね)
そして、アイオンはさらに続けた。
「もちろん、“白い結婚”です。
恋愛も同居義務も必要ありません。
あなたは自由に暮らして構いません」
(もう同居してますわよ?)
と心の中でツッコみつつ、エヴァントラは淡々と問い返す。
「……わざわざ“妻”という形を取らずとも、
“庇護対象”としての保護宣言で足りるのでは?」
アイオンは一瞬、言葉を詰まらせた。
「……あなたが想像以上に狙われる可能性があるからです」
「狙われる?」
アイオンの横顔は、どこか苦しげだった。
「あなたの能力を知る者は、
きっとあなたを“奪い返し”に来る。
わたしは……
それを絶対に許したくない」
エヴァントラは目を細めた。
(……“保護対象だから”という表向きの理由の裏に、
何か別の感情が混じっていますわね)
しかし、それを指摘するほど野暮ではない。
アイオンは、理性的な声へと戻した。
「わたしとしては、この形が最善だと判断しています。
もちろん、強制ではありません。
あなたが望まないのなら──」
エヴァントラは、ふっと微笑んだ。
「いいですわよ。
結婚しましょう」
アイオン「……っ……」
言葉が出ない。
顔どころか、耳まで赤く染まった。
エヴァントラは続ける。
「あなたは理由を明確に説明した。
政治的に最善で、合理的で、
なにより──信頼できますわ」
アイオン「…………」
「それに──
“自由を守るための結婚”というのも、悪くありませんもの」
アイオンは、胸の奥で何かがほどけるのを感じた。
「……ありがとう……ございます……」
しっかりしているのに、
急に弱くなるこのギャップ。
エヴァントラは、そんな彼を少しだけ可愛いと思ってしまった。
(これは……少しだけ、面白くなりそうですわ)
こうして──
“白い結婚(仮の妻契約)”が正式に成立する。
それは互いの自由を守るための“合理的な契約”だったはずなのに。
このとき既に、
二人の間には“契約以上の何か”が静かに芽生えていた。
---
エヴァントラが宰相補佐官邸に滞在して三日。
彼女の生活は静かで穏やかだった。
読書、軽い手伝い、紅茶、そして──
不器用な同居人との不思議な会話。
アイオンはいつも冷静で理性的。
だが、時折彼の瞳から“明らかな動揺”が漏れる。
(……まだ慣れておりませんのね)
そんな日、アイオンが執務室にエヴァントラを呼んだ。
机の上には整然と書類が並び、
採光の良い窓から差す光が、彼の横顔を柔らかく照らしていた。
「少し……相談があります」
「相談?」
アイオンは深呼吸し、きっちり背筋を伸ばした。
(また難しい政治の話かしら。
それなら手伝えますけれど──)
そう思って椅子に座ったエヴァントラは、
次の言葉で目を瞬かせることになる。
「あなたに──
“わたしの仮の妻”になってほしいのです」
エヴァントラ「…………はい?」
静寂。
一瞬、時計が止まったような空気。
アイオンは真面目すぎる顔で続けた。
「誤解のないよう最初に言っておきます。
恋愛感情を前提としたものではありません」
(……余計に混乱しますわね、それ)
しかし彼は真剣だった。
「現在、あなたを“追放した国”は不安定です。
必ず“責任者探し”を始め、
やがてはあなたを利用しようとするでしょう」
「でしょうね」
エヴァントラは淡々とうなずいた。
アイオンは眉を寄せながら続ける。
「彼らが公式にあなたを扱おうとした場合、
“独身で、国境を越えて滞在中の貴族令嬢”は──
非常に危険です」
「……たしかに、身柄保護を理由に接触できますわね」
「ええ。だからこそ──」
アイオンは、まっすぐに彼女を見る。
「あなたが“既婚者である”という状態を作る必要があります」
エヴァントラ「……」
その意図を理解するのに時間はかからなかった。
婚約破棄された令嬢が単独で隣国に滞在している状況は、
政治的に──弱い。
だが「既に結婚している」身分なら、
他国は迂闊に触れられない。
(……よく考えたものですわね)
そして、アイオンはさらに続けた。
「もちろん、“白い結婚”です。
恋愛も同居義務も必要ありません。
あなたは自由に暮らして構いません」
(もう同居してますわよ?)
と心の中でツッコみつつ、エヴァントラは淡々と問い返す。
「……わざわざ“妻”という形を取らずとも、
“庇護対象”としての保護宣言で足りるのでは?」
アイオンは一瞬、言葉を詰まらせた。
「……あなたが想像以上に狙われる可能性があるからです」
「狙われる?」
アイオンの横顔は、どこか苦しげだった。
「あなたの能力を知る者は、
きっとあなたを“奪い返し”に来る。
わたしは……
それを絶対に許したくない」
エヴァントラは目を細めた。
(……“保護対象だから”という表向きの理由の裏に、
何か別の感情が混じっていますわね)
しかし、それを指摘するほど野暮ではない。
アイオンは、理性的な声へと戻した。
「わたしとしては、この形が最善だと判断しています。
もちろん、強制ではありません。
あなたが望まないのなら──」
エヴァントラは、ふっと微笑んだ。
「いいですわよ。
結婚しましょう」
アイオン「……っ……」
言葉が出ない。
顔どころか、耳まで赤く染まった。
エヴァントラは続ける。
「あなたは理由を明確に説明した。
政治的に最善で、合理的で、
なにより──信頼できますわ」
アイオン「…………」
「それに──
“自由を守るための結婚”というのも、悪くありませんもの」
アイオンは、胸の奥で何かがほどけるのを感じた。
「……ありがとう……ございます……」
しっかりしているのに、
急に弱くなるこのギャップ。
エヴァントラは、そんな彼を少しだけ可愛いと思ってしまった。
(これは……少しだけ、面白くなりそうですわ)
こうして──
“白い結婚(仮の妻契約)”が正式に成立する。
それは互いの自由を守るための“合理的な契約”だったはずなのに。
このとき既に、
二人の間には“契約以上の何か”が静かに芽生えていた。
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