永遠の十七歳なんて、呪いに決まってる

鷹 綾

文字の大きさ
18 / 39

第18話 幼い日の恩人

しおりを挟む
第18話 幼い日の恩人


---

 イソファガス領の朝は、今日も静かだった。

 山から降りてくる風が、庭の木々を揺らし、窓辺のレースをそっと揺らす。
 キクコ・イソファガスは書斎で紅茶を淹れながら、昨夜届いた王家の書簡を机の端へと追いやった。

「……再協議、再協議って。懲りない人たち」

 ため息混じりに呟き、湯気の立つカップに口をつける。

 国を止めた張本人として、王宮が彼女を放っておくはずがないことは分かっていた。
 だが、少なくとも今は“嵐の前の静けさ”だ。

 ――そのはず、だった。

 控えめなノック音が、書斎の扉を叩いた。

「キクコ様。……お客様です」

 老執事ガイウスの声が、どこか歯切れ悪い。

「珍しいわね。今度は誰?」

「その……お一人で来られまして」

「一人?」

 キクコは扇子を置き、立ち上がった。

「通してちょうだい」

     ◆ ◆ ◆

 応接間に通された青年は、少しだけ緊張した面持ちで立っていた。

 年の頃は二十前後。
 簡素な旅装に、よく手入れされた剣。
 だが、その立ち姿には、どこか“覚えのある気配”があった。

「……あら?」

 キクコは足を止め、相手をじっと見つめる。

「その構え……」

 青年は、深く一礼した。

「はじめまして。
 いえ……本当は、“はじめまして”ではありません」

 顔を上げた青年の瞳は、まっすぐだった。

「キクコ様。
 ――幼い頃、命を救っていただいた者です」

 その言葉に、キクコの記憶が一気に遡る。

     ◆ ◆ ◆

 ――森。
 雨。
 迷子の少年。

 崖から落ちかけ、木の根にしがみついて泣いていた、小さな子ども。

 あのとき、彼女は――

『大丈夫よ。落ち着いて。
 ほら、手を伸ばして』

 そう言って、迷いなく手を伸ばした。

     ◆ ◆ ◆

「……あの時の坊や?」

 キクコの言葉に、青年ははにかむように笑った。

「覚えていてくださったのですね」

「忘れるわけないでしょう。
 あんなに必死に泣いてた子、印象に残らないはずがないわ」

「……その節は、本当にありがとうございました」

 青年は再び頭を下げた。

「もし、あの時キクコ様がいなければ、私はここにいません」

 キクコは軽く肩をすくめた。

「大げさよ。
 子どもを助けるのは当たり前でしょう?」

「でも、あのときのあなたは――
 今と、まったく同じ姿でした」

 空気が、わずかに張り詰める。

 キクコは、静かに紅茶を注ぎ直した。

「……それで?」

「私は、その理由を知りません。
 ですが、ずっと考えていました」

 青年は、拳を握る。

「どうして、あの人は年を取らないのか。
 どうして、誰よりも強く、優しいのか」

 キクコは、彼をまっすぐに見た。

「答えを求めに来たの?」

「いいえ」

 青年は、首を横に振った。

「答えはいりません。
 ただ……お礼を言いたくて」

     ◆ ◆ ◆

「……それだけ?」

 キクコの問いに、青年は少しだけ笑った。

「それだけ、ではありません」

 懐から、一通の書簡を取り出す。

「王宮から、勇者候補としての召集が来ました」

 キクコの目が、細くなる。

「……来たのね」

「はい。
 ですが、私は行きません」

「理由は?」

「あなたが教えてくれたからです」

「私が?」

「はい。
 “役割を押しつけられる人生ほど、愚かなものはない”と」

 キクコは、思わず吹き出した。

「……そんなこと、言ったかしら」

「ええ。
 あの時、森で。
 泣き止まない私に、そう言ってくれました」

     ◆ ◆ ◆

 キクコは、少しだけ視線を逸らす。

「……相変わらず、変なところを覚えてるわね」

「でも、その言葉があったから、私は自分で剣を握る理由を選べました」

 青年は、剣の柄に手を置いた。

「私は、あなたのようになりたい」

 その言葉に、キクコは静かに首を振った。

「やめておきなさい」

「……なぜ?」

「私の道は、孤独よ」

 キクコは、淡々と続ける。

「誰も同じ速度で歩いてくれない。
 気づけば、周りは全部、入れ替わる」

 青年は、それでも目を逸らさなかった。

「それでも、あなたは人を助け続けている」

「……それは、性分なだけ」

「性分でできることじゃありません」

     ◆ ◆ ◆

 沈黙が、応接間に落ちる。

 やがて、キクコは小さく息を吐いた。

「……名前は?」

「レオンと申します」

「そう。レオン」

 彼女は、扇子を閉じて立ち上がる。

「勇者になるかどうかは、あなたが決めなさい。
 でも――」

 一歩、距離を詰める。

「誰かに“選ばされる”人生だけは、選ばないこと」

 レオンは、深く頷いた。

「はい」

     ◆ ◆ ◆

 別れ際。

 レオンは、少しだけ迷ってから言った。

「……あの」

「なに?」

「“母上”と呼んでしまいそうになって……」

 その瞬間、キクコの扇子がぴたりと止まる。

「却下」

「ですよね!」

「あなたは、弟子。
 それ以上でも以下でもないわ」

 レオンは苦笑しながらも、どこか嬉しそうだった。

     ◆ ◆ ◆

 彼が去ったあと。

 キクコは、窓辺に立ち、遠ざかる背中を見送った。

「……また一人、置いていくことになるのかしらね」

 そう呟いたが、不思議と胸は軽かった。

 彼は、自分で選び、自分で歩く。
 それだけで、十分だ。

 机に戻り、紅茶を一口。

「……さて」

 書簡の山を見やる。

「次は、誰が来るのかしら」

 永遠の十七歳は、今日も変わらぬ姿で――
 それでも確実に、誰かの人生に痕跡を残し続けていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

P.S. 推し活に夢中ですので、返信は不要ですわ

汐瀬うに
恋愛
アルカナ学院に通う伯爵令嬢クラリスは、幼い頃から婚約者である第一王子アルベルトと共に過ごしてきた。しかし彼は言葉を尽くさず、想いはすれ違っていく。噂、距離、役割に心を閉ざしながらも、クラリスは自分の居場所を見つけて前へ進む。迎えたプロムの夜、ようやく言葉を選び、追いかけてきたアルベルトが告げたのは――遅すぎる本心だった。 ※こちらの作品はカクヨム・アルファポリス・小説家になろうに並行掲載しています。

結婚十年目の夫から「結婚契約更新書」なるものが届いた。彼は「送り間違えた」というけれど、それはそれで問題なのでは?

ぽんた
恋愛
レミ・マカリスター侯爵夫人は、夫と政略結婚をして十周年。侯爵夫人として、義父母の介護や領地経営その他もろもろを完ぺきにこなしている。そんなある日、王都に住む夫から「結婚契約更新書」なるものが届いた。義弟を通じ、夫を追求するも夫は「送り間違えた。ほんとうは金を送れというメモを送りたかった」という。レミは、心から思った。「それはそれで問題なのでは?」、と。そして、彼女の夫にたいするざまぁがはじまる。 ※ハッピーエンド確約。ざまぁあり。ご都合主義のゆるゆる設定はご容赦願います。

病弱な幼馴染を守る彼との婚約を解消、十年の恋を捨てて結婚します

佐藤 美奈
恋愛
セフィーナ・グラディウスという貴族の娘が、婚約者であるアルディン・オルステリア伯爵令息との関係に苦悩し、彼の優しさが他の女性に向けられることに心を痛める。 セフィーナは、アルディンが幼馴染のリーシャ・ランスロット男爵令嬢に特別な優しさを注ぐ姿を見て、自らの立場に苦しみながらも、理想的な婚約者を演じ続ける日々を送っていた。 婚約して十年間、心の中で自分を演じ続けてきたが、それももう耐えられなくなっていた。

【完結】私が誰だか、分かってますか?

美麗
恋愛
アスターテ皇国 時の皇太子は、皇太子妃とその侍女を妾妃とし他の妃を娶ることはなかった 出産時の出血により一時病床にあったもののゆっくり回復した。 皇太子は皇帝となり、皇太子妃は皇后となった。 そして、皇后との間に産まれた男児を皇太子とした。 以降の子は妾妃との娘のみであった。 表向きは皇帝と皇后の仲は睦まじく、皇后は妾妃を受け入れていた。 ただ、皇帝と皇后より、皇后と妾妃の仲はより睦まじくあったとの話もあるようだ。 残念ながら、この妾妃は産まれも育ちも定かではなかった。 また、後ろ盾も何もないために何故皇后の侍女となったかも不明であった。 そして、この妾妃の娘マリアーナははたしてどのような娘なのか… 17話完結予定です。 完結まで書き終わっております。 よろしくお願いいたします。

私を見下していた婚約者が破滅する未来が見えましたので、静かに離縁いたします

ほーみ
恋愛
 その日、私は十六歳の誕生日を迎えた。  そして目を覚ました瞬間――未来の記憶を手に入れていた。  冷たい床に倒れ込んでいる私の姿。  誰にも手を差し伸べられることなく、泥水をすするように生きる未来。  それだけなら、まだ耐えられたかもしれない。  だが、彼の言葉は、決定的だった。 「――君のような役立たずが、僕の婚約者だったことが恥ずかしい」

君といるのは疲れると言われたので、婚約者を追いかけるのはやめてみました

水谷繭
恋愛
メイベル・ホワイトは目立たない平凡な少女で、美人な姉といつも比べられてきた。 求婚者の殺到する姉とは反対に、全く縁談のなかったメイベル。 そんなある日、ブラッドという美少年が婚約を持ちかけてくる。姉より自分を選んでくれたブラッドに感謝したメイベルは、彼のために何でもしようとひたすら努力する。 しかしそんな態度を重いと告げられ、君といると疲れると言われてしまう。 ショックを受けたメイベルは、ブラッドばかりの生活を改め、好きだった魔法に打ち込むために魔術院に入ることを決意するが…… ◆なろうにも掲載しています

【完結】お世話になりました

⚪︎
恋愛
わたしがいなくなっても、きっとあなたは気付きもしないでしょう。 ✴︎書き上げ済み。 お話が合わない場合は静かに閉じてください。

逆行した悪女は婚約破棄を待ち望む~他の令嬢に夢中だったはずの婚約者の距離感がおかしいのですか!?

魚谷
恋愛
目が覚めると公爵令嬢オリヴィエは学生時代に逆行していた。 彼女は婚約者である王太子カリストに近づく伯爵令嬢ミリエルを妬み、毒殺を図るも失敗。 国外追放の系に処された。 そこで老商人に拾われ、世界中を見て回り、いかにそれまで自分の世界が狭かったのかを痛感する。 新しい人生がこのまま謳歌しようと思いきや、偶然滞在していた某国の動乱に巻き込まれて命を落としてしまう。 しかし次の瞬間、まるで夢から目覚めるように、オリヴィエは5年前──ミリエルの毒殺を図った学生時代まで時を遡っていた。 夢ではないことを確信したオリヴィエはやり直しを決意する。 ミリエルはもちろん、王太子カリストとも距離を取り、静かに生きる。 そして学校を卒業したら大陸中を巡る! そう胸に誓ったのも束の間、次々と押し寄せる問題に回帰前に習得した知識で対応していたら、 鬼のように恐ろしかったはずの王妃に気に入られ、回帰前はオリヴィエを疎ましく思っていたはずのカリストが少しずつ距離をつめてきて……? 「君を愛している」 一体なにがどうなってるの!?

処理中です...