26 / 39
27話 隣国の静観
しおりを挟む
27話 隣国の静観
王都で渦巻く空気は、国境を越えても伝わっていた。
隣国ノイエシュタットベルケ。
その公爵城の高窓から、ブラウン・シュヴァイク公爵は王都方面を望んでいた。
もっとも、彼が見ているのは景色ではない。
届いた報告書の行間――そこに滲む「温度」だった。
「……騒がしいが、火は上がっていないな」
静かな独り言に、側近が頷く。
「はい。王太子と教会の動きは鈍く、市民感情は反発寄り。しかし、暴動や越境的な兆候は見られません」
「当然だ」
ブラウン公爵は報告書を閉じ、机に置いた。
彼にとって重要なのは、事件の善悪ではない。
それが「国際問題」になるかどうかだ。
結論は、すでに出ていた。
――ならない。
聖女ジャンヌ・テレーゼは、平民出身。
だが、現時点で彼女は隣国の庇護下にない。
誘拐?
ありえない。
公爵は鼻で笑った。
「隣国の貴族を拉致して見世物にするなら話は別だが、平民の少女を“国内で”使い倒しているだけだ。国際法の出る幕ではない」
冷徹だが、正確な判断だった。
だからこそ、動かない。
動けば、問題になる。
動かなければ、問題は国内で収束する。
それだけの話だ。
「しかし……」
側近が言葉を選ぶ。
「アルトリア・カストゥス公爵令嬢の告発は、非常に理路整然としておりました。隣国の我々から見ても、筋が通っていると」
「知っている」
ブラウン公爵は、短く答えた。
むしろ、そこが興味深かった。
貴族が、権威を使って権威を否定する。
感情ではなく、構造を壊す。
「上手い手だ。誰も殴らず、誰も煽らず、逃げ道だけを塞いでいる」
「教会が沈黙したのも……」
「当然だ。勝てない戦に乗るほど、あの枢機卿は愚かではない」
公爵は椅子に深く腰掛け、指を組んだ。
「この件で我々が動く理由は、ひとつもない。むしろ――」
言葉を切り、わずかに口角を上げる。
「王太子が自滅するのを、黙って見ていればいい」
それは、侮蔑ではない。
評価でもない。
純粋な、観測者の判断だった。
夜。
ノイエシュタットベルケの上流貴族たちの間でも、話題は共有されていた。
「動かないのですか?」 「今は、何もしないのが最善だろう」
「聖女を“確保”する話は?」
その問いに、年配の伯が苦笑する。
「確保? 何のために?」 「三十センチ浮く奇跡を、か?」
失笑が漏れた。
価値がない、とは言わない。
だが、国を動かす価値でもない。
それが、彼らの一致した認識だった。
王都では、隣国の沈黙を「無関心」と捉える者もいた。
だが、それは違う。
沈黙は、計算だ。
静観は、選択だ。
そして――
この沈黙は、王太子にとって最も残酷なものだった。
誰も、救いに来ない。
誰も、火種に油を注がない。
つまり、
誰も「使える存在」として見ていない。
その夜、ブラウン・シュヴァイク公爵は、最後に一行だけ覚え書きを残した。
「本件、継続観測。介入不要」
簡潔で、冷たい文字。
だが、それは同時に、
この事件が“国内で完結する”という宣告でもあった。
隣国は動かない。
それは、王太子が
もはや国際舞台に立つ存在ではない、
という静かな認定だった。
王都で渦巻く空気は、国境を越えても伝わっていた。
隣国ノイエシュタットベルケ。
その公爵城の高窓から、ブラウン・シュヴァイク公爵は王都方面を望んでいた。
もっとも、彼が見ているのは景色ではない。
届いた報告書の行間――そこに滲む「温度」だった。
「……騒がしいが、火は上がっていないな」
静かな独り言に、側近が頷く。
「はい。王太子と教会の動きは鈍く、市民感情は反発寄り。しかし、暴動や越境的な兆候は見られません」
「当然だ」
ブラウン公爵は報告書を閉じ、机に置いた。
彼にとって重要なのは、事件の善悪ではない。
それが「国際問題」になるかどうかだ。
結論は、すでに出ていた。
――ならない。
聖女ジャンヌ・テレーゼは、平民出身。
だが、現時点で彼女は隣国の庇護下にない。
誘拐?
ありえない。
公爵は鼻で笑った。
「隣国の貴族を拉致して見世物にするなら話は別だが、平民の少女を“国内で”使い倒しているだけだ。国際法の出る幕ではない」
冷徹だが、正確な判断だった。
だからこそ、動かない。
動けば、問題になる。
動かなければ、問題は国内で収束する。
それだけの話だ。
「しかし……」
側近が言葉を選ぶ。
「アルトリア・カストゥス公爵令嬢の告発は、非常に理路整然としておりました。隣国の我々から見ても、筋が通っていると」
「知っている」
ブラウン公爵は、短く答えた。
むしろ、そこが興味深かった。
貴族が、権威を使って権威を否定する。
感情ではなく、構造を壊す。
「上手い手だ。誰も殴らず、誰も煽らず、逃げ道だけを塞いでいる」
「教会が沈黙したのも……」
「当然だ。勝てない戦に乗るほど、あの枢機卿は愚かではない」
公爵は椅子に深く腰掛け、指を組んだ。
「この件で我々が動く理由は、ひとつもない。むしろ――」
言葉を切り、わずかに口角を上げる。
「王太子が自滅するのを、黙って見ていればいい」
それは、侮蔑ではない。
評価でもない。
純粋な、観測者の判断だった。
夜。
ノイエシュタットベルケの上流貴族たちの間でも、話題は共有されていた。
「動かないのですか?」 「今は、何もしないのが最善だろう」
「聖女を“確保”する話は?」
その問いに、年配の伯が苦笑する。
「確保? 何のために?」 「三十センチ浮く奇跡を、か?」
失笑が漏れた。
価値がない、とは言わない。
だが、国を動かす価値でもない。
それが、彼らの一致した認識だった。
王都では、隣国の沈黙を「無関心」と捉える者もいた。
だが、それは違う。
沈黙は、計算だ。
静観は、選択だ。
そして――
この沈黙は、王太子にとって最も残酷なものだった。
誰も、救いに来ない。
誰も、火種に油を注がない。
つまり、
誰も「使える存在」として見ていない。
その夜、ブラウン・シュヴァイク公爵は、最後に一行だけ覚え書きを残した。
「本件、継続観測。介入不要」
簡潔で、冷たい文字。
だが、それは同時に、
この事件が“国内で完結する”という宣告でもあった。
隣国は動かない。
それは、王太子が
もはや国際舞台に立つ存在ではない、
という静かな認定だった。
0
あなたにおすすめの小説
欠席魔の公爵令嬢、冤罪断罪も欠席す 〜メイリーン戦記〜
水戸直樹
ファンタジー
王太子との婚約――それは、彼に恋したからでも、権力のためでもなかった。
魔王乱立の時代。
王も公爵も外征に出ている王都で、公爵令嬢メイリーンは“地味な婚約者”として王城に現れる。
だが、王太子は初顔合わせに現れなかった。
にもかかわらず、記録に残ったのは「公爵令嬢の欠席」。
抗議はしない。
訂正もしない。
ただ一つ、欠席という事実だけを積み上げていく。
――それが、誰にとっての不合格なのか。
まだ、誰も気づいていない。
欠席から始まる、静かなるファンタジー戦記。
病弱な幼馴染を守る彼との婚約を解消、十年の恋を捨てて結婚します
佐藤 美奈
恋愛
セフィーナ・グラディウスという貴族の娘が、婚約者であるアルディン・オルステリア伯爵令息との関係に苦悩し、彼の優しさが他の女性に向けられることに心を痛める。
セフィーナは、アルディンが幼馴染のリーシャ・ランスロット男爵令嬢に特別な優しさを注ぐ姿を見て、自らの立場に苦しみながらも、理想的な婚約者を演じ続ける日々を送っていた。
婚約して十年間、心の中で自分を演じ続けてきたが、それももう耐えられなくなっていた。
聖女に負けた侯爵令嬢 (よくある婚約解消もののおはなし)
蒼あかり
恋愛
ティアナは女王主催の茶会で、婚約者である王子クリストファーから婚約解消を告げられる。そして、彼の隣には聖女であるローズの姿が。
聖女として国民に、そしてクリストファーから愛されるローズ。クリストファーとともに並ぶ聖女ローズは美しく眩しいほどだ。そんな二人を見せつけられ、いつしかティアナの中に諦めにも似た思いが込み上げる。
愛する人のために王子妃として支える覚悟を持ってきたのに、それが叶わぬのならその立場を辞したいと願うのに、それが叶う事はない。
いつしか公爵家のアシュトンをも巻き込み、泥沼の様相に……。
ラストは賛否両論あると思います。納得できない方もいらっしゃると思います。
それでも最後まで読んでいただけるとありがたいです。
心より感謝いたします。愛を込めて、ありがとうございました。
大好きな旦那様はどうやら聖女様のことがお好きなようです
古堂すいう
恋愛
祖父から溺愛され我儘に育った公爵令嬢セレーネは、婚約者である皇子から衆目の中、突如婚約破棄を言い渡される。
皇子の横にはセレーネが嫌う男爵令嬢の姿があった。
他人から冷たい視線を浴びたことなどないセレーネに戸惑うばかり、そんな彼女に所有財産没収の命が下されようとしたその時。
救いの手を差し伸べたのは神官長──エルゲンだった。
セレーネは、エルゲンと婚姻を結んだ当初「穏やかで誰にでも微笑むつまらない人」だという印象をもっていたけれど、共に生活する内に徐々に彼の人柄に惹かれていく。
だけれど彼には想い人が出来てしまったようで──…。
「今度はわたくしが恩を返すべきなんですわ!」
今まで自分のことばかりだったセレーネは、初めて人のために何かしたいと思い立ち、大好きな旦那様のために奮闘するのだが──…。
愛する貴方の心から消えた私は…
矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。
周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。
…彼は絶対に生きている。
そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。
だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。
「すまない、君を愛せない」
そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。
*設定はゆるいです。
婚約者が妹と結婚したいと言ってきたので、私は身を引こうと決めました
日下奈緒
恋愛
アーリンは皇太子・クリフと婚約をし幸せな生活をしていた。
だがある日、クリフが妹のセシリーと結婚したいと言ってきた。
もしかして、婚約破棄⁉
悪役令嬢の涙
拓海のり
恋愛
公爵令嬢グレイスは婚約者である王太子エドマンドに卒業パーティで婚約破棄される。王子の側には、癒しの魔法を使え聖女ではないかと噂される子爵家に引き取られたメアリ―がいた。13000字の短編です。他サイトにも投稿します。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる