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第20話 失われた王位は、誰にも奪われていない
しおりを挟む王都は、完全に日常を取り戻していた。
結界は揺れず、魔導灯は夜を均一に照らし、
市場には人が集い、笑い声が戻っている。
魔物の侵入は報告されず、
誰もが「いつも通りの明日」を疑わなくなっていた。
――それは、理想的な状態だった。
王宮の執務室で、アラルガン王太子は、
静かにその報告を聞いていた。
「……以上です」
書記官が報告を終える。
拍子抜けするほど、
淡々とした内容だった。
緊急性はない。
対処も不要。
決裁を要する案件も、ない。
王太子は、ゆっくりと息を吐いた。
「……何も、ないのか」
「はい、殿下」
書記官は、迷いなく答える。
「現状、
すべての案件は、
既存の運用方針内で処理可能です」
――つまり。
王太子の判断を必要としない。
「……下がっていい」
「はっ」
書記官が退室すると、
部屋には静寂だけが残った。
王太子は、
机に置かれた王印を見つめる。
重く、冷たい金属。
かつては、
この印を押すことで、
国が動いた。
今は――
押す必要がない。
「……奪われたわけじゃない」
彼は、低く呟いた。
「誰かに、
王位を奪われたわけじゃない……」
事実だった。
王位は、今もここにある。
法的にも、形式上も、
彼は王太子だ。
だが――
「……使われなくなった、だけか」
その言葉が、
胸に重く沈む。
誰も、王位を否定していない。
誰も、王位を求めてもいない。
必要がなくなった。
それだけだ。
一方、王宮の別棟。
重臣たちは、
定例会議を行っていた。
「……魔導障壁管理、
次期更新計画について」
「現行設計を維持し、
段階的に人材育成を進める方針で」
「エルフレイド顧問の指針通りだな」
「異論は?」
誰も、口を開かない。
会議は、
驚くほどスムーズに進む。
王太子の名前は、
一度も出なかった。
それは、
意図的な排除ではない。
前提に含まれていないだけだ。
隣国。
エルフレイドは、
技術報告をまとめ終え、
静かに席を立った。
「旧王国側、
安定運用に完全移行しました」
「予定より、早いな」
ゼノス・フォン・バルドールは、
腕を組んで言う。
「現場の吸収が、
思った以上に早かった」
「人材が、いましたから」
彼女は、淡々と答える。
「元々、
能力のある技師は多かった」
「……抑えられていた?」
「活かされていなかった、
だけです」
ゼノスは、短く笑った。
「王がいなくても、
国は回る」
「いいえ」
エルフレイドは、首を振る。
「正確には」
彼女は、少しだけ言葉を選ぶ。
「王が、
“決断を誤らなければ”
国は、もっと早く回っていました」
ゼノスは、
それ以上、何も言わなかった。
夜。
王太子は、
一人で王宮の回廊を歩いていた。
かつて、
彼が通るたびに、
人々は道を空け、
深く頭を下げた。
今は――
「……殿下」
「お疲れ様でございます」
礼は、ある。
敬意も、形式上はある。
だが、
その目には、
期待がない。
確認だけだ。
王太子は、
足を止め、
窓の外を見た。
安定した結界の光が、
王都を包んでいる。
「……あの女は」
小さく呟く。
「……奪いに来なかった」
彼女は、
王位を求めなかった。
復讐もしなかった。
支配もしなかった。
ただ、
仕事をした。
結果として、
王位は、
静かに意味を失った。
「……私は」
王太子は、
拳を握る。
「……何を、
守りたかったんだ」
答えは、
もう、分かっている。
自分自身だ。
地位。
誇り。
“選ぶ側”であるという幻想。
それらを守るために、
国を危険に晒した。
翌朝。
王都では、
新たな公告が掲示された。
《魔導障壁運用、
安定化完了のご報告》
文面の末尾に、
小さく記されている。
《本件に関し、
エルフレイド・ヴァルシュタイン顧問の
多大なる尽力に、
深く感謝する》
王太子の名は、
そこにはなかった。
それを見た民は、
特に疑問を抱かない。
――当然だろう、と。
王太子は、
その公告を遠くから眺め、
静かに目を閉じた。
奪われたのではない。
否定されたのでもない。
ただ――
選ばれなかった。
それだけだった。
そして、それは、
誰かの悪意ではなく、
彼自身の選択の結果だった。
王位は、
今も、そこにある。
だが、
それを必要とする者は、
もう、いなかった。
物語は、
次の局面へと進む。
救われた国の先で、
一人だけ、
居場所を失った王を残して。
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