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第35話 選ぶ側へ
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第35話 選ぶ側へ
噂が完全に武器としての力を失ってから、しばらくが過ぎた。
公爵邸は、これまでになく穏やかな時間を取り戻していた。
朝の光が回廊を満たし、使用人たちの足音にも、余計な緊張がない。
誰かの視線を気にして言葉を選ぶ必要もなくなった。
(……やっと、終わったんだ)
ウェイフは、窓辺で静かにそう思った。
だが同時に、胸の奥に小さな違和感もあった。
嵐が過ぎたあとに残る、妙な静けさ。
それは、次に何をするかを問われている感覚だった。
朝食のあと、アバルトが書斎に呼んだ。
「少し、話をしよう」
いつもの穏やかな声だが、内容は軽くないと分かる。
書斎の机には、数通の書簡が並んでいた。
封の色も、書式も、ばらばらだ。
「これは?」
「縁談だ」
短い答えに、ウェイフは瞬きをした。
「……縁談、ですか?」
「正確には、“打診”だな」
アバルトは、淡々と続ける。
「公爵家との関係を結び直したい家が、
婚約者の“将来”について、
勝手に想像を始めた」
ウェイフは、思わず苦笑した。
「噂が終わったら、今度は期待ですか」
「人は、常に都合のいい物語を欲しがる」
影武者の老人も、同席していた。
「以前は、
“身代わり”“利用される孤児”
今は、
“公爵家の実権を握る未来の夫人”だ」
どちらも、勝手な像だ。
ウェイフは、静かに息を吐いた。
「……どう、対応しますか」
「君が決める」
アバルトは、即座にそう言った。
「今回は、本当に君の話だ」
ウェイフは、しばらく黙った。
机の上の書簡を見つめる。
(……選ばれる側から、選ぶ側へ)
少し前まで、自分は値踏みされる存在だった。
今は、相手が距離を測ってくる。
立場は変わった。
だが、変わってはいけないものもある。
「……全部、お断りします」
はっきりと言った。
影武者の老人が、目を丸くする。
「全部か?」
「はい」
ウェイフは、視線を上げた。
「今は、
誰かの期待を背負うために、
ここにいるわけじゃありません」
アバルトは、何も言わず、続きを待つ。
「私は」
言葉を選びながら、続ける。
「この家に、“守られる存在”として来ました。
でも……
いつまでも、
守られるだけでいるつもりはありません」
胸の奥で、何かが静かに固まっていく。
「学びたいです。
公爵家の仕組みも、
貴族社会の現実も」
「その先は?」
アバルトが、静かに問う。
「……選べる人になりたい」
ウェイフは、迷わず答えた。
「誰かに選ばれるのではなく、
自分で、距離と関係を選べる人に」
書斎に、短い沈黙が落ちる。
やがて、アバルトが微笑んだ。
「なら、これがいい」
彼は、一通の書簡を手に取った。
「これは、
中央の施療院と、
地方の孤児支援に関する共同調査の依頼だ」
ウェイフの目が、わずかに見開かれる。
「……私に、ですか」
「君に、だ」
はっきりと。
「名目は、公爵家の婚約者。
だが、内容は――
実務だ」
影武者の老人が、うなずく。
「表に出るが、
飾りにはならない。
嫌われる可能性もある」
「……構いません」
ウェイフは、即答した。
「誰かの期待より、
誰かの現実に触れる方が、
ずっといい」
アバルトは、静かに言った。
「それが、
“選ぶ”ということだ」
夜、書庫で一人になったウェイフは、帳面を開いた。
だが、今日は出来事を書かなかった。
(……選ぶ側へ)
それは、
強くなることでも、
冷たくなることでもない。
自分の立つ場所を、
自分で決めること。
孤児院では、選べなかった。
男爵家でも、選べなかった。
でも、今は――
違う。
灯りを落とす前、ウェイフは小さく微笑んだ。
(……私は、もう)
物語の中で、
流される役ではない。
選ぶ側として、
静かに、
この先へ進む。
それが、
公爵家に迎えられた“意味”なのだと、
はっきりと分かっていた。
噂が完全に武器としての力を失ってから、しばらくが過ぎた。
公爵邸は、これまでになく穏やかな時間を取り戻していた。
朝の光が回廊を満たし、使用人たちの足音にも、余計な緊張がない。
誰かの視線を気にして言葉を選ぶ必要もなくなった。
(……やっと、終わったんだ)
ウェイフは、窓辺で静かにそう思った。
だが同時に、胸の奥に小さな違和感もあった。
嵐が過ぎたあとに残る、妙な静けさ。
それは、次に何をするかを問われている感覚だった。
朝食のあと、アバルトが書斎に呼んだ。
「少し、話をしよう」
いつもの穏やかな声だが、内容は軽くないと分かる。
書斎の机には、数通の書簡が並んでいた。
封の色も、書式も、ばらばらだ。
「これは?」
「縁談だ」
短い答えに、ウェイフは瞬きをした。
「……縁談、ですか?」
「正確には、“打診”だな」
アバルトは、淡々と続ける。
「公爵家との関係を結び直したい家が、
婚約者の“将来”について、
勝手に想像を始めた」
ウェイフは、思わず苦笑した。
「噂が終わったら、今度は期待ですか」
「人は、常に都合のいい物語を欲しがる」
影武者の老人も、同席していた。
「以前は、
“身代わり”“利用される孤児”
今は、
“公爵家の実権を握る未来の夫人”だ」
どちらも、勝手な像だ。
ウェイフは、静かに息を吐いた。
「……どう、対応しますか」
「君が決める」
アバルトは、即座にそう言った。
「今回は、本当に君の話だ」
ウェイフは、しばらく黙った。
机の上の書簡を見つめる。
(……選ばれる側から、選ぶ側へ)
少し前まで、自分は値踏みされる存在だった。
今は、相手が距離を測ってくる。
立場は変わった。
だが、変わってはいけないものもある。
「……全部、お断りします」
はっきりと言った。
影武者の老人が、目を丸くする。
「全部か?」
「はい」
ウェイフは、視線を上げた。
「今は、
誰かの期待を背負うために、
ここにいるわけじゃありません」
アバルトは、何も言わず、続きを待つ。
「私は」
言葉を選びながら、続ける。
「この家に、“守られる存在”として来ました。
でも……
いつまでも、
守られるだけでいるつもりはありません」
胸の奥で、何かが静かに固まっていく。
「学びたいです。
公爵家の仕組みも、
貴族社会の現実も」
「その先は?」
アバルトが、静かに問う。
「……選べる人になりたい」
ウェイフは、迷わず答えた。
「誰かに選ばれるのではなく、
自分で、距離と関係を選べる人に」
書斎に、短い沈黙が落ちる。
やがて、アバルトが微笑んだ。
「なら、これがいい」
彼は、一通の書簡を手に取った。
「これは、
中央の施療院と、
地方の孤児支援に関する共同調査の依頼だ」
ウェイフの目が、わずかに見開かれる。
「……私に、ですか」
「君に、だ」
はっきりと。
「名目は、公爵家の婚約者。
だが、内容は――
実務だ」
影武者の老人が、うなずく。
「表に出るが、
飾りにはならない。
嫌われる可能性もある」
「……構いません」
ウェイフは、即答した。
「誰かの期待より、
誰かの現実に触れる方が、
ずっといい」
アバルトは、静かに言った。
「それが、
“選ぶ”ということだ」
夜、書庫で一人になったウェイフは、帳面を開いた。
だが、今日は出来事を書かなかった。
(……選ぶ側へ)
それは、
強くなることでも、
冷たくなることでもない。
自分の立つ場所を、
自分で決めること。
孤児院では、選べなかった。
男爵家でも、選べなかった。
でも、今は――
違う。
灯りを落とす前、ウェイフは小さく微笑んだ。
(……私は、もう)
物語の中で、
流される役ではない。
選ぶ側として、
静かに、
この先へ進む。
それが、
公爵家に迎えられた“意味”なのだと、
はっきりと分かっていた。
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