『婚約破棄された令嬢ですが、王国は私抜きでは立てなかったようですね』

鷹 綾

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愛しているのは彼女だ

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愛しているのは彼女だ

 王宮の大広間は、いつになく人が集まっていた。
 貴族たちは華やかな衣装に身を包み、ざわめきながら王太子ロネスの登場を待っている。

 エルゼリア・クローヴェルは、その端に静かに立っていた。

 この場が、何のために用意されたのか。
 正式な説明は受けていない。だが、胸の奥に微かな違和感が残っている。

 ――最近、妙に慌ただしい。

 ロネスの周囲は、以前にも増して落ち着きがなかった。
 政務の相談は減り、代わりに彼の傍らに立つ女性の存在感が増している。

 嫌な予感、というほどの感情は湧かなかった。
 ただ、どこか遠くで歯車が噛み合わなくなっている感覚だけがあった。

「王太子殿下、入場!」

 声が響き、場の視線が一斉に集まる。

 ロネスは堂々とした足取りで現れ、その隣には一人の女性を伴っていた。
 淡い色のドレスに身を包んだ、柔らかな笑みを浮かべる少女。

 ――やはり。

 エルゼリアは、心の中で小さく息を吐いた。

 ロネスが一歩前に出る。

「皆に、聞いてもらいたいことがある」

 その声はよく通り、自信に満ちていた。
 彼は少しだけ間を置き、はっきりと告げる。

「本日をもって、私は――
 エルゼリア・クローヴェルとの婚約を、破棄する」

 一瞬、大広間が静まり返った。

 次の瞬間、ざわめきが爆発する。

「なっ……!?」
「まさか、この場で……」
「理由は……?」

 視線が、一斉にエルゼリアへと向けられる。

 だが彼女は、微動だにしなかった。

 ロネスは続ける。

「理由は簡単だ。
 私は……愛のない婚約を続けるつもりはない」

 そう言って、隣の女性の手を取った。

「私が愛しているのは、彼女だ」

 少女は頬を染め、控えめに頭を下げる。

「……ロネス様のお気持ちに、応えたいと思います」

 その姿に、貴族たちの間から同情と称賛が入り混じった空気が流れる。

「なんて純愛……」
「やはり、心の通わない婚約は不幸ですものね」

 誰かが、そう囁いた。

 エルゼリアは、ようやく一歩前に出た。

「王太子殿下」

 静かな声だった。
 だが、その場にいる全員の耳に、はっきりと届く。

「それは、正式なご決断という理解で、よろしいでしょうか」

 ロネスは、わずかに眉をひそめる。

「……ああ。君も、納得してくれるだろう?」

 どこか、上から目線の言葉。

 エルゼリアは、少しだけ考える素振りを見せたあと、ゆっくりと頷いた。

「承知いたしました」

 その即答に、ざわめきが強まる。

「え?」
「泣きもしないの?」
「引き止めないの……?」

 ロネスも、拍子抜けしたように目を瞬かせた。

「……それだけか?」

「はい」

 エルゼリアは淡々と答える。

「婚約とは、両家と国家の合意によるもの。
 殿下が破棄をお望みであれば、私が申し上げることはございません」

 あまりに冷静な態度に、ロネスの胸に苛立ちが込み上げる。

「君は、本当に……冷たいな」

「そう見えるのであれば、申し訳ありません」

 エルゼリアは一礼した。

「では、本日をもって――
 私の役目も、ここまでということですね」

 その言葉の意味を、ロネスは深く考えなかった。

 だが、それは確かに宣言だった。

 王太子妃候補として。
 そして、王宮の裏で政務を支えてきた存在としての――終わりの。

 エルゼリアは踵を返し、大広間を後にする。

 背後で、誰かが囁く声が聞こえた。

「負け惜しみね」
「可哀想だけど、仕方ないわ」

 そのどれもが、彼女の心には届かなかった。

 回廊に出た瞬間、外の風が頬を撫でる。

 ――終わったのね。

 悲しみは、ない。
 ただ、長く背負ってきた重荷が、静かに肩から降りた感覚があった。

 この時、誰も気づいていない。

 王太子ロネスが、
 そして王国そのものが――
 どれほど大きなものを、手放したのかを。

 それを知る日は、そう遠くなかった。
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