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16話|差し出される条件
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16話|差し出される条件
会議棟を出た後、エルゼリアは宰相府の回廊をゆっくりと歩いていた。
石造りの床は冷たく、足音が規則正しく反響する。
先ほどまでの会談の余韻が、まだ胸の奥に残っていた。
――合格。
だが、それは終わりではない。
帝国は、必ず次の一手を用意している。
「お待ちしておりました」
回廊の先で、先ほど案内を務めた文官が一礼した。
「ハインリヒ・ヴォルフ様より、改めてお時間をいただきたいとのことです」
「……今から、ですか」
「はい。短い時間ですが」
エルゼリアは頷いた。
断る理由はない。
案内されたのは、先ほどとは別の小さな応接室だった。
窓はなく、余計な装飾もない。
ここは、交渉のための部屋だ。
ハインリヒ・ヴォルフは、すでに席についていた。
立ち上がることもなく、淡々と告げる。
「先ほどの会談は、能力の確認だ」
「そう理解しています」
「では、ここからは条件の話になる」
エルゼリアは、背筋を伸ばした。
――来た。
「帝国は、貴女を必要としている」
ハインリヒは、はっきりと言った。
「だが、それは感情ではない。
帝国にとって合理的だからだ」
「承知しています」
「よろしい」
彼は、一枚の文書を机の上に置いた。
「これは、草案だ。
正式な任命ではないが、方向性は示している」
エルゼリアは、文書に目を落とす。
そこに書かれていたのは、想像以上の内容だった。
――帝国宰相府・政策補佐官。
――外交・財務・内政に跨る調整権限。
――宰相への直接進言権。
そして――
「……責任範囲が、かなり広いですね」
思わず、口に出る。
「当然だ」
ハインリヒは、即答した。
「貴女に求めているのは、助言ではない。
“動かす”ことだ」
エルゼリアは、静かに文書を読み進める。
給与。
権限。
評価基準。
どれもが、明確だった。
曖昧さがない。
成果を出せば、評価される。
出せなければ、切られる。
「……一つ、確認を」
「言え」
「私は、帝国の利益を最優先に行動することになりますね」
「当然だ」
「その結果、王国と対立する可能性も?」
ハインリヒの目が、わずかに細くなる。
「避けられない場合もある」
それは、脅しではない。
事実の提示だった。
エルゼリアは、文書から目を上げる。
「私は、王国を貶めるために来たわけではありません」
「分かっている」
「ですが、王国を守るために動くことも、もうありません」
静かな宣言だった。
「……私は、帝国の一員として、帝国の合理を選びます」
ハインリヒは、数秒、彼女を見つめた。
そして、小さく頷いた。
「それでいい」
彼は、机に指を置く。
「帝国は、感情的な忠誠を求めない。
求めるのは、結果だ」
エルゼリアは、文書を閉じた。
「条件は、理解しました」
「返答は?」
「即答はしません」
ハインリヒは、眉を動かす。
「理由は?」
「これは、人生を変える選択です」
彼女は、正直に言った。
「一晩、考える時間をください」
沈黙。
だが、ハインリヒは否定しなかった。
「……合理的だ」
彼は、短く答える。
「明日の正午まで待とう」
「ありがとうございます」
応接室を出た後、エルゼリアは宿舎へ戻った。
部屋に入ると、ようやく肩の力が抜ける。
机の上には、先ほどの草案の写し。
帝国が差し出した条件。
「……重いですね」
独り言が、静かな部屋に落ちる。
これは、救済ではない。
引き抜きでもない。
対等な取引だ。
能力を提供し、
権限と評価を得る。
その代わり、
逃げ場はない。
窓の外は、すでに夜の帳が下りていた。
遠くで、帝国の街が静かに息づいている。
エルゼリアは、椅子に腰を下ろし、目を閉じた。
王宮での沈黙の日々。
評価されない努力。
そして、婚約破棄。
怒りはない。
憎しみも、今はない。
ただ、選択があるだけだ。
――ここで、帝国を選ぶ。
――あるいは、すべてを断り、自由に生きる。
どちらも、彼女の人生だ。
その頃、王国では、また一つ問題が噴き出していた。
帝国との交渉が停滞し、
諸侯の間で、不安と不満が広がり始めている。
「……エルゼリア嬢が、帝国にいるという噂は本当か」
「もし事実なら……」
誰も、その先を口にしなかった。
ロネスは、執務室で報告書を握り潰す。
「……まだ、間に合うのか」
誰に向けた問いでもない。
一方、帝国の夜の中で、
エルゼリアは、静かに結論へと近づいていた。
条件は、差し出された。
あとは――
それを、受け取るかどうか。
選ぶのは、彼女自身だった。
会議棟を出た後、エルゼリアは宰相府の回廊をゆっくりと歩いていた。
石造りの床は冷たく、足音が規則正しく反響する。
先ほどまでの会談の余韻が、まだ胸の奥に残っていた。
――合格。
だが、それは終わりではない。
帝国は、必ず次の一手を用意している。
「お待ちしておりました」
回廊の先で、先ほど案内を務めた文官が一礼した。
「ハインリヒ・ヴォルフ様より、改めてお時間をいただきたいとのことです」
「……今から、ですか」
「はい。短い時間ですが」
エルゼリアは頷いた。
断る理由はない。
案内されたのは、先ほどとは別の小さな応接室だった。
窓はなく、余計な装飾もない。
ここは、交渉のための部屋だ。
ハインリヒ・ヴォルフは、すでに席についていた。
立ち上がることもなく、淡々と告げる。
「先ほどの会談は、能力の確認だ」
「そう理解しています」
「では、ここからは条件の話になる」
エルゼリアは、背筋を伸ばした。
――来た。
「帝国は、貴女を必要としている」
ハインリヒは、はっきりと言った。
「だが、それは感情ではない。
帝国にとって合理的だからだ」
「承知しています」
「よろしい」
彼は、一枚の文書を机の上に置いた。
「これは、草案だ。
正式な任命ではないが、方向性は示している」
エルゼリアは、文書に目を落とす。
そこに書かれていたのは、想像以上の内容だった。
――帝国宰相府・政策補佐官。
――外交・財務・内政に跨る調整権限。
――宰相への直接進言権。
そして――
「……責任範囲が、かなり広いですね」
思わず、口に出る。
「当然だ」
ハインリヒは、即答した。
「貴女に求めているのは、助言ではない。
“動かす”ことだ」
エルゼリアは、静かに文書を読み進める。
給与。
権限。
評価基準。
どれもが、明確だった。
曖昧さがない。
成果を出せば、評価される。
出せなければ、切られる。
「……一つ、確認を」
「言え」
「私は、帝国の利益を最優先に行動することになりますね」
「当然だ」
「その結果、王国と対立する可能性も?」
ハインリヒの目が、わずかに細くなる。
「避けられない場合もある」
それは、脅しではない。
事実の提示だった。
エルゼリアは、文書から目を上げる。
「私は、王国を貶めるために来たわけではありません」
「分かっている」
「ですが、王国を守るために動くことも、もうありません」
静かな宣言だった。
「……私は、帝国の一員として、帝国の合理を選びます」
ハインリヒは、数秒、彼女を見つめた。
そして、小さく頷いた。
「それでいい」
彼は、机に指を置く。
「帝国は、感情的な忠誠を求めない。
求めるのは、結果だ」
エルゼリアは、文書を閉じた。
「条件は、理解しました」
「返答は?」
「即答はしません」
ハインリヒは、眉を動かす。
「理由は?」
「これは、人生を変える選択です」
彼女は、正直に言った。
「一晩、考える時間をください」
沈黙。
だが、ハインリヒは否定しなかった。
「……合理的だ」
彼は、短く答える。
「明日の正午まで待とう」
「ありがとうございます」
応接室を出た後、エルゼリアは宿舎へ戻った。
部屋に入ると、ようやく肩の力が抜ける。
机の上には、先ほどの草案の写し。
帝国が差し出した条件。
「……重いですね」
独り言が、静かな部屋に落ちる。
これは、救済ではない。
引き抜きでもない。
対等な取引だ。
能力を提供し、
権限と評価を得る。
その代わり、
逃げ場はない。
窓の外は、すでに夜の帳が下りていた。
遠くで、帝国の街が静かに息づいている。
エルゼリアは、椅子に腰を下ろし、目を閉じた。
王宮での沈黙の日々。
評価されない努力。
そして、婚約破棄。
怒りはない。
憎しみも、今はない。
ただ、選択があるだけだ。
――ここで、帝国を選ぶ。
――あるいは、すべてを断り、自由に生きる。
どちらも、彼女の人生だ。
その頃、王国では、また一つ問題が噴き出していた。
帝国との交渉が停滞し、
諸侯の間で、不安と不満が広がり始めている。
「……エルゼリア嬢が、帝国にいるという噂は本当か」
「もし事実なら……」
誰も、その先を口にしなかった。
ロネスは、執務室で報告書を握り潰す。
「……まだ、間に合うのか」
誰に向けた問いでもない。
一方、帝国の夜の中で、
エルゼリアは、静かに結論へと近づいていた。
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あとは――
それを、受け取るかどうか。
選ぶのは、彼女自身だった。
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