『婚約破棄された令嬢ですが、王国は私抜きでは立てなかったようですね』

鷹 綾

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15話|試される価値

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15話|試される価値

 帝国宰相府の会議棟は、朝の光を静かに受け止めていた。

 装飾は最小限。
 だが、柱の配置、採光、動線――すべてが計算され尽くしている。
 ここでは「見せる」より「使う」が優先される。

 エルゼリア・クローヴェルは、案内の文官に導かれ、扉の前で立ち止まった。

「こちらです」

 一言だけ告げられ、扉が開く。

 中は、思ったよりも広くはなかった。
 楕円形の卓。
 席は三つ。

 正面には、ハインリヒ・ヴォルフ。
 その左右に、帝国宰相府の高官が一名ずつ。

 それだけだ。

 ――歓迎も、威圧もない。

 それ自体が、試験の一部だと理解する。

「着席を」

 ハインリヒの声は、相変わらず低く、無駄がない。

 エルゼリアは一礼し、用意された席に腰を下ろした。

「本日は、お越しいただき感謝する」

「こちらこそ、お時間をいただきありがとうございます」

 形式的な挨拶が交わされるが、すぐに本題に入る。

「率直に聞こう」

 ハインリヒは、指先で一枚の書類を押し出した。

「これは、貴国が近年出した通達と、その修正履歴だ」

 エルゼリアは目を落とし、ざっと確認する。

 ――想定通り。

 修正の回数。
 文言の揺れ。
 決裁までの時間。

 すべてが、王宮の混乱を如実に示している。

「帝国は、これをどう見るべきだと思う?」

 問いは、彼女に向けられていた。

「無能、と言うのは簡単です」

 エルゼリアは、即答しない。

「ですが、実態は違う。
 判断能力が消えたのではなく、判断の前段が失われています」

 高官の一人が、眉を動かす。

「前段、とは?」

「選択肢を整理し、
 それぞれのリスクと利点を、決裁者に分かる形で提示する役割です」

 彼女は、淡々と続ける。

「決裁者は、決める人間であって、
 すべてを分析する人間ではありません」

 ハインリヒの視線が、わずかに鋭くなる。

「つまり、王太子は――」

「判断できないのではない。
 判断できる材料を失っただけです」

 空気が、張り詰める。

 それは、王太子を庇う言葉にも、切り捨てる言葉にも聞こえた。

「では、貴女がいた頃は?」

 ハインリヒが、静かに問う。

「その役割を、誰が担っていた?」

 エルゼリアは、視線を逸らさない。

「私です」

 一切の感情を乗せず、事実として告げる。

「各部門の主張を整理し、
 対立点を事前に潰し、
 決裁が遅れる要因を排除していました」

 高官の一人が、思わず息を吐く。

「……それを、公式な役職もなく?」

「はい」

 当然のことのように、答えた。

「評価も、権限も、必要ありませんでした。
 必要だったのは、機能することだけです」

 沈黙が落ちる。

 それは、彼女の自己評価ではない。
 結果としての説明だ。

「ならば、なぜ去った?」

 ハインリヒの問いは、鋭い。

「続ける選択も、あったはずだ」

 エルゼリアは、一瞬だけ考えた。

「……続ける意味が、なくなったからです」

「意味?」

「私が機能する前提が、崩れました」

 彼女は、静かに言葉を選ぶ。

「意見を集めるには、
 『この人に話せば、話が前に進む』という信頼が必要です。
 それが失われた以上、役割は成立しません」

 それは、責任の放棄ではない。
 現実の認識だった。

「帝国では、どうだと思う?」

 ハインリヒが、少しだけ声の調子を変えた。

「貴女は、ここで同じ役割を果たせるか」

 エルゼリアは、即座に頷かなかった。

「条件次第です」

 その答えに、高官たちが反応する。

「条件?」

「権限と、責任の所在が明確であること。
 そして――」

 彼女は、はっきりと言った。

「成果が、成果として評価されること」

 静かな、しかし明確な要求だった。

 ハインリヒは、しばらく彼女を見つめる。

 脅しも、媚びもない。
 ただ、合理的な提示。

「帝国は、能力を浪費しない」

 彼は、低く告げた。

「だが、能力が本物であるかは、確認する」

 机の上に、別の書類が置かれる。

「仮定の課題だ」

 エルゼリアは、それを手に取った。

 内容は、帝国と周辺諸国との通商問題。
 複数の利害関係。
 時間制限。

「……今、この場で?」

「そうだ」

 ハインリヒは、頷く。

「答えは一つでなくていい。
 だが、判断の筋道は見せてもらう」

 エルゼリアは、書類に目を走らせる。

 情報は十分。
 整理すれば、見えてくる。

 彼女は、紙の余白に、簡潔な線を引いた。

「まず、優先順位を決めます」

 声は落ち着いている。

「短期的な摩擦を許容するか、
 長期的な安定を取るか」

 高官たちが、身を乗り出す。

「この状況では、短期的な譲歩は、
 他国に誤った期待を持たせます」

 迷いはない。

「帝国が取るべきは、
 表面上の柔軟性ではなく、
 一貫した基準の提示です」

 彼女は、淡々と説明を続ける。

 代替案。
 リスク。
 その対処。

 十分も経たないうちに、
 会議室の空気が変わっていた。

 ――理解されている。

 それが、誰の目にも明らかだった。

 ハインリヒは、最後まで口を挟まなかった。
 そして、彼女が話し終えた後、静かに言う。

「……十分だ」

 高官の一人が、頷く。

「机上の空論ではない」

 もう一人も、短く肯定した。

 エルゼリアは、息を整え、背筋を伸ばす。

 ハインリヒは、初めて、はっきりとした感情を浮かべた。

 ――評価。

「貴女は、理解している」

 彼は、静かに告げる。

「動かすとは、どういうことかを」

 その言葉は、合格を意味していた。

 だが、同時に始まりでもある。

「正式な提案は、後日改めて行う」

「承知しました」

 エルゼリアは、立ち上がり、一礼する。

 部屋を出る直前、ハインリヒが言った。

「一つだけ、伝えておく」

 彼女は、振り返る。

「帝国は、貴女を“拾う”つもりはない」

 静かな断言。

「――迎え入れるつもりだ」

 扉が閉まる。

 廊下に出たエルゼリアは、深く息を吐いた。

 試された。
 そして、認められた。

 それは、過去への復讐ではない。
 未来への選択だ。

 王宮で失われたものは、もう戻らない。
 だが、ここには、別の役割がある。

 エルゼリア・クローヴェルは、静かに歩き出した。

 価値は、もう証明された。

 あとは――
 それを、どう使うか。

 帝国は、その答えを、彼女に委ねようとしていた。
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