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21. カス
しおりを挟む(ナ、ナンシー!?)
目を開けた私に飛び込んで来たのは、拳を握りしめている怒りの形相のナンシー。
そして予想通り吹き飛んで倒れ込んでいるヨナスだった。
(まさか────な、殴った!?)
「ん? ああ殿下。おはようございます。やっと起きてくれましたか」
「エリオット、おはよう…………じゃなくて!」
エリオットが呑気に目覚めの挨拶をして来たのでうっかり流されそうになった。
慌てて起き上がった私は勢いよくエリオットの胸ぐらを掴む。
「ちょっと! あれ! ふ、吹き飛んでる!」
「そうですね。見ていてスッキリするほどの見事なパンチでした」
「パ……」
エリオットは爽やかな笑顔でそう言った。
「やっぱりあれは、ナ、ナンシーが?」
「はい。よほど鬱憤がたまっていたのでしょう。パンチにはかなりの力が込められていました」
「……」
(それでヨナスは吹き飛んだ?)
これはヨナスが弱いのか、ナンシーの鬱憤がそれほどまでに凄かったのか……判断が難しい。
エリオットがにこっと笑う。
「それにしても───殿下はこうなることを見越してか弱く倒れたフリをされたのですか? 凄いですね」
「違うわよ!!」
私は全力で首を横に振る。
ぜんっぜん違うから!
ついでにエリオットが私の代わりに“婚約破棄宣言”をおっぱじめたことも予想外よ!!
「違ったのですか?」
「当たり前でしょう! もちろんナンシーに目を覚まして貰いたいとは思っていたけど、まさか殴るなんて思ってなかったし、それに……」
「それに?」
「……」
エリオットがじっと私を見つめる。
「……っ」
エリオットがヨナスに向けていた色んな言葉を思い出してしまい一気に恥ずかしさが込み上げて私の頬が熱を持つ。
「殿下? 顔が赤いですよ?」
「お、お黙りなさい!」
私が顔を逸らすとエリオットはクスッと笑ってからそっと私の手を取ると優しく握った。
「ちょっ……」
「殿下────いえ、ウェンディ様」
「な、なななによっ!」
思いっきり声が上擦ってしまった。
「ヨナス殿下とあなたの婚約破棄が無事に成立したら────ウェンディ様に大事な話があります」
「……え?」
トクンッと胸が跳ねた。
“ウェンディ様”その呼ばれ方にドキドキしすぎて胸が破裂しそう。
そして、エリオットの真剣な目が私を射抜く。
「話、聞いてもらえますか?」
「……き、聞くだけならね」
もう一度プイッと顔をそらすとエリオットは苦笑した。
「約束ですからね?」
「……わ、分かったわよ!」
頷くだけ頷いてエリオットから手を離した私はズンズンとナンシーと倒れてるヨナスの元に向かって歩き出す。
背後のエリオットからはまた小さく笑った気配がした。
二人の元に近付くとナンシーは怒り狂っていた。
「なんなの!? この期待はずれ王子!」
「にゃ、にゃんしー……?」
「調子いいこと言ってんじゃないわよ!!」
殴られた頬を押さえながらひたすら呆然としているヨナス。
「なにが、可愛くて可憐で優しくてか弱くて守ってあげたくなるような理想の女よ! その前に私のこと身分の低い女だって散々バカにしたくせに!」
(うっわぁ……)
「そこの人が言っていた通りよ!」
ナンシーはエリオットを指さしながら怒りをぶつける。
「王位継承のために正妃は他国の王女じゃないとダメだと言ったあなたに一緒に説得してみましょうよ、とお願いしても無理だの一点張り!」
「そ、れは……」
「しかも! ウェンディ王女殿下の方がこの結婚に積極的なんだと嘘までつきやがって───」
うぐっと押し黙るヨナス。
そんな彼には、しらけた冷たい視線が向けられる。
「どこがよ!? ウェンディ王女殿下はどこからどう見てもそこの護衛と相思相愛じゃない!」
(────え!?)
ナンシーの発言に私はビタッと動きを止める。
(そ、相思相愛……ですって?)
「愛する人のためなら、身分が上の他国の王子にだって歯向かう! でも、二人の間には身分という越えられない壁───これこそ本物の真実の愛だわ!」
(ししし真実の愛!?)
「見せなさいとか言っていて王女自身が真実の愛を育んでるっつーの!」
(ええぇぇえ!?)
ナンシーの口から飛び出た言葉に動揺が隠せない。
「────ウェンディ殿下」
「っ!」
後ろからエリオットに声をかけられてビクッと肩が震える。
(落ち着け、落ち着くのよ私!)
深呼吸してから自分の胸をそっと押さえる。
だって、ほら!
今のエリオットの私を呼ぶ声は、今までと何も変わっていないわ?
本当に、わわわ私のことをす…………なら、もっとナンシーの発言に動揺しているはず!
だから、きっとこれはナンシーの思い違いなのよ!
そうに決まって───
「な、何よ! エリオッ……」
振り返った私はエリオットの顔を見て度肝を抜かれた。
「トォ!?」
「……」
エリオットが、て、照れている!?
なんと、頬を赤くして少し照れくさそうに目を伏せている。
「その……あそこまでハッキリ言われてしまうと───さすがに何だか照れますね?」
「て!」
(照れる!?)
否定するのではなく照れている!? 真実の愛に!?
なぜ!?
「……」
頭の中がいっぱいいっぱいになった私は何も言わずに前を向く。
ナンシーの発言、相思相愛という言葉がグルグルと頭の中を回る。
(落ち着くの……と、とにかく今は……)
ヨナスをボッコボコにすることの方が先!
自分にそう言い聞かせて顔を上げた。
「ナ……ナンシー! 聞いてくれ、あれは僕の本心なんかじゃない……!」
「……」
手を伸ばしてガシッとナンシーの腕を掴むヨナス。
「あれは言葉の綾……」
「へー、そうは言いますけど、人って頭の中で考えたこともない言葉は口に出ないですよね!?」
ナンシーはその手を思いっきり振り払うとヨナスを睨みつけた。
「離して! この─────カス王子!」
「カ……ス」
カス呼ばわりにショックを受けたヨナスの目が大きく見開かれる。
「本当にそうだったわ! いくら“妃”でも、カスの妃にはなりたくもない!」
「カ、ス……なりたく、ない……」
ナンシーはそう言い終わるとフンッとヨナスから顔を背けた。
「さようなら! カス殿下!!」
「カス……カ……ス、カス……」
あまりのショックに呆然とし、カスしか口に出せなくなったヨナス。
起き上がる気力さえ湧かなくなったのかぐったりその場に沈み込む。
(ほっほっほ! なんて愚かな男……私を怒らせたからこうなるのよ!)
私はそっとヨナスに近付き声をかける。
「ヨナス様」
「……ウェンディ王女!」
私の声にハッとして顔を上げるヨナス。
「い、いいところに! そこにいる君の護衛が婚約破棄などと勝手なことを言い出した!」
「勝手? なんの話です?」
「……え?」
私は彼に向かってにっこりと笑いかける。
その瞬間、ヨナスの顔がヒクッと引きつった。
「どうです? 彼はとっても優秀でしょう? 私の護衛は私の気持ちをしっかり余すことなく代弁してくれましたわ」
「ウ……ウェンディ……王女?」
「ですから、私の口からもはっきり言わせていただきますわね」
「……」
ヨナスの顔がどんどん青ざめていく。
「私との婚約破棄を要求しますわ────もちろん、カス様……あ、いいえ、ヨナス様。あなたの有責で」
「!」
「きっちりそれ相応の慰謝料も請求させていただきます」
パクパクと口を動かしてなにか言いたそうなヨナス。
「あらあらあら? 何かご不満でも?」
「……」
「おかしいですわね……この話にあなたが渋る必要はどこにあるの?」
「!?」
ヨナスが不思議そうに目を見開く。
私はにこっと更に笑みを深める。
「“王女”という身分がなければ────あんな女と結婚するなんてお断りだ!!」
「!!」
「うふふ。そこでぼんやり突っ立っているカスその2……コホッ、失礼。私のお兄様とそうお話されていたではありませんか」
「!!!!」
クワッとヨナスの目が限界まで大きく開く。
「と、いうわけで、初めからずっとお願いしていましたように……」
「……ぅあ、待っ」
「─────私もカス男との結婚なんてお断りですわ!!」
私は冷たくそう言い放った。
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