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38. 立派な男になるために
しおりを挟む「それじゃ、エリオット! 私は先に帰るからエドゥアルトをよろしくね」
「お、おう……?」
その後、私はおやつのピーマンと格闘する子どもたちとエリオット置いて先に邸へと戻る。
馬車に乗ったあと、窓に映った自分の変装姿をじっと見た。
そしてそっと顔に手を触れてみる。
────しかしだな、母上の顔にはもっと皺があるはず……
「なんてこと。すっかり女として油断していたわ……」
まさか、十歳の子どもにあんな指摘をされるとは。
いえ、あの指摘は純粋な子どもだからこそといえる。
エドゥアルトを産んで母親になって十年───
エリオットは変わらずかっこいいままだというのに、すっかり私の気持ちはたるんでいた。
「とにかく、素顔に戻ったらこの皺……皺をなんとかするわよ!!」
────
コックス公爵邸に到着するなり私は急いで馬車から駆け下りた。
「お、奥様!? もう戻られ……あれ? 旦那様と坊っちゃまは……」
「あとあと! 置いてきたわ!」
「お……置い、て?」
目を丸くする使用人にそれだけ言って勢いよく玄関に入る。
そして私は真っ先に大声で呼びつけた。
「ナンシー!」
「は、はいいい」
私に呼ばれたナンシーが奥からパタパタと駆け寄って来る。
手にお菓子を握っていることから、ナンシーもおやつの時間だったらしい。
「奥様! 随分と早いお戻りで…………あれ? お一人なのですか?」
「ええ、ちょっとね」
「あぁ、やはり、あの坊っちゃまの愉快なカツラだけでは鉄壁のギルモア侯爵子息の大爆笑は見られなかったのですか?」
「ええ、手強いわよ、あの子───って、今はそれよりも大事なことがあるのよ!」
「大事?」
キョトンと不思議そうな顔をしたナンシーの両肩を私はガシッと掴む。
「お、奥様? お顔が怖いです」
「今すぐこの顔の皺を消せる凄腕マッサージ師の手配をしてちょうだい!」
「皺? マッサ……?」
ナンシーは困惑し目をバチくりさせる。
「この変装を見たエドゥアルトに言われたのよ。私の顔にはもっと皺があるはずとね!」
「坊っちゃま! な、なんてデリカシーのない発言を……!」
口元を押さえて震えながらナンシーが青ざめていく。
さすが女同士。
私の気持ちがよく分かってもらえたようだ。
「本当にね。エドゥアルト……素直な性格なのはいいことだけど、そこはきっちり教育しないといけないと痛感させられたわ」
「はい!」
ナンシーが力強く頷いたので私も頷き返す。
「……エドゥアルトはあのまま成長したら、将来は令嬢に振られまくってお嫁さんが来ないかもしれない。それだけは避けないといけないわ」
「振られまくり……」
ナンシーはそんな様子を想像したのか更に顔を青くした。
「お……奥様、どうしましょう。振られても振られても、はっはっは! なんとかなるさ! とひたすら陽気に笑っている坊っちゃまの姿が想像出来てしまいます……」
「!」
「ギルモア侯爵子息の元に入り浸って、はっはっは……シャレになりません!」
「くっ……現実に起こりそうなことを言うのはやめて! なんとかならないし!」
ナンシーの言葉に私はギリッと唇を噛み締める。
はっはっは! はっはっは! エドゥアルトの陽気な笑い声が頭の中で繰り返し響く。
「とりあえず、エドゥアルトのこれからの教育に関してはエリオットともじっくり話すわ」
「ぜひ、そうしてくださいませ」
「────それより今は、私の顔の皺を消す方が先よ! お金はいくら積んでも構わない! とにかく急いで凄腕マッサージ師を手配なさい!」
「は、はいっ!」
(見てなさい……二度と、“母上の顔には皺”だなんて言わせないんだからーーーー!)
私はそう意気込んだ。
「ほっほっほっほっほっほ! あの二人、帰ってきたようね!!」
「あ、奥様……」
「出迎えに行ってくるわ、ナンシー」
エリオットとエドゥアルトがギルモア家から戻って来た馬車の音がしたので私はナンシーを置いて部屋を飛び出した。
その際に頬をさする。
(マッサージ師はさすがの腕前だったわ……おかげで私のお肌はモッチモチのツルッツルよ!)
このプリプリお肌なら実際の子どもにだって負けないかもしれない。
「おかえりなさー…………あっ」
私の姿を見つけたエリオットがしっ……と小さな声で言った。
その背中には、すやすや眠るエドゥアルト。
何だか気持ち良さそうな顔でムニャムニャ言っている。
「ふふ、エドゥアルトったら寝ちゃったの?」
「……ああ、ギルモア家を出る時は元気いっぱいだったんだが」
エドゥアルトは、ジョエルたちギルモア家の皆に元気よく手を振っていたという。
「馬車に乗り込んだ後、力尽きてすぐにこうなった」
「まあまあまあ! でも、よく考えたらおやつの時間もずーっとはしゃいでいたものね」
「ああ」
エドゥアルトのあどけない寝顔を見ながらこの上ない幸せを感じる。
慈しむ気持ちでエドゥアルトを見ていたら寝言を口にした。
「…………ちち、うえ、はは……え……………………ジョエ、ル」
(寝言までジョエル!)
思わず吹き出してしまう。
「本当に大好きなのね」
「ここまで来ると、男なのが惜しいな」
「そうねぇ? ご令嬢だったら即、婚約させていたわ」
私はふぅ、と息を吐く。
「どこかにエドゥアルトのこと遠慮なく踏めるお嬢さんがいるといいのだけど」
「はっはっは!」
エリオットが笑い飛ばす。
「ジョエル・ギルモアには……そうね、あの眉間の皺をせっせと伸ばせるようなお嬢さんが現れるといいわね!」
「はっはっは! どっちも難儀だな」
エリオットと私は見つめ合うとクスクスと小さく笑った。
「ところで、ウェンディ」
「なに?」
クスッと笑ったエリオットは私の耳元でそっと囁いた。
───凄腕のマッサージを受けた今も美しいが、君は昔からずっと変わらず綺麗だ、と。
ちなみにその日。
エドゥアルトが帰った直後、ジョエル・ギルモアも急にコテンッと眠ってしまったと後にガーネットお姉さまから聞いた。
そんなジョエルは、「ピーマン……」と寝言をずっと口にしていたという。
そして、その日の夕食。
目が覚めたエドゥアルトがテーブルに並べられた食事を見てギョッとした。
「な! なぜ、我が家の今日のメニューにまでピーマンがあるんだ!?」
「ほっほっほ! すごい偶然よねぇ」
(私もびっくりよ……)
「……くっ」
苦々しい表情を浮かべるエドゥアルト。
エドゥアルトは基本的に好き嫌いはない。
けれど、偶然とはいえ、さすがにおやつに大量のピーマンを食べた後の夕食に“これ”はきつい。
私とエリオットは顔を見合せて頷く。
(普段は許さないけど、今日だけは仕方がないわね……)
「エドゥアルト! 今日は特別無理しないでも……」
「むむむ、だが、きっとこれも僕が立派な男になるための試練だ!」
「え?」
そう言ってエドゥアルトはすっかり飽きていたであろうピーマンを口にする。
(やっぱり、いい子に育ってるわ)
ほっこりした嬉しい気持ちでエドゥアルトに向かって微笑む。
これなら、おやつ一週間抜きは撤回してあげてもいいかもしれない。
「エドゥア……」
「ところで、今日の父上と母上はあんな愉快な格好で何をしていたんだ?」
エドゥアルトがピーマンと格闘しながら、ふと思い出したように言った。
「あ、それは……」
「分かったぞ! 母上はメイドに憧れていてその格好をわざわざ僕に見せびらかしに来たんだな!?」
「えっと、」
「だが、似合ってはいたが───歳は考えた方がいいと思うぞ」
(……歳!)
エドゥアルトが私にとっての禁句を口にした瞬間、私はピシッと笑顔で固まる。
エリオットが慌てだした。
「ウェ、ウェンディ……落ち着け、これは子どもの言うこと……」
「ほっほっほ……しわしわ発言の次は歳……歳だと言うのね!?」
「いや、だから落ち着いてくれ! 誰も君がしわしわだとは言ってない」
「~~~っ」
(なにがなんでもこの先もこのツルッツルのモッチモチプルプル肌をキープさせてやる!)
「────エドゥアルト!」
「はい!」
ただならぬ気配を察知したのか、エドゥアルトがピンッと背筋を伸ばした。
「明日からあなたの家庭教師を増やします」
「なっ!?」
「────立派な男になるために絶対に必要な(レディーの扱いを学ぶ)お勉強です」
「立派な……おとこ……」
エドゥアルトは息を呑むと目を大きく見開いた。
「わ、分かった! 頑張る……!」
「ほっほっほ! よろしい。頑張りなさい!」
こうしていろいろ叩き込んだエドゥアルトだけど、
年頃に成長し、まず先に運命の人と出会ったのはジョエル・ギルモア。
一方のエドゥアルトは、運命の人に出会うまでまさかのお見合いが失敗続きになるなんて、この時の私はまだ知らない……
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