2 / 97
感謝祭の夜に
しおりを挟む
その店はマンハッタンの東側、アジア系の人々が多く住む街角にあった。わりと治安も良い場所で、2年前にオープンした和食をメインに提供する小さな小さな店だったが、特にニューヨークあたりでは珍しい丼物が——特に日本人の——ビジネスマンや和食好きのアメリカ人にも好評で、名前を「ロック・イン・ジャパン」といった。
「——よいしょっと」
店の横にある従業員用のドアから掛け声をかけながら後ろ向きに出てきたのは、この店のオーナー兼コックで名前を高梨圭司という。手には大きなごみバケツを両手で持っている。
圭司がアメリカに住んでもう10年になる。日本で悲しい別れを忘れるためと、ミュージシャンになるという——人生最後ともいえる——夢を賭けて渡米してきたが、身の程を知り今に至る。日本でのアルバイトで覚えた調理の腕がよかったのか、店の味の評判はなかなかよい。「人生最後の夢」よりもアルバイトの方で食ってるのだから、人生なんてわからない。
「圭司、これもお願い」
いったん閉まったドアが再び開いて、開業の時からウエイトレスとして働くステラが右手に持った小さなゴミ袋を差し出した。ステラは年は30過ぎだったか、ブロンドのいかにも陽気なアメリカ人だったが、ありがたいことに安い給料にも文句ひとつ言わないで楽しそうに働いてくれている。
「なんだよ、ステラ。帰っていいって言っただろ」
「もうちょっとで片付くからいいのよ」
「今日は構わないって。せっかくの感謝祭だ。デートでもしてターキーでも食べておいでよ」
「ははっ、そんな相手がいたら、きょうははなっから仕事なんて来てないわよ」
ステラはそう言って、ちょっと肩をすぼめ、眉を上げておどけて見せた。
「あれ? 面接の時に、彼氏を待たせてるから、雇うかとどうかすぐに決めてって言ってたじゃないか」
「2年も前の話よ。とっくに別れたわよ」
ケラケラ笑いながらステラがいう。
「そりゃまたお互いに寂しい感謝祭の夜だな」
2人は目を合わせて笑った。
「ねえ、感謝祭用に仕入れたターキー、余ってたよね。あっためていい?」
ステラが圭司の顔を覗き込んだ。
「おっ、いい考えだ。じゃあ、俺の秘蔵のジャパンでも開けようか」
「わお」
ステラは嬉しそうに笑い、右目でウインクをして店の中へ入っていった。圭司はその姿が店の中に消えるのを見届けてると、いったん下ろしたごみバケツを再び抱えてごみ置き場へ向かったのだった。
手にしたごみバケツを集積場に置こうとしたときだ。先に置いていた大きなごみバケツの間で何かが動いた気配がした。犬か猫でもいるのかと思い、そっと隙間を覗き込むと、そこに人間がいた。
「うおっ」っと思わず声を上げて一瞬たじろいだが、それが人間であることを頭の中で整理できると、もう一度ごみバケツの間を確認する。
そこには感謝祭の夜だというのに、髪の短い子どもが——ノースリーブにジーンズの格好だ——両手で肩を抱いて膝に顔を埋めていて、しかも小刻みに震えていたのだ。
「そこで何をしてるんだ」
そっと声をかけると、その子どもはゆっくりと顔を上げて上目遣いに圭司を見上げた。アジア系の女の子だった。
「中国人か?」まず英語で話しかけてみた。女の子は何も言わずに圭司を見ていた。「日本人、じゃないよな?」
まさかと思いながら試しに日本語で話しかけてみたが、やはり何も言わなかった。
「アメリカ人か?」
もう一度英語で話しかけると、今度は青くなった唇を震わせながら微かに頷いた。
「寒い夜にそんな格好で何をしてるんだ? こっちへおいで」
優しくそう言いながら右手を伸ばしたが、逆に女の子は怯えたように後ろへ下がろうとした。しかしそのまま後ろに力なく崩れ落ちそうになる。
「怖がらなくていい。とにかくおいで」
今度は女の子に近寄るとさっと抱きかかえた。彼女は一瞬抵抗しようとしたが、その力もないぐらい震えていたのだ。
「心配するな。何もしないから」
そういうと、圭司は彼女を抱きかかえたまま、さっきステラが入っていったドアに手をかけながら、「ステラ!」と店の中へ向かって大声を上げたのだった。
「——よいしょっと」
店の横にある従業員用のドアから掛け声をかけながら後ろ向きに出てきたのは、この店のオーナー兼コックで名前を高梨圭司という。手には大きなごみバケツを両手で持っている。
圭司がアメリカに住んでもう10年になる。日本で悲しい別れを忘れるためと、ミュージシャンになるという——人生最後ともいえる——夢を賭けて渡米してきたが、身の程を知り今に至る。日本でのアルバイトで覚えた調理の腕がよかったのか、店の味の評判はなかなかよい。「人生最後の夢」よりもアルバイトの方で食ってるのだから、人生なんてわからない。
「圭司、これもお願い」
いったん閉まったドアが再び開いて、開業の時からウエイトレスとして働くステラが右手に持った小さなゴミ袋を差し出した。ステラは年は30過ぎだったか、ブロンドのいかにも陽気なアメリカ人だったが、ありがたいことに安い給料にも文句ひとつ言わないで楽しそうに働いてくれている。
「なんだよ、ステラ。帰っていいって言っただろ」
「もうちょっとで片付くからいいのよ」
「今日は構わないって。せっかくの感謝祭だ。デートでもしてターキーでも食べておいでよ」
「ははっ、そんな相手がいたら、きょうははなっから仕事なんて来てないわよ」
ステラはそう言って、ちょっと肩をすぼめ、眉を上げておどけて見せた。
「あれ? 面接の時に、彼氏を待たせてるから、雇うかとどうかすぐに決めてって言ってたじゃないか」
「2年も前の話よ。とっくに別れたわよ」
ケラケラ笑いながらステラがいう。
「そりゃまたお互いに寂しい感謝祭の夜だな」
2人は目を合わせて笑った。
「ねえ、感謝祭用に仕入れたターキー、余ってたよね。あっためていい?」
ステラが圭司の顔を覗き込んだ。
「おっ、いい考えだ。じゃあ、俺の秘蔵のジャパンでも開けようか」
「わお」
ステラは嬉しそうに笑い、右目でウインクをして店の中へ入っていった。圭司はその姿が店の中に消えるのを見届けてると、いったん下ろしたごみバケツを再び抱えてごみ置き場へ向かったのだった。
手にしたごみバケツを集積場に置こうとしたときだ。先に置いていた大きなごみバケツの間で何かが動いた気配がした。犬か猫でもいるのかと思い、そっと隙間を覗き込むと、そこに人間がいた。
「うおっ」っと思わず声を上げて一瞬たじろいだが、それが人間であることを頭の中で整理できると、もう一度ごみバケツの間を確認する。
そこには感謝祭の夜だというのに、髪の短い子どもが——ノースリーブにジーンズの格好だ——両手で肩を抱いて膝に顔を埋めていて、しかも小刻みに震えていたのだ。
「そこで何をしてるんだ」
そっと声をかけると、その子どもはゆっくりと顔を上げて上目遣いに圭司を見上げた。アジア系の女の子だった。
「中国人か?」まず英語で話しかけてみた。女の子は何も言わずに圭司を見ていた。「日本人、じゃないよな?」
まさかと思いながら試しに日本語で話しかけてみたが、やはり何も言わなかった。
「アメリカ人か?」
もう一度英語で話しかけると、今度は青くなった唇を震わせながら微かに頷いた。
「寒い夜にそんな格好で何をしてるんだ? こっちへおいで」
優しくそう言いながら右手を伸ばしたが、逆に女の子は怯えたように後ろへ下がろうとした。しかしそのまま後ろに力なく崩れ落ちそうになる。
「怖がらなくていい。とにかくおいで」
今度は女の子に近寄るとさっと抱きかかえた。彼女は一瞬抵抗しようとしたが、その力もないぐらい震えていたのだ。
「心配するな。何もしないから」
そういうと、圭司は彼女を抱きかかえたまま、さっきステラが入っていったドアに手をかけながら、「ステラ!」と店の中へ向かって大声を上げたのだった。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
還暦の性 若い彼との恋愛模様
MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。
そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。
その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。
全7話
17歳男子高生と32歳主婦の境界線
MisakiNonagase
恋愛
32歳の主婦・加恋。冷え切った家庭で孤独に苛まれる彼女を救い出したのは、ネットの向こう側にいた二十歳(はたち)と偽っていた17歳の少年・晴人だった。
「未成年との不倫」という、社会から断罪されるべき背徳。それでも二人は、震える手で未来への約束を交わす。少年が大学生になり、社会人となり、守られる存在から「守る男」へと成長していく中で、加恋は自らの手で「妻」という仮面を脱ぎ捨てていく…
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる