とくら食堂、朝とお昼のおもてなし

山いい奈

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1章 碧、前職で奮闘する

第8話 碧の成長

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「そっか。あおちゃんが店長さんになって、もう3年かぁ、早いねぇ」

 お母さんがしみじみと言うと、碧は「うん」と、お味噌汁のお椀から口を離した。

 そう、もう3年なのだ。今の碧は24歳。今年25歳になる。淀屋橋よどやばし店の店長として約3年。決して長くは無い。だが最近になって、考えることがあった。

 経験はそれなりに積めたと思う。そろそろ「とくら食堂」に入れないだろうか、と。

 店長職はとても良いスキルアップになった。厨房でのお仕事はぐっと減ったが、フロアのお仕事は貴重だった。「とくら食堂」に入ればお客さまと直接お話などをする機会もある。現に弓月ゆづきさんの様なお客さまだっているのだから。

「碧さん、店長さんになってもう3年なんですね。がんばらはりましたね」

 そう、こうして他愛の無い会話を繰り広げるぐらいには。

「ありがとうございます。何とかやってこれました」

「店長さんやなんて、凄いですよねぇ。まだお若いやろうに」

 以前、移動してきたばかりの春日井かすがいさんにも、似た様なことを言われたな、とぼんやりと思い出す。

「まだまだ未熟者ですよ。でも店長職に限らず、ここが頂点とか、そういうのって無い様な気がします」

 長くやっていればベテランと呼ばれるし、事実パートの秋田あきたさんには長年勤めてもらっていて、すっかりとその貫禄がある。だがそれでも、昇り詰めた、と言えるのかどうかは難しいところなのでは、なんて、生意気ながらも思ってしまう。

 ましてや碧は店長に就いてからまだ3年。めまぐるしくてあっという間だったという体感はあるし、成長もできていると思うが、まだまだだという思いが強い。

 もちろん足りないながらも精一杯勤めてきた。お客さまやスタッフに目や気を配ってきたつもりだし、頭を下げたことも1度や2度では無い。凹んだことだってある。それでもできる限りやってきたつもりだ。

 だから、ここで行きたかった道に足を踏み入れても良いのでは。そう感じていたのだった。

「碧さんは向上心が強いんですね」

「そう、でしょうかね?」

 碧はかすかに首をかしげる。琴平ことひら元店長にも言われたことがあるが、自分にはその自覚は無い。そのときそのときの全力であっぷあっぷである。

 それでも前を向いて、少しでも上を目指して。そのステージを変えたいのだ。自分の目標に近付くために。

 ちなみに琴平元店長は元気な男の子を出産し、1年半の産休育休を経て、淀屋橋店にパートさんとして戻ってきている。厨房をお任せできることもあって、スタッフは巧く回ってくれているのだ。

 碧は卵焼きのお皿にお箸の箸先を乗せ、姿勢を正した。すぅ、と小さく息を吸い込む。

「でね、お父さん、お母さん、わたし、そろそろ「とくら食堂」に入りたいんやけど、まだ早いかなぁ」

 碧は緊張してしまう。もし拒まれてしまったらどうしようかと。碧が「とくら食堂」を継ぐということは、両親にはとうに公言していて、受け入れてもらっている。あとはその時期だった。

 お父さんもお母さんもまだまだ現役で、碧もふたりにはまだまだ元気でここに立っていて欲しいし、何より教えて欲しいことが山ほどあるのだ。

 するとお父さんは一瞬きょとんとして。

「ああ、ええで」

 そうあっさりと言ったのだった。

「ほんまにええの!?」

 碧は思わず腰を浮かせてしまう。とっさにお母さんを見ると。

「ええに決まってるやん。待っとったで」

 暖かな笑顔で言われ、碧は目頭が熱くなってしまう。ああ、歓迎してくれるんだ、と感動してしまう。

「ありがとう、お父さん、お母さん。わたし、ここで役に立てる様にがんばるね」

 碧が笑顔で言うと、お父さんもお母さんも「うん」と頷いた。

「ほらほら、早く食べんと。遅刻すんで」

「うん」

 お母さんに言われ、碧はあらためて椅子に座り直し、再びお箸を取ったのだった。



「ほんまにお疲れさまでした……!」

 春日井さんは感極まった様子で涙ぐむ。涙もろい人の様だ。3年ほども一緒にいたというのに、春日井さんの新たな一面を見た気がする。

 訪れた3月末日、お仕事終わり、今日で「さつき亭」を退職する碧は、スタッフに囲まれて、暖かな拍手を受けた。

「こちらこそ、ほんまにありがとうございました。未熟な店長を支えてくれて、ほんまに感謝してます。春日井さん、これから淀屋橋店をよろしくお願いします」

「はい……!」

 明日から、春日井さんが店長になる。引き継ぎはできる限り、きめ細やかにしたつもりだ。3年ほど一緒にお仕事をして、春日井さんなら信頼できると、碧も太鼓判を押していた。

 田所たどころさんは苦笑しながら、鼻をぐずらせる春日井さんの背中をさすった。

「ほらほら、泣いたら都倉とくら店長が困ってしまいますよ。春日井さんて泣き虫さんやったんですねぇ」

「感激屋って言うてください。あの、プレゼント用意したんです」

「え! わたし、おめでたい理由の退職や無いのに」

 碧が驚いて目を丸くすると、田所さんが笑って。

「何言うてはるんですか。将来はご実家の定食屋さんを継がはるんでしょ? 充分おめでたい理由ですよ。前途洋々。これからも都倉店長のご活躍、祈ってます」

「ありがとうございます」

 この「さつき亭」に就職して、最初こそスタッフ同士のトラブルもあったが、本当に人に恵まれたと思っている。馴れ合いでは無く、協力しあい、切磋琢磨できたと思っている。

「都倉さん、ほんまにお疲れさま。ええ店長やったで。これからの都倉さんも、応援してる」

「ありがとうございます」

 琴平さんにもそう言ってもらえ、碧は目が潤みそうになってしまう。

 間違い無く、この5年間は良い経験になった。碧はこうした環境に出会えたことに、心から感謝をするのだった。
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