10 / 50
1章 碧、前職で奮闘する
第9話 桜の樹の下で
しおりを挟む
4月になった。「さつき亭」を円満に退職し、晴れてフリーとなった碧。4月1日の今日は水曜日で、碧は来週の月曜日から「とくら食堂」に入ることになっていた。なので5連休である。
「さつき亭」にいたときは、特に店長になってからは連休の取得が難しかった。ただの社員でいた1年目と2年目は、お客さまが少ない土日を含めて5連休を取ることができたが、店長の間は3連休が精一杯だった。
働き方としてはどうかと思わないでも無いが、どうしても店舗のことが気になってしまうのだ。これは人によりけりだろうが、碧の性格ではどうしてもそうなってしまうのだった。
今でも少し、お世話になった淀屋橋店のことが気にはなる。けれど春日井さんに任せておけば大丈夫だし、もう自分は部外者である。
店長というお仕事は、やはり自分には荷が勝ちすぎていたな、と今さらながら思うのだ。社員の田所さんと春日井さん、パートの琴平さんに秋田さん、他スタッフの支えが無ければ、到底できなかっただろうと思う。
今晴れ晴れとした気持ちなのは、そうした重責から離れられたからだろう。もしかしたら自分は、思うよりプレッシャーに弱いのかも知れない。
こんなことで「とくら食堂」を任せてもらえるのだろうか、とつい不安になってしまうが、またさらに経験を積むことで、自信にしていけたら良いと思っている。
「さて、と」
今は14時過ぎ。「とくら食堂」閉店の時間だ。碧は5合炊きの炊飯器の蓋を開ける。ごはんが炊き上がったばかりで、柔らかく甘い湯気が碧の顔をほわぁ……と包み込んだ。
靱公園の桜は満開に近く、華やかだ。我先にと開いたピンク色からは、ゆるやかな風に乗ってはらりと花びらが舞い、優雅である。
靱公園は都会の中にあるオアシスという位置付けで、特に今の様な気候の良いときには、お昼にはベンチでごはんを食べる人もいる。今は多くの人がお仕事中だが、近所に住まうだろう人や小さな子が遊具を使って遊んでいたり、ベンチでドリンク片手に桜を眺めたりしている。
碧は桜の樹の近くに青いレジャーシートを広げ、風で飛ばない様に四隅に荷物を置いた。スニーカーを脱いでシートに上がると、「んー!」と大きく伸びをした。
気持ちが良い。風も心地良くて、お日さまも温かい。まさにお花見日和だ。
「碧ちゃん、お待たせ~」
「待たしたな」
「とくら食堂」を店じまいしたお父さんとお母さんが連れ立ってやってきて、靴を脱いでレジャーシートに上がった。お父さんの手にはエコバッグがあった。
「今日の残り。いつもの卵焼きと、朝ごはんにも出したほうれん草の白和えな。昼のメインはさばの塩焼き。3切れ余ったわ。あとは残ったごはんな」
「ひとり一切れ食べれんで。ごはん、持ってきてくれた?」
言いながらお父さんとお母さんは腰を下ろす。お父さんはエコバッグからタッパーを出した。さばは焼いて間もないのか、タッパーが温かい。
「うん。5合炊いて、全部持ってきた。お母さんには足りんかも知れんけど」
お母さんは大食いなのだ。フードファイターだった過去がある。お母さんは美しい人なので、「美しすぎるフードファイター」なんて二つ名があったほどだ。
「大丈夫やって。お父さんと碧ちゃんの分まで取らへんから安心しぃ」
お母さんはそう言って、楽しそうにからからと笑う。お母さんは確かにたくさん食べることができるが、普段はそれなりに節制している。基本は一般的な成人の1人前にとどめているのだ。食べ放題でも無い限りいつでもたくさん食べていたら、都倉家破産の危機である。
シートの上にお父さんが作ったおかず、ごはんを詰めたタッパー、そしてごはんのお供である佃煮などのパッケージを広げる。
このごはんのお供は、碧が「さつき亭」を退職するときに、お祝いとしてもらったものだった。
「都倉さんはスイーツとかより、ごはんをお腹いっぱい食べる方が好きやと思って」
田所さんはそう言ってくれた。まさしくその通りだった。なので今日、碧の退職祝いと「とくら食堂」入りのお祝いを兼ねて、家族でお花見をし、ごはんのお供を食べ尽くす勢いで、ごはんをお腹いっぱい食べようということになったのだ。
「どれから開けよっかな~」
碧は迷いつつ、昆布の佃煮とちりめん山椒、明太子のオリーブオイル漬けを紙の器に出した。飲み物はペットボトルのお茶である。都倉家は全員お酒好きだが、ごはんをめいっぱい食べるときにはお酒は飲まない。これはごはんへの敬意なのである。
ごはんはタッパーに詰めてすぐに持ってきたので、まだ温かい。碧はいちばん小さいタッパーをお父さんに差し出した。
「はい、お父さんのごはん。お茶碗大盛り1杯分」
「ありがとう」
お父さんが食べる量は、一般的なのである。普段食べるごはんもお茶碗1杯分。今日はごはんがメインなので、少し多めにしたのだ。
あとの4合あまりは、お母さんと碧で半分こだ。大きなタッパーにふんわりと盛った。
「ほな、いただこか」
「うん」
「はーい」
両親と碧は揃って「いただきます」と手を合わせ、割り箸を割った。碧はまず、明太子のオリーブオイル漬けをごはんに乗せ、一緒に口の中へ。ごはんの甘さと明太子のぴりっとした旨みと刺激、オリーブオイルの若々しい香りが口いっぱいに広がった。
「美味し~い!」
美味を目一杯堪能する。お父さんが焼いてくれた塩さばや、白和えと卵焼きにもどんどんお箸を伸ばして。
「やっぱりお父さんのごはん美味しい~幸せ~」
「そうかそうか」
お父さんは満足そうにお箸を動かしている。お母さんも旺盛な食欲を見せている。がつがつという擬音が聞こえる様だ。
「ほんまどれも美味しいわぁ。碧ちゃんの元職場の人らに感謝やね」
「うん」
「ほんまに、ええ人らに巡り会えたな」
「……うん!」
お父さんの優しい言葉に、碧は淀屋橋店のスタッフを思い出し、満面の笑みになった。
「さつき亭」にいたときは、特に店長になってからは連休の取得が難しかった。ただの社員でいた1年目と2年目は、お客さまが少ない土日を含めて5連休を取ることができたが、店長の間は3連休が精一杯だった。
働き方としてはどうかと思わないでも無いが、どうしても店舗のことが気になってしまうのだ。これは人によりけりだろうが、碧の性格ではどうしてもそうなってしまうのだった。
今でも少し、お世話になった淀屋橋店のことが気にはなる。けれど春日井さんに任せておけば大丈夫だし、もう自分は部外者である。
店長というお仕事は、やはり自分には荷が勝ちすぎていたな、と今さらながら思うのだ。社員の田所さんと春日井さん、パートの琴平さんに秋田さん、他スタッフの支えが無ければ、到底できなかっただろうと思う。
今晴れ晴れとした気持ちなのは、そうした重責から離れられたからだろう。もしかしたら自分は、思うよりプレッシャーに弱いのかも知れない。
こんなことで「とくら食堂」を任せてもらえるのだろうか、とつい不安になってしまうが、またさらに経験を積むことで、自信にしていけたら良いと思っている。
「さて、と」
今は14時過ぎ。「とくら食堂」閉店の時間だ。碧は5合炊きの炊飯器の蓋を開ける。ごはんが炊き上がったばかりで、柔らかく甘い湯気が碧の顔をほわぁ……と包み込んだ。
靱公園の桜は満開に近く、華やかだ。我先にと開いたピンク色からは、ゆるやかな風に乗ってはらりと花びらが舞い、優雅である。
靱公園は都会の中にあるオアシスという位置付けで、特に今の様な気候の良いときには、お昼にはベンチでごはんを食べる人もいる。今は多くの人がお仕事中だが、近所に住まうだろう人や小さな子が遊具を使って遊んでいたり、ベンチでドリンク片手に桜を眺めたりしている。
碧は桜の樹の近くに青いレジャーシートを広げ、風で飛ばない様に四隅に荷物を置いた。スニーカーを脱いでシートに上がると、「んー!」と大きく伸びをした。
気持ちが良い。風も心地良くて、お日さまも温かい。まさにお花見日和だ。
「碧ちゃん、お待たせ~」
「待たしたな」
「とくら食堂」を店じまいしたお父さんとお母さんが連れ立ってやってきて、靴を脱いでレジャーシートに上がった。お父さんの手にはエコバッグがあった。
「今日の残り。いつもの卵焼きと、朝ごはんにも出したほうれん草の白和えな。昼のメインはさばの塩焼き。3切れ余ったわ。あとは残ったごはんな」
「ひとり一切れ食べれんで。ごはん、持ってきてくれた?」
言いながらお父さんとお母さんは腰を下ろす。お父さんはエコバッグからタッパーを出した。さばは焼いて間もないのか、タッパーが温かい。
「うん。5合炊いて、全部持ってきた。お母さんには足りんかも知れんけど」
お母さんは大食いなのだ。フードファイターだった過去がある。お母さんは美しい人なので、「美しすぎるフードファイター」なんて二つ名があったほどだ。
「大丈夫やって。お父さんと碧ちゃんの分まで取らへんから安心しぃ」
お母さんはそう言って、楽しそうにからからと笑う。お母さんは確かにたくさん食べることができるが、普段はそれなりに節制している。基本は一般的な成人の1人前にとどめているのだ。食べ放題でも無い限りいつでもたくさん食べていたら、都倉家破産の危機である。
シートの上にお父さんが作ったおかず、ごはんを詰めたタッパー、そしてごはんのお供である佃煮などのパッケージを広げる。
このごはんのお供は、碧が「さつき亭」を退職するときに、お祝いとしてもらったものだった。
「都倉さんはスイーツとかより、ごはんをお腹いっぱい食べる方が好きやと思って」
田所さんはそう言ってくれた。まさしくその通りだった。なので今日、碧の退職祝いと「とくら食堂」入りのお祝いを兼ねて、家族でお花見をし、ごはんのお供を食べ尽くす勢いで、ごはんをお腹いっぱい食べようということになったのだ。
「どれから開けよっかな~」
碧は迷いつつ、昆布の佃煮とちりめん山椒、明太子のオリーブオイル漬けを紙の器に出した。飲み物はペットボトルのお茶である。都倉家は全員お酒好きだが、ごはんをめいっぱい食べるときにはお酒は飲まない。これはごはんへの敬意なのである。
ごはんはタッパーに詰めてすぐに持ってきたので、まだ温かい。碧はいちばん小さいタッパーをお父さんに差し出した。
「はい、お父さんのごはん。お茶碗大盛り1杯分」
「ありがとう」
お父さんが食べる量は、一般的なのである。普段食べるごはんもお茶碗1杯分。今日はごはんがメインなので、少し多めにしたのだ。
あとの4合あまりは、お母さんと碧で半分こだ。大きなタッパーにふんわりと盛った。
「ほな、いただこか」
「うん」
「はーい」
両親と碧は揃って「いただきます」と手を合わせ、割り箸を割った。碧はまず、明太子のオリーブオイル漬けをごはんに乗せ、一緒に口の中へ。ごはんの甘さと明太子のぴりっとした旨みと刺激、オリーブオイルの若々しい香りが口いっぱいに広がった。
「美味し~い!」
美味を目一杯堪能する。お父さんが焼いてくれた塩さばや、白和えと卵焼きにもどんどんお箸を伸ばして。
「やっぱりお父さんのごはん美味しい~幸せ~」
「そうかそうか」
お父さんは満足そうにお箸を動かしている。お母さんも旺盛な食欲を見せている。がつがつという擬音が聞こえる様だ。
「ほんまどれも美味しいわぁ。碧ちゃんの元職場の人らに感謝やね」
「うん」
「ほんまに、ええ人らに巡り会えたな」
「……うん!」
お父さんの優しい言葉に、碧は淀屋橋店のスタッフを思い出し、満面の笑みになった。
1
あなたにおすすめの小説
香死妃(かしひ)は香りに埋もれて謎を解く
液体猫
キャラ文芸
第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞受賞しました(^_^)/
香を操り、死者の想いを知る一族がいる。そう囁かれたのは、ずっと昔の話だった。今ではその一族の生き残りすら見ず、誰もが彼ら、彼女たちの存在を忘れてしまっていた。
ある日のこと、一人の侍女が急死した。原因は不明で、解決されないまま月日が流れていき……
その事件を解決するために一人の青年が動き出す。その過程で出会った少女──香 麗然《コウ レイラン》──は、忘れ去られた一族の者だったと知った。
香 麗然《コウ レイラン》が後宮に現れた瞬間、事態は動いていく。
彼女は香りに秘められた事件を解決。ついでに、ぶっきらぼうな青年兵、幼い妃など。数多の人々を無自覚に誑かしていった。
テンパると田舎娘丸出しになる香 麗然《コウ レイラン》と謎だらけの青年兵がダッグを組み、数々の事件に挑んでいく。
後宮の闇、そして人々の想いを描く、後宮恋愛ミステリーです。
シリアス成分が少し多めとなっています。
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
婚約破棄?いいですけど私巨乳ですよ?
無色
恋愛
子爵令嬢のディーカは、衆目の中で婚約破棄を告げられる。
身分差を理由に見下されながらも、彼女は淡々と受け入れようとするが、その時ドレスが破れ、隠していた自慢のそれが解き放たれてしまう。
本物の夫は愛人に夢中なので、影武者とだけ愛し合います
こじまき
恋愛
幼い頃から許嫁だった王太子ヴァレリアンと結婚した公爵令嬢ディアーヌ。しかしヴァレリアンは身分の低い男爵令嬢に夢中で、初夜をすっぽかしてしまう。代わりに寝室にいたのは、彼そっくりの影武者…生まれたときに存在を消された双子の弟ルイだった。
※「小説家になろう」にも投稿しています
大正ロマン恋物語 ~将校様とサトリな私のお試し婚~
菱沼あゆ
キャラ文芸
華族の三条家の跡取り息子、三条行正と見合い結婚することになった咲子。
だが、軍人の行正は、整いすぎた美形な上に、あまりしゃべらない。
蝋人形みたいだ……と見合いの席で怯える咲子だったが。
実は、咲子には、人の心を読めるチカラがあって――。
後宮薬師は名を持たない
由香
キャラ文芸
後宮で怪異を診る薬師・玉玲は、母が禁薬により処刑された過去を持つ。
帝と皇子に迫る“鬼”の気配、母の遺した禁薬、鬼神の青年・玄曜との出会い。
救いと犠牲の狭間で、玉玲は母が選ばなかった選択を重ねていく。
後宮が燃え、名を失ってもなお――
彼女は薬師として、人として、生きる道を選ぶ。
とめどなく波が打ち寄せるように
月山 歩
恋愛
男爵令嬢のセシルは、従者と秘密の恋をしていた。彼が従者長になったら、父に打ち明けて、交際を認めてもらうつもりだった。けれども、それを知った父は嘘の罪を被せて、二人の仲を割く。数年後再会した二人は、富豪の侯爵と貧困にあえぐ男爵令嬢になっていた。そして、彼は冷たい瞳で私を見下した。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる