とくら食堂、朝とお昼のおもてなし

山いい奈

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2章 碧、あやかしと触れ合う

第1話 お父さんとお母さんの出会い

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 実はあおのお母さんは、あやかしである。その正体は二口女ふたくちおんなだ。

 二口女は頭の後ろにも口があり、かなり大食いなあやかしなのだ。

 お母さんは普段は美しい女性の姿で、普通に人間として生活をしている。後頭部の口も見えない様になっている。妖力でそうしているのだ。

 お母さんの胃袋の天井がどれぐらいなのか、お父さんも碧も知らない。お母さんはお腹がいっぱいになったことが無いからだ。

 お父さんは以前、お母さんをお腹いっぱいにしてあげられない不甲斐無さに悩んだそうだが。

「でも、お父さんのごはん美味しいし、わたしは満足なんやで」

 お母さんは偽りの無い笑顔でそう言ったそうだ。

 そんなお父さんとお母さんの出会いは、お母さんが働いていたカフェでだったそう。お父さんは当時会社員で、そこを行きつけにしていたのだ。

 二口女はそもそも美しいものなのだが、お母さんも例に漏れず美貌で、頭の口を隠していたので、伝承などでは長く伸ばしていることが多い髪を軽いボブカットにしていて、溌剌とした印象だったそうだ。

 お父さんはそんなお母さんに一目惚れをした。

 お父さんは営業職で、外回りの隙間でそのカフェを利用していたそうなのだが、お母さんが新たにアルバイトで入り、そこで出会ったのだ。

 カウンタ席でタブレットを開いてお仕事をしながら、ときおりマスターと世間話をする。今日はええ天気ですね、そんな他愛の無いお話だ。

 お父さんは食品製造会社の営業だった。お父さんも碧と同様に調子専門学校を出ていて、新商品開発の部署を希望していたのだが、それが叶わぬまま3年が経とうとしていたのだ。

 お母さんがそのカフェでアルバイトを始めたのは、高校を卒業したばかりの春のことだった。お母さんはあやかしではあったのだが、義務教育を経て高校にも進学した。そして大学入学も決めたのだ。

 当時、お父さん23歳、お母さん18歳。ちょうど良い歳の差だと思う。

 お父さんがオーナーさんとお話をするので、いつの間にかお母さんもそこに混ざる様になり、ゆっくりとふたりの距離は近付いていった。

 お父さんがお母さんに交際を申し込んだとき、お父さんは24歳、お母さんは19歳だった。

 お母さんはまさか、お父さんが自分に対してそんな見方をしているなんて、思いもよらなかったそうだ。お父さんは穏やかな人で、がっついたところが無く、色恋のイメージが無かった。

 だがそんな優しいお父さんに、お母さんが淡く惹かれていたのは間違い無く。

 そうしてふたりのお付き合いが始まった。お母さんものほほんとした人だから、ふたりはそれぞれのペースでお付き合いを重ね、思いを深めていった。

 そうして3年が経ち、お母さんはストレートで大学を卒業。就職先も決まっていた。カフェのお仕事でホールスタッフの面白さに目覚め、チェーンのカフェに入ることになっていた。

 そうして新年度が始まり、さらに2年が過ぎた。

 お父さんは相変わらず営業職で励み、お母さんもカフェのホールのお仕事に勤しんでいた。そんなお母さんにお父さんがリングを用意したのは、4月に入って少ししたころのこと。

 お父さんはプロポーズといっても、高級なレストランを予約したりはしない。お母さんがいつも好むのは「美味しいものがたくさん」だからだ。だからお父さんはホテルのビュッフェにお母さんを連れていった。

 そのころには、お父さんとお母さんのデートでの食事はホテルのビュッフェや、焼肉やしゃぶしゃぶの食べ放題などが定番になっていた。お付き合いを始めてしばらくはお母さんもひとり分を食べるにとどめていたが、徐々に過剰な気遣いをする必要の無い関係になって、大食らいなのを隠そうとしなくなったのだ。

 いつもと違ったのは、席を予約していたことだ。ビュッフェレストランは広く、席も多い。いつもは直接レストランに行くのだが、レストランの担当者さんと相談して、夜景の綺麗な窓際の席をキープしてもらったのだ。

 いつもの様に存分にお料理を楽しみ、スイーツも終わって、それぞれホットドリンクで落ち着いたころ。目立つのが苦手なお父さんはテーブルの下で、リングのケースを開いた。

「凪ちゃん、ぼくと、結婚してくれませんか」

 そう、向かいに座るお母さんにだけ聞こえる様な大きさで、でもはっきりと言った。

 お母さんはそれに嬉しそうに顔を輝かせた。だが次にはその笑顔が曇ってしまった。

「でもわたし、あの」

 お母さんの声は沈んでいたそうだ。言いたいのに言えない、そんな気配を感じたお父さんは。

「大丈夫、分かってる。なぎちゃんはあやかしやろ?」

 凪はお母さんの名前である。当時の苗字は笠野かさのだ。

「え」

 お母さんは驚いた表情を見せた。そして青ざめた。

「あの、泰三たいぞうさん、わたし、人間に仇なしたり、そんなんは」

 泰三はお父さんの名前だ。

「分かってる。凪ちゃんはええあやかしや。せやからぼくは結婚したいって思った。ぼくな」

 お父さんはお母さんを安心させる様な笑みを浮かべて。

「あやかしが見える家系で、小さいころから関わってきたんよ。せやから、なーんも問題あれへんよ」

 するとお母さんの目には、薄っすらと光るものが現れる。

「わたし、人間と結婚、できるん……?」

 まるで感激している様に、お父さんには見えたそうだ。それはきっと真実で。

 お母さんは人間が好きだからこそ、人間社会に関わってきた。そうして人間であるお父さんとお付き合いをして、きっとそれは幸せな時間で。

 でも自分はあやかしだから、いつかは身を引かねばと思っていて。

 なのにお父さんはあやかしの存在を認識していて、お母さんと結婚をしたがっていて。

「ほんまに、わたしでええの……?」

 お母さんの声は小鳥の様に小さく震えていたそうだ。お父さんはそっとお母さんの左手を取って、細くしなやかな薬指に指輪を滑らせた。

 お父さんは一般的な会社員だったから、大きなダイヤモンドなんて付いた指輪では無い。それでもそれにはお父さんの真摯な思いが込められている。プラチナに埋め込まれた、小さく透明な石が、精一杯輝いた。

「うん。ぼくは、凪ちゃん以外の人との結婚なんて、考えられへんよ」

 お父さんの優しい声色は、お母さんの心にじんわりと沁みわたり。

「ありがとう、泰三さん……!」

 お母さんの頬を、つうと雫が流れ落ちた。

 そして、お母さんの指を彩る新しい華奢なリングは、ほんの少し、ぶかぶかだった。
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