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4章 碧、転機を迎える
第6話 ふわふわと現実
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「座ってもええですか?」
スーツ姿の渡辺さんは笑顔を絶やさない。碧はその爽やかさに胸がどきっとしてしまい。
「あ、どうぞ、よろしければカウンタ席に」
しどろもどろになりながら案内をする。渡辺さんはにこやかなまま「ありがとうございます」と、カウンタの碧の近いところに掛けた。
碧は慌てつつ、お冷やと冷たいおしぼりを渡した。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
「あ、あの、うちは朝ごはんは、お昼ごはんもですけど、おしながきが決まっていて。よろしいですか?」
「もちろんです。楽しみです」
人好きのする笑顔だな、と思った。だがそれが、その人の人となりとは限らない。短い時間では難しいだろうが、少しでも内面を知れたら、と思っている。
まずは会話だ。探る、といえば聞こえは良く無いかも知れないが、知りたいのだ。お店経営に興味があると言ってくれたこと、碧に会いたいと思ってくれたこと。
今朝の卵料理は卵焼きだ。小鉢はツナと大阪しろ菜のごま和え、お味噌汁はお揚げさんとしめじ。お昼のメインは豚肉のしょうが焼きである。
大阪しろ菜はなにわの伝統野菜のひとつである。形としては小松菜と似ているが、軸は白くて幅があり、青い葉はまるまるとしている。くせの少ないお野菜で、いろいろな使い方ができる。
当初は大阪造幣局があることでも有名な天満橋で育てられていたので、天満菜とも呼ばれている。今は主に大阪南部で栽培されている。
大阪しろ菜は早生種と中生種、晩生種があり、年中収穫されている。8月の今は早生種が旬である。
お父さんは卵焼きを焼き始め、碧も小鉢とお味噌汁、ごはんを用意した。トレイに揃えたそれらを、お母さんが渡辺さんに運ぶ。
お父さんは、渡辺さん、碧のお見合い相手がくるからと言って、特別なことは何もしないと言った。普段の「とくら食堂」を見たもらえば良いと。碧もそう思う。ただ心なしか、昨日の営業後のお掃除は、いつも以上に丁寧にしてしまったことは否めないのである。
「はーい、お待たせしました。ごはんとお味噌汁は1杯だけ無料でお代わりできますからね。ごゆっくりどうぞ~」
「ありがとうございます」
渡辺さんの柔らかな笑顔はそのままだ。お母さんに愛想良く微笑み、朝ごはんを前にして「わぁ……」と嬉しそうな声を漏らした。
「いただきます」
言って、割り箸を割る。まずはごはんをかっこみ、お味噌汁をすすり、そして小鉢に割り箸を伸ばす。口に入れて「ん」と目を丸くした。
「これ、ええですね。あっさりとしたしろ菜にツナとごまがめっちゃ合いますね。へぇ、こんな美味しいのが毎朝食べられるんですねぇ」
渡辺さんはふわりとした笑みを浮かべながら、お食事を進めていく。卵焼きを食べたときには「んふ」とため息を漏らした。
じっくりと味わう様に手と口を動かして、10分ほどが経ったころ、器たちはすっかりときれいになった。
「ごちそうさまでした」
割り箸を置いて、手を合わせる。碧は食べる前とあとで、こうして丁寧に手を合わせる人に、悪い人はいない、なんて思っている。礼儀正しさと繋がっていると思っているからだ。
「美味しかったです。何というか、物理的にはおかずは冷めてるんやけど、あったかいっちゅうか。卵焼きもぷるぷるで」
「ありがとうございます」
「それにしても……」
渡辺さんは言うと、ゆっくりと店内を見渡した。今はお客さまも少なく、穏やかな雰囲気が漂っている。
「ええですねぇ。ぼく、今の職場環境も悪くは無いんですけど」
確かに、有給が取りやすい、むしろ積極的に取る様に勧められているのなら、良い環境なのだろう。碧が「さつき亭」に勤めているときは、有給はあったものの、取れる様な環境では無かった。
もしかしたらそれは碧の思い込みだったのかも知れないが、他の社員もめったに休まなかったし、碧もよほどのことが無ければ休もうとは思わなかった。
「こんなええ雰囲気のお店で、のんびりやってくんも、悪く無いですかねぇ」
碧は思わず眉をぴくりとさせる。お父さんもお母さんも柔和な表情を崩さないが、未熟な碧は顔に出てしまう。
「……のんびりと商売、飲食店をやっている人は、ひとりもおらんと思うんですよ。うちも、今は閑散時間なだけでして」
碧ができる限り穏やかに言うと、渡辺さんの顔つきがわずかに変わった。だがそれは決して不快そうなものでは無くて。
「ここは、わたしの両親が開いて、盛り立てたお店です。わたしにとっても大切で、せやので跡を継ぎたいって思ってます。今は幸いたくさんのご常連がいてくださってます。でもそれも永遠や無いんですよね。新しいお客さまにもきていただかんといけない。せやからのんびりはできないんです」
すると渡辺さんは目を伏せて、頭を掻いた。
「すいません、決して軽んじたつもりは無くて。この店の雰囲気が良かったもんですから」
「いえ、わたしこそ生意気言いました、すいません。でも、分かって欲しかったんです。決して簡単では無いってことを」
お見合い相手に初対面でこんなことを言うのは、きっと良く無いのだろう。だが現実なのだ。知っておいてもらわなければならないことなのである。
「はい、思い知りました。あの、この店のこともですけど、都倉さんのことも、もっと知りたいなって思います。ぼくよりお若いのに、すごいしっかりしてはりますよね」
「え、いえいえ、全然そんなこと無いですよ。まだまだ未熟者ですから」
碧が慌てて言うと、渡辺さんはふわりと微笑んだ。
スーツ姿の渡辺さんは笑顔を絶やさない。碧はその爽やかさに胸がどきっとしてしまい。
「あ、どうぞ、よろしければカウンタ席に」
しどろもどろになりながら案内をする。渡辺さんはにこやかなまま「ありがとうございます」と、カウンタの碧の近いところに掛けた。
碧は慌てつつ、お冷やと冷たいおしぼりを渡した。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
「あ、あの、うちは朝ごはんは、お昼ごはんもですけど、おしながきが決まっていて。よろしいですか?」
「もちろんです。楽しみです」
人好きのする笑顔だな、と思った。だがそれが、その人の人となりとは限らない。短い時間では難しいだろうが、少しでも内面を知れたら、と思っている。
まずは会話だ。探る、といえば聞こえは良く無いかも知れないが、知りたいのだ。お店経営に興味があると言ってくれたこと、碧に会いたいと思ってくれたこと。
今朝の卵料理は卵焼きだ。小鉢はツナと大阪しろ菜のごま和え、お味噌汁はお揚げさんとしめじ。お昼のメインは豚肉のしょうが焼きである。
大阪しろ菜はなにわの伝統野菜のひとつである。形としては小松菜と似ているが、軸は白くて幅があり、青い葉はまるまるとしている。くせの少ないお野菜で、いろいろな使い方ができる。
当初は大阪造幣局があることでも有名な天満橋で育てられていたので、天満菜とも呼ばれている。今は主に大阪南部で栽培されている。
大阪しろ菜は早生種と中生種、晩生種があり、年中収穫されている。8月の今は早生種が旬である。
お父さんは卵焼きを焼き始め、碧も小鉢とお味噌汁、ごはんを用意した。トレイに揃えたそれらを、お母さんが渡辺さんに運ぶ。
お父さんは、渡辺さん、碧のお見合い相手がくるからと言って、特別なことは何もしないと言った。普段の「とくら食堂」を見たもらえば良いと。碧もそう思う。ただ心なしか、昨日の営業後のお掃除は、いつも以上に丁寧にしてしまったことは否めないのである。
「はーい、お待たせしました。ごはんとお味噌汁は1杯だけ無料でお代わりできますからね。ごゆっくりどうぞ~」
「ありがとうございます」
渡辺さんの柔らかな笑顔はそのままだ。お母さんに愛想良く微笑み、朝ごはんを前にして「わぁ……」と嬉しそうな声を漏らした。
「いただきます」
言って、割り箸を割る。まずはごはんをかっこみ、お味噌汁をすすり、そして小鉢に割り箸を伸ばす。口に入れて「ん」と目を丸くした。
「これ、ええですね。あっさりとしたしろ菜にツナとごまがめっちゃ合いますね。へぇ、こんな美味しいのが毎朝食べられるんですねぇ」
渡辺さんはふわりとした笑みを浮かべながら、お食事を進めていく。卵焼きを食べたときには「んふ」とため息を漏らした。
じっくりと味わう様に手と口を動かして、10分ほどが経ったころ、器たちはすっかりときれいになった。
「ごちそうさまでした」
割り箸を置いて、手を合わせる。碧は食べる前とあとで、こうして丁寧に手を合わせる人に、悪い人はいない、なんて思っている。礼儀正しさと繋がっていると思っているからだ。
「美味しかったです。何というか、物理的にはおかずは冷めてるんやけど、あったかいっちゅうか。卵焼きもぷるぷるで」
「ありがとうございます」
「それにしても……」
渡辺さんは言うと、ゆっくりと店内を見渡した。今はお客さまも少なく、穏やかな雰囲気が漂っている。
「ええですねぇ。ぼく、今の職場環境も悪くは無いんですけど」
確かに、有給が取りやすい、むしろ積極的に取る様に勧められているのなら、良い環境なのだろう。碧が「さつき亭」に勤めているときは、有給はあったものの、取れる様な環境では無かった。
もしかしたらそれは碧の思い込みだったのかも知れないが、他の社員もめったに休まなかったし、碧もよほどのことが無ければ休もうとは思わなかった。
「こんなええ雰囲気のお店で、のんびりやってくんも、悪く無いですかねぇ」
碧は思わず眉をぴくりとさせる。お父さんもお母さんも柔和な表情を崩さないが、未熟な碧は顔に出てしまう。
「……のんびりと商売、飲食店をやっている人は、ひとりもおらんと思うんですよ。うちも、今は閑散時間なだけでして」
碧ができる限り穏やかに言うと、渡辺さんの顔つきがわずかに変わった。だがそれは決して不快そうなものでは無くて。
「ここは、わたしの両親が開いて、盛り立てたお店です。わたしにとっても大切で、せやので跡を継ぎたいって思ってます。今は幸いたくさんのご常連がいてくださってます。でもそれも永遠や無いんですよね。新しいお客さまにもきていただかんといけない。せやからのんびりはできないんです」
すると渡辺さんは目を伏せて、頭を掻いた。
「すいません、決して軽んじたつもりは無くて。この店の雰囲気が良かったもんですから」
「いえ、わたしこそ生意気言いました、すいません。でも、分かって欲しかったんです。決して簡単では無いってことを」
お見合い相手に初対面でこんなことを言うのは、きっと良く無いのだろう。だが現実なのだ。知っておいてもらわなければならないことなのである。
「はい、思い知りました。あの、この店のこともですけど、都倉さんのことも、もっと知りたいなって思います。ぼくよりお若いのに、すごいしっかりしてはりますよね」
「え、いえいえ、全然そんなこと無いですよ。まだまだ未熟者ですから」
碧が慌てて言うと、渡辺さんはふわりと微笑んだ。
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