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1章 新世界でお店を開くために
第2話 お酒を扱わないのなら
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姿の大きい小さいで、あやかしの格や強い弱いを測れないだろうが、このあやかしは大物の様な気がする。そんな雰囲気を醸し出している。由祐はごくりと喉を鳴らした。
黒の長い髪、その頭上から覗く左右2本の角。鬼というあやかしだろうか。肌は赤黒く、ダークグレイの着流しを着ていた。
その鬼がゆっくりと由祐を見る。由祐は驚いた。とても美形だったからだ。涼やかな目、通った鼻筋、薄くて赤い唇。肌の色が濃いから分かりづらいが、それだけははっきりと見て取れた。
どうしようか。無視して内覧しても良いだろうか。あやかしのことだから、何かちょっかいを出してくる様なことは無いと思うが。だが今、由祐は鬼らしきあやかしに見られている。ばっちり目が合ってしまっている。これまでの例の様にはならないかも知れない。
由祐は緊張する。どうしよう、どうなる?
「荻野さん?」
門脇さんに声を掛けられ、由祐ははっと我にかえる。当然ながら門脇さんにはあやかしが見えていないだろう。
「どうかしましたか?」
不思議そうな顔で問われ、由祐は引きつった笑みを浮かべてしまった。
「すいません、何でも無いです」
「そうですか? もし体調がお悪いとかありましたら、言うてくださいね。大丈夫でしたらぜひ店内を見てみてください。この規模なら、おひとりで充分切り回しできると思うんですよ。うちの持ち物件なので、お貸ししやすいというのもありますし、前も飲食店でしたから、あるもんはほぼそのまま使えると思うんですよ」
そうなのだ。不動産仲介会社の持ち物件というところが、実は大きい。まずは仲介手数料と礼金が発生しない。
敷金と家賃も交渉次第で下がったりするかも知れない。しかしそれは、もしここを借りることになった場合、後々のことを考えて下手を打つわけにはいかない。できることなら店子として悪印象を持たれたくないので。
そしてようやく、由祐は店内を見渡す。掃除があまりされていなくて空気がくすんでいる感じがするが、そこを綺麗にするのは由祐や業者さんの仕事だ。
今は奥にあやかしがいるが、カウンタテーブルがすでにあるのは助かる。椅子などの家具は無いが、ぱっと見たところ、余裕を設けると7席か8席ぐらいになるだろうか。
いわゆる「鰻の寝床」と言われる、細長い物件である。なのでテーブル席は置けない。だがひとりで切り盛りする予定なので、その方が都合が良い。
由祐はカウンタの向こうの厨房に回る。調理器具や冷蔵庫などは撤去されているが、ふたつのシンクに4口コンロ、調理台に防火用壁などが過不足無く設置されている。以前も飲食店だっただろうから、当然といえば当然なのだろうが。
汚れなどは業務用洗剤で綺麗にできるだろうし、客席の方は壁を塗り直したりすれば大丈夫だ。今は全体的にブラウンの壁だが、由祐は淡いクリーム色のお店にしたいと思っているので、一石二鳥といえるのでは無いだろうか。
やはり、もしここを借りることになれば、の話だが。
由祐はあらためて、あやかしを見る。やはりあやかしはカウンタに堂々と座っている。由祐は今厨房にいるので、見えるのはあやかしの背中である。大柄だからか広い背中。そのとき。
「女、ここに何しにきた」
低い声が響く。門脇さんの声では無い。ということは、あやかしのものだ。
しかし今問われても、応えるのが難しい。門脇さんがいるし、ただのひとり言になってしまって、門脇さんに不審に思われる。と、なれば。
「門脇さん、わたし、どて焼きとお惣菜と抹茶スイーツを使った定食のお店をしたいと思ってるんですよ」
「あ、そうなんですか、ええですねぇ。どて焼きは大阪のソウルフードですもんね。抹茶も人気やし」
演技の心得が無い由祐の声はやや棒読みの様になってしまったが、門脇さんは何の懸念も持たなかった様で、にこやかに応えてくれる。
「ここをお借りできたら、ええお店にできそうですよね。素敵な物件です」
それは由祐の本心である。ほぼ居抜きで借りられそうなこの店舗は、かなり魅力的である。
「その店、酒は出すやろな?」
またあやかしの声が響く。由祐はまた口を開いた。
「お酒は出さんつもりなんですよ」
「へぇ? 新世界でお酒を出さんて、珍しいですねぇ」
門脇さんが目を丸くするので。
「やっぱりそうですかねぇ」
由祐は不安になる。確かに繁華街では、食事ができるお店でお酒を出さないところは皆無と言って良いだろう。さっき前を通った「喫茶ドレミ」の様な純喫茶ならともかく。
やはりお酒は取り扱った方が良いのだろうか。しかし由祐自身が飲まないし、酔っ払いもあまり好きでは無い。
深雪ちゃんと遊ぶときにはお酒が苦手な由祐を気遣って、あまりお酒が主体のお店には行かない様にしてくれていた。本当にありがたい。串かつは別だが。
すると。
「酒を出さんのやったら、ここは使わせん」
あやかしの怒りを含んだ様な低音が、びりびりと響いた。由祐はとっさに「な」と声を上げそうになるが、すんでのところで飲み込む。近い距離に門脇さんがいたからだ。
何であんたにそんなこと言われなあかんねん。心の中ではそんなことを思うが、今は何も言えない。なので。
「ちょっと考えますね。わたし、お酒って自分が飲むんも、飲んだ人も、ちょっと苦手で」
由祐が言ったとき、あやかしの頭がぴくりと揺れた気がした。
「ああ~、中にはタチの悪い人もおりますからねぇ。特に新世界は繁華街てこともあって、羽目を外す人も多いし」
「そうですね」
門脇さんの陽気なせりふに、由祐はつい苦笑いをしてしまう。まさにそうされてしまうのが嫌なのだ。
「ここを借りられるかどうかはすぐには決められへんでしょうし、考えていただいて。でも、早いもん順てことだけは、覚えといていただけたら」
「はい、承知しております」
由祐が頷いた、そのとき。
「女、ひとりになったら、またここに来い」
あやかしの、さっきよりはかなり落ち着いた声が届いた。あやかしが見ているかどうかなんて分からないのに、由祐はこくりと小さく頷いた。
黒の長い髪、その頭上から覗く左右2本の角。鬼というあやかしだろうか。肌は赤黒く、ダークグレイの着流しを着ていた。
その鬼がゆっくりと由祐を見る。由祐は驚いた。とても美形だったからだ。涼やかな目、通った鼻筋、薄くて赤い唇。肌の色が濃いから分かりづらいが、それだけははっきりと見て取れた。
どうしようか。無視して内覧しても良いだろうか。あやかしのことだから、何かちょっかいを出してくる様なことは無いと思うが。だが今、由祐は鬼らしきあやかしに見られている。ばっちり目が合ってしまっている。これまでの例の様にはならないかも知れない。
由祐は緊張する。どうしよう、どうなる?
「荻野さん?」
門脇さんに声を掛けられ、由祐ははっと我にかえる。当然ながら門脇さんにはあやかしが見えていないだろう。
「どうかしましたか?」
不思議そうな顔で問われ、由祐は引きつった笑みを浮かべてしまった。
「すいません、何でも無いです」
「そうですか? もし体調がお悪いとかありましたら、言うてくださいね。大丈夫でしたらぜひ店内を見てみてください。この規模なら、おひとりで充分切り回しできると思うんですよ。うちの持ち物件なので、お貸ししやすいというのもありますし、前も飲食店でしたから、あるもんはほぼそのまま使えると思うんですよ」
そうなのだ。不動産仲介会社の持ち物件というところが、実は大きい。まずは仲介手数料と礼金が発生しない。
敷金と家賃も交渉次第で下がったりするかも知れない。しかしそれは、もしここを借りることになった場合、後々のことを考えて下手を打つわけにはいかない。できることなら店子として悪印象を持たれたくないので。
そしてようやく、由祐は店内を見渡す。掃除があまりされていなくて空気がくすんでいる感じがするが、そこを綺麗にするのは由祐や業者さんの仕事だ。
今は奥にあやかしがいるが、カウンタテーブルがすでにあるのは助かる。椅子などの家具は無いが、ぱっと見たところ、余裕を設けると7席か8席ぐらいになるだろうか。
いわゆる「鰻の寝床」と言われる、細長い物件である。なのでテーブル席は置けない。だがひとりで切り盛りする予定なので、その方が都合が良い。
由祐はカウンタの向こうの厨房に回る。調理器具や冷蔵庫などは撤去されているが、ふたつのシンクに4口コンロ、調理台に防火用壁などが過不足無く設置されている。以前も飲食店だっただろうから、当然といえば当然なのだろうが。
汚れなどは業務用洗剤で綺麗にできるだろうし、客席の方は壁を塗り直したりすれば大丈夫だ。今は全体的にブラウンの壁だが、由祐は淡いクリーム色のお店にしたいと思っているので、一石二鳥といえるのでは無いだろうか。
やはり、もしここを借りることになれば、の話だが。
由祐はあらためて、あやかしを見る。やはりあやかしはカウンタに堂々と座っている。由祐は今厨房にいるので、見えるのはあやかしの背中である。大柄だからか広い背中。そのとき。
「女、ここに何しにきた」
低い声が響く。門脇さんの声では無い。ということは、あやかしのものだ。
しかし今問われても、応えるのが難しい。門脇さんがいるし、ただのひとり言になってしまって、門脇さんに不審に思われる。と、なれば。
「門脇さん、わたし、どて焼きとお惣菜と抹茶スイーツを使った定食のお店をしたいと思ってるんですよ」
「あ、そうなんですか、ええですねぇ。どて焼きは大阪のソウルフードですもんね。抹茶も人気やし」
演技の心得が無い由祐の声はやや棒読みの様になってしまったが、門脇さんは何の懸念も持たなかった様で、にこやかに応えてくれる。
「ここをお借りできたら、ええお店にできそうですよね。素敵な物件です」
それは由祐の本心である。ほぼ居抜きで借りられそうなこの店舗は、かなり魅力的である。
「その店、酒は出すやろな?」
またあやかしの声が響く。由祐はまた口を開いた。
「お酒は出さんつもりなんですよ」
「へぇ? 新世界でお酒を出さんて、珍しいですねぇ」
門脇さんが目を丸くするので。
「やっぱりそうですかねぇ」
由祐は不安になる。確かに繁華街では、食事ができるお店でお酒を出さないところは皆無と言って良いだろう。さっき前を通った「喫茶ドレミ」の様な純喫茶ならともかく。
やはりお酒は取り扱った方が良いのだろうか。しかし由祐自身が飲まないし、酔っ払いもあまり好きでは無い。
深雪ちゃんと遊ぶときにはお酒が苦手な由祐を気遣って、あまりお酒が主体のお店には行かない様にしてくれていた。本当にありがたい。串かつは別だが。
すると。
「酒を出さんのやったら、ここは使わせん」
あやかしの怒りを含んだ様な低音が、びりびりと響いた。由祐はとっさに「な」と声を上げそうになるが、すんでのところで飲み込む。近い距離に門脇さんがいたからだ。
何であんたにそんなこと言われなあかんねん。心の中ではそんなことを思うが、今は何も言えない。なので。
「ちょっと考えますね。わたし、お酒って自分が飲むんも、飲んだ人も、ちょっと苦手で」
由祐が言ったとき、あやかしの頭がぴくりと揺れた気がした。
「ああ~、中にはタチの悪い人もおりますからねぇ。特に新世界は繁華街てこともあって、羽目を外す人も多いし」
「そうですね」
門脇さんの陽気なせりふに、由祐はつい苦笑いをしてしまう。まさにそうされてしまうのが嫌なのだ。
「ここを借りられるかどうかはすぐには決められへんでしょうし、考えていただいて。でも、早いもん順てことだけは、覚えといていただけたら」
「はい、承知しております」
由祐が頷いた、そのとき。
「女、ひとりになったら、またここに来い」
あやかしの、さっきよりはかなり落ち着いた声が届いた。あやかしが見ているかどうかなんて分からないのに、由祐はこくりと小さく頷いた。
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