無用庵隠居清左衛門

蔵屋

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第六章

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ー前回までのあらましー

江戸庶民の師走。清左衛門一家は師走の煤払いを終えた。
近所の住人たちがお互いの労働を労い清左衛門の家に集まった。
餅は勿論、鮮魚や果物、野菜、豆腐、厚揚げ、卵、鶏肉、根菜類など、家にあるものを持ち寄り一緒に飲食を始めた。
集まったのは与平、民夫婦。寅次、多美夫婦、喜平、涼夫婦、涼の娘お里である。
清左衛門は大枚を振る舞い、日本酒や地酒、
深川のどじょうや、川海老、フナや鯉などを千歳ら女房達が奥の台所で調理している。
清左衛門ら男達はお酒を飲みながら、江戸のら街の一年を振り返った。
すると、与平が先月起きた近江屋伊三郎の惨殺事件について語り始めた。
その事件の起きる二日前に近江屋で夫婦喧嘩があったという。
そしてその翌日、斬九郎と伊三郎の女房幸が船宿で密会している現場を目撃したという。
そして事件当日、斬九郎が事件から鋭い目つきをしながら走り去っていく姿を目撃したと言う。
清左衛門は与平の話しを聞いて、斬九郎が
近江屋伊三郎を惨殺した犯人であると断定したのである。
いよいよ、明日が斬九郎をみちびき出して命のやりとり、つまり刀剣で決着をつける時だと心を決めたのであった。

ー前回までのあらすじENDー

清左衛門は、煤払いの労働を労った宴会がお開きとなった。近所の住民たちは家路についた。
集まっていた与平、民夫婦。寅次、多美夫婦、喜平、涼夫婦、涼の娘お里たちは、清左衛門と千歳に挨拶をして、家路についた。
「旦那、どうもありがとうございました」
「奥方、お世話になりました」
「お世話様でした」
「旦那、楽しかったです。また呼んで下さい」
「皆さん、どうもありがとうございました」
千歳は満面の笑みで挨拶をした。
「みんな、ありがとうなぁ。困ったことがあったらいつでも来いよ」
清左衛門は、与平、民夫婦。寅次、多美夫婦、喜平、涼夫婦、涼の娘お里たちにそう言って見送った。
「さて、千歳、弥生はどうしてるのじゃ?」
「あなた、もうとっくに床につきましたよ」
「あ、そうか。弥生も煤払いをよく手伝っていたからなぁ。疲れたんだな。弥生にはすまんこしたなぁ」
「あなた、そのようなご心配は無用になさってください。大丈夫ですよ」
「そうか。千歳、お茶が呑みとうなった。静岡のお茶を頼む」
「はい、かしこまりました。しばらくお待ちくださいね」
千歳はそう言うと、奥の台所に入った。
しばらくして千歳はお茶を持ってきた。
「お待たせしました。どうぞ召し上がってください」
「すまん。千歳、もう一つ頼みがある。坂上田村麻呂の刊行図書を持って来てくれ。ちと、読みとうなった。「はい、すぐにお持ちしますよ」
千歳はそう言って、奥に入った。
しばらくして、清左衛門の言った坂上田村麻呂(注釈1)の刊行図書を持って来た。
「はい、どうぞ」
「すまん」 
清左衛門は居間で美味しそうに静岡産の緑茶を呑んでいた。
千歳は清左衛門が坂上田村麻呂の刊行図書を読むときは、いつも刀剣で命のやりとりをするときで、あった。千歳は清左衛門には何も聞かなかったが、明日、命のやり取りをすることを察したのであった。

(注釈1)
 坂上 田村麻呂さかのうえ の たむらまろは、平安時代の公卿、武官。
坂上田村麻呂は民間伝承の架空の英雄としても登場する。三重県・滋賀県にまたがる鈴鹿峠一帯に田村麻呂による鈴鹿山の鬼神討伐の足跡が数多く残されている。三重県亀山市にある片山神社は、江戸時代に刊行された『伊勢参宮名所図会』「鈴鹿山」で鈴鹿峠の鏡岩を挟んで伊勢側に鈴鹿神社、近江側に田村明神が描かれており、京と丹波の境に位置する愛宕山の勝軍地蔵菩薩同様に、鈴鹿山に田村将軍を祀ることで将軍地蔵とみなし、鈴鹿権現と一対になった塞の神信仰が古くから存在していた。滋賀県甲賀市には、鈴鹿山の悪鬼を平定した田村麻呂が残っていた矢を放って「この矢の功徳で万民の災いを防ごう。矢の落ちたところに自分を祀れ」と言われ、矢の落ちたところに本殿を建てたとされている田村神社、十一面観世音菩薩の石像を安置して鬼神討伐の祈願をした北向岩屋十一面観音、討伐した大嶽丸を手厚く埋葬したという首塚の残る善勝寺、鈴鹿山の山賊討伐の報恩のために堂宇を建立して毘沙門天を祀ったという櫟野寺がある。兵庫県加東市の播州清水寺には、聖者大悲観音の霊験により鈴鹿山の鬼神退治を遂げた報謝として佩刀騒速と副剣2振を奉納している。
東北地方では岩手県、宮城県、福島県を中心に多数分布する。大方は、田村麻呂が観音など特定の神仏の加護で蝦夷征討や鬼退治を果たし、感謝してその寺社を建立したというものである。伝承は田村麻呂が行ったと思われない地(青森県など)にも分布するが、京都市の清水寺を除いて、ほとんどすべてが後世の付託と考えられる。その他、田村麻呂が見つけた温泉、田村麻呂が休んだ石など様々に付会した物や地が多い。
東北地方の他に関東、中部、畿内、中国地方にまで及ぶ。縁起や伝説を持つ主な社寺として茨城県鹿嶋市鹿島神宮、那珂市上宮寺、城里町桂地区下野達谷窟、栃木県矢板市木幡神社、将軍塚、那須烏山市星宮神社 (那須烏山市)、新潟県十日町市松苧神社、大田原市那須神社、群馬県三国峠田村神社、埼玉県東松山市正法寺(岩殿観音)、長野県安曇野有明山、長野市松代町西条清水寺、若穂保科清水寺、諏訪市諏訪大社、山梨県富士吉田市冨士山下宮小室浅間神社、静岡県浜松市岩水寺や有玉神社、岡山県倉敷市児島由加神社などが挙げられる。
このように後世、田村麻呂にまつわる伝説が各地に作られ様々な物語を生んだ。室町時代初期、世阿弥作とされる勝修羅三番のひとつ能『田村』が成立、清水寺の縁起とともに田村麻呂が勢州鈴鹿の悪魔を鎮めたと語られ、室町時代中期から後期にかけて成立したお伽草子『鈴鹿の草子』や室町時代物語『田村の草子』などでは田村麻呂と鎮守府将軍・藤原利仁との融合や、鈴鹿御前(立烏帽子)の伝承が採り入れられており、近江国の悪事の高丸や鈴鹿山の大嶽丸を討伐する話になる。これらは江戸時代の東北地方に伝わって奥浄瑠璃の代表的演目『田村三代記』として語られている。
延暦15年1月25日(796年3月9日)、坂上田村麻呂は陸奥出羽按察使兼陸奥守に任命されると、同年10月27日(796年11月30日)には鎮守将軍も兼ねることになった。延暦16年11月5日(797年11月27日)、桓武天皇より征夷大将軍に任ぜられたことで、東北地方全般の行政を指揮する官職を全て合わせ持った。桓武朝第三次蝦夷征討が実行されたのは3年後の延暦20年(801年)であった。また、この当時、坂上田村麻呂は遣唐使として唐の長安に行き、唐から密教を始め、あらゆる技術などを日本に持ち帰って来た空海と交流があった。その時、空海は坂上田村麻呂の蝦夷討伐に於いてある助言をしていたのだ。

さて、清左衛門はいつも刀剣を交え、命のやり取りをするときは、坂上田村麻呂の刊行図書に目を通し、げんを担ぐのであった。明日は丘八が迎えにくるのを待つだけであった。清左衛門は千歳と弥生の寝ている布団の中に入り、一緒に寝たのであった。

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