無用庵隠居清左衛門

蔵屋

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第七章

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 清左衛門は翌朝、目が覚めた。いつものように洗顔し、用を済ませて居間に座った。弥生は千歳と茶の間にいた。
「弥生、父上にご挨拶しなさいね。」
「はい。」
弥生は素直に返事をした。そして清左衛門のいる居間に行った。「父上、おはようございます。」
「お。弥生。おはよう。昨日はすまなかっなのお。」
「いいえ。父上、弥生は大丈夫でしたよ。」
「おー、そうか。そうか。」
千歳は台所で朝餉あさげ(注釈1)の準備をしていた。忙しくしていた。朝は清左衛門に精のつく料理をと、生牡蠣の酢の物を調理していた。他には鯛の塩焼き、アサリの味噌汁、漬け物である。千歳は今日の清左衛門に提供する朝餉は腕によりをかけた料理であった。

(注釈1)
    朝餉あさげとは、朝の食事、朝食を意味する言葉です。
『あさげ』は、室町時代頃までは『あさけ』と言われていました。 『あさ』は『朝』を意味し、『け(笥)』は『容器』を指し、そこから転じて『食べ物』『食事』の意味になったと考えられています。 『あさげ』は俗語として使われていました。明治時代以降に『あさげ』という形になりました。

『朝餉』という漢字は、『あさげ』と『あさがれい』の2通りの読み方があります。
『あさげ』と読む場合の意味は一般的な朝の食事、朝食を指します。その類語は朝飯、昼餉ひるげ夕餉ゆうげなどがあります。
もう一つは『あさがれい』と読む場合があります。意味は天皇が召し上がる簡単な食事を指します。

この物語の続きである。

 一方、斬九郎と幸である。二人にも人生がある。しかも男と女である。斬九郎には女房はいなかった。三年前に胸の病で亡くなったのだ。また、子供もいなかった。所謂おとこやもめである。
「幸、わしと一緒になってくれ。」
「嬉しいわ。もちろんよ(笑顔)。」
幸と斬九郎は抱き合って唇を重ねた。斬九郎は船宿に寝泊まりをしていた。北町奉行所が非番の為である。幸と斬九郎は同じ船宿で寝泊まりをしていた。店はすべて長男の長七郎と番頭の喜助に任せていた。近江屋の奉公人たちの間では幸と斬九郎の関係よく噂話しになっていた。

 さて、私は藤間 生大とうま せいた氏の執筆した作品を読んだことがある。彼は1913年5月16日 から2018年12月10日まで、この世に生存した。彼は、日本の歴史学者、考古学者で、古代日本史から近代東アジア史まで幅広く研究を行ってらいた。かれの論文の内容をご紹介する。
『日本社会において、家が社会の基本的な単位であるとみる見解はかなり多い。例えば、
藤間生大氏の『日本古代国家』の第1章″古代家族″の「はしがき」の中にも
「まことに家族は人間生活の最低の単位であるが、最も身近かな人間生活の根拠として、いつの時代においても重要性をもっている」とある。

 ところで、西洋の近代では、家族は夫と妻との個人的結合を中心とする集団であるのに対し、日本では、家は家屋や家業の運営の集団であって、この意味で社会における生活の単位として存在してから、それは家族の生死を超えて、継続することを目的とした。
 だから家においては、代々の夫婦はそれを担って行く役割を持つものと考えられた。つまり、家の存在ということを重要に考えて来たのだ。
 家を存続させるために、家督および先祖代々の財産を継承する相続の制度が成り立つ。
 相続の制度は、時代により、地方によってさまざまに変わってきている。
日本では、家長である長男が相続するのが普通であるが、もし死んだ時は長女に婿を迎えて相続するケースが多い。長男相続がわが国に確立されたのは、足利幕府の中期以後であったとされている。しかし、この制度が完成したのは、江戸時代に入ってからだ。武士の相続法として採用されたのが始まりであった。長男相続は、武士階層において家の権威を継続するという要請にそったものであるが、武士以外の農・工・商も、明治8年(1875)の太政官指令で、華族と士族と同様長男相続に従えということで明治憲法を基に民法に引継がれ、新民法が生れるまで維持されたのである。
 また、初生子が女である場合、その長子である姉が弟である長男を差しおいて家督を相続する。いわゆる姉家督の例が、わずかであるが、ある地方に見受けられた。
 この姉家督の相続は農業や漁業に於いて家内労働の力を確保、補充する必要性から発生したものであり、農民や漁民の生んだひとつの知恵であると言えるだろう。
 これらは、いずれも一子相続の制度であり、1人の手に家督ならびに財産の全部、もしくは大部分が受け継がれていたのだ。
 封建的家族制度に慣れ、しかも農地を分割して譲渡すれば生活がなり立たたないまでに零細化した農家では、このような相続制度もだれあやしむことなく今日まで続いてきたのである。
 しかし、現在の民法は、家という制度を認めていない。したがって、戸主というものもなくなり、家の相続、家督の相続というものもなくなって、諸子の均分相続に変わってきた。しかし農家の場合、実際には長子以外は相続を放棄して1人の者に一括相続させ、そのほかの子どもには、独立または進学や結婚の際配慮するというのが普通である。
 相続制度が家の財産の相続から個人の財産の相続へとかわってきたのには、それなりの社会的要請によるものと、それを容易にした社会的条件があるように考えられる。
 つまり、現代はみんなが自分の生活を自分で守っていかなければならない社会となったことである。そして人々は、思い思いの職業について収入を得、その収入で自分あるいは自分と家族の生計を立てなければならない世の中になった。ここに、家は次第にその生産性を失い、共同消費の場となってきたのである。
 また、昭和30年(1955)以降の日本の資本主義の急速な発展と、それに伴う全国的な工業化の開発が、労働の機会とその生産性を高めてきたことも大きな理由である。
 こうした時代になると、農業経営もこれまでの旧式なものに満足してはいられないし、農家の主な労働力である世帯主や長男なども他産業へ通勤する者が増加してきた。また出かせぎあるいは転出する者も多くなってきた。
 中には、同じ町内にあっても、若夫婦が老夫婦と別に住む、いわゆる核家族化への傾向が出てきている。
 このように、家そのもののあり方と、相続の歴史は、時代とともに著しく変化してきている。
 江戸中期から明治にかけては、次男、三男に限らず、小農の家では、養育とかせぎをかねて、長男や子女も富裕な農家や都市の商家へ奉公に出た。
 百姓奉公は、年期を定め身代金をもらって庄屋の農耕に従事した。女子であれば子守りをしたり、下女奉公などをした。「五郎八ただ奉公」という言葉もあるように、年貢米の納入につまったり、借金の代償として奉公に出たことが、その契約書に身代金なにがしとあることからもうかがうことができる。本人がもし逃亡した場合は、その身代金を返すことを主人と奉公人と請人の三者で約束している。
 また、江戸の商家へ丁稚でっち奉公に出る者も相当多数あったようである。この中には、手代、番頭と昇進して店を持つようになる者もいたが、その数は少なかったようである。

 夜になり、丘八が清左衛門の屋敷を訪ねて来た。
清左衛門は居間で茶を呑んでいた。「旦那、斬九郎が一人になりました。幸は今夜は近江屋に帰りました。今ですぜ。」
「でかした。丘八」そう言うと清左衛門は身支度を整えて丘八と一緒に屋敷を出た。江戸の夜の街は灯りがない。月灯りだけである。月の灯りは昼間の太陽の灯りの1/60の明るさであるという。丘八は提灯を手に持ち、清左衛門の足元を照らした。清左衛門は丘八の提灯の灯りを頼りに歩いた。斬九郎のいる船宿を目指した。船宿は清左衛門の屋敷からき四半時(注釈2)であった。

(注釈2)

江戸時代の四半時は約30分である。ここで、ご参考の為に江戸時代の時間の数え方について、ご説明しよう。
江戸時代の「いっとき(一時・一刻)」は、現代の約2時間に相当する時間の単位である。ただし、江戸時代は日の出と日没を基準に時間を区切る「不定時法」を採用していたため、季節や昼夜によって「いっとき」の長さは変動しました。

江戸時代の時間制度は現代のような定時法ではなく、日の出と日没を基準とする「不定時法」が用いられていたのだ。
1日を昼と夜に分け、それぞれを6等分していた。
昼の長さは日の出から日没まで、夜の長さは日没から日の出までとされていた。
このため、「いっとき」の長さは季節によって変化した。
「いっとき」の具体的な長さであるが、
「いっとき」は、現代の約2時間に相当する。しかし季節によって変動した。
春分と秋分の頃は、昼夜の長さがほぼ同じなので、昼夜ともに「いっとき」は約2時間といえた。
夏は昼の時間が長くなるため、昼の「いっとき」は2時間より長くなり、夜の「いっとき」は短くした。
冬は昼の時間が短くなるため、昼の「いっとき」は2時間より短くなり、夜の「いっとき」は長くした。
江戸時代には、「いっとき」をさらに細かく区切る呼び方があったのだ。
 一時いっときは約2時間。
 |半刻(はんとき》は約1時間。
 四半時しはんときは約30分。

また、十二支(子・丑・寅など)や、九つ、八つといった数で時刻を表したのである。
現代のような時計が普及していなかった江戸時代では、主に「時の鐘」によって時刻が人々に伝えられていたのだ?
各地に設置された時の鐘が、決まった時刻に鳴らされていたのだ。人間の知恵である。
庶民は鐘の音を聞いておおよその時間を把握し、生活していた。何とも言えない情緒溢れる江戸庶民ではないか。

 

物語の続きである。

 清左衛門と丘八は、船宿に着いた。「丘八、ここで待て。」
「へい。」
「では、行って参る。」
「旦那、お気をつけて。」
清左衛門は船宿の暖簾をくぐり入口から入り階段を上がりはじめた。″ゾロリゾロリゾロリ″と、2階に上がると斬九郎が酒を呑んでいた。清左衛門は刀の鞘から刀を抜いた。
刀のつばに手を掛けて刀を抜いたのだ。斬九郎は清左衛門に気づいた。
「オヌシ何ヤツ!」
清左衛門は無言であった。「オヌシ、何故、このわしを!北町奉行所の与力 東斬九郎と知っての狼藉ろうぜきかぁ!」
清左衛門は刀を斬九郎を目掛けて振り下ろした。斬九郎は自分の方を抜き、清左衛門の刀を止めた。清左衛門はさらに切り掛かる。斬九郎は清左衛門の刀をまた、止めた。二人の斬り合いが始まった。しかし斬九郎は酔っていた。斬九郎の足が一瞬よろけた。清左衛門はそのすきを見逃さなかった。斬九郎の眉間に清左衛門の振り下ろした刀が当たり、斬九郎はその場に倒れた。斬九郎は最後に言った。「オヌシ、何‥ヤ‥ツ‥‥‥‥」
斬九郎の息は絶えたのであった。哀れ斬九郎。哀れ幸よ。二人の夫婦の契りは、清左衛門によって打ち砕かれたのだ。清左衛門は丘八と船宿を後にした。



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