無用庵隠居清左衛門

蔵屋

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第八章

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師走の大晦日にある事件が起きた。両国にある両替商橘屋が盗賊に襲われ、橘弥平、女房お密、娘タマ、番頭為吉他奉公人20名が惨殺されたのである。娘タマはまだ、5歳であった。この事件に火付盗賊改方ひつけとうぞくあらためかたかっ(注釈1)が乗り出した。大晦日に両替商橘屋が盗賊に襲われ、しかも24名もの尊い人命が奪われたのだ。火付盗賊改方長官長谷部平蔵は江戸城に呼び出された。
その部屋には老中松平定信がいた。
「平蔵よ。何故、大晦日に襲われたのしわゃ。一体、江戸の街の治安はどうなっているのじゃ。平蔵よ。」
「誠に申し訳けございません。江戸の街の治安と安全を守る役目を真っ当出来ませなかったこと申し訳けございません。」
「平蔵よ。ぬかったなぁ。で、盗賊の目星はついたのか?」
「いえ、まだでございます。今、昼夜を惜しみ探索しております。」
「どうじゃ、旗本を動かすのか?」
「旗本でございますか。」
「そうじゃ。旗本じゃ。」
「御老中、そうわまいりません。我ら火付盗賊改方の者にお任せ下さい。」
「平蔵、分かった。お主に任せよう。」
老中松平定信と火付盗賊改方長官長谷川平蔵の密議は終わった。平蔵は江戸城を後にした。長谷川平蔵はふと、過去の大盗賊日本左衛門にっぽんざえもん(注釈2)のことを思い出したのである。

(注釈1)
火付盗賊改方は、江戸時代に主に重罪である火付け(放火)、盗賊(押し込み強盗団)、賭博を取り締まった役職である。本来、臨時の役職で、幕府常備軍の御先手弓・筒之頭から選ばれた。御先手頭の職務との兼役であるため「加役かやくとも呼ばれ、時代劇などでは火盗改かとうあらため)あるいは「火盗かとうと略して呼ばれることもある。

徳川家康が江戸で開府した17世紀初め、この地の人口は十数万人であったと伝えられている。
老中松平定信の時代には百万人規模の大都市になっていた。当時のパリやロンドンすらもしのぐ、世界最大の都市だった。
江戸の街に同時に増えたのが犯罪であった。相次ぐ飢饉、天災、また、個人的な事情で困窮した庶民、地方からも江戸にどんどん流入してきたのだ。江戸の治安は悪くなる一方であった。人間行き詰ってしまうと、犯罪に手を染める者も激増した。窃盗、スリ、ひったくり、強盗、放火など、あらゆる悪事がはびこる犯罪都市となったのだ。江戸以外の地方は地方で、徒党を組んで押し込み強盗を働く盗賊が横行した。当地の脆弱な警察力ではどうにもならず、更生した元盗賊を雇って、盗賊を撃退する村まであったと、ある記録にあるくらいだ。
江戸の街に悪が跋扈ばっこするなか、その筋ではとびぬけた才覚と蛮勇を持った者が頭角を現すのは必然のことであった。

(注釈2)
日本左衛門について:20代の若さで大盗賊の頭に|日本左衛門(にっぽんざえもん》・浜島庄兵衛はましましょうべえは徳川吉宗治世下の1720年頃、尾張藩の飛脚の子として生まれた。
庄兵衛は、少年時代から体躯にすぐれ、剣術も巧みであったことから、将来を期待された。しかし、どこで道を誤ったのか、10代で「飲む打つ買う」に邁進。二十歳になる頃、父親に勘当される。それで反省するでなく、身軽になったと悪事に手を染めて大盗賊になった。
庄兵衛には、頭としての資質があり、若くして20人ほどの手下を従えるようになった。今の浜松市界隈の公的権力の空白地にアジトをもうけ、近隣の富農・商家で強盗を重ねた。
このときは、被害に遭った百あまりの村の人たちが決起し、隠れ家を襲撃。庄兵衛ら一味は、今の磐田市のあたりへと逃げ延びた。2年間おとなしくしたのち、庄兵衛らは、一説には百人とも二百人ともいわれる大きな集団を組んで活動を再開。東は伊豆、西は伊勢までを勢力圏に収めた。
いつしか庄兵衛は、日本左衞門にっぽんざえもんという異名で呼ばれるようになります。

大晦日の両替商橘屋の一件は、清左衛門の耳にも入った。丘八である。
「旦那。大晦日に両替商の橘屋が襲われまして店の主人、女房、番頭、5歳の娘、奉公人24名全員が惨殺されました。」
「なんと!それは酷い!火付盗賊改方長官長谷川平蔵は何をしておるのじゃ。このような事件は前代未聞じゃ。情けない。江戸の街の治安も地に落ちたもんじゃ!」
「ヘイ、その通りでさぁ」
「‥‥‥」
清左衛門は腕を組んで考え込んだ。
そうして江戸城に行き老中松平定信と面談をすることを決めたのであった。

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