『「あんな化け物と結婚なんて嫌!」と妹が泣くので私が身代わりになりました。……あの、化け物どころか、国一番の美形で紳士な旦那様なんですけど?

ラムネ

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第8話『初めてのデートと嫉妬』

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王都の城門をくぐった瞬間、懐かしくも忌まわしい空気が肌にまとわりつきました。

石造りの洗練された街並み、色とりどりのドレスを纏った貴婦人たち、そして空気中に漂う香水と欲望の匂い。 かつて私が息を潜め、誰の目にも留まらないように生きてきた場所です。

しかし、今の私は一人ではありません。 隣には、私の手を力強く握りしめる、頼もしい旦那様がいます。

私たちの乗った漆黒の馬車は、王都の目抜き通りを堂々と進んでいきます。 車体に刻まれた「黒鷲」の紋章を見て、道行く人々が驚き、道を譲っていきます。

「おい、あれを見ろ。辺境伯の紋章だぞ」 「北の化け物が王都に来たのか?」 「恐ろしい……目を合わせたら呪われるらしいぞ」

窓の外から、ひそひそとした噂話が聞こえてきます。 以前の私なら、その言葉に怯え、身を縮こまらせていたでしょう。 でも今は、その言葉の裏にある「恐怖」が、滑稽にさえ思えました。

(皆様、何もご存じないのですね)

この仮面の奥にある素顔が、どれほど美しく、そして不器用なほど優しいかということを。 私は優越感にも似た気持ちで、隣のジークハルト様を見上げました。

彼は仮面の下で、不敵に微笑んでいました。

「……相変わらず、騒がしい街だ」

「旦那様、王都の別邸はどちらに?」

「王城の近く、貴族街の一等地にある。……だが、長年放置していたからな。幽霊屋敷になっているかもしれん」

彼は冗談めかして言いましたが、到着した別邸を見て、私は言葉を失いました。

確かに、建物自体は立派な石造りの屋敷でした。 しかし、庭は雑草が伸び放題で、鉄柵は錆びつき、窓ガラスは埃で曇っています。 王都の華やかな街並みの中で、そこだけ時間が止まったような、異様な雰囲気を放っていました。

「……これは、やりがいがありそうですね」

私が腕まくり(をする仕草)をすると、ジークハルト様が慌てて私を止めました。

「待て。掃除はさせんぞ。今回は『客』として来ているのだからな」

彼が指を鳴らすと、影から数人の黒装束の男たちが現れました。 辺境伯家が抱える「影」の部隊です。

「一時間だ。一時間で住める状態にしろ。埃一つ残すな」

「御意!!」

男たちは風のように屋敷の中へと消えていきました。 そして、中からは凄まじい勢いで掃除をする音――というよりは、戦闘音のような轟音が聞こえてきました。

「さて、エルサ。掃除が終わるまで、少し時間があるな」

ジークハルト様が、いたずらっ子のような目で私を見ました。

「せっかくだ。街へ出るか?」

「えっ? でも、そのお姿では……」

彼の漆黒の鎧と仮面は、あまりにも目立ちすぎます。 王都の街を歩けば、パニックになるのは必至です。

「案ずるな。認識阻害の魔法を使う。これなら、俺が『化け物』であることは誰にも気づかれん。……ただの一般市民として、お前と歩きたいんだ」

一般市民。 その言葉に、胸がときめきました。 身分も、噂も、何もかも忘れて。 ただの夫婦として、街を歩く。 それは、私にとって夢のような提案でした。

「はい! 喜んでお供します!」

                  ◇

ジークハルト様は魔法を使い、服装を貴族の普段着風に変え、仮面を見えないようにカモフラージュしました。 もちろん、私には彼の素顔が見えていますが、周囲の人々には「顔立ちの整った、雰囲気のある貴族の青年」程度に見えているはずです。 ……いえ、それでも十分に目立っているのですが。

私たちは腕を組み、王都のメインストリートを歩き始めました。

「すごい人ですね……」

「祭りの時期でもないのに、この騒ぎだ。人が多すぎて酔いそうだ」

ジークハルト様は少し不快そうに眉をひそめながらも、私を人混みから守るように、肩を抱き寄せて歩いてくれます。

通りには、様々なお店が軒を連ねていました。 最新の流行を取り入れたブティック、甘い香りを漂わせるカフェ、宝石店、本屋。 辺境の質実剛健な街並みとは違う、洗練された煌びやかな世界。

「何か欲しいものはあるか? 店ごと買ってもいいぞ」

「ふふ、またそんなことを。見ているだけで十分楽しいです」

私はショーウィンドウを眺めながら歩きました。 実家にいた頃は、こんなふうに堂々とお店を覗くことさえ許されませんでした。 マリアの買い物の荷物持ちとしてついて来ることはありましたが、私はいつも店の外で待たされていたからです。

「……あ」

ふと、一軒の店の前で足が止まりました。 そこは、王都でも有名な老舗のショコラティエ(チョコレート専門店)でした。

かつて、マリアがここのチョコレートを美味しそうに食べているのを、指をくわえて見ていた記憶が蘇ります。 「お姉様には勿体ないわ」と笑われた、苦い記憶。

「ここに入りたいのか?」

私の視線に気づいたジークハルト様が尋ねました。

「ええ……でも、ここは会員制で、予約がないと入れないんです。昔、一度だけ入ろうとして断られたことがあって……」

「ほう。俺の妻を断った店か」

ジークハルト様の目が、すっと細まりました。 危険な光です。 私は慌てて彼の手を引きました。

「だ、旦那様? 破壊するのはダメですよ?」

「破壊などせん。……ただ、客として入るだけだ」

彼は私の腰に手を回し、堂々と店のドアを開けました。

「いらっしゃいませ。ご予約のお客様でしょう……か?」

慇懃無礼な態度で出迎えた店員が、ジークハルト様の姿を見た瞬間、言葉を詰まらせました。 認識阻害の魔法がかかっていても、彼から滲み出る「王者の風格」と「圧倒的な魔力の残滓」は隠しきれていないようです。 店員の本能が、「この客を怒らせてはいけない」と警鐘を鳴らしたのでしょう。

「予約はない。だが、席はあるだろう?」

ジークハルト様が、ポケットから金貨を一枚取り出し、指で弾きました。 金貨は美しい放物線を描き、店員の胸ポケットにストンと収まりました。

「は……はひっ! も、もちろんでございます! 一番奥の特別席へご案内いたします!」

店員は震え上がりながら、最敬礼で私たちを案内しました。 これが、いわゆる「強者の理屈」というやつでしょうか。 少し乱暴ですが、私のために道を切り開いてくれる彼の姿に、胸が熱くなりました。

席に着くと、宝石のように美しいチョコレートと、香り高い紅茶が運ばれてきました。 私は恐る恐る、憧れだったチョコレートを一粒、口に含みました。

「……おいしい」

口の中でとろける甘さと、芳醇なカカオの香り。 それは、長年の劣等感を溶かしてくれるような、優しい味でした。

「そうか。なら、全部買い占めて帰ろう」

「もう、旦那様ったら。そんなに食べたら鼻血が出ちゃいます」

私たちが笑い合っていると、店内の空気が少しざわついていることに気づきました。

「ねえ、見て。あの方、すごく素敵じゃない?」 「どこの貴族かしら? 見たことない顔立ちね」 「隣の女性は誰? 地味な子だけど……」

周囲の女性客たちが、熱っぽい視線をジークハルト様に送っているのです。 認識阻害がかかっているはずなのに、彼の美しさは隠しきれていないようです。 銀髪の輝き、長い手足、そして何より、私に向ける甘い眼差しが、周囲の女性たちを虜にしているようでした。

中には、扇子で口元を隠しながら、あからさまに流し目を送ってくる貴婦人もいます。 あるいは、わざとハンカチを落として気を引こうとする令嬢も。

(……モテる)

当たり前です。 私の旦那様は、世界一素敵なのですから。 でも、それを目の当たりにすると、やはり面白くはありません。 胸の奥がチクリと痛みました。

私は無意識のうちに、フォークを握る手に力を込めていました。

「……エルサ?」

ジークハルト様が、心配そうに私の顔を覗き込みました。

「どうした? 味が合わなかったか?」

「……いえ。チョコレートはとても美味しいです。ただ……」

私は周囲の女性たちをちらりと見ました。

「虫が、多いなと思いまして」

私の言葉に、ジークハルト様はきょとんとして、それから周囲を見回しました。 そして、自分に向けられている熱視線にようやく気づいたようです。 しかし、彼の反応は冷淡そのものでした。

「……鬱陶しいな」

彼は吐き捨てるように言い、それから私に向き直ると、ニヤリと悪戯っぽく笑いました。

「なんだ、エルサ。もしかして、妬(や)いているのか?」

「……妬いてますよ。旦那様はカッコ良すぎます。魔法で隠しても、その魅力が漏れ出ているんですもの」

私が頬を膨らませて抗議すると、彼はこの上なく嬉しそうに目を細めました。

「そうか。妬いているか。……可愛いな」

「むぅ……からかわないでください」

「からかってなどいない。俺は嬉しいんだ。お前が俺を独占したいと思ってくれていることが」

彼はテーブル越しに身を乗り出し、私の顎を指ですくい上げました。

「安心しろ。俺の目には、お前しか映っていない。周りの女など、カボチャかジャガイモにしか見えん」

「カボチャ……」

「ああ。お前だけが、俺の宝石だ」

そう言うと、彼は私の唇についたチョコレートを、自分の親指で拭い取り、それをペロリと舐めました。

「っ……///」

周囲から「きゃああっ!」という黄色い悲鳴が上がりました。 公衆の面前での大胆な行動に、私は顔から火が出るかと思いました。 でも、同時に胸いっぱいに広がったのは、甘い優越感でした。

(見ましたか、皆様。この方は、私の旦那様なんです)

心の中でそう宣言し、私は彼の手に自分の手を重ねました。

「……帰ったら、お仕置きですからね」

「ほう。どんなお仕置きだ? 甘いのがいいな」

私たちは甘いチョコレート以上に甘い空気で、二人だけの世界に浸りました。

                  ◇

店を出て、夕暮れの街を歩いていると、広場の方から騒がしい声が聞こえてきました。

「なんだ、あれは?」

人だかりができています。 興味本位で近づいてみると、そこには一枚の立て札が掲げられていました。 そして、その前で演説をしている男がいます。

『皆の者、聞け! 我が国の誇るジークハルト辺境伯が、ついに王都へ到着された! 明後日の建国記念夜会には、噂の新妻を連れて参加されるとのことだ!』

男は、どこかの新聞社の記者のようでした。

『噂によれば、その新妻は絶世の美女! あの化け物公爵の呪いを解いた、奇跡の聖女だという話だ! 果たして、その真偽はいかに!?』

「……聖女?」

私は思わず声を上げてしまいました。 いつの間にか、噂に尾ひれがついて、とんでもないことになっています。

「化け物を手なずけた美女か。……まあ、間違ってはいないな」

ジークハルト様が苦笑しました。

『しかし! 一方でこんな噂もある! 伯爵家から無理やり連れ去られた、悲劇のヒロインだという説も! あの残虐な辺境伯のことだ、夜会で妻を食い殺すパフォーマンスを見せるかもしれんぞ!』

聴衆が「ひぇぇ……」「やっぱり怖い……」とざわめきます。 相変わらず、王都でのジークハルト様の評判は最悪のようです。

「……訂正してやりましょうか」

私が一歩踏み出そうとすると、ジークハルト様が肩を掴んで止めました。

「放っておけ。噂など、当日にひっくり返せばいい。それに……」

彼の視線が、人混みの向こうにある一点に向けられました。

そこには、フードを目深に被った数人の男たちが、こちらを――いいえ、正確には私をじっと監視しているのが見えました。 彼らの胸元には、見覚えのある紋章がチラリと見えました。 私の実家、伯爵家の紋章です。

「……嗅ぎ回っているようだな」

ジークハルト様の声が、冷たく沈みました。 デート中の甘い雰囲気は消え失せ、冷徹な狩人の顔になっています。

「実家の手の者ですね」

「ああ。俺たちが王都に入ったことを確認しに来たのだろう。……随分と焦っているようだな」

私たちは気づかないふりをして、その場を離れました。 しかし、背中に突き刺さる視線は、屋敷に戻るまで消えることはありませんでした。

                  ◇

別邸に戻ると、そこはすっかり見違えるほど綺麗になっていました。 「影」たちの仕事は完璧です。 廃墟同然だった屋敷は、磨き上げられた床、手入れされた庭木、そして温かい暖炉の火が灯る、快適な空間へと生まれ変わっていました。

「おかえりなさいませ、旦那様、奥様」

影のリーダー格の男が跪いて出迎えました。

「掃除は完了しました。それと……いくつか報告がございます」

「言え」

ジークハルト様がソファに座り、私を隣に座らせました。

「伯爵家――奥様のご実家の状況についてです」

男の報告は、予想以上に深刻なものでした。

まず、伯爵家の財政は破綻寸前であること。 マリアの浪費癖に加え、ジークハルト様からの持参金(実は、私が身代わりになった際に、手切れ金として相当額が支払われていたようです)も、すでに使い果たしてしまったとのこと。

そして何より。

「妹君のマリア様ですが……最近、様子がおかしいとの情報が入っております」

「おかしい、とは?」

「夜な夜な、怪しげな薬師や、闇魔法の使い手と接触しているようです。そして、今回の夜会で『本来の私の居場所を取り戻す』と、周囲に触れ回っているとか」

私は背筋が寒くなりました。 マリアのあの性格です。 自分が幸せになれないとわかった瞬間、他人の幸せを壊すことに全力を注ぐでしょう。 それが、かつて見下していた姉であれば尚更です。

「……やはり、何か仕掛けてくるつもりか」

ジークハルト様が、つまらなそうに鼻を鳴らしました。

「愚かなことだ。俺に喧嘩を売ることが、どれほど無謀か理解していないらしい」

「旦那様。マリアは……手段を選びません。きっと、私だけでなく、貴方様の名誉も傷つけようとしてくるはずです」

「構わん。名誉など、とうに地に落ちている」

彼は私の手を握りました。

「だが、お前を傷つけることだけは許さん。奴らがどんな策を弄しようとも、俺がすべてねじ伏せる。……そのための準備はできている」

彼は合図を送りました。 すると、別の部屋から数人のメイドたちが、大きな箱を抱えて入ってきました。

「これは?」

「開けてみろ」

言われるままに箱を開けると、中から現れたのは、息を呑むほど美しいドレスでした。

色は、夜空のような深いミッドナイトブルー。 生地には、無数の小さなダイヤモンドが縫い付けられており、動くたびに星空のように煌めきます。 そして何より特徴的なのは、そのデザインでした。 露出は控えめながら、体のラインを美しく見せるカッティング。 そして、背中には大きなリボンのような装飾があり、それはまるで「妖精の羽」のようにも見えました。

「……綺麗」

「北の職人が、魂を込めて織り上げた『星屑のドレス』だ。王都の流行など目ではない。これを着たお前は、夜空の女神そのものになる」

ジークハルト様は、熱い眼差しで私を見つめました。

「エルサ。このドレスを着て、俺の隣に立て。そして、奴らに見せつけてやれ。お前がどれほど美しく、気高く、愛されているかを」

これは、ただのドレスではありません。 戦闘服です。 私たちが、過去の呪縛と決別し、未来を勝ち取るための。

「はい、旦那様」

私はドレスを胸に抱きしめ、深く頷きました。

「私、負けません。最高の笑顔で、彼らを歓迎して差し上げますわ」

夜会まで、あと二日。 王都の空には、嵐の前の静けさを告げるように、大きな満月が輝いていました。 私の心臓は、恐怖ではなく、武者震いで高く鳴り響いていました。

(待っていなさい、マリア。お父様、お母様。今の私は、あなたたちが知っている『灰かぶりのエルサ』ではありません。北の魔王に愛された、最強の辺境伯夫人なのですから)
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