午前2時、 コンビニの灯りの下で

結衣可

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後日談① 春の約束

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 春の風がやわらかく街を撫でていた。
 川沿いの桜が満開で、風が吹くたびに花びらが舞う。
 海はベンチに座り、隣の智也に微笑んだ。

「……あの、智也さん」

「うん?」

「そろそろ、本格的に同棲しませんか」

 言葉は穏やかだったけれど、その瞳は真剣だった。
 智也は思わず息を呑んだ。

「同棲……?」

「はい。大学院に進んで、バイトも辞めたので、時間の融通がききます。
 今はオンラインの仕事をしてるので、金銭的にも余裕があるし、場所も自由で。
 だから、智也さんと一緒に暮らせたらなって」

 彼の言葉は静かで、自信に満ちていた。
 智也はすぐに「嬉しい」と言えなかった。
 嬉しすぎて、胸がいっぱいになったのだ。
 けれど同時に、現実のことも頭をよぎる。

「海くん、ありがとう。でも……」

「でも?」

「僕、仕事が忙しくて、家事とか全然できないんだ。
 君にばかり負担をかける気がして」

 海は首を傾げた。

「負担……? 僕が家事するの、全然平気ですけど?」

「いや、学生なのに……」

「大学院生です。もう大人ですよ」

 あっけらかんと言われて、智也は思わず笑ってしまった。
 海は続けた。

「それに、僕の研究のほうも心配ありません。
 時間は自分で管理できるし、仕事も在宅ですから。
 忙しい智也さんを支える時間、たくさんあります」

「……なんか、海くんがすごすぎて、俺のほうが頼りなく見えない?」

「そんなことないです」

 海が少し身を乗り出した。

「僕、智也さんが頑張ってる姿、好きですよ。
 疲れた顔で帰ってきて、僕の作ったご飯食べて、
『美味しい』って言ってくれる瞬間を想像したら、もう幸せで」

 その言葉に、胸の奥がじんと熱くなった。

「……そんな風に言われたら、また甘えたくなる」

「ぜひ甘えてください」

 海が即答する。

「え?」

「僕、智也さんにもっと甘えてほしいです。
 頼られたいんです。……だめですか?」

 その瞳は真っ直ぐで、どこまでも優しかった。
 智也は思わず笑って、少し俯いた。

「だめじゃないけど……俺、絶対に海くんに甘えすぎると思う」

「大歓迎です」

「……ほんとに?」

「はい。むしろ、甘えてくれないと寂しいです」

 そう言って、海はゆっくり腕を伸ばした。
 智也の肩を抱き寄せ、耳元で囁く。

「今だって、こうして抱きしめられるだけで幸せです」

 胸の中に顔を埋めながら、智也は小さく笑った。

「海くん、ほんとずるいね」

「ずるいですか?」

「……そんな風に言われたら、もう断れないよ」

 海の腕の力が少し強くなる。

「じゃあ、決まりですね」

「え?」

「一緒に暮らしましょう」

 智也は顔を上げ、柔らかく微笑んだ。

「……よろしくお願いします、海くん」

 海は嬉しそうに笑い、そっと唇を寄せた。
 軽く触れるだけのキス。
 春風が二人の間を通り抜け、桜の花びらがひとひら、智也の髪に落ちた。
 海がそれを指先で取る。

「花びら、智也さんに似てますね」

「どこが」

「触れたら、壊れそうなくらい綺麗です」

「……もう、ほんとにそういうこと言うのやめて」

 顔を真っ赤にした智也に、海は小さく笑って囁いた。

「じゃあ、今度から“おかえり”って、毎日言わせてくださいね」

 智也はその言葉に、何も返せず、ただ頷いた。
 春の風が二人の頬を撫で、光がやさしく包み込む。

 ──午前2時の灯りの下で始まった恋は、
 いま、朝の光の中でひとつの“暮らし”へと変わろうとしていた。

***

 同棲初日

 新しい部屋に、まだ段ボールの山が残っていた。
 白い壁も、木の匂いのする床も、どこか落ち着かない。
 けれど、リビングの隅に並んだ二人分のマグカップを見ただけで、智也の胸は少しあたたかくなった。

 夕食を終え、片付けをしながら海が笑う。

「同棲って、思ってたより実感ありますね」

「そう?」

「はい。食器が二倍になって、洗濯機が一日おきになって……」

「確かに。なんか生活感がすごい」

「でも、それがいいんです」

 そんな他愛のない会話を交わしたあと、「先にお風呂、どうぞ」と海が言った。
 湯船に浸かると、一日の疲れが抜けていく同時に、少し心臓が落ち着かない。
 同じ屋根の下に海がいる。
 それだけで、胸がざわめいていた。

 風呂場を出ると、鏡に映る自分の髪がまだ濡れている。
 肩にバスタオルを掛けて、寝室へ向かう。

 ちょうどそのとき、キッチンでコップに水を注いでいた海と目が合った。

「……あ」

 小さな声。
 その瞬間、海の手が止まった。
 風呂上がりの智也を見て、視線が一瞬、彷徨う。

「……っ、智也さん……」

「なに?」

「その、……すごく、反則です」

「反則?」

「髪、濡れたままで、そのまま出てこられるのは……」

 言葉の途中で、海の頬が赤く染まる。
 智也は笑いをこらえながらタオルで髪を押さえた。

「ごめん、ドライヤー、箱から出すの忘れてて」

「僕、出します。……っていうか、そのままだと風邪ひきます」

「頼んでいい?」

「もちろん」

 海がドライヤーを持って戻ってきて、
 智也をソファに座らせた。
 スイッチを入れると、温かい風が髪を揺らす。
 そのたびに、微かに肌が触れる。

「……近いね」

「乾かすのに必要な距離です」

「そう?」

「……はい。たぶん」

 海の声が少し掠れていた。
 智也は鏡越しに、彼の表情をそっと覗く。
 真剣で、どこか不器用で。
 けれど、その耳の先が赤いのが可愛くて、思わず口角が上がる。

「海くん」

「はい?」

「そんな顔してると、こっちが照れるよ」

「照れてるのは僕の方です」

「どうして?」

「……好きな人がお風呂上がりで、目の前にいるんです。
 落ち着けるわけないでしょう」

 その言葉に、胸が一気に熱くなる。
 風の音と心臓の音が重なった。

 ドライヤーを止めた海が、少しだけ息を吸い、ためらうように智也の髪を指で梳いた。

「ちゃんと乾きました」

「ありがとう」

「……触れていいですか」

 その声は、いつもより少し低かった。
 智也は目を閉じて、小さく頷く。
 額に柔らかな唇が触れた。
 唇が離れても、手はそのまま頬に添えられている。

「こうしてると、幸せです」

「海くんが?」

「はい。……僕も甘えてるのかも」

 智也は小さく笑って、海の胸に手を置いた。

「なら、おあいこだね」

「おあいこ、ですか」

「うん。僕も海くんがこうして触れてくれると幸せだよ」

 海が少しだけ笑って、智也の額にもう一度キスを落とす。

「それなら、この距離がちょうどいいですね」

「……ふふ、もっと近くてもいいよ」

 夜風が窓を揺らす。
 部屋の明かりは柔らかく、湯気の残る空気がまだ少し温かい。
 二人の影が壁に寄り添って、ゆっくりと重なっていく。

「ねぇ、海くん」

「はい」

「今日、同じベッドで寝てもいい?」

「もちろんです。……そのつもりでした」

 海の声は少し震えて、それでも優しかった。
 智也は笑いながら、小さく呟いた。

「やっぱり同棲してよかった」

 その夜、ふたりは灯りを落とし、
 互いのぬくもりを確かめるように寄り添った。
 どちらが先に眠ったのかもわからないほど、
 静かで穏やかな夜だった。
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