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第2話 結界の家
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家の扉が閉まると、外の闇とは別世界のような静けさが訪れた。
暖炉の火がぱちぱちと音を立て、赤々とした光が室内を照らす。
粗末ではあるが清潔な部屋。棚には薬草の束が吊るされ、机には古びた魔導書が積み上げられている。
ユリアンは戸口に立ったまま、震える手を胸に押さえていた。
ずっと冷え切っていた体が、火のぬくもりに包まれてようやく自分が生きていると実感する。
「……座れ」
低い声が響き、視線を上げる。
ヴァルターが無造作に椅子を引き、ユリアンを顎で促していた。
「あ……ありがとうございます」
おそるおそる腰掛けると、椅子の木がきしむ音がやけに大きく響いた。
ユリアンは膝の上で拳を握りしめ、俯いたまま呼吸を整える。
ヴァルターは棚から小瓶を取り出すと、布を浸してユリアンの傷ついた手を掴んだ。
思わず声が漏れる。
「っ……!」
「じっとしてろ」
無愛想に言い放ち、血のにじんだ掌を乱暴に拭い取る。
その手つきは、不思議と的確で痛みを最小限に抑えているように感じた。
ユリアンは驚きと戸惑いを胸に、ちらりとヴァルターの横顔を盗み見る。
炎に照らされた瞳は冷ややかに見えるのに、その動作は決して無関心ではない。
「……あなたは、なぜ僕を助けたのですか」
思わず問うと、ヴァルターの手が一瞬止まった。
彼は表情ひとつ変えず、淡々と答える。
「死なれたら目障りだからだ」
心臓がずきりと痛んだ。
吐き捨てるような言葉なのに、その声の奥にわずかな苛立ちと焦燥が滲んでいた。
言葉を失い、ユリアンは視線を落とす。
やがて手当てが終わると、ヴァルターは立ち上がり、奥の部屋を指した。
「そこに寝床がある。今夜は休め」
扉の向こうには、簡素なベッドが一つ置かれていた。
毛布は厚く、ふかふかとは言えないが、冷たい地面に比べれば天国のように思えた。
ユリアンは礼を言おうと口を開いたが、ヴァルターは背を向けて暖炉の前に座り込んでしまう。
それ以上言葉を許さない気配に、唇を噛んで部屋へ向かった。
ベッドに横たわると、柔らかな布が肌を包む。
涙がにじみそうになるのを必死に堪えながら、ユリアンは目を閉じた。
(……言葉も視線も冷たいのに、手当までしてくれた……不思議な人)
外の世界に自分の居場所はない。
この家の中でなら、もしかしたら――
そんな希望と不安を胸に、ユリアンは深い眠りへと落ちていった。
暖炉の火が揺れる音の向こうで、ヴァルターは一人ユリアンの寝室をちらりと振り返り、小さく息を吐いた。
「……面倒なものを拾ったな」
その呟きは誰にも届かず、ただ夜の静寂に溶けていった。
***
翌朝、ユリアンは鳥の声で目を覚ました。
薄いカーテン越しに差し込む朝日が、室内をやわらかく照らしている。
――夢ではなかった。昨夜、森で出会った男に助けられ、この家に運ばれたのだ。
寝台から起き上がると、乾いた木の香りが鼻をくすぐる。
どこか懐かしいような、落ち着く匂いだった。
胸の奥には、ぐるぐると不安が渦巻いている。
(僕は……どうなるんだろう……)
部屋を出ると、ヴァルターがすでに暖炉の前に立っていた。
鍋に湯をかけ、無言で木の器を二つ並べている。
その背中は大きく、孤独を纏った岩のようだった。
「……おはようございます」
恐る恐る声をかけると、ヴァルターはちらりと視線だけを寄越した。
「ああ。……そこに座れ」
淡々とした声音だが、冷え切ってはいない様子に安堵する。
ユリアンは小さく頷き、椅子に腰掛ける。
器に注がれたのは温かなスープだった。
薬草の香りと根菜の甘みが口に広がり、思わず目を見開く。
「……美味しい」
思ったことがそのまま口から零れる。
ヴァルターは特に返事をせず、無言で自分の器を口に運ぶだけだった。
しかし、その耳の先がほんのわずか赤みを帯びたようにユリアンには見えた。
(僕の分も……用意してくれたんだ)
心の奥に小さな温もりが灯る。
食後、ユリアンは立ち上がり、器を洗おうとした。
ヴァルターが無造作に取り上げ、棚に片付けてしまう。
「お前にできることはない。……余計なことはするな」
きっぱりとした声。ユリアンの胸に刺さる。
「……でも、僕……何か役に立ちたいんです」
思わず本音が漏れた。
ヴァルターは一瞬だけ動きを止め、振り返る。
鋭い視線に射抜かれ、ユリアンは喉を詰まらせた。
「生きているだけで十分だ」
それだけを言い残し、ヴァルターは背を向けた。
その言葉の裏に、何かを押し隠す響きがあった。
ユリアンは俯きながらも、その不器用な優しさを感じ取ってしまう。
(本当に……どういう人なんだろう)
森の奥で、たった一人、結界を張った家に暮らすヴァルター。
そもそも結界をずっと維持できるってことは、すごい人なのかもしれない。
その彼にこうして守られることは確かに自由を奪われるけれど、外の恐怖から救われる場所だということは理解していた。
ユリアンは胸の奥でそっと決意する。
(――今はここに居させてもらおう。……この人の傍で)
その想いを知らぬまま、ヴァルターは黙々と薬草を刻み続けていた。
鋭い刃が木のまな板を打つ音が、家の静寂に心地よく響いていた。
暖炉の火がぱちぱちと音を立て、赤々とした光が室内を照らす。
粗末ではあるが清潔な部屋。棚には薬草の束が吊るされ、机には古びた魔導書が積み上げられている。
ユリアンは戸口に立ったまま、震える手を胸に押さえていた。
ずっと冷え切っていた体が、火のぬくもりに包まれてようやく自分が生きていると実感する。
「……座れ」
低い声が響き、視線を上げる。
ヴァルターが無造作に椅子を引き、ユリアンを顎で促していた。
「あ……ありがとうございます」
おそるおそる腰掛けると、椅子の木がきしむ音がやけに大きく響いた。
ユリアンは膝の上で拳を握りしめ、俯いたまま呼吸を整える。
ヴァルターは棚から小瓶を取り出すと、布を浸してユリアンの傷ついた手を掴んだ。
思わず声が漏れる。
「っ……!」
「じっとしてろ」
無愛想に言い放ち、血のにじんだ掌を乱暴に拭い取る。
その手つきは、不思議と的確で痛みを最小限に抑えているように感じた。
ユリアンは驚きと戸惑いを胸に、ちらりとヴァルターの横顔を盗み見る。
炎に照らされた瞳は冷ややかに見えるのに、その動作は決して無関心ではない。
「……あなたは、なぜ僕を助けたのですか」
思わず問うと、ヴァルターの手が一瞬止まった。
彼は表情ひとつ変えず、淡々と答える。
「死なれたら目障りだからだ」
心臓がずきりと痛んだ。
吐き捨てるような言葉なのに、その声の奥にわずかな苛立ちと焦燥が滲んでいた。
言葉を失い、ユリアンは視線を落とす。
やがて手当てが終わると、ヴァルターは立ち上がり、奥の部屋を指した。
「そこに寝床がある。今夜は休め」
扉の向こうには、簡素なベッドが一つ置かれていた。
毛布は厚く、ふかふかとは言えないが、冷たい地面に比べれば天国のように思えた。
ユリアンは礼を言おうと口を開いたが、ヴァルターは背を向けて暖炉の前に座り込んでしまう。
それ以上言葉を許さない気配に、唇を噛んで部屋へ向かった。
ベッドに横たわると、柔らかな布が肌を包む。
涙がにじみそうになるのを必死に堪えながら、ユリアンは目を閉じた。
(……言葉も視線も冷たいのに、手当までしてくれた……不思議な人)
外の世界に自分の居場所はない。
この家の中でなら、もしかしたら――
そんな希望と不安を胸に、ユリアンは深い眠りへと落ちていった。
暖炉の火が揺れる音の向こうで、ヴァルターは一人ユリアンの寝室をちらりと振り返り、小さく息を吐いた。
「……面倒なものを拾ったな」
その呟きは誰にも届かず、ただ夜の静寂に溶けていった。
***
翌朝、ユリアンは鳥の声で目を覚ました。
薄いカーテン越しに差し込む朝日が、室内をやわらかく照らしている。
――夢ではなかった。昨夜、森で出会った男に助けられ、この家に運ばれたのだ。
寝台から起き上がると、乾いた木の香りが鼻をくすぐる。
どこか懐かしいような、落ち着く匂いだった。
胸の奥には、ぐるぐると不安が渦巻いている。
(僕は……どうなるんだろう……)
部屋を出ると、ヴァルターがすでに暖炉の前に立っていた。
鍋に湯をかけ、無言で木の器を二つ並べている。
その背中は大きく、孤独を纏った岩のようだった。
「……おはようございます」
恐る恐る声をかけると、ヴァルターはちらりと視線だけを寄越した。
「ああ。……そこに座れ」
淡々とした声音だが、冷え切ってはいない様子に安堵する。
ユリアンは小さく頷き、椅子に腰掛ける。
器に注がれたのは温かなスープだった。
薬草の香りと根菜の甘みが口に広がり、思わず目を見開く。
「……美味しい」
思ったことがそのまま口から零れる。
ヴァルターは特に返事をせず、無言で自分の器を口に運ぶだけだった。
しかし、その耳の先がほんのわずか赤みを帯びたようにユリアンには見えた。
(僕の分も……用意してくれたんだ)
心の奥に小さな温もりが灯る。
食後、ユリアンは立ち上がり、器を洗おうとした。
ヴァルターが無造作に取り上げ、棚に片付けてしまう。
「お前にできることはない。……余計なことはするな」
きっぱりとした声。ユリアンの胸に刺さる。
「……でも、僕……何か役に立ちたいんです」
思わず本音が漏れた。
ヴァルターは一瞬だけ動きを止め、振り返る。
鋭い視線に射抜かれ、ユリアンは喉を詰まらせた。
「生きているだけで十分だ」
それだけを言い残し、ヴァルターは背を向けた。
その言葉の裏に、何かを押し隠す響きがあった。
ユリアンは俯きながらも、その不器用な優しさを感じ取ってしまう。
(本当に……どういう人なんだろう)
森の奥で、たった一人、結界を張った家に暮らすヴァルター。
そもそも結界をずっと維持できるってことは、すごい人なのかもしれない。
その彼にこうして守られることは確かに自由を奪われるけれど、外の恐怖から救われる場所だということは理解していた。
ユリアンは胸の奥でそっと決意する。
(――今はここに居させてもらおう。……この人の傍で)
その想いを知らぬまま、ヴァルターは黙々と薬草を刻み続けていた。
鋭い刃が木のまな板を打つ音が、家の静寂に心地よく響いていた。
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