祖国に棄てられた少年は賢者に愛される

結衣可

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第4話 揺らぐ心

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 翌朝、ユリアンはベッドに座り、ぼんやりと窓の外を眺めていた。
 森の奥へと広がる緑は、結界によって淡い光に包まれている。
 まるで守られている牢獄のように、美しくも閉ざされた景色だった。

(……僕はここで、一生を過ごすのかな)

 胸の奥がざわつく。
 安全ではある。命の保証もある。
 ――本当にそれで「生きている」と言えるのだろうか。

 昨夜のヴァルターの言葉が蘇る。
 彼の過去には、きっと深い傷がある。
 だからこそ、自分を閉じ込めてでも守ろうとしている。
 その優しさが痛いほどに伝わってくるのに、胸の奥にはどうしても満たされないものがあった。

 ユリアンは食事の片付けをしながら、ちらりとヴァルターの背中を見つめた。
 彼は薬草を刻みながら黙々と作業を続けている。
 その無骨な姿に、不思議な安心感を覚える。
 同時に、言葉にできない焦燥も募った。

(僕は、この人に守られてばかりでいいのだろうか)
(何も知らないまま、何もできないまま……ただ生き延びるだけで)

 スプーンを拭く手が震え、小さな音を立てて床に落ちた。
 ヴァルターが振り向く。

「どうした」

「……なんでもありません」

 取り繕って微笑むと、彼は訝しげに視線を向けたが、何も言わずに作業へ戻った。
 その沈黙が、かえって胸に刺さった。

***

 その夜、ユリアンがベッドで目を閉じようとしたとき、不意に外の気配を感じた。
 風ではない。
 空気がざわめき、何かが結界の縁に触れている――そんな予感。

 恐怖に駆られ、毛布を握りしめる。
 すると、ヴァルターが外套を羽織り、無言で扉を開けて出ていった。

「……」

 ユリアンは息を殺し、窓からそっと外を覗いた。
 結界の端で光が弾け、複数の影がもがいている。
 人間だ――武器を携えた追手たち。

 炎の奔流が走り、影は悲鳴を上げて倒れ伏した。
 ヴァルターは微動だにせず、その全てを見届けると背を向け、静かに小屋へ戻ってきた。

 扉が軋む音。
 ユリアンは慌ててベッドに身を沈め、寝息を装った。

 足音が近づき、止まる。
 ヴァルターはユリアンの乱れた前髪をそっと整え、毛布を掛けなおした。
 そして、低く押し殺した声が聞こえた。

「……何度来ようと、無駄だ。ここにいる限り、誰にも触れさせはしない」

 それは、ユリアンではなく自分自身へ言い聞かせるような声だった。

***

 ヴァルターの家で過ごす日々が、淡々と流れていった。
 ユリアンは少しずつ体力を取り戻し、以前より顔色も良くなっていた。
 しかし、その胸の奥には、どうしても拭えない焦燥が残っていた。

 ――自分は守られているだけ。
 ――何ひとつ役に立てていない。
 
 ユリアンは食卓でスープを口に運びながら、ちらりとヴァルターを盗み見る。
 彼は何事もなかったかのように薬草を刻んでいる。

 ヴァルターが結界の縁で追手を葬る姿を、窓越しに目にしてしまった夜から、ユリアンは「何もできない自分」が、ただの重荷に思えて仕方がなかった。

 ――こんな狙われるほど、僕は何をしてしまったんだろう。
 ――どうして、この人がここまでして僕を守ってくれるのか。

 ユリアンの心の奥で、”知りたい”という欲が、彼を突き動かす力に変わろうとしていた。

*** 

 ヴァルターは「森の奥で薬草を採ってくる」とだけ告げ、家を出た。
 結界の外へは決してユリアンを連れ出そうとしない。
 その背を見送りながら、ユリアンの胸は強く痛んだ。

(……何の役にも立てないことが、こんなに苦しいなんて)

 部屋に戻っても落ち着かず、窓辺を行ったり来たりする。
 視線の先には、結界の境界線。
 淡い光が揺らめき、そこから先を拒んでいる。

 そのほんの少し先には薬草が生えているのが見えた。
 鮮やかな緑の葉――ヴァルターがよく調合に使っているもの。

(あれを持ち帰れば……少しは役に立てるかもしれない)

 心臓が早鐘を打つ。
 危険だとわかっている。
 ヴァルターに逆らうことになる。

 それでも――

「……僕だって、何か」

 小さく呟き、ユリアンは扉に手をかけた。

 結界に近づくと、空気が肌を撫でるようにざわめいた。
 見えない壁に触れると、淡い光が波紋のように広がる。
 拒む力を感じたが、それ以上に「外に出るな」というヴァルターの声が脳裏で響く。

(戻るなら今だ……でも――)

 ユリアンは拳を握りしめ、一歩を踏み出した。

 光が弾け、体を通り抜ける。
 一瞬、胸が締め付けられたが、次の瞬間には何事もなかったかのように結界の外へ立っていた。

 息を呑む。
 空気が違う。冷たく、重苦しい。
 その先には目的の薬草が確かに生えていた。

 膝をつき、慎重に葉を摘み取る。
 小さな達成感が胸に広がり、思わず微笑んだ。

(……僕にもできることがある)

 しかし、その安堵は長く続かなかった。

 ――ユリアンは自分の愚かさを悟った。

 背後の茂みが揺れた。
 振り返ると、そこには複数の影のような男たちが茂みから飛び出した。
 鎖が空を裂き、体を絡め取る。
 抵抗する間もなく、腕を背にねじ上げられ、膝から崩れ落ちる。

「やっと見つけたぞ……反逆者め」

 耳元で低く嘲笑する声。
 頬を泥に押しつけられ、冷たい鉄の感触が肌に食い込む。

「離せっ……!」

 必死に声を上げたが、力は虚しく弾かれるだけだった。
 頭上で笑い声が弾ける。

「貴族様も落ちぶれたもんだな。王都へ戻っても、待ってるのは処刑台だ」

 言葉が刃のように胸を抉る。
 目に熱いものが滲み、頬を伝って泥に混じった。

(……僕は……どうして外へ出てしまったんだ)

 後悔が胸を満たし、心臓を締め付けた。
 血の気が引く。
 体が震え、薬草が手から滑り落ちた。

「あ……あ……」

 足がすくみ、声も出ない。
 必死に抵抗するが、非力な身体ではどうにもならない。

 冷たい鉄の感触が肌に食い込み、全身が縛られていく。

「王都に引き立てろ。今度こそ逃がすな」

 嘲笑が夜気に響いた。
 恐怖と絶望で視界が滲む。

(……ヴァルター……ごめんなさい)

 心の奥で、その名を必死に呼んだ。
 応える声はなく、ユリアンの体は無理やり引きずられていった。
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